タケチンが噛み噛みして涙。
野暮用で香芝市まで行って帰る。収穫はなし。
帰りは、天王寺から歩いた。
夕暮れ、いい風が吹いていて、心がなじむ。
一期は夢だからただ面白おかしく遊び暮らせという歌がありました。
夕暮れに染まるサクラの花びら。
「生き延びるためのラカン」斎藤環 著、読んでます。
精神病(統合失調症)とはどんな事態なのか。
人間の心というのはひとつのまとまりに統合したがるという傾向を持ってます。その統合が失調してしまうわけです。
ひとつのまとまりへの志向が消えると大変な混乱に陥ってしまって、自分の考え、行動が自分のものであるという感覚が壊れてしまう。境界がわからなくなってしまう。
自明性の喪失。
例えば言葉の意味は知っていても文脈がわからなければ言葉も機能しない。
ひとまとまりの「世界の意味」を認識するには、言葉と文脈の統合がかかせない。
ところで、輪郭もない。中心もない。ただ統合だけがある。ってありうるのか。
象徴界はシニファインとして構造化されている。そこにはある種の秩序や計算式のように、抽象的なルールに基づいてなりたっている構造で、心を統合する構造とは象徴界のことなのですか。
象徴界が故障すると自分を支える支点がなくなって統合の失調をもたらすことになる。
神経症、私はおそらく神経症なのでしょう。
これだと象徴界は正常に機能はしてると思われます。主体は外の世界を象徴として言葉を通じて体験し、象徴として記憶され、ときには無意識に抑圧されたりもする。
だけども自己の内と外の区別はしっかりと保たれるから、不安や恐怖を感じたとしても簡単に幻覚や妄想が起こったりはしない。それは象徴界にしっかりと支えられ、保護されているからで、言葉がバリアーとなって危険な現実から主体を保護してくれているからだということです。
統合というのはこのバリアーのことでもあると。
ところで、会社のロゴって、会社を統合的に象徴してないですか。ロゴのエネルギーって大事だと思います。きっとそこにはある種の秩序や計算式のような(黄金比とか)抽象的なルールに基づいたエネルギーの構造が象徴的に表現されているのだと思われます。
心を統合するということは、いい周波数のロゴのカタチをどうするのかしら、身体を整えることは大事ですよね。
いやー、象徴界を整えてください。