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行雲流水の如くに

トランプ政権の焦りが生む米中覇権争い激化

孫子に言わせれば、兵は詭道なり。戦争とは所詮、騙し合いに過ぎない。

米中の争いが抜き差しならない様相を見せているが、日本は一歩引いて見ていたほうが良い。

逆に今の立ち位置は、日本にとって非常に心地よいのだ。

もし米中が仲良くしていて、中国が全力で日本を潰しに来たら今のような統治能力のない安倍政権では対応できないだろう。

 

まともに喧嘩をすれば明らかにアメリカのほうが強い。

ところがアメリカという国は絶対に自分から武力行使はしない。必ず相手から攻撃を仕掛けさせる。

そのためにいろいろ嫌らしい手を使う。

その作戦にまんまと嵌った(石油禁輸を仕掛けられ)のが太平洋戦争において日本が仕掛けた真珠湾攻撃である。

 

アメリカは今頃になって中国包囲のための同盟再構築などと言っているが、どこもまともにつきあわない。

これまでさんざん日本、韓国、EU、カナダなどを脅かしたりイジメてきた。

(貿易黒字問題や米軍駐留経費問題など)

「何をいまさら」という感じであろう。

 

トランプはかなり焦っているようだ。

それはコロナ制圧に完全に失敗しているからだ。(7月23日現在)

アメリカ 感染者数    3,970,906人  死者143、190人  

中国              83、792人      4,634人  

日本              27,029人        990人

 

コロナウイールスをほぼ抑えきった中国は経済の立ち上がりも早い。

4~6月のGDPは対前年比プラス3,2%。

 

米中覇権争いの中心は、テクノロジーの分野での勝負になる。

華為技術(ファーウエイ)をめぐる争いから目を離せない。

実はこの争いで日本はカギを握る。

半導体製造装置では未だに日本の力が健在だ。

アメリカにとっても中国にとっても日本をないがしろにできないのだ。


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コメント一覧(10/1 コメント投稿終了予定)

9vs9qvsq
お返事ありがとうございます。このコメントにはほぼ賛成です。ただ、大戦へ日本の意図、経過に関わって僕の今回学んでみた見解を最後に少々。

 日本(軍人)国家も当然、太平洋戦争開戦時には西欧戦線をも睨んでいたはず。それで41年12月に開戦したところにこんな推察を僕はするに今回初めて至りました。当時の日本にとっては、希望的観測なのですが
「ドイツが勝つだろう。日本が今アメリカと開戦して、その戦力をこちらに引きつけておけば、その可能性がさらに高くなるだろう」

 その傍証のようなものは、以下の通り。
①きちんとした日独伊三国同盟が結ばれたのは意外に遅くて、1940年9月です。
②1940年と言えば、6月にパリが落ち、「バトル・オブ・ブリテン」で連合軍が苦闘中の時。
③そして1941年6月には、ドイツのソ連殲滅進撃が開始され、ソ連の大敗北続きが起こっていた。日本の満州の憂いが減ることになりました。
④これらすべてを見て、これにつけあがるようにして日本軍は北部仏印進駐(40年9月)、南部仏印同(41年7月)とやっていった。
⑤この仏印進駐が結局太平洋戦争の直接原因になったわけですが、日本はこれをアメリカがあれほど咎めるとは思っていなかった。この日本思惑はどうも定説になっているようです。モンロー主義なども含めてアメリカの態度、力を読み誤った面があるわけですが、ここからはもう後へは引けなくなっていて、ドイツ勝利にも賭けて真珠湾となったのだと思います。
⑥ですが日本はここを忘れていた。日独勝利になったら今度は、日本がドイツに滅ぼされることは自明だった。あの社会ダーウィニズムさながらの人類淘汰主義ドイツが、日本天皇とアジア人劣等民族に大きな顔をさせておくわけはありませんから。

 以上、ちょっと失礼しました。



 
 
megii123
太平洋戦争は、まかり間違っても日本がアメリカに勝てる戦争ではありませんでした。
結局負けるべくして負けたわけです。
しかも長崎、広島に原爆を落とされ、沖縄では無辜の民が命を落としました。ここまで日本人を殺す必要があったのか?人種差別的な感覚が全くなかったとは言い切れません。

戦後30年間くらいは、アメリカは良き教師で日本は真面目な生徒でした。
しかし日本が力をつけだすと、貿易面、金融面で締め付けが始まりました。

今のアメリカの惨状は、格差が極端に開き、とてもお手本にできる状況にはありません。
対米従属から脱し、いかに日本の自立の道を探るか、極めて難しい分岐点に来ているような気がします。
文科系
 重ねて、一言。
 日本では太平洋戦争見直し論議が盛んですが、これも政治右傾化の翼賛論議なのであって、最も肝心な点を一言。

