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楽我喜帳

日々是遺言〜ブログは一人遊びの備忘録〜
ブログネーム啓花

私のエンディングノート(覚え書き)

2019-03-05 | 随想録【アーカイブ】

 

戒名は要りません‼️

ちゃんとした名前があるんだから😼

お葬式は

無宗教の家族・友人葬

キリスト教ベースで

讃美歌を流して欲しいな🎶

お骨は

桜か梅の樹の下に埋めてください🌸

 

 

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私の初恋談議

2019-01-17 | 随想録【アーカイブ】


「家庭教師のI先生」

私の初恋。それはたぶん小学校四年の時。
ぜんぜん勉強しない娘を心配して、親は家庭教師をつけることにした。
ある日、祖父の知り合いの息子で、国立C大学一年のI青年が私の家庭教師としてやって来た。
彼は当時の大学生としても珍しく、詰襟の学生服を着て通って来た。別に『体育会』系だったわけではなかった。

内向的で人見知りの激しい私は、なかなか彼と打ち解けることが出来ずに殆ど喋らなかった。
そのくせ自分の我だけは通すというわがまま娘だったから、彼をしばしば困らせた。
わがままはどんどんエスカレートしてゆき、ある日「ごめんなさい」が言えずにむくれた。
ダンマリを決めこんで彼の言うことも聞かなかった。ついに彼はキレてしまい、怒って何も言わずに帰ってしまった。
いつもは勉強が終わると親に声をかけてから帰って行ったものだった。
その時は親に何と説明したらよいのか、もうどうしてよいのかわからず、途方に暮れた。
今まで私のどんなわがままにも寛容で、やさしかった先生があんなに怒って、
まさか本当に黙って帰ってしまったことに対して、哀しいやら困るやらで涙が出てきた。

彼が家庭教師として来るようになって一年ほど過ぎた頃から、
近所に住んでいる、日頃からよく遊んでいた三つ違いの従兄弟が、私と一緒にわが家で勉強をするようになった。
その従兄弟は小学校低学年のため、帰りが早く、一足 先にわが家に来て私が帰宅するまでの間、家庭教師の彼と遊んでいた。
楽しそうに親しく話す二人を「私とはあんなに親しくしてくれないのに」と少しばかり嫉妬した。
家庭教師の彼がその時なぜか無性に憎らしく思えた。ほんとは家庭教師の彼が好きだった。親しくしたかった。けれど素直になれず、わがままを言って困らせた。
それはきっと彼に振り向いてもらいたいと思う気持ちの裏返しだったのかもしれない。

蛇足ではあるが、宿題の算数プリントで
私がだした答えを彼は違うと言って書きかえさせた。
けれど、翌日の学校での答え合わせで私の答えで合っていた。
そこが出来ていれば百点だった。


「音楽のM先生」

小学六年の時に赴任してきた新任の音楽教師M先生は、私には絶対怒らない、とてもやさしいおにいさんみたいな 先生だった。
けれど、男の子や他の女の子(それも私をいじめている子)にはかなり厳しく、注意する時はかなり恐い先生だった。
M先生は私と廊下ですれちがうと、これ以上ないというほどのとろけそうな笑顔をくれた。
私は、私にはやさしいM先生が好きだったけれど、私だけ怒られないというのは、何か贔屓されているみたいで、
他の子のイジメに遭いそうでいやだった。
そんな理由で、私がM先生に対して“おとなしいイイコ”をやめて
少しばかり先生に反発して言うことをきかないコになったら、M先生は以前のようには私にニッコリしなくなった。
今思うのに、「私はM先生の〈好みのタイプの女の子〉だったのかな?」なんて。
M先生とは、今も年賀状のやり取りを続けている。


「T・Iさん」

かなり昔のこと。私の母方の祖父がボウリング場を経営していた。
父母や従兄弟家族とよく遊びに行った。
そこのプロボウラーショップでアルバイトをしていた大学生のIさん。
辰巳琢朗風の真面目な理知的な二枚目。
ボウリングが初めての私にコーチをしてくれた。
ボウリングの立ち位置を教えてくれる時に私の肩に手を置いて。
そんなことでも私の胸は高鳴った。
でも、当時の私は高校一年だったが、とても幼かったので
彼には中学一~二年(ひょっとしたら小学生)くらいにしか思われていなかったようだ。
特に親しくお話することもなく、その後、彼がアルバイトを辞めて
以後、プロボウラーショップには彼の姿は見かけなくなった。


♡初恋が三回も⁉️
夢多き恋する少女でした😅♡




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私の平成物語

2018-12-27 | 随想録【アーカイブ】
一つ目は陶芸

平成二年から
神宮外苑陶芸教室に通い始め
ライフワークの趣味になりつつあった、
25年も経った平成27年
思いもかけない教室閉鎖の告知
それは青天の霹靂
素敵な先生たちに巡り合って
楽しく作陶した日々
あの日はもう戻ってこないけれど
素晴らしい25年でした(^^♪





二つ目は海外生活

1996年から3年間ほど
夫の駐在に伴って
ニューヨークはマンハッタンで暮らした。
初めての海外生活
戸惑いや不安もあったけれど
住めば都
毎日が夢のような生活だった(^^♪
できるなら「どこでもドア」で ニューヨーク

と思う昨今です(;'∀')






三つ目は災害

地震、水害といった天変地異もさることながら
なんといっても未曽有の大事件
オウム真理教による地下鉄サリン事件
1995年3月発生
当時は暫くの間、
地下鉄に乗るのが怖かった

