川崎市の小学校のスクールバスを狙った犯人に関して次のような発言をした。
「人間が生まれてくる中で不良品が存在するのはしょうがない」
「それをみんなの努力で減らすことはできる」
「正直、その人達同士でやりあってほしい」
明らかに思慮不足と思われるのは、人間を「不良品」扱いすることだろう。
そこには生まれつき障害を抱えた人間や、何らかの理由で病気や精神疾患を抱えた人間への「思いやり」が感じられない。
松本人志はそれなりに才能に恵まれ努力もしたのだろうが、結果的に運に恵まれたという自覚が足りない。
「稔るほど頭の垂れる稲穂かな」
第二の問題点は自分はこの問題にかかわりたくないという「高みの見物感」であろうか。
彼は社会的な名声も高収入も得ているだろう。
であるならば恵まれない人々への支援を積極的にすべきだろう。
おそらくそのような行為にかかわったことがないから、このようなしらけた発言になるのだ。
本人と親のせいにして「あっしにはかかわりのないことです」と言い切るような風潮が蔓延しているのは、現在の日本は「精神の健全さ」を無くして来ているのではなかろうか?
今の段階で踏みとどまらないと日本の未来は極めてうすら寒いものになるだろう。
絶えて聞かなくなった言葉に「惻隠」という言葉がある。
痛ましく同情する心のことを言うが、もっと突き詰めると、相手の立場に立って物事を感じ取るという感覚上の性格の発露を言う。
この立場に立ってどうしてこのような事件が起きたのかもう一度見つめなおすことも必要だろう。
(ただ犯罪者の起こした行為を是認するものではない)
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