夕方ソウルの仁川空港に到着。そこからユウロの住むウォンジュに向かった。ユウロとはチベットとインドで出会った。当時高校生なのに無断欠席して、日本から船で上海に渡り、ガイドブックもなく、言葉もできないのに陸路でインドまで渡ってきたつわものだった。
といっても決してタフな感じではない。体が細く、感情を表さないいかにも都会っ子という感じの子だった。でも、普通のバックパッカーとは明らかに違っていた。旅にかける必死さが伝わってきた。お母さんがマザーテレサを敬愛しているので、マザーテレサの施設を見たくて思い切ってこの旅に出たのだと言う。僕たちの旅の中で最も印象に残った旅行者の1人だった。
その彼が今韓国の医大に通っているので、訪ねることにしたのだ。彼は今何を考えて生活しているのだろうか。
ウォンジュは空港からバスで3時間。人口わずか20万という小都市だ。もちろんガイドブックに名前も載っていないマイナーな街だ。バスターミナルからタクシーでユウロの住むマンションへ。ユウロはすっかり変身していた。礼儀正しくなった。でも長めの茶髪で、見た目は今風のカッコ良さだ。
すぐにお勧めのタッカルビを食べに行くことにした。タッカルビとは鶏肉の鉄板焼きだ。トッポッキという棒状の餅と野菜と一緒に食べる。もちろん辛いがめちゃくちゃ旨い。その後にご飯を一緒に炒めてキムチチャーハンのようにしてくれるのだが、それも最高だった。
実はユウロは旅に出る前から医者になりたかったのだそうだ。でも、その気持ちが本気かどうかを知るためにインドを旅したのだ。そして旅の最後にマザーテレサの施設を見に行った。それで韓国で医大に通うことを選んだ。ユウロにとって韓国語での授業についていくのは大変だ。誰よりも必死に勉強しているという。
でも、大学生活の話になるとネガティブなものが多かった。ユウロの大学では、日本からの留学生は滅多にないので、とても目立ってしまうのだ。日本以上に上下関係や身だしなみが厳しいから、先輩に呼び出されて説教なんてこともあったという。酒も飲まされる。反日の影響もまともに受けてしまっている。竹島の問題を出されて肩身の狭い思いをすることもあるそうだ。
ユウロの話からは閉塞感のようなものが感じられた。外国留学といえば、ルールや規範が少なく開放的なアメリカやオーストラリアでの明るいキャンパスライフをイメージするが、それとは全く反対のようだった。小さい寂しい感じのする街で、日本よりもっと上下関係や規律が厳しく、自由がないなんて。。。
そんなユウロが息抜きにしているのは、サッカーとマージャン。韓国にマージャンがないので、まわりの学生に教えて流行らせたと言う。
食事の後も街を飲み歩いた。狭い街だから先輩によく会う。会うとユウロは走っていって挨拶していた。旅をしていた時のユウロは僕たちにため口だったのでその変わりように驚いた。
飲み屋の中でユウロの先輩に簡単に挨拶して店を出た。歩いていると、後ろからその先輩が叫んでユウロを呼んだ。それを聞いてすぐ、先輩のもとにユウロは走っていった。「やばい、怒られるのか?」僕とくみこはそう思って焦った。酔っ払っている彼らに過去の戦争のことで絡まれたらどうしよう。
でも、違った。彼らは僕たちを歓迎し、酒に誘いたいとのことだった。彼らは医大の先輩。バスケ部の3人だった。お洒落なバーに連れて行ってくれた。日本人旅行者が来ることなどないからめずらしいのだろう。頭が良くて、育ちの良い、真面目で素朴で感じが良い子たちだった。
彼らは日本の文化にとても興味があるようだった。映画、ドラマ、ポップス、マンガ、ゲームなど、「日本のものは素晴らしい」と何度も繰り返していた。確かに日本のポップカルチャーは韓国より進んでいるようだ。歴史がそうさせているのだろう。でも僕たちも長いこと日本にいなかったし、そもそもポップカルチャーにそんなに興味がないので、なかなか話が噛み合わなかった。
僕らも「韓国の映画やドラマは素晴らしい」と切り返してみた。でも、彼らは「韓国のは駄目だ」と言う。「ヨン様もあんなに優しい顔をしているけど、軍隊にいた時は、後輩をひどくいじめていたんだよ」とどうでも良いことを教えてくれた。
