MY LIFE,MY SPIRIT by Masato

今までの人生で感じたこと、自分の考え方を率直に語ります

芸能人に見るカルマの法則

2007-05-02 11:31:58 | Weblog
僕が小中学生だった頃、テレビで人気の俳優は、「松田優作」「ショーケン」「矢沢栄吉」といった、ワイルドで危ない雰囲気を持ち、一本気で突っ走るような男らしいタイプの俳優が人気だった。
あの頃は今と違ってテレビの影響が絶大で、当時人気のあった刑事ドラマ「太陽に吠えろ」の影響もあっただろう。1970年代は、そうした影のあるタイプの男性がもてはやされた時代だった。学生紛争の影響もまだ残り、全体的に暗い世相だったのではないだろうか。

僕はどうも「松田優作」「ショーケン」「矢沢栄吉」といったタイプの俳優や芸能人は好きになれない。「松田優作」や「ショーケン」は典型的な破滅型の人間だろう。芸能界には比較的多いタイプだと思う。
「ショーケン」は当時あれほど売れたのに、何度も警察に捕まり、今では全く表舞台に出ない。いくら人気俳優でも、あれほど問題を起こせば芸能界から追放されても仕方ないだろう。
「松田優作」は役に打ち込む熱い情熱がある反面、彼の生き方そのものがあまりにもストイックでバランス感覚に欠けている。彼が病気で亡くなったのは、自らの否定的なエネルギーが、癌を作り出したのが原因だと思う。
「矢沢栄吉」も今はいい大人になったが、あの頃は僕の大嫌いなヤンキーがロックをやっているような男だった。ファンもヤンキーがほとんどだったはずだ。
どれも苦手なタイプである。

しかし小中学生の頃は、そうしたタイプの男がもてはやされたので、自分もそうなってみたいと思っていた。年上の従妹からは、「正人は純粋だね」とよく言われたが、そう言われるのが嫌だった。もっと流行の悪っぽい男になってみたかったが、自分とはあまりにもかけ離れたタイプだからどうしても無理があった。僕は悪ぶった男を真似しようとしても全然似合わない。

しかし1980年代に入ると、学生紛争は終焉を迎え、お笑いブーム、女子大生ブーム、アメリカやイギリスのポップスが流行り、世相は明るくなってきた。誰もがテニスラケットを脇に抱え、陸サーファーが闊歩し、デザイナーズブランドが大流行した。僕もその頃に大学生活を楽しんだので、非常に恵まれた時代に大学時代を過ごせたと思っている。

その頃に登場した「石田純一」は、今までと全く違ったタイプの俳優だった。彼が売れるきっかけになったトレンディドラマ「抱きしめたい」を見たときは、ドラマの中では悪役なのにもかかわらず、今までとは違ったタイプの俳優で、非常に鮮烈な印象があった。
彼はいかにも都会的でお洒落で爽やかで、今までの俳優のような暗さが全くない。実際には彼は30過ぎまで全然売れず、このドラマを最後に俳優を辞めてマネージャーになるつもりだったという。しかしこのドラマで彼はあっという間に一流芸能人の仲間入りをした。

時代は変わり、「石田純一」のような俳優が現れ、明るく爽やかな男がもてはやされるようになり、破滅型の俳優は流行らなっていった。「石田純一」は時代の流れを変えるきっかけになった俳優だと思う。
自分にとっても、彼の方が自分がなりたいタイプの男に近い。彼は僕の憧れでもあったので、彼を応援していた。

しかし彼は時代の流れに乗って一気にスターダムにのし上がるが、長谷川理恵との不倫騒動「不倫は文化だ」発言で、一気に人気は急降下し、あらゆる役から降ろされ、一時期はお茶の間から消えた。

僕は彼のファンだったこともあり、テレビで彼の不倫騒動を見るたび、彼が気の毒に思えた。芸能人とはいえ、他人のプライベートな事に対し、マスコミもあれほど騒ぎ立てなくてもいいだろうと思った。
普通であれば、これほど全国的に報道され、バッシングを受ければ、それを契機に別れることになるだろう。しかし二人は別れなかった。石田純一はあらゆる役を降ろされて収入がなくなったにも関わらず、前の奥さんと別れ、多額の慰謝料を支払った。彼はその頃、ほとんど収入がなく、前年の税金さえ支払えず、結局8年かけて返済したという。

あの頃の報道を見るたびに、なぜ石田純一は長谷川理恵と別れないのか疑問だった。彼にとっては疫病神のような存在なのに。
僕はその理由はおそらく、二人の間には何か過去世でのカルマ的な関係があるのではないかと感じていた。そうでなければこれほどの騒ぎになるはずもないし、石田純一もあれほどの重荷も背負わされることもないと思っていた。

今年になって石田純一がマイライフという、自分の気持ちを日記風のエッセイにした本を出した。買って読むほどではないが、本屋でパラパラと立ち読みをしたところ、長谷川理恵との過去世での関係について述べている箇所があった。

