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土木の工程と人材成長

土木建設の工程管理や組織運営、そして人材成長の話題や雑学を紹介します

おむかいの黒い犬

2022-10-17 11:06:41 | 日記
四軒東に書庫を買った。増築した10畳の部屋には、本が入りきらなくなったからだ。車庫の隅に物置を買ってきて本を並べてみたりしたのだが、不便極まりない。必要な本を探すのにも時間がかかりすぎる。そこでやむなく一軒を買うことにしたのだった。ちょうど四軒どなりというのもよかった。本を移しかえる労力が少なくてすむからだ。

さて、その書庫の前の家には黒い犬が飼われている。秋田犬ほどの大きさである。はじめのころは、私が書庫に入ろうとすると、吠えられる。あやしいと思うのだろうが、それが1週間から10日ほど続いた。そのうち吠えなくなった。前の住人なのだと認識してくれたのだろう。賢い犬らしい。

ある日、散歩にでていこうとする犬に近づいてみた。全身黒い毛かと思いきや、額に白の線が入っている。馬などでは貴種だといわれる白眉なのである。さらに、よくよく見ると、足にもわずかに白い毛が縦にはえている。まるでペルシャの踊り子が足首につけている、金細工の飾りのようにも見える。なんとも気品が漂う毛並みだ。

コロナ禍で家にいることが多くなったので、鉛筆デッサンを再開した。仏像ばかり描いていたのだが、飽きてきた。ある時、向かいの黒い犬を描いてみようと思いスマホを向けた。すると、なにかイヤなことをされるのかも知れないと思ったのか、おおいに警戒されてしまった。黒い犬にはわるいことをしたと反省している。

写った黒い犬を描いてみた。毛が黒いうえに、警戒されて少し遠くにいる写真なので、毛並みがよくわからない。まだらな毛ならまだしも、ほとんどが黒色なので、下手なデッサン力しかないわたしには難しすぎる。陳腐なデッサンになってしまった。

そういえば、昔、お世話になった地質学者の甲藤次郎先生の肖像画を、油絵で描いてみたことがある。髪の毛が難しく、いまだに頭は白いままだ。ところで、デッサンをしていて難しいのは口で、さらに難しいのは頭髪だ。それなのに、無謀にも黒い犬を描こうとした、粗雑なわが技量では、うまく描けるはずがなかった。おまけに黒ちゃんには怖い思いをさせてしまった。なんとも人生うまくいかないものである。

若いころには気づかなかった生きるうえでのつまづきが、老年になるにつれて増えてきだした。なんともいやはや、我が人生はこの先どうなるのであろうかと思いやられる。気を取り直して鍛錬するしかない。武蔵は「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」と言ったが、74歳を過ぎた我が命は、それほどの日数が残されていない。さてさて。

ロシアの虚につきあった安倍外交の有害無益ー「我志」と「公志」の違いー

2022-03-27 10:00:37 | 日記
先日、元ロシア大統領のメドベージェフは、「日本との北方領土交渉の中身は、最初から嘘の積み重ねをしただけだ」という意味の発言をしたという(2022年3月27日9時~NHK「日曜討論」)。

つまり、安倍元首相は、日本国民の税金の無駄使いをし、元北方領土住民の方々には一時の安寧と希望をもたらしたかも知れないが、最後はどん底に落とし込んだ。すでに、ケン・ウィルバーは、ロシアと中国は、未だに古代国家だと喝破し、おおやけの著作として発表している。また、ロシア国内外の状況や対応の本質を見つめれば、誠実さは皆無であり、嘘に塗り固めた行動をしていることは理解できたはずだ。それを見抜けなかった安倍元首相と外務大臣、日本政府中枢人、外務省職員の目は節穴だったことが明らかになった。

当時、安倍外交を見ていて、例えは悪いが、まるで悪い男(ロシア)に捕まった純な女性(日本)だなと思っていた。とは言え、正直なところ、淡い数%の期待は持っていた。だが、虚であったことが現実になったのは残念だと思うとともに、捨て台詞を吐きたくなった次第。

安倍晋三氏は、確かにIQは高く、他の人がやれないことをやったことも確かだろう。評価できるところも多々あったと思う。残念なのは徳のなさである。「我志」は高かったが、「公志」の低さは、如何ともし難い。

朝のささやかな楽しみ

2021-01-25 10:28:58 | 日記
 人参、キャベツ、キノコ、ベーコンなどをオリーブオイルで炒め、最後に卵を真ん中に入れて目玉焼きを同時につくる。はじめのころ目玉焼きは、百円ショップで買ってきた小さなフライパンで、野菜炒めとは別々につくっていたが、後片付けが面倒くさい。そこで同時に一つのフライパンでつくることにしたのだった。

 野菜を炒めながら食パンを焼き、バーターと金柑で手作りしたママレードを塗って、カルシウム入りの飲むヨーグルトで食べるのが、私の朝食である。時に、野菜炒めに白菜が入るとやわらかな黄緑色が、なんともこころを落ち着かせる。

 最後にミニカップにコーヒーを入れて飲む。コーヒーの苦さをやわらげるために、アーモンドをトッピングしたパウンドケーキを食べながら飲む。その点、私は本当のコーヒー飲みではない。朝の精神の刺激物としてコーヒーの苦さを味わうと言っていい。ただ、ミニカップにコーヒーを入れて台所から食卓まで運ぶとミニがゆえにこぼすことがある。ある時、食卓でコーヒーを注ぐようにすれば、運ぶ途中でこぼすことはないことに気がついた。なんのことはない。あたりまえで、ばかばかしい話しだ。

 コーヒーがミニカップなので、パウンドケーキも一口サイズより少し大きいくらいに切って食す。だから、同じ一本のパウンドケーキを何日も切って食べることになる。ケチケチを自認しており、他者からもそう言われてしまう私に、ピッタリの組み合わせだなと苦笑する。

 コロナ禍を忘れる、なににも代え難い、朝の至福のひとときである。