バスケ部の彼らは特に「スラムダンク」というマンガが好きだと言っていた。そして「日本の中高生は部活があるから羨ましい」と言った。僕たちは驚いた。日本では部活動はある意味中高生時代の青春そのものだ。部活動で受験戦争の鬱憤を健全に晴らすことができる。でも、韓国では無理なのだ。彼らのような勉強のエリートは勉強だけをしなくてはならない。一方スポーツのエリートはスポーツだけをしなければならない。両方は無理なのだ。彼らは大学に入ってやっとバスケットを始めたので、基礎ができていないと嘆いていた。
彼らは僕たちの世界一周にもとても興味を示してくれた。韓国にもインドなどアジアを旅する人は多い。「僕もいつかやってみたい」とみんな口を揃えていた。でも、その後の仕事が心配だという。「医者になるんだから、一度仕事をやめてもすぐ見つかるでしょう。旅の経験は必ず役立つから。何年か稼げば君達も行けるんじゃないの?」と僕は言ったが、彼らの1人は言った。「6年医学部に在籍した後は、3年兵役をしなくてはなりません。それだけ親に面倒を見てもらったのだから、後は僕たちが親の面倒をみなくてはならないのです。」
それを言われると僕は何も言えなくなった。親の面倒を見るというのはとても偉いと思ったし、兵役の義務の3年はとても大きいなと思った。彼らはいろんな義務を背負っている。僕たちとは置かれている環境が随分違うのだ。何でだろうと考えた。
夜中の2時過ぎに店を出た。彼らの1人が突然寮に向かって走った。そして数分後に自家製の蜂蜜と酢を混ぜたものを寮から持って戻ってきてくれた。二日酔いに効くのだと言って僕たちにプレゼントしてくれたのだ。そんな優しさがとても嬉しかった。お礼の品を何も持っていない僕らはお礼に次の朝に三線で歌を披露すると約束して別れた。
次の朝、ユウロと先輩たちは僕たちの見送りと、音楽を聴くためにわざわざ早くから来てくれた。みんなとても眠そうで申し訳なかったが、僕たちはプサンに行かなくてはならなかった。「安里屋ゆんた」を披露した。二日酔いもあって僕は思いっきり失敗してしまった。演奏後、拍手と沈黙と寒い空気が流れた。
「じゃ、ご飯でもたべますか?」
フォローするように彼らの1人が誘ってくれた。豆腐チゲ、キムチチゲなど、二日酔いの僕たちにはとても濃い朝ごはんだった。まるで彼らの濃いおもてなしや気遣いの心のようで嬉しくて一気に完食した。
そして僕たちはウォンジュを後にした。ユウロとの再会を約束し、先輩たちも日本に来るよう誘った。特別なものはない街だったが、僕は少しだけ韓国の心に触れることができた気がした。
※長くてすみません。全3話で終わらせるつもりです。
(写真上:ユウロとタッカルビを囲む)
(写真中:バーで医大の先輩たちとビールを飲む)
(写真下:出発の朝のウォンジュ)
といっても決してタフな感じではない。体が細く、感情を表さないいかにも都会っ子という感じの子だった。でも、普通のバックパッカーとは明らかに違っていた。旅にかける必死さが伝わってきた。お母さんがマザーテレサを敬愛しているので、マザーテレサの施設を見たくて思い切ってこの旅に出たのだと言う。僕たちの旅の中で最も印象に残った旅行者の1人だった。
その彼が今韓国の医大に通っているので、訪ねることにしたのだ。彼は今何を考えて生活しているのだろうか。
ウォンジュは空港からバスで3時間。人口わずか20万という小都市だ。もちろんガイドブックに名前も載っていないマイナーな街だ。バスターミナルからタクシーでユウロの住むマンションへ。ユウロはすっかり変身していた。礼儀正しくなった。でも長めの茶髪で、見た目は今風のカッコ良さだ。
すぐにお勧めのタッカルビを食べに行くことにした。タッカルビとは鶏肉の鉄板焼きだ。トッポッキという棒状の餅と野菜と一緒に食べる。もちろん辛いがめちゃくちゃ旨い。その後にご飯を一緒に炒めてキムチチャーハンのようにしてくれるのだが、それも最高だった。
