久し振りの花崎皋平さん、『風の吹き分ける道を歩いてー現在社会運動私史』『田中正造と民衆思想の継承』(いずれも七つ森書店刊)をテキストに思う存分とは行きませんでしたが3時間に渡る講演と質疑で盛り上がりました。
参加者の多くは団塊の世代前後の方々で二十代が2人、70年代の「ベトナムに平和市民連合」を通じてや書籍を通じて花崎さんを知っている方々が多く、議論は若い世代kらの「無私無縁の生き方と自由」をめぐってが中心となりました。
「無私無縁の生き方をしようとして現場に入っても、結局その場の権威とかに従属していかないと孤立する、自由な生き方と矛盾しないか」から「集団の中の個と生きることと自由な生き方、その場から逃げる生き方も選択」。
そして、「逃げるのでなく闘うという選択はないのか」「闘うということでなくても共感ということからはじまる」などもっぱら「人間の生き方」についての議論となり、「現場といってもその現場に入るシステムがない」まで。
花崎さんは、いわゆる書のない実践の人、特に後期以降の評価が少ない田中正造を民衆思想家として位置づけ、1、人間存在の基底に立つ、いのちを中心にしたサブシステンスの思想、永遠、悠久を想う霊性として展開しました。
田中正造を継承する民衆思想家として、瓢鰻亭 前田俊彦、沖縄の思想家 安里清信、アイヌの思想家 貝澤 正を論じて先の討論展開の流れ。いくつか、実践的テーマも明らかになり、とても刺激をいただいた講演会でした。
こうした人間の生き方、世代を越えての討論の場や講座形式の自由学校など既に活動展開している「虹と緑 静岡フォーラム」の具体的な深まりとして広げていけたらということをヒントとして得ることが出来ました。感謝。
参加者の多くは団塊の世代前後の方々で二十代が2人、70年代の「ベトナムに平和市民連合」を通じてや書籍を通じて花崎さんを知っている方々が多く、議論は若い世代kらの「無私無縁の生き方と自由」をめぐってが中心となりました。
「無私無縁の生き方をしようとして現場に入っても、結局その場の権威とかに従属していかないと孤立する、自由な生き方と矛盾しないか」から「集団の中の個と生きることと自由な生き方、その場から逃げる生き方も選択」。
そして、「逃げるのでなく闘うという選択はないのか」「闘うということでなくても共感ということからはじまる」などもっぱら「人間の生き方」についての議論となり、「現場といってもその現場に入るシステムがない」まで。
花崎さんは、いわゆる書のない実践の人、特に後期以降の評価が少ない田中正造を民衆思想家として位置づけ、1、人間存在の基底に立つ、いのちを中心にしたサブシステンスの思想、永遠、悠久を想う霊性として展開しました。
田中正造を継承する民衆思想家として、瓢鰻亭 前田俊彦、沖縄の思想家 安里清信、アイヌの思想家 貝澤 正を論じて先の討論展開の流れ。いくつか、実践的テーマも明らかになり、とても刺激をいただいた講演会でした。
こうした人間の生き方、世代を越えての討論の場や講座形式の自由学校など既に活動展開している「虹と緑 静岡フォーラム」の具体的な深まりとして広げていけたらということをヒントとして得ることが出来ました。感謝。