このところ庶民の食卓から消えたものは、かに・うに・うなぎだろうか。
ところが重要な職務にある人には黙っていても(あるいは要求したのかも)これらが出てくる。
重要な職務は忘れても「うなぎ」はがっつり食べた人がいる。
谷公一国家公安委員長が岸田総理の爆発騒ぎの中でも四万十川の鰻を「しっかり食べさせていただいた」という。
あきれてものも言えないというのはこのことか。
私は最近小椋佳作詞、堀内孝雄作曲の「山河」にはまっている。
特に好きな小節が次だ、
かえりみて 恥じることない足あとを 山に残したろうか
永遠の水面の光 増す夢を 川にうかべたろうか
このところ、自問自答する日々だが前を向いて歩むしかない。
「日々新面目あるべし」
恥を知ると名を惜しむようになる。
ところが名を惜しんでも実利は得られない。
経済万能時代の弊害がバブル破裂以降も、反省もなく続いているようだ。
それと「名を惜しむ余裕のない人々」を大量に作り出している。
ただ私の楽観的な見方かもしれないが、
「日本再発見で新しい風」が吹くのではないかという予感がしている。