↑森林・林業学習館さん(https://www.shinrin-ringyou.com/tree/buna.php)より画像を拝借
たとえば大勢の人間が集まれば、
そこに社会が形成されるように、
樹木たちが固まって生育している森では、
樹木たちの社会が形成されているらしい。
樹木に社会性がある?
樹木に知恵や思考、感情といったものがあるのだろうか?
興味はさらに刺激されるのだ。
著者のペーター・ヴォールレーベンは次のように書いている。
飛び飛びだけど、そのことに関する部分を引用。
●樹木はなぜコミュニティをつくるのか?
★その理由は、人間社会と同じく、協力することで生きやすくなることにある。
木が一本しかなければ森はできない。
森がなければ風や天候の変化から自分を守ることもできない。
バランスのとれた環境もつくれない。
たくさんの木が手を組んで生態系をつくりだせば、暑さや寒さに抵抗しやすくなり、たくさんの水を蓄え、空気を適度に湿らせることができる。
木にとってとても棲みやすい環境ができ、長年成長を続けられるようになる。
だからこそ、コミュニティを死守しなければならない。
一本一本が自分のことばかり考えていたら、多くの木が大木になる前に朽ちていく。
死んでしまう木が増えれば、森の木々はまばらになり、強風が吹き込みやすくなる。
倒れる木も増える。
そうなると夏の日差しが直接差し込むので土壌も乾燥してしまう。
誰にとってもいいことはない。
森林社会にとっては、どの木も例外なく貴重な存在で、死んでもらっては困る。
だからこそ、病気で弱っている仲間に栄養を分け、その回復をサポートする。
★ブナなどの木は仲間意識が強く、栄養を分け合う。
弱った仲間を見捨てない。
仲間がいなくなると、木と木のあいだに隙間ができ、森にとって好ましい薄暗さや湿度の高さが保てなくなってしまうからだ。
つまり、局所的な気候が変わってしまう。
最適な気候が維持できてはじめて、それぞれの木は自分のことを考え、自由に成長できるようになる。
そうはいっても、完全に自由なわけではない。
少なくともブナの木は“公平さ”に重きを置いている。
★密集しているブナ林のほうが生産性が高い…
密集しているほうが木が健康に育つ。
養分や水分をよりうまく分配できるからか、どの木もしっかりと生長してくれる。
★樹木自身の幸せは、コミュニティの幸せと直接的に結びついている。
弱者がいなくなれば、強者の繁栄もありえない。
木々がまばらになると、森に日光と風が直接入り込み、湿った冷たい空気が失われる。
その状態が続くと、強い木も病弱になり、まわりの木のサポートに頼らざるをえなくなる。
そんなときにまわりの木がなければ、ざんな巨木でも害虫がついただけで死んでしまう。
★“社会の真の価値は、そのなかのもっとも弱いメンバーをいかに守るかによって決まる”という、職人たちが好んで口にする言葉は、樹木が思いついたのかもしれない。
森の木々はそのことを理解し、無条件に互いを助け合っている。
木々が輝いているように見えるいきいきとした森は、
統率のとれた優れた社会ということになるんだろう。
あの森も、この森も…。
病気になったり、障害をもつ人、お年寄り、あるいは貧困にあえぐ人たち、
そういう人たちをとりあえず「もっとも弱いメンバー」と位置づけるとして、
なぜきちんと守ることが社会に求められるのか。
人間社会に引き戻して、もう一度しっかり考えてみたい。
樹木たちはもしかしたら、ひどく賢いのかもしれない。