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蛍のひとりごと

徒然に、心に浮かんでくる地唄のお話を、気ままに綴ってみるのも楽しそう、、、

第七回 三曲歌ざんまい

2005年11月26日 | 地唄箏曲よもやま
今年もおかげさまで『三曲歌ざんまい』という名称の、恒例のおさらい会が終わりました。



舞台はお祭りと同じです。
開いた幕は閉じるだけ・・・。


ホントのところは、準備をしている間が一番の醍醐味なのかもしれません。
準備をする間の心躍る楽しさ(苦しさ?)に、もうお祭りは始まっているのでございます・・・。

本番のお日にちが近づいてまいりますと、さすがに気持ちが張り詰めてまいります。
ご出演者の皆様は、忙しいお仕事やお勉強の合間をぬって、一段とお稽古に熱が入り、
それはそれは、おひとりずつが、私にとっては感動のドラマでございます。

さて、それなりに準備が万端調いました頃、いよいよ本番当日がやってまいります。

とっておきの晴れ着にお袖を通し、髪を結ってかんざしをつけ、
胸をドキドキさせながら、それぞれの思いの中で、晴れがましい開幕ベルを迎えるのです。



私は、主催する方の立場におりますので、
チャレンジなさるお弟子さん達ひとりひとりの方に、
少しでも余計に楽しいひとときを過ごして頂き、満足感や充実感をたくさん味わって頂けますよう、
心を込めて精一杯のお手伝いをさせていただくのが、お役目です。
微力でございますので、反省をすることだらけではございますが、
一年一年の経験を大切に積み重ねていくことのみ・・・と考えております。




舞台はお祭りと同じです。
開いた幕は閉じるだけ・・・。

ふと気がつくと、いつの間にか祭りは終わり、
昨日と少しも変わらない日常の生活が、また始まっているのでございます。

「これが楽しくて、、、。」と喜んで下さるお声に励まされて、
私も、また頑張ります。





それにいたしましても、思うこと・・・

毎年、客席にお座りになって下さるお客様には、本当にありがたくて、
何とお礼を申し上げたらよろしいものやら言葉もございません。
習い始めてまだ日の浅いご出演者様のお舞台では、手に汗握って応援してくださり、
また、常連の方達には、ご上達の程に暖かいご声援を送ってくださり・・・
昨今ですと、私の体調までご心配してくださるといった心優しい方々でいらっしゃいます。


いつも幕のこちら側におりまして、御礼を申し上げる機会にもめぐまれないものですから、
この場をお借りいたしまして、毎年毎年のご厚情に、心より御礼申し上げます。
そしてまた、来年からもどうぞよろしくお願い致します。





地唄三味線って?

2005年05月07日 | 地唄箏曲よもやま
地唄箏曲は、弾き歌いです・・・。

と申しますと、「え?歌うんですか?」とよく驚かれます。
お三味線と申しますと、
やはり歌舞伎座などでご覧になる印象がお強いのでしょうね。


人形浄瑠璃や歌舞伎の下座音楽に使われますのが、
義太夫や長唄、清元、常磐津、
これらはどちらも、もともと舞台音楽として作られておりますので、
お唄は太夫さん、お三味線を弾くのは別の人と決まっております。
あれだけのお声で、長時間の浄瑠璃を語られたり、
お歌いになったりするのですもの。
とても伴奏までご自分でという訳にはまいりませんでしょう。

また、あくまで興行でございますから、
お客様に受けてナンボの世界でございましょ。
泣いたり笑ったりの中に、必ず見せ場を拵えての拍手喝采・・・。
派手でかっこよくて、気分がスカッと致しますね。



最近は津軽三味線が大はやりで、大変結構なことでございます。

ウチなどにも、津軽三味線を教えて下さいというお問合せがございまして、
「申し訳ございませんが・・・」と丁重にお詫び申しあげることが度々。

ところで、津軽三味線は、本来「門付け」の音楽でございます。
転々と家々を廻り、お包みなりお米なりを頂戴できなければ、
その日の食べ物にも困ります。
それは文字通りの命懸けの演奏でございました。
寒い雪の降る戸外に立って長時間弾いていても手がかじかんでしまわないよう、
モーレツな速さで手を動かしてお弾きになるようになったと伺っております。

