行雲流水の如くに

森喜朗問題に見える「日本的うやむやの仕方」

森オリンピック組織委員会会長の辞任問題と後任問題を外国から見た場合に、日本の「意思決定権者」は誰かと不審に思うだろう。

菅総理なのか、それとも森会長なのか?

結局理事会で決まるのだろうが、その決まり方も「日本型ムラ社会」。

後任の人間を「それとなくほのめかす」というのが、ムラ社会の決め方。

そして最後は、なんとなく決まってしまう。

その決まったことに対して「誰が責任を取るでもない」

 

日本人は決定的に「法治」を理解していない。

会社にも社規とか社則があるが、誰も読んでいない。

昔からのしきたりとかトップの顔色で決まる。

こういう決まり方を山本七平の唱える「礼治」とでもいうのだろう。

 

日本人にとってこういう決まり方はそんなに違和感がない。

決定的に「機能主義者」なのだ。

それでうまく回っていれば、目くじらを立てることもない。

森会長はさんざん叩かれたが、今では一部に擁護論もある。

このところのコロナ過で日本人の心がささくれ立っているので、バッシングの対象になった部分もある。

平時であれば「失言」で済んだかもしれない。

 

男性は親しい人の前で配偶者を次のように呼んでいる。

20代~50代   嫁   60代   家内

女性は、

20代~40代  旦那   50代~60代  主人

この呼び方って「これでいいの」とつい突っ込みを入れたくなる。

しかしこれが日本人の「本音」なのだ。

それでお互い納得していたら良しとすべきだろが、女性は「妻」と呼ばれたいようだ。

この辺りから変えていかないと日本には本当の「ジェンダーフリー」社会は実現しないだろう。


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