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歌う介護士

看取りをしたご入居者から「あなたの声は癒される」と。お一人一人を思い浮かべながら、ずっと歌い続けています。

音楽に目覚めた頃

2008-01-09 01:18:15 | Weblog
幼い頃から声は良かったらしい。
小学校2年生の担任が受け持ちの子供の特性を伸ばそうとしていたようだ。
同級生で、作文・歌に分かれて個別指導を受けた記憶がある。
  (今だったら、えこひいき!といわれて保護者から非難されたろうな)
私は歌で、確か童謡コンクールに出してもらったようだ。
何しろ、親は無関心、担任のポケットマネーだったろうと思う。
自分もそれほど競争意識に欠けていたので、目の前の大きなマイク(当時は)しか覚えていないが、選曲だけは「これを歌う!」といって引き下がらなかった記憶がある。(担任は、さくらを勧めたが、歌ったのは、若草萌える丘の道)

恐らく子供の頃からもの悲しい声をしていたのかもしれない。

3年で転校したが、そこでも合唱コンクールなどに駆り出されていた。
とにかく本人は何の意欲も無く、「歌いなさい」といわれて参加していただけである。

中学に入ってクラブ活動は、書道部。
高校でも、自分で選んだのは、文芸部。詩や随筆を書いていた。
「曙光」という同人誌も発行していた。

同級生に引っ張り込まれたのが、合唱部。
何の抵抗も無く歌えてしまった?のかな。混声でした。
学園祭で、音大に進学するという生徒の歌を聞き、
「あれ?このくらいなら私でも歌える」
なら、音楽をやってみてもいいんじゃない!と安易に考えた。

我が家は貧しく、とうてい音大に行ける筈も無く、レッスンなど受けられるはずも無かった。
学校の音楽室には個人練習室があり、ピアノの教本を買ってきて、一人で細々と練習していたのである。
初めてオペラアリア集を買ったのもその頃です。

合唱部の部員で、「ボリス・ゴドノフ」を観にいこうということになったが、
当時でもチケットは学生にしては高かった。
同級生よりこずかいが少なかった私は、チケット代が欲しいと言えなくて、初めてのオペラは見にいけなかった。

レッスンを受けるようになったのは、自由になるお金を自分で働いて得られるようになってからのこと。
それ以後も、音楽、いや、歌を歌いたいという思いは胸に燻り続いていた。

思いが叶ったのは、ずっとずっと後のことである。