まだ江原さんがテレビに出ておらず、今ほど有名ではなかった頃、彼は長谷川理恵との関係を江原さんにカウンセリングしてもらったという。
江原さんのカウンセリングによると、二人は中世時代、イタリアに生まれ、婚約者同士だったという。しかし石田純一(過去世)では、彼は長谷川理恵(過去世)との婚約を解消し、別の金持ちの女性と結婚した。長谷川理恵(過去世)はそのことに非常にショックを受け、一生結婚しないで生涯を終えたという。
江原さんのアドバイスでは、今回の人生では石田さんは理恵さんを支える役割になりますといわれたそうだ。
これを読んで、僕の勘が当たったなと思った。

現世でも二人は食事の好みが似ていて気が合う反面、長谷川理恵は、いつも石田純一を信用できないというそうだ。これも過去世で裏切られた事が、今でも彼女の潜在意識の中に残っているのが原因だと思う。

石田純一も過去世で長谷川理恵を裏切り、金持ちの女性と結婚したカルマの償いがあるのだろう。今度は彼女と不倫することで、あれほど世間からバッシングを受け、全財産を失うという経験をしている。なるほど、うまくできているなと思った。

石田純一がさすがだなと思うのが、あれほどバッシングを受けたのにも関わらず、決して卑屈にならず、自分に起こった事を素直に受け入れていることだ。テレビでも「前の奥さんには本当に申し訳ないことをしたが、理恵がどうしても好きだった」「離婚で多額の慰謝料を払って全財産はなくなったけれども、お金はこれから自分で稼げばいいから」と自分の気持ちを率直に語っていた。自分に不利なことも含めて、あんなに正直に爽やかに語れる芸能人もいないだろう。
あれほどの事件であれば、つぶれて芸能界から消えていくのが普通だろう。あの彼の潔さが、次第に世間でも認められ、再び芸能界に復活できたのではないだろうか。

しかし彼は長谷川理恵から振られ、彼女は別の男性へ走っていった。彼にとっては辛いことで、自伝の中にも彼女への想いが綴られている。しかし、これも過去世でのカルマの償いなのかもしれない。お互いに過去世とは逆の立場になることで、カルマの解消をするケースはよくある。彼は立派に自らに課せられたカルマを解消したと思う。

世間ではよく、こうした不倫騒動に対し、激しいバッシングや興味本位の報道がされている。芸能界に限らず、ちまたでもよくあることだろう。

しかしスピリチュアルな考えでは、こうした不倫が、実は過去世でのカルマ的関係に原因があるケースが非常に多い。

人間は長い転生輪廻の過程において、様々な経験をし、その中でカルマを背負っている。
石田純一のように、婚約者を裏切ったカルマを持っている人もいる。
他にも過去世で夫婦関係だったものが、どちらかが先に結婚した後に出会い、不倫関係になるケースもある。
あるいは過去世で愛し合っていながら、身分の違いで結婚できなかった二人が、現世では不倫を乗り越えて結婚できるかという試練を試される場合もある。
また修道士や修道女のように、あまりにも潔癖に生き、他人の男女問題に対して非難を浴びせたような人が、現世では逆に自分が不倫で苦しむようなケースもある。

どちらにせよ、こうしたカルマ的関係を持った二人が出会った時の惹かれ方は非常に激しい。世間的に不倫は非常識だとか、モラルに反するということは当人同士もわかっているはずだ。
それがわかっていても、強烈に惹かれてしまうというのが、カルマ的関係を持った者同士の現実だと思う。

その後、二人が結ばれるケースもあるし、お互いに学んで別れるケースもある。これは霊界で決めた人生計画や、地上での自由意志もあるので、ケースバイケースといえる。

断っておくが、僕は決して不倫を奨励しているわけではない。誰しも一番好きな人と結婚し、その人と生涯添い遂げられるのが理想だろう。
しかし必ずしもそうはいかないのが人生だ。人生は過去世からの縁やカルマが複雑にからむので、ただ単純にどうこうとは言えない。

先日のオーラの泉では、向井亜希がゲストで出ていた。彼女はプロレスラーの高田延彦と結婚し、子供ができたと同時に、子宮ガンが判明して子供を堕胎せざるを得なかった。そして代理出産で双子の子供ができたが、その子供を法的に求める裁判でマスコミに大きく報道された。
江原さんのカウンセリングによると、二人の過去世では結婚できない修道士と修道女の関係にも関わらず、男と女の関係になった。二人には子供が出来たが、結局は産むことができなかったという。
二人にはこうした過去世でのカルマの償いもあるのだろうし、世間や法律の未整備に対する問題提起をするといった二人の役目があるという。
また江原さんは、双子の子供の一人は、癌で堕胎した子供で、代理出産の形で再び彼女の子供として戻ってきたという。
それを聞いたゲストは涙し、こちらも思わず涙させられてしまった。久々に中身のある番組だった。

わかりやすいように誰でも知っている芸能人のケースで説明したが、要するに人生は一度きりではなく、過去世からの延々とした流れの一環にあり、その中で人は様々なカルマを持って学んでいる存在だということ。そして世の中にはこうした不倫や不妊のような辛い経験を通して学び、カルマを償っている人もいるという事実を知ってほしいと思う。

世間もこうしたカルマ的な法則を理解し、個人個人の違いを認めるような大人の社会になるべきではないだろうか。