四軒東に書庫を買った。増築した10畳の部屋には、本が入りきらなくなったからだ。車庫の隅に物置を買ってきて本を並べてみたりしたのだが、不便極まりない。必要な本を探すのにも時間がかかりすぎる。そこでやむなく一軒を買うことにしたのだった。ちょうど四軒どなりというのもよかった。本を移しかえる労力が少なくてすむからだ。
さて、その書庫の前の家には黒い犬が飼われている。秋田犬ほどの大きさである。はじめのころは、私が書庫に入ろうとすると、吠えられる。あやしいと思うのだろうが、それが1週間から10日ほど続いた。そのうち吠えなくなった。前の住人なのだと認識してくれたのだろう。賢い犬らしい。
ある日、散歩にでていこうとする犬に近づいてみた。全身黒い毛かと思いきや、額に白の線が入っている。馬などでは貴種だといわれる白眉なのである。さらに、よくよく見ると、足にもわずかに白い毛が縦にはえている。まるでペルシャの踊り子が足首につけている、金細工の飾りのようにも見える。なんとも気品が漂う毛並みだ。
コロナ禍で家にいることが多くなったので、鉛筆デッサンを再開した。仏像ばかり描いていたのだが、飽きてきた。ある時、向かいの黒い犬を描いてみようと思いスマホを向けた。すると、なにかイヤなことをされるのかも知れないと思ったのか、おおいに警戒されてしまった。黒い犬にはわるいことをしたと反省している。
写った黒い犬を描いてみた。毛が黒いうえに、警戒されて少し遠くにいる写真なので、毛並みがよくわからない。まだらな毛ならまだしも、ほとんどが黒色なので、下手なデッサン力しかないわたしには難しすぎる。陳腐なデッサンになってしまった。
そういえば、昔、お世話になった地質学者の甲藤次郎先生の肖像画を、油絵で描いてみたことがある。髪の毛が難しく、いまだに頭は白いままだ。ところで、デッサンをしていて難しいのは口で、さらに難しいのは頭髪だ。それなのに、無謀にも黒い犬を描こうとした、粗雑なわが技量では、うまく描けるはずがなかった。おまけに黒ちゃんには怖い思いをさせてしまった。なんとも人生うまくいかないものである。
若いころには気づかなかった生きるうえでのつまづきが、老年になるにつれて増えてきだした。なんともいやはや、我が人生はこの先どうなるのであろうかと思いやられる。気を取り直して鍛錬するしかない。武蔵は「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」と言ったが、74歳を過ぎた我が命は、それほどの日数が残されていない。さてさて。
さて、その書庫の前の家には黒い犬が飼われている。秋田犬ほどの大きさである。はじめのころは、私が書庫に入ろうとすると、吠えられる。あやしいと思うのだろうが、それが1週間から10日ほど続いた。そのうち吠えなくなった。前の住人なのだと認識してくれたのだろう。賢い犬らしい。
ある日、散歩にでていこうとする犬に近づいてみた。全身黒い毛かと思いきや、額に白の線が入っている。馬などでは貴種だといわれる白眉なのである。さらに、よくよく見ると、足にもわずかに白い毛が縦にはえている。まるでペルシャの踊り子が足首につけている、金細工の飾りのようにも見える。なんとも気品が漂う毛並みだ。
コロナ禍で家にいることが多くなったので、鉛筆デッサンを再開した。仏像ばかり描いていたのだが、飽きてきた。ある時、向かいの黒い犬を描いてみようと思いスマホを向けた。すると、なにかイヤなことをされるのかも知れないと思ったのか、おおいに警戒されてしまった。黒い犬にはわるいことをしたと反省している。
写った黒い犬を描いてみた。毛が黒いうえに、警戒されて少し遠くにいる写真なので、毛並みがよくわからない。まだらな毛ならまだしも、ほとんどが黒色なので、下手なデッサン力しかないわたしには難しすぎる。陳腐なデッサンになってしまった。
そういえば、昔、お世話になった地質学者の甲藤次郎先生の肖像画を、油絵で描いてみたことがある。髪の毛が難しく、いまだに頭は白いままだ。ところで、デッサンをしていて難しいのは口で、さらに難しいのは頭髪だ。それなのに、無謀にも黒い犬を描こうとした、粗雑なわが技量では、うまく描けるはずがなかった。おまけに黒ちゃんには怖い思いをさせてしまった。なんとも人生うまくいかないものである。
若いころには気づかなかった生きるうえでのつまづきが、老年になるにつれて増えてきだした。なんともいやはや、我が人生はこの先どうなるのであろうかと思いやられる。気を取り直して鍛錬するしかない。武蔵は「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」と言ったが、74歳を過ぎた我が命は、それほどの日数が残されていない。さてさて。