モーツァルトの音楽は神の音楽だとよくいわれます。
モーツァルトが作曲するとき、できあがった曲の譜面そのものが頭に浮かんだというのは有名な話です。
それは神様が人々にすばらしい音楽を提供するために、モーツァルトを選んだためである。
したがって、天才モーツァルトの作品はとりもなおさず神の音楽なのである。
という話の展開になるのでしょうか。
サラは、すぐれた本というのは、モーツァルトの音楽と同じように、神あるいは、偉大なる意思が繰り出して人間に働きかけるメッセージであり、作家はメッセージの代弁者に選ばれたということではないかと思っています。
梨本果歩さんは「『秘密の花園』ノート」のなかで
「ときに作品は、作家個人の意図と意識を超え──こういう表現が許されるなら──神がかり的に生まれるものであり、読書とは、そういう作品と読み手との協働作業(コラボレーション)であるともいえます」と述べています。
よく作家が、「天から何者かが降りてきて物語をつむがせるのだ」というのを耳にします。
「自分が書いたんじゃない。何者かが書かせたのだ」とか。
本を読むとき、ときとして読者の心を捉える強いメッセージは、人知を超えた大いなる意思が送ってくるものかもしれませんね。
とくに、子どもを読者対象とした本において、「神あるいは、偉大なる意思から送られたメッセージである」という側面は顕著であると思います。
なぜなら、子どもこそは、成長の過程でさまざまな知恵や真理、感情を学ぶ必要があるからです。
体が大きくなるとき、必ず食物から栄養を摂らなければならないのと同じで、心が成長するとき、さまざまな知恵や真理、感情に触れることが必須です。それこそは心の栄養だからです。
その栄養をてんこ盛りで大いなる意思が送り届けてくれている。
だからこそ、子ども向けの本には、多くの知恵や真理、感情がこめられている。
そんなふうに、最近考えています。
さて、大人だって、子ども向けの本に触れれば、生きていくための規範や知恵を再び学びなおすことができます。
それは古臭い道徳でも小うるさい親の小言でもなく、いつまでも輝きを失うことのない、人間にとって大切な生きる知恵、指針です。
それになにより、子どものころに何度も読み返したような本は、大人が手にとっても面白いのです。
ということで、ぜひぜひ、子どもの本を手にとってみませんか?
とくに、100年も200年も読み継がれてきた本はおすすめです。
100年も200年も生き残ってきた本というのは、物語る主張が真理の響き高らかに読み手の心に届いてきたのです。
100年後、200年後の新しい人たちが手にとっても、真理は変わらず真理で、手垢もつかずにすっきりそのまま生き残って、魂の部分に届くのです。
面白い本があれば、人は飛びつきます。
しかし、ただ面白いだけでは、じきに忘れられてしまう。
人々は本当にいいものでなければ、そのうちに飽きるのです。
ただ面白いだけの本では、次の新しい面白い本にとってかわられ、時間の海に沈んで姿を消してしまうのです。
年月を経て読み継がれてきた本を、「だって、ずいぶん昔の本じゃない」と言って、本棚の奥にしまいこんでおくのはもったいないです。
古臭いだなんてとんでもない!
どんなに時代を経ても「新しい」から、いまだに読み継がれているのです。
そう思いませんか?
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