楽我喜帳

日々是遺言〜ブログは一人遊びの備忘録〜

私の初恋談議

2019-01-17 | 随想録【アーカイブ】


「家庭教師のI先生」

私の初恋。それはたぶん小学校四年の時。
ぜんぜん勉強しない娘を心配して、親は家庭教師をつけることにした。
ある日、祖父の知り合いの息子で、国立C大学一年のI青年が私の家庭教師としてやって来た。
彼は当時の大学生としても珍しく、詰襟の学生服を着て通って来た。別に『体育会』系だったわけではなかった。

内向的で人見知りの激しい私は、なかなか彼と打ち解けることが出来ずに殆ど喋らなかった。
そのくせ自分の我だけは通すというわがまま娘だったから、彼をしばしば困らせた。
わがままはどんどんエスカレートしてゆき、ある日「ごめんなさい」が言えずにむくれた。
ダンマリを決めこんで彼の言うことも聞かなかった。ついに彼はキレてしまい、怒って何も言わずに帰ってしまった。
いつもは勉強が終わると親に声をかけてから帰って行ったものだった。
その時は親に何と説明したらよいのか、もうどうしてよいのかわからず、途方に暮れた。
今まで私のどんなわがままにも寛容で、やさしかった先生があんなに怒って、
まさか本当に黙って帰ってしまったことに対して、哀しいやら困るやらで涙が出てきた。

彼が家庭教師として来るようになって一年ほど過ぎた頃から、
近所に住んでいる、日頃からよく遊んでいた三つ違いの従兄弟が、私と一緒にわが家で勉強をするようになった。
その従兄弟は小学校低学年のため、帰りが早く、一足 先にわが家に来て私が帰宅するまでの間、家庭教師の彼と遊んでいた。
楽しそうに親しく話す二人を「私とはあんなに親しくしてくれないのに」と少しばかり嫉妬した。
家庭教師の彼がその時なぜか無性に憎らしく思えた。ほんとは家庭教師の彼が好きだった。親しくしたかった。けれど素直になれず、わがままを言って困らせた。
それはきっと彼に振り向いてもらいたいと思う気持ちの裏返しだったのかもしれない。

蛇足ではあるが、宿題の算数プリントで
私がだした答えを彼は違うと言って書きかえさせた。
けれど、翌日の学校での答え合わせで私の答えで合っていた。
そこが出来ていれば百点だった。


「音楽のM先生」

小学六年の時に赴任してきた新任の音楽教師M先生は、私には絶対怒らない、とてもやさしいおにいさんみたいな 先生だった。
けれど、男の子や他の女の子(それも私をいじめている子)にはかなり厳しく、注意する時はかなり恐い先生だった。
M先生は私と廊下ですれちがうと、これ以上ないというほどのとろけそうな笑顔をくれた。
私は、私にはやさしいM先生が好きだったけれど、私だけ怒られないというのは、何か贔屓されているみたいで、
他の子のイジメに遭いそうでいやだった。
そんな理由で、私がM先生に対して“おとなしいイイコ”をやめて
少しばかり先生に反発して言うことをきかないコになったら、M先生は以前のようには私にニッコリしなくなった。
今思うのに、「私はM先生の〈好みのタイプの女の子〉だったのかな?」なんて。
M先生とは、今も年賀状のやり取りを続けている。


「T・Iさん」

かなり昔のこと。私の母方の祖父がボウリング場を経営していた。
父母や従兄弟家族とよく遊びに行った。
そこのプロボウラーショップでアルバイトをしていた大学生のIさん。
辰巳琢朗風の真面目な理知的な二枚目。
ボウリングが初めての私にコーチをしてくれた。
ボウリングの立ち位置を教えてくれる時に私の肩に手を置いて。
そんなことでも私の胸は高鳴った。
でも、当時の私は高校一年だったが、とても幼かったので
彼には中学一~二年(ひょっとしたら小学生)くらいにしか思われていなかったようだ。
特に親しくお話することもなく、その後、彼がアルバイトを辞めて
以後、プロボウラーショップには彼の姿は見かけなくなった。


♡初恋が三回も⁉️
夢多き恋する少女でした😅♡