サラ☆の物語な毎日とハル文庫

村上春樹が走る理由←「鈴木ショウの物語眼鏡」

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  村上春樹は走る、そして僕も走っている

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僕は走っている。
いや走らされている。
(僕の部屋に現れる物語の島の妖精レディバードに、走る粉を振りかけられて…)
早朝、太陽が昇るか昇らないうちに、買ったばかりのランニングシューズを履いて部屋を出る。
マンションのエントランスのところでゆっくりと深呼吸をして息を整え、走り出す。
たいした距離ではない。
最初の日は1キロ。
次の日は2キロ。
そして、ずっと2キロ。

レディバードが「2キロって…」とわざとらしくため息をつくけど、
そりゃ、別に走りたいわけでもないのだ。
充分だろう。

と思っていたら、ハル文庫のアヤさんが
「ほら、村上春樹さんって66歳なのに走ってますよ」と村上春樹が書いた
『走ることについて語るときに僕の語ること』を手渡してくれた。

なになに…?
村上春樹が走っていることは断片的な情報で、知らないわけじゃなかった。
しかし、本を読んでみて、じつに本格的なランナーであることにおどろいた。
そして、「走り続けることに心の物語がある」ことを興味深く思ったのだ。

村上春樹が走り始めたのは1982年の秋。33歳のとき。
早稲田大学在学中から「ピーターキャット」というジャズ・クラブを経営していた彼は
(最初は国分寺で、後に千駄ヶ谷に移る)、『風の歌を聴け』で作家としてデビューする。

「小説を書こうと思い立った日時はピンポイントで特定できる。
1978年4月1日の午後一時半前後だ。
その日、神宮球場の外野席で一人でビールを飲みながら野球を観戦していた。
……ヤクルトのピッチャーは安田だったと記憶している。
ずんぐりとした小柄な投手で、ひどくいやらしい変化球を投げる。
安田は1回の広島打線を簡単に零点に抑えた。
そしてその回の裏、
先頭バッターのデイブ・ヒルトン(アメリカから来たばかりの新顔の若い内野手だ)が
レフト線にヒットを打った。
バットが速球をジャストミートする鋭い音が球場に響きわたった。
ヒルトンは素早く一塁ベースをまわり、易々と二塁へと到達した。
僕が「そうだ、小説を書いてみよう」と思い立ったのはその瞬間のことだ。
晴れわたった空と、緑色をとり戻したばかりの新しい芝生の感触と、
バットの快音をまだ覚えている。
そのとき空から何かが静かに舞い降りてきて、僕はそれをたしかに受け取ったのだ。」
(『走ることについて語るときに僕の語ること』文春文庫/以下同じ)

村上春樹は、3作めの『羊をめぐる冒険』を書き上げたあと、店をやめて専業小説家になる。
そして、その頃から本格的に走り始めた(…ということだ)。

「…専業小説家になったばかりの僕がまず直面した深刻な問題は、体調の維持だった。
もともと放っておくと肉がついてくる体質である。
これまでは日々激しい肉体労働をしていたので、体重は低値安定状態に抑えられていたのだが、
朝から晩まで机に向って原稿を書く生活を送るようになると、
体力もだんだん落ちてくるし、体重が増えてくる。
神経を集中するから、ついタバコも吸い過ぎてしまう。
…これはいくらなんでも身体によくない。
これからの長い人生を小説家として送っていくつもりなら、体力を維持しつつ、
体重を適正に保つための方法を見つけなくてはならない。」

村上春樹は「走る」ことを選択する。

「しかし思うのだけれど、意志が強ければなんでもできてしまう、というものではないはずだ。
世の中はそれほど単純にはできていない。
というか正直なところ、日々走り続けることと、意志の強弱とのあいだには、
相関関係はそれほどないんじゃないかという気さえする。
僕がこうして二十年以上走り続けていられるのは、
結局は走ることが性に合っていたからだろう。」

「もし長い距離を走ることに興味があれば、放っておいても、
人はいつかは自分から走り出すだろうし、興味がなければ、
どれだけ熱心に勧めたところで無駄だ。
マラソンは万人に向いたスポーツではない。
小説家が万人に向いた職業ではないのと同じように。
僕は誰かに勧められたり、求められたりして小説家になったわけではない(止められこそすれ)。
思うところがあって勝手に小説家になった。
それと同じように、人は誰かに勧められてランナーにはならない。
人は基本的には、なるべくしてランナーになるのだ。」

(ほらほら、「人に勧められて走るというものじゃない」と村上春樹も言っているじゃないか。
ましてや自分の意志に反して走るだなんて、ムチャクチャだよ。)

村上春樹にとって走ることは、小説家であり続けるために自らに課したノルマだったように思う。
それがけっこう性にあっていた。
さらに心の平衡を保つためにも、必要不可欠なものとなっていった。

