サラ☆の物語な毎日とハル文庫

「鈴木ショウの物語眼鏡」→「始めます」

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このメルマガを始めるフリーライターの鈴木ショウです。よろしくお願いします。
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事情があって東京都下にある「ハル文庫」という家庭文庫の活動に合流することになり、これまた成り行きで大人向けの物語案内を出すことになった。

成り行きというとまるで受動的に聞こえるが、大きなうねりがあり、それに跳び乗ったというところだ。

現在、ハル文庫を中心になって運営している女性が、僕の目をじっと見すえながら言ったのだ。
「メルマガを出してください」
「えっ、メルマガですか?」

「物語というのは、目に見えないものです。
目の前で起きている『現実』ではありません。
でも物語がなくては、人は生きていけません。
時として、人の心は物語によって救われます。
だから物語を地道に案内するメルマガが、どうしても必要なんです」

「今はwebの時代ですから、ネット上の活動も大切だと思うんです。成り行きだと思って取り組んでいただければ」

「しかし、僕が出すんですか……?」

ずいぶん出しぬけで、出す理由も抽象的だし曖昧だと思うが、まあ、ここの文庫にすでに片足スッポリはまっている状況なのだから、この際3年つづけることをめどにやってみてもいいか、と思ったしだいである。
(3年というのは、仕事でも恋愛でもだいたい3年で落ち着くところに落ち着くと思うからだ。)

正直、自分が物語について案内したり語ったりする資格があるのか自信はないが、やってみれば案外面白いかもしれない。

そんなわけで、まずはとっかかりのご挨拶代わりに「モンロヴィア行きの列車」という話をご紹介しようと思う。
心理学者の愛原由子さんという人が実際に体験した話で、健康雑誌「伯樹」に掲載されたのが大元である。
僕は「魂が震える話」「Webook of the Day」という二つのメルマガで知った。
けっこう有名な話のようだから、どこかほかで読んだ方もいるかもしれない。
こんな話である。(ちなみにここに掲載する文章は、「魂が震える話」のkeiさんのメルマガを引用させてもらっている。)

 太平洋戦争が終わって間もない頃、
 彼女は単身ニューヨークに留学しました。
 ところが、待っていたのは人種差別・・・
 栄養失調と精神的重圧が重なり、
 肺結核にかかってしまったのです。
 医者に、「すぐに手術を受けなければ、手遅れになる。
 モンロヴィアにアメリカ1のサナトリウムがあるから、そこへ行きなさい」
 と言われましたが、その旅費さえありません。
 なんとかしてモンロヴィアへの旅費を、カンパなどで集め、旅立ちます。
 巨大なアメリカ大陸を、東から西への特急列車、
 五泊車中で過ごす長旅、高熱と吐き気の病人にとって苛酷な旅。
 彼女の持参した食物も三日でなくなり、車掌さんにジュースを頼みました。
 その車掌さんは彼女をジーッと見て
 「あんたは病気だね、どこが悪い?」と尋ね、
 しばらくしてジュースを持ってきて
 「お金はいらないよ」と言い、立ち去って行きました。
 あくる日の朝食の時、またジュースとサンドイッチを持ってきて
 「お金はいらいないよ」とただ一言。
 そのあとで、「どこへ行く?」と聞かれたので、終点のロサンゼルスから
 1時間以上、バスに乗ってモンロヴィアの病院へ行くと彼女は告げました。
 あくる日の夕刻、終点のロサンゼルスに着く予定の列車でした。
 「みなさま、この列車にモンロヴィアの病院へ行く、日本人学生が
 乗っています。彼女は病気です。
 ワシントン鉄道省に電報し、会議したら、臨時停車せよということに
 なりました。あす一番に停車するのは、ロスではなくモンロヴィアです。」
 と突然、車掌さんのアナウンスが流れました。
 その夜、車掌さんはたくさんの重い荷物を手早くまとめてくれ、
 降車口に運んで下さったそうです。
 翌朝、夜明けとともにモンロヴィアに到着すると、車椅子が用意されていました。
 そして、列車の一等、二等、窓と言う窓から、
 顔、顔、顔・・・
 名刺や電話番号、住所を書いたメモ、何十ドルかの札が投げられ、
 「必ず直るよ、頑張って!困ったら、連絡しなさいよ!」
 口々にそんな言葉が贈られました。
 彼女は涙があふれて、
 視界が見えなくなり、
 いつまでもいつまでも列車を見送ったといいます。
 そして、闘病生活3年の間、見舞い客が絶えることなくきてくれたそうです。
 その見舞い客とは、列車で一緒になった人々・・・
 さらに、手術、入院費などの莫大な費用は、彼女の知らないうちに誰かの
 手によって、支払われていました。

無償の好意は人の胸を熱くする。
こういう実話もまた物語。
こうやってネットの中で拡散し、語り継がれていくのだ。

【見つけたこと】物語とは“つながり”である。  

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レディバードが言ったこと
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「なんでやねん!」
とレディバードは怒ったように大きな声でそう言い放った。20センチの背丈しかないのだから、大声といっても、部屋中に響くほどではないけど。
このメルマガの原稿をいつの間にかのぞきこんでいたらしい。

(「なんでやねん」って、いま大阪弁を使いましたね。あなたは何者なんですか。いつから大阪の人になったんですか。見た目も出身も、どう見たって外国人でしょう……)
と内心思いながらも、それはさておき
「えーっと、なあに?」と聞き返した。

「だから、なんで人のメルマガの文章をそのままパクッてるのっていう話よ。これから始めますっていうときに。腰抜けに見えるわよ」
…これだからな。ほんと口が悪いのだ。

「だからさ、物語っていうと、童話や児童文学のこととしか思わない人がいるでしょう。だけど、『それもそうだけど、それだけじゃありませんよ。物語はどこにでもあるんですよ』と、最初に言っておきたいんだ。
物語は本の中だけにあるんじゃない。生活している現場に見え隠れしてるんだってね」

「だけど、そのモンロヴィア行きの列車って、第二次世界大戦が終わってすぐの話よ。ずいぶん昔じゃないの?」
「実話だから。それを、いま語り継ぐことで、物語になる」
「ふんっ」
とレディバードは不機嫌そうに鼻を鳴らした。それから、何かを思いついたように、座りなおしてこう言った。
「物語って、語り継がれないといけないってわけ?」
「誰かひとりに語るのでもいい。とにかく、人に語られることが大前提としてあると思うんだ。物語はつながりだから。」

「じゃあ、わたしのことも人に語ってくれなくちゃ。なぜって、わたしこそ物語のヒロインだもの」
そういうと、レディバードは得意げなポーズをとり、妖艶に微笑んだ。

そんなわけだから、次回は「なぜレディバードという名前の20センチたらずの年齢不詳の得体の知れない女の子が僕のところにいるのか」についてお話ししたいと思う。

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