「保守」と言えばかっては「頑迷固陋」とか「保守停滞」などと言われ、あまり良く言われなかった。
ところが安倍晋三氏が2回目の首相になったあたりから「保守」が何となくトレンディになって来た。
そうすると有象無象の政治家・言論人が、自称、他称まぜこぜに「保守」を名乗る。
而して「保守が一番大事にするものは何か?」と問いかけてもまともな返事が返らない。
私が保守系言論人として評価している西尾幹二氏は次のように述べる。ーー「保守の真贋」
「安倍氏が退陣しても、自民党はなおしばらく日本社会の保守体制として君臨し続けるでしょう。
しかしわれわれはいつまでそれを許してよいのでしょうか。
この政党と政治家たちは日本と日本国民の首をゆるやかに絞め続け、やがては窒息死に向かわせてしまうのではないでしょうか。」
この発言は2017年8月だが、安倍晋三が退陣し、菅首相が迷走している状況を見るにつけ、極めて的確な予言である。
「親米(それもトランプのアメリカ)反中」が保守であると錯覚している手合いのいかに多いことか。
保守だリベラルだと不毛な論争を繰り返す前に、この国が2千年来守ってきた豊かな自然に対する愛情がまずあるべきであろう。
そして次にあるべきは「自立自尊」の心構え。
アメリカにも中国にも過度に依存してはいけない。
突然梯子が外される、ということを頭の片隅に持っているべきだ。
大隈重信は語る。
日本固有の民族性は尚武にある。尚武の気風は質実であり、「偽らざる誠」の上に立脚して現れる。