力強さの中に物哀しさを秘め、叫ぶような切なさに、心がじぃ~んといたします。



そこへまいりますと、地唄は何でございましょ。



良家のお嬢様が教養のひとつとして地唄をお習いになっておりました。

   「昔のしきたりは、わりにむつかしおわしたな。
    あたしらから考えたら。
    お稽古に見えましてもみんな行儀がよろしゅうわりましたしな。
    習いやるお方は、お行儀ようしたりやしたな。」

船場で代々地唄やお箏を教える家元でいらした菊原初子先生が
このように美しい船場言葉でお話になっていらっしゃるのを、
襖の陰で、谷崎潤一郎さんがお聞きになり、そのイメージで
『細雪』をご執筆なさったというのが有名なお話でございます。

裕福なご家庭の中とお座敷だけで演奏されてきた音楽です。
寒いワケでもお腹がすいているワケでもございませんし、
ここで何やら頂戴物をしたいような考えなど、まして毛頭ございません。

また、歌舞伎やお芝居のような興行でもございませんので、
お客様に受けなくて木戸銭が入らなかったらどうしましょう
なんて心配をする人もおりません。
大声を張り上げて、ビックリさせなくても結構なのです。


こんな調子でございますから、
「地唄って、なんだか退屈なアレでしょ。」
なんてことになってしまうのも道理でございますわね。





それでも、私は大好きなのです。
たまらなく良いなぁと、はんなり心深くにしみ入って、
ホロリと涙がこぼれるのです。


地唄は結局、自分のために弾く音楽・・・


知っている人達の間だけで腕を磨きあう・・・
ただそれだけのことに人生をかけるのが地唄箏曲演奏家でございます。



好き放題のよしなしごと、異論をお持ちの方にはお腹立ちでもございましょうが、
どうぞお許し下さいませ。のち

http://blog.rankingnet.com/5/ranklink.cgi?id=mionokai

菊棚月清大検校  『生き生きて地唄旅』

2005年05月01日 | 地唄箏曲よもやま
『生き生きて地唄旅~大検校が語る伝承の世界~』(なにわ塾叢書)
というご本を今、読み終えさせていただきました。
地唄箏曲演奏家の菊棚月清大検校さまの聞書きをまとめたご本でございます。



     菊棚月清大検校。信じられない存在である。
     誰も知らない古曲や秘曲を含め、地唄を何百曲伝承しているのか。
     ご本人にも、お弟子さんにも、誰にも分らない。・・・・・(略)


     菊棚月清大検校。 
     曲数、正統性、貴重さ、その認識はお持ちのようである。
     それなのに、これを誇ろうとか、これで有名になろうとか、
     これを金にしようとか、そういう意識が一切ないのである。・・・・・(略)
 

     菊棚月清大検校。本当に地唄がお好きだったのだ。
     教えられたままを覚えられ、それ以上のことは考える余地も
     暇も何もなかったようだ。・・・・・(略)




この本のコーディネーターをなさった高木浩志氏のまえがきにはこのように書かれてございます。

素敵なお言葉ばかりが散りばめられ、どこを取り上げてどう申し上げたらよろしいものやら私には分りません。平成九年に90歳のお誕生日を迎えられた大検校さまの語られるさりげないお言葉のひとつひとつに、プッと吹き出したり、ハッとしたり、頷いたり、ジーンとしたりさせていただきながら、何とも気持ちが良くて爽やかで、そして最後に、しみじみと熱い想いが残りました。



     「父がよく言いました。
     『あんたなぁ、一生懸命やるのはええけど、
     ええ気になったりしたらあかんで』とね。
     私もそう思うて生きてきました。
     芸は人となり。威張ったらいかん。
     芸でその人の人柄が分りますからなあ。」



     「失明して良かった、ずっと幸せであった。
     今も青春、来世でも地唄をやる・・・。」



とても良い本でございます。
どうぞ皆さま、お手に取って是非一度お読み下さいな。
お稽古場の文机にも一冊おいてございます。

地唄はふしを味わうもの

2005年04月20日 | 地唄箏曲よもやま
今年の桜は、何と気風のよろしかったこと・・・。

さんざん待たせて焦らせて見事に一斉に咲き誇り、見事に一斉に散っていってしまいました。
おかげさまで、のどけからまし春の心は、ほんの数日間でございましたね。

どなた様もみな桜が大好きですから、いにしえより桜を詠んだ歌が数多くございます。
地唄にもいろいろございますが、あでやかさで申しましたら『西行桜』などいかがでございましょう。