地震や水害は自然災害だから
誰も恨むこともできないけれど


追伸

2012年7月21日に父が87歳で
2015年8月31日に夫の父が93歳で
2016年5月15日に母が87歳で
2016年5月23日に夫の母が89歳で
天に召された。
ずっといつまでもいてくれるのが
当たり前と思っていたから
この世にいなくなったのが信じられない😢
「孝行の したい時には 親はなし」
でも、
親がまだ健在だったら
今の駅近マンションには住めなかったわけだから
今の住まいは
両母親からの天国からの贈り物だと思っている。


※平成何年というのがわかりにくくて^^;
西暦で書いていますが。




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元気でいますか

2018-05-07 | 随想録【アーカイブ】
電話は相手の状況がわからないし、
かける私もドキドキしてしまい
苦手なのですがσ^_^;
メールなら好きな時に読んでもらえるから
ついメールにしてしまいます^^;
でも…
懐かしい友人とたまには
お喋りしたいな😇
どうしていますか⁉️
お元気ですか⁉️
Facebookで「友達」になっていても
近頃は投稿記事もなく、
ログインもしていない友人たち(^^;
たまには会いたいね❣️
そのうち小さな同窓会でも
やりたいですね(^_−)−☆
でも…
会いたいけれど…
会うのはちょっと
ドキドキするけれど(~_~;)
お元気ですか⁉️
どうしていますか⁉️





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小さな過去の思い出

2018-03-28 | 随想録【アーカイブ】
遥か昔、
東京神田・YMCAの人形劇サークルで活動していた時
メンバーの一人であるお寺の住職さん Kさんに
密かに片思いしていた(*'ω'*)😍
〜サークルではキャンプネームという、
ハンドルネームのようなニックネームをつけるのだが
彼のキャンプネームは「梅吉」さんといった〜
サークルのみんなで食事に行った時、
席が彼の向かいになった。
彼とデートして二人で食事しているみたいで
ドキドキして照れくさかった(〃ω〃)
彼は
「太田裕美の歌は男を思っている歌が多くて好きだ」
と言っていた。
私も太田裕美の歌は好きだったから
趣味が同じみたいで嬉しかった♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪💞
昔々のかわいい思い出です❤️(^ ^)
梅吉さん、お元気ですか⁉️
今では年賀状も来なくなってしまったけれど…(´-ω-`)



初恋ノスタルジー・太田裕美
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空蝉の家

2017-12-06 | 随想録【アーカイブ】
思い出は 心の中に 今もあり

昨年の12月22日まで住んでいた家。
今日、家の前を通ったら
リフォーム工事が始まっていた。
千代田区や港区、中央区の
東京都心のマンションに引っ越していたら
引っ越し後は
たぶん行くこともなかっただろうけれど
今のマンションからは徒歩10分強の、
生活圏内のところなので
時々はその辺に行きます^^;

この歌のように
ちょっと切なくなりました😢

堀内孝雄「空蝉の家」

2年前の12月には
母も義母もまだいたんだね😢
4年前の12月には
義父も
6年前の12月には
父も
まだいたんだね😢
諸行無常…😔

人生は 諸行無常の日々なりき
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時は流れて

2017-09-26 | 随想録【アーカイブ】
不二家、銀座のビルを190億円で売却

子供の頃、
休日には家族で
銀座六丁目の不二家に行くことが
非日常の
素敵な楽しい時間だった°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
その不二家レストランは
だいぶ前に閉店になったけれど
所有していたビルも売却。
寂しいですね
私たち世代は
不二家で育ったと言っても
過言ではなかった。


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お盆

2017-08-14 | 随想録【アーカイブ】
お盆には
仏教的なことは何もしません。
家には仏壇もありません。
私の父は
仏式(曹洞宗)のお葬式だったので
位牌はありますが。
私の母も夫の母も
キリスト教ベースの
無宗教家族葬のお葬式で
戒名も位牌もありません。
私の母方の親戚は
クリスチャンの方が多く
祖父も
晩年洗礼を受けました。
母もキリスト教系の女学校に通っていた。
夫の父は一応クリスチャン。
一応というのは
夫の父の両親がクリスチャンで
夫の父は
子供の頃に洗礼を受けたようですが
教会には行っていなかったので(⌒-⌒; )
なのでお葬式は
教会でキリスト教式でした。
もちろん位牌も戒名もありません。
夫の母は
神戸生まれの神戸育ちということで
キリスト教には馴染んでいた。
夫も神戸生まれということもあり、
子供の頃には
神戸栄光教会の日曜学校に
行っていたこともあったとか。
私は中学、高校、短大と
キリスト教系の学校に通っていたので
行事の時だけの~_~;
似非クリスチャンです(^ω^)(笑)
お経よりも
讃美歌と聖書のほうが
馴染みがあります(^_−)−☆

ちなみに。
カトリック(旧教)ではなく
プロテスタント(新教)です。
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契約完了

2017-07-24 | 随想録【アーカイブ】
今まで住んでいた家の引き渡しが
本日、無事に終了しました。
これで他人名義になります。
今の住まいに比べたら
駅まで徒歩15分弱
コンビニも徒歩10分弱と
不便ではありましたが
30年以上住んでいた家
ちょっと感慨無量です(T-T)

バイバイ 今までの家(/_;)/~~
……ありがとう(´・ω・)(´_ _)♪

母が亡くなってから
一年ちょっとの間で
駅近の快適な住まいもみつかり
今までの家の売却も
すんなり完了して
本当によかったです
寂しさはあるものの、
それも諸行無常
仕方のないことですね

この歌が心に沁みます(涙)(´・_・`)

空蝉の家・堀内孝雄
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母の日

2017-05-14 | 随想録【アーカイブ】

今年から
プレゼントを贈れない母の日
自分の母親にも
夫の母親にも
長年生きてきて
はじめてのこと
ちょっぴり切なく
ちょっと寂しい(涙)

『孝行のしたい時には親は無し』

人生は諸行無常…









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