サラ☆の物語な毎日とハル文庫

ファンタジーとミヒャエル・エンデ

『はてしない物語』の作者、ミヒャエル・エンデは、二十世紀後半の児童文学界の巨人です。『モモ』は子どもばかりでなく、大人にも読まれ、大ベストセラーになりましたよね。
『はてしない物語』のほうは映画化され、「ネバーエンディング・ストーリー」のタイトルで大ヒットしました。児童文学のファンタジーが映画化され、ヒットするというパターンは、思えば、「ネバーエンディング・ストーリー」が先駆けだったのではないでしょうか。
いまから20年くらい前の話。

あの頃の日本は(ていうか、世界中が)物質文化、科学万能で、すべてが片づけられていた時代でした。(いまもそうかも…)
サルトルもまだ存命で、「実存主義」がカルチャーとしてもてはやされていた…。
「物語なんて、ファンタジーなんて絵空事。あれは現実じゃない。目に見える出来事だけが、真実に一番近いのだ」という空気で満たされていたような…。

エンデは『サーカス物語』という本の中で、こんな文章を書いています。
「おまえは自分の知らないものにかんして存在を認めません。そして、ファンタジーなど現実ではないと思うのです。でも未来の世界はファンタジーからしか育ちません。私たちはみずから創造するもののなかでこそ、自由な人間になるのです」

『はてしない物語』の中では、ファンタージエンは“幼ごころの君”が女王として君臨する国です。そして、「物語の世界」「本や詩に描かれた世界」「人々のイメージの世界」と暗に示されています。
ファンタージエンは、人間が訪れなくなったために“虚無”という得体の知れないものに飲み込まれようとしています。
「ファンタージエンをいかにして救えるか」が物語り前半の鍵です。
そして、「なぜ人々は物語を愛する心を忘れてしまったのか」と、エンデは『はてしない物語』の荘厳なストーリーのいろんな場面で、読者に訴えているのです。

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