日本人、ご隠居もですが大仏、大福、大名とか大のつくものってなんか愛着がありますよね。
鎌倉といえば第一はやっぱり大仏(高徳院)、鎌倉の顔です。いつ行っても混んでいますが最近は外国人も多いようです。
仁王門をくぐって大仏さんとご対面です。
平成28年1月13日から3月10日迄55年ぶりの大修理に入っていました。
修理が終わってますます美男になったかな?
鎌倉大仏、国宝鋼造阿弥陀如来坐像です。
台座を含めた像高13.35m、重さ121tです。
造営当時は金箔で覆われていたそうですよ。
目の周りとかきれいになったような気がしますが・・・。
後ろに回ってみると肩のあたりがかなり太っている感じもします。ついでにイチョウの木の黄葉がすばらしい。
なんだかお笑い芸人の渡辺直美の後ろ姿を思い出しました。
余談ながら彼女は眉サロン「アナスタシア」主催の2016年ベスト眉ニストに選ばれました。
いろいろ賞があるんですね。
さて最後に鎌倉に来たらやっぱり八幡様にお参りして帰りましょうか。
若宮大路二の鳥居
鶴岡八幡宮から由比ヶ浜まで一直線にのびる1.8kmの道が若宮大路です。
その八幡宮よりに500mぐらい作られているのが石塁をつみあげた段葛です。
段葛は「神様が通る道、他には将軍かその後の北条執権に限られていました」
ご隠居なんぞがヘラヘラ歩いているのは恐れ多いことです。
若宮大路と段葛はその昔頼朝の妻、北条政子が懐妊してその安産祈願のために突貫工事で造られたといわれています。
北条政子です。(以下間違っていたらごめんなさい)
簡略すれば政子は流人の身である源頼朝を好きになってしまいます。
それを知った父の北条時政は驚き、平家の仕返しを恐れて娘を「山木判官」(平家一門、平兼隆)に嫁に出そうとします。
しかし政子はそれを嫌って雨降る夜陰に「山木の館」を抜けだし(街灯ひとつない夜道)伊豆の脊梁山脈を越えて増水のため腰までつかりながら川を押し渡って頼朝さんをめざします。
その後
頼朝が死んで43歳の時に尼の姿になります。世からは尼将軍と言われます。
1221年承久の乱がおきます(政子65歳)
関東の武士は後鳥羽上皇に背くことなど思ってもいなかった(京への畏怖があった)
この時政子は幕府の屋内や庭に詰めかけた武士に高々と演説をぶちあげます。
「オメェラ!昔のみじめさや、つらさをわすれたか、そこからオメェラを救い出した幕府の恩をわわすれたか!この馬鹿者」
というようなことをぶちあげ、叱咤された関東武士は大挙西上しました。
なんだかヒラリークリントンみたいです。
ご隠居もだらしない人生を過ごしてきましたがこういうやる気満々の女性と結婚して尻をはたかれながら仕事していればひと財産残せたかもしれません。
今頃言っても遅いけど。
八幡宮の本宮が見えてきました。
なんだか疲れました。今回はここから参拝して撤収します。
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