実はユウロは旅に出る前から医者になりたかったのだそうだ。でも、その気持ちが本気かどうかを知るためにインドを旅したのだ。そして旅の最後にマザーテレサの施設を見に行った。それで韓国で医大に通うことを選んだ。ユウロにとって韓国語での授業についていくのは大変だ。誰よりも必死に勉強しているという。
でも、大学生活の話になるとネガティブなものが多かった。ユウロの大学では、日本からの留学生は滅多にないので、とても目立ってしまうのだ。日本以上に上下関係や身だしなみが厳しいから、先輩に呼び出されて説教なんてこともあったという。酒も飲まされる。反日の影響もまともに受けてしまっている。竹島の問題を出されて肩身の狭い思いをすることもあるそうだ。
ユウロの話からは閉塞感のようなものが感じられた。外国留学といえば、ルールや規範が少なく開放的なアメリカやオーストラリアでの明るいキャンパスライフをイメージするが、それとは全く反対のようだった。小さい寂しい感じのする街で、日本よりもっと上下関係や規律が厳しく、自由がないなんて。。。
そんなユウロが息抜きにしているのは、サッカーとマージャン。韓国にマージャンがないので、まわりの学生に教えて流行らせたと言う。
食事の後も街を飲み歩いた。狭い街だから先輩によく会う。会うとユウロは走っていって挨拶していた。旅をしていた時のユウロは僕たちにため口だったのでその変わりように驚いた。
飲み屋の中でユウロの先輩に簡単に挨拶して店を出た。歩いていると、後ろからその先輩が叫んでユウロを呼んだ。それを聞いてすぐ、先輩のもとにユウロは走っていった。「やばい、怒られるのか?」僕とくみこはそう思って焦った。酔っ払っている彼らに過去の戦争のことで絡まれたらどうしよう。
でも、違った。彼らは僕たちを歓迎し、酒に誘いたいとのことだった。彼らは医大の先輩。バスケ部の3人だった。お洒落なバーに連れて行ってくれた。日本人旅行者が来ることなどないからめずらしいのだろう。頭が良くて、育ちの良い、真面目で素朴で感じが良い子たちだった。
彼らは日本の文化にとても興味があるようだった。映画、ドラマ、ポップス、マンガ、ゲームなど、「日本のものは素晴らしい」と何度も繰り返していた。確かに日本のポップカルチャーは韓国より進んでいるようだ。歴史がそうさせているのだろう。でも僕たちも長いこと日本にいなかったし、そもそもポップカルチャーにそんなに興味がないので、なかなか話が噛み合わなかった。
僕らも「韓国の映画やドラマは素晴らしい」と切り返してみた。でも、彼らは「韓国のは駄目だ」と言う。「ヨン様もあんなに優しい顔をしているけど、軍隊にいた時は、後輩をひどくいじめていたんだよ」とどうでも良いことを教えてくれた。
バスケ部の彼らは特に「スラムダンク」というマンガが好きだと言っていた。そして「日本の中高生は部活があるから羨ましい」と言った。僕たちは驚いた。日本では部活動はある意味中高生時代の青春そのものだ。部活動で受験戦争の鬱憤を健全に晴らすことができる。でも、韓国では無理なのだ。彼らのような勉強のエリートは勉強だけをしなくてはならない。一方スポーツのエリートはスポーツだけをしなければならない。両方は無理なのだ。彼らは大学に入ってやっとバスケットを始めたので、基礎ができていないと嘆いていた。
彼らは僕たちの世界一周にもとても興味を示してくれた。韓国にもインドなどアジアを旅する人は多い。「僕もいつかやってみたい」とみんな口を揃えていた。でも、その後の仕事が心配だという。「医者になるんだから、一度仕事をやめてもすぐ見つかるでしょう。旅の経験は必ず役立つから。何年か稼げば君達も行けるんじゃないの?」と僕は言ったが、彼らの1人は言った。「6年医学部に在籍した後は、3年兵役をしなくてはなりません。それだけ親に面倒を見てもらったのだから、後は僕たちが親の面倒をみなくてはならないのです。」
それを言われると僕は何も言えなくなった。親の面倒を見るというのはとても偉いと思ったし、兵役の義務の3年はとても大きいなと思った。彼らはいろんな義務を背負っている。僕たちとは置かれている環境が随分違うのだ。何でだろうと考えた。