「誰かに故のない(と少なくとも僕には思える)非難を受けたとき、
あるいは当然受け入れてもらえると期待していた誰かに受け入れてもらえなかったようなとき、
僕はいつもより少しだけ長い距離を走ることにしている。
いつもより長い距離を走ることによって、そのぶん自分を肉体的に消耗させる。
そして自分が能力に限りのある弱い人間だということをあらためて認識する。
いちばん底の部分でフィジカルに認識する。
そしていつもより長い距離を走ったぶん、結果的には自分の肉体を、
ほんのわずかではあるけれど強化したことになる。
腹が立ったらそのぶん自分にあたればいい。
悔しい思いをしたらそのぶん自分を磨けばいい。そう考えて生きてきた。…」

ただひたすら走ること。
肉体の声を聞き、身体を調整する。
精神だけ肥大するというアンバランスな危険を、走ることで回避し、平衡を保つ。
そうした確固たる意志のもとに、ひたすら走り続け、そして小説を書いてきた村上春樹。

しかし、僕は考えるのだ。
走ることは哺乳類の仲間である人類にとって、当然であり必然であるのかもしれない、と。
ライオンも、チータも、馬も、犬も、猫も走るように、人間だって走らなければならない。
津波がきたら、高台まで走らなければならない。
いのちの危険がせまれば、走って逃げるのみだ。
走ることは、じつはとても大切で、呼吸するのと同じくらい必要な行為なのかもしれない。

村上春樹が「向き不向きがある」と言っているにもかかわらず、
走ることは生命を躍動させる、もっともベーシックな行為だ。
つまり、毎朝こうして走らされていることも、それほど悪いことではないのかもしれない。
走ることには、いのちの根源の部分を満たす“喜び”があるのだ、という気すらしてきた。
マラソンは万人向けのスポーツではないと村上春樹は言う。
それはそうだが、かといって、走ることは自らの体の持つスピード感を学び直すために、
大事なことだと思えてきた。

【見つけたこと】物語が生まれるのに、精神(頭脳)だけが大事なのではない。
肉体が担う生命活動に、じつは大きく依存している。
「動き」があるから、物語は成立する。そして、動くのは身体。
物語を読みながら、あるいは聞きながら、僕たちは身体で物語のエッセンスをキャッチしている。
物語をほんのすぐそこに感じたかったら、身体を動かすのだ。

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レディバードが言ったこと
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「わかってきたみたいじゃないの」とレディバードはなんだか得意そうに眉をつり上げた。

「はいはい、そうですかね。でも、もう走る粉はいらないよ。
走りたければ、自分で走るから」

「もう、かけちゃったもの」とレディバード。
「いちどかけたら、しばらく持っちゃうの。それに、ほら、走ることに“喜び”を感じると、
あなたは書いてるわよ」

「そりゃね、走っていればそう思えてくるんだけど、やらされているっていうのが、
どうにもひっかかるんだよ。自分の意志で走ってみたいと思うんだ。村上春樹のように」

「あら、走る気なんて、もともとなかったくせに」とレディバードは、少しむっとした口調で言う。

「そうだけど、自分のことは自分で決めたいんだよ。
走るというのは、僕の個人的なことだから。少し放っておいてほしいんだ」
できるだけ非難するニュアンスが混じらないように言ったつもりだった。
おかげで走ることの意味がわかったんだから、本当は少し感謝している。
だけど、言葉の選び方を間違えたかな。

「いいわよ。あなたがそう望むのなら、なんなりと願いをかなえるのが妖精よ」
レティバードは、優しげに微笑みつつ、険しい目つきでそう言った。
「そうねぇ。淋しいって泣いても知らないわ。
妖精にまみえるという、滅多にない、貴重な、恐れ多いチャンスを
ありがたいとも思わないなんて、もったいないわねぇ。
こういうチャンスは二度とないかもしれないわ。
でも、あなたがそう望むのなら、サヨウナラ」

そう憎まれ口をきいて、ふっと姿が消えた。あっけなく…。
まただ。どうも、突然姿が消えて、いまいたのが居なくなることに馴染めない。
普通、そうだろ、誰だって。
僕は戸惑い、「怒らせちゃったかな」とぼんやり考えた。
別にいなくなってほしいと言った覚えはないんだけど…。
でも、どうせまた現れるさ。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ところが、その日からずっと、レディバードは姿を見せない。
最初は、「さんざん振り回しておいて、勝手だよな」と腹が立った。
やがて気になりだして、お気に入りの果物のシロップ漬けをテーブルにおいておいたりもした。
それでも現れない。
いったい、どうしたっていうんだろう。
もしかしたら、これっきり現れないのかも、と不安がよぎる日が続いた。

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