    九重に、咲けども花の八重桜、幾夜の春を重ぬらん。
    然るに、花の名高きは、まず初春を急ぐなる近衛殿の糸桜。

    見渡せば、柳桜をこき交ぜて、都は春の錦燦爛たり。

    千本の桜を植え置き、その色を所の名に見する。
    千本の花盛り、雲路や雪に残るらむ。
    毘沙門堂の花盛り、四天王の栄華もこれにはいかで勝るべき。

    上なる黒谷、下河原、昔遍昭僧正の・・・
    浮世を厭いし華頂山。鷲の御山の花の色。
    枯れにし鶴の林まで、思い知られて哀れなり。

    清水寺の地主の花、松ふく風の音羽山。・・・

    ここはまた嵐山。戸無瀬に落つる滝津波までも。
    花は大井川、井堰に雪やかかるらむ。
    


謡曲の『西行桜』の終わりの方の歌詞を、そのまま持ってきて唄っておりますので、地唄だけ聴いておりましても、どうして西行に関係があるのかサッパリわかりません。もともと知識階級の方々の中で愛されてまいりましたものだけに、あらゆる教養を身につけているのが当然のことのように扱われているのが、何とも粋でおしゃれな反面、現代を生きる私のような庶民にとってはホンニ困りものでございます。



いつぞや「地唄はふしを聴いて味わうもの。詞の意味などどうでもよろしいのですよ。」という耳よりなおはなしを伺いました。亡き井上道子先生がかねがねそうおっしゃっていらしたそうでございます。

ナルホド・・・。
名人とはかくなるものと得心した蛍でございました。


4月20日は穀雨。
時節をわきまえて、今日は、万物に恵を与える雨が降っております。
春雨にしとど濡れて、草花も木の芽も、新緑のエネルギーを蓄えているのでしょう。
そろそろ牡丹が気にかかります・・・

風に鳴る三味線

2005年03月15日 | 地唄箏曲よもやま
ある晴れた日の窓辺。
当時、私の住んでおりました神楽坂のお部屋の畳の上においていたラジカセ(今は死語?)のNHK-FM放送から、久留米にお住いの久富一郎さんとおっしゃる検校さまのお声が流れてまいりました。
確か七十代でいらしたかと存じますが、淡々とお話になる少ししわがれたお声の魅力的なこと・・・。



Q:「久富さんは地唄が大変お好きだというように伺っていますが、それはどんなところにでございましょうか?」

「はい、三味線の中では、何といいいましても地唄が一番むつかしんでございます。
むつかしいだけに品がよくて、とても気持ちがよいものですから好んでまいりました。」


Q:「では、久富さんの目指していらっしゃる三味線と唄とは?」

「地唄らしい素朴な雰囲気をこわさん様にと心がけております。」

「昔から、地唄の三味線は、風の吹いて風で鳴らしたと聞いとります。
なるほどそうやと思いまして、出来るだけ楽に弾いて、楽に聴いてられる三味線をと思うとります。」



そうして演奏して下さいましたのが、地唄『ままの川』。

    夢が浮世か 浮世が夢か 夢てふ里に住みながら 人目を恋と思ひ川
    うそも情もただ口先で 一夜流れの妹瀬の川を・・・

お嬢様がお箏を合せられ、それはそれは結構なお唄と演奏でございました。



その当時の神楽坂と申しますと、一筋入れば、どこからともなくお三味線の音が聞こえ、夕暮れどきともなりますと、あの狭い坂道に黒塗りの立派な車がずらりと並んだその脇を、左褄を取ったお姉さま方が登っていく後姿に、娘心にもうっとりとため息をついてお見送りしたものでございます。
今は昔、私が18歳の頃のことでございます。



お稽古をちょっと中休みして、お調子を合わせたままにしてあるお箏に、開け放った窓から入ってくる五月の風がそよそよあたりますと、リリィィ~ンという涼やかな音を立てて、絃がひとりでに鳴り始めることがございます。
あっ、お箏が風に鳴って・・・なんてきれいな音!!

お三絃をお膝にかかえようと、そうっと持ち上げるかすかな空気の流れに、三絃が嬉しそうにビィィ~ンと響いて鳴ってくれることもございます。

そんな優しい響きを聴くたび、あの日ラジオから流れてきた『ままの川』を今でも懐かしく思い出します。