 日独は、それぞれ天皇制と、狂気に近い民族淘汰主義のユダヤ人殺しの国。前者が占領した地域の国民は、国民ではなく準臣民ですよね。朝鮮半島を見れば分かるとおりに。それらが世界にも分かっているから、1941年初めのようにヨーロッパがドイツに征服されるかも知れないという情勢にアメリカが手をこまねいているはずがなかったのだ。ドイツが勝てば「雑多な劣等民族国」アメリカも滅ぼされると、当時の米知識人なら皆考えましたよ。
 ちなみに、有名な1940年後半の「バトル・オブ・ブリテン」にヨーロッパ中の国がはせ参じて、かろうじて凌ぐことが出来たのも、そういうユダヤ人殺しの反国際民主主義勢力から民主主義を守るという大義名分が勝ったということでしょう。
 日独が世界を征服する瀬戸際まで行っていて、これを英米ソが中心になって食い止めたのは、正義が勝ったとは言いませんが、とにかく相手側が勝つ世界に比べたら日本国民も含めて、どれだけ良かったことかとは今よく思いますね。
 
文科系
 現実の歴史には、個人ももちろん国についても、正義の味方等という言葉は使えません。ただ、日本の中国南下は、ドイツの英国爆撃が始まってからどんどん英国領中国を占領していった。ドイツの二正面作戦でロシアも苦戦中で、英国の滅亡が近かったのに乗じた中国南下作戦でした。英国が滅びたら間もなくロシアも滅び、日独全体主義国の軍事力がアメリカに向かってくるのは必定と言う情勢だった。ユダヤ人虐殺と、天皇支配の日本が世界を征服するかも知れぬと言う情勢の中のハルノートだったということでしょう。ただし、1941年11月末に届いたハルノートよりもずっと前に、日本はもう対英米戦争を決めていました。9月と10月の御前会議で。

 以上の何よりも、日独が侵略戦争と同時に国連を抜けていた事が確信犯として重要だったと、僕は観ています。今のアメリカでも、国連を無視するが、抜けてはいませんから。20世紀になって国際組織を抜けるということは、平和的解決を投げ捨てたという侵略確信犯なのだと観ています。
megii123
日本が満州に進出し、中国大陸に進出したのは、明らかに侵略であり、日本に弁解の余地はないでしょう。
国際連盟を脱退したのも、外交音痴なのかそれとも自分の力を過信したのか、愚かなことでした。

私が疑問に思っているのは、アメリカは本当に正義の味方だったのか?、もしくは世界平和のために戦争を望んでいなかったのか?、ということです。
アメリカが日本に「ハルノート」を突き付けた前後のやり取り(真実はどうだったのか)が明確ではありません。

11月26日、ルーズベルトとハルは「日本に奇襲攻撃をやらせた方が、アメリカ世論を燃え上がらせるのに都合がよいのではないか」という意見で同調した。結局、「暫定協定案」を捨てて、宣戦布告に等しい「ハルノート」を突き付けた。

この辺りの事情はどうだったのか?
ご意見があれば教えてください。
文科系
 上の文中、ここには反論します。
『アメリカという国は絶対に自分から武力行使はしない。必ず相手から攻撃を仕掛けさせる。そのためにいろいろ嫌らしい手を使う。その作戦にまんまと嵌った(石油禁輸を仕掛けられ)のが太平洋戦争において日本が仕掛けた真珠湾攻撃である』
 今のアメリカと、1940年代のアメリカを「同じと類推する」事は出来ないと考えます。その上で、日米戦争は以下のようなものだというのが、日本近代史の上でも定説ではないでしょうか。

 まず、日本は満州へ出て行った。その満州事変を当時の国連がリットン調査団を出して調べ上げ、侵略戦争と断定した報告書を総会採択した。対して日本は、「国際連盟を脱退」。それ以降国連脱退の確信犯として、上海事変、首都南京攻略(この時に南京大虐殺)から、中国大陸南下侵略を続けた。この一歩一歩で、アメリカは警告、制裁を課したが、これを無視した日本軍はインドシナ侵略まで行ってしまった。アメリカの石油禁輸制裁はこの瞬間に起こったことである。そこから、真珠湾・アメリカ応戦となったのである。
 こうして、太平洋戦争は大日本帝国が新たに中国に侵略していった結果起こった戦争と考える。

 また、ドイツと大日本帝国とがもし勝利したら、世界は暗黒になったとも僕は観ている。アーリア系白人以外は、ユダヤ人は殺され、他は劣等民族と扱われたはずだ。アジア諸国民は、日本天皇の準臣民と扱われて、天皇制を批判したら死刑だろう。そして、アメリカが参戦しなければ、おそらく日独が勝利して、間もなくアメリカも征服されたはずだ。そんな、世界制覇を果たして世界の人々が望んだろうか?
 結果論として言えば、当時の日独の滅亡は人類にとって良いことであったと言いたい。戦後を観れば分かるように「米英は鬼畜」ではなく、天皇を象徴とし、一定民主主義を入れてくれた。貴族院はなくなり、女性の選挙権が生まれたりした。、
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