夜中の2時過ぎに店を出た。彼らの1人が突然寮に向かって走った。そして数分後に自家製の蜂蜜と酢を混ぜたものを寮から持って戻ってきてくれた。二日酔いに効くのだと言って僕たちにプレゼントしてくれたのだ。そんな優しさがとても嬉しかった。お礼の品を何も持っていない僕らはお礼に次の朝に三線で歌を披露すると約束して別れた。
次の朝、ユウロと先輩たちは僕たちの見送りと、音楽を聴くためにわざわざ早くから来てくれた。みんなとても眠そうで申し訳なかったが、僕たちはプサンに行かなくてはならなかった。「安里屋ゆんた」を披露した。二日酔いもあって僕は思いっきり失敗してしまった。演奏後、拍手と沈黙と寒い空気が流れた。
「じゃ、ご飯でもたべますか?」
フォローするように彼らの1人が誘ってくれた。豆腐チゲ、キムチチゲなど、二日酔いの僕たちにはとても濃い朝ごはんだった。まるで彼らの濃いおもてなしや気遣いの心のようで嬉しくて一気に完食した。
そして僕たちはウォンジュを後にした。ユウロとの再会を約束し、先輩たちも日本に来るよう誘った。特別なものはない街だったが、僕は少しだけ韓国の心に触れることができた気がした。
※長くてすみません。全3話で終わらせるつもりです。
(写真上:ユウロとタッカルビを囲む)
(写真中:バーで医大の先輩たちとビールを飲む)
(写真下:出発の朝のウォンジュ)
このときマザーテレサが取り残された人々の救出をしたようである
その後のレバノンはアメリカが何もしないためシリアの属国である
イラクはこうなりそうでもある
イランもイラクもアメリカの思惑の外で動いている
写真のチゲ、とっても美味しそうだね。
韓国に対する新しい経験が加わって良かったですね。
私たちの国から一番近い国にいて感じた違和感と感動を、これからの糧に前進してください。
また会える日を楽しみにしてます。
マザーテレサは本当にいろんなところで活躍していたのですね。僕が大学生でカルカッタを訪れた時にはちょうど海外に行っていてお会いできませんでした。
イランやイラクは本当に心配ですね。
ニュースを見るたびにそう思います。
これはチゲに見えるけど、そうではありません。鳥の焼肉ですよ。サンチュというレタスで巻いて、コチュジャンつけて食べます。美味しかった!!!
韓国に対しては民族的には本当に近い国なんだということを感じます。やっぱりどこの国の人より日本人に似ているんではないかと思う。
歴史が違うから、随分違うように見えるだけな気がしたり、それだけでない気がしたり。。。
仏教文化の中で肉食をタブーしていた日本は焼肉文化は明治時代アメリカからやってきた
同じく韓国の唐辛子もアメリカ日本経由で勧告にもたらされたのが定説
美味しければいいんですがね
ちなみにジャガイモトマトはアンデス原産ですね
それにしても韓国の料理は真っ赤に燃えていますよ!
「唐辛子(チリ)」の原産はココ南米
ペルーなのだそう。
なんだ?チリ(国)じゃ無いのか...と。
思い起こせば、アフリカはマラウイで
韓国人旅行者と一緒にラーメンを食べ
ていたとき
「ねぇねぇ[コリアンダー]は韓国原産か?」
なんて聞いたら、韓国では食べたことが無い
なんていってたっけ...w
さらにこの僕はご夫婦ご存知の通り、アルゼ
ンチンはブエノスの韓国人街そばの安宿に泊
まり、今日も「チゲ鍋」なんぞを食して参り
ましたw。
これほどボーダーレス・ミクスチャー具合の
世の中。何処を"なんという名前の国"を旅行
しているのか?分からなくなることもありま
すよねぇ。
しかし目の前の「韓国料理は」動物
の旅行者の口にあうのでありました。^w^
日本旅館には一泊しかしなかったので、残念ながら焼肉食べれませんでしたよ。
南米はアジアの食文化が少しずつミックスされていて面白いですよね。日本料理も、中華も、韓国料理も。
南米は多様な文化の複合体なんだということを感じさせられる一瞬ですね。