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サラ☆の物語な毎日とハル文庫

『君たちはどう生きるか』に学ぶこと

 

こんにちは!

夏が戻ってきました。

暑いのがうれしいだなんて…(きっと今日だけですね)

 

さて今日は、『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎著)について

ちょっとだけ触れたいと思います。

というのも、ハル文庫でメルマガやミニコミの小冊子を担当している鈴木ショウさんが

文庫の庭のブックカフェで、ひどく落ち込んでいた男の子と話し込んでいまして、

その内容を、あとでショウさんに聞いたからなのですが。

 

ハル文庫によく顔を出す中学1年生の男の子です。

いつもおとなしいのですが、

その日はまた、やけに暗い顔をしてハル文庫にやってきまきした。

ざっくりいうと、友人に誘われて「スリルあるぜ」などと言われ

スーパーでお菓子を鞄に入れて外に出ようとしたら

「おい、きみたち」と呼び止められたそうです。

 

大変ですね。

しかし店長さんが優しい人で、

中学名と名前を聞かれ、こんどからしないようにとたっぷり絞られて

帰ってきたようです。

 

うなだれて、暗い顔をして文庫に入ってきた男の子。

ちょうどショウさんが居合わせたので、同じテーブルに座るように言い、

黙り込んでいる男の子から、話を引き出したのでした。

「ぼく、悪いことしちゃった。犯罪を犯したんだ」

 

そこでショウさんが伝えたのが

『君たちはどう生きるか』の中の話だったということです。

 

前置きが長くなりましたが、この本では

主人公のコペル君が友だちを裏切るような卑怯な行為をしてしまって、悔やみ、

深く苦しむ話が出てきます。

それにたいして、コペル君のおじさんが伝えた言葉が素晴らしいのです。

長いですが、引用します。

 

(人間の)苦しみの中でも、一番深く僕たちの心に突き刺さり、

僕たちの眼から一番つらい涙をしぼり出すものは、

──自分が取りかえしのつかない過ちを犯してしまったという意識だ。

 

しかし、自分が誤っていた場合にそれを男らしく認め、そのために苦しむということは、

それこそ、天地の間で、ただ人間だけが出来ることなんだよ。

 

自分の過ちを認めることはつらい。

しかし過ちをつらく感じるということの中に、人間の立派さもあるんだ。

 

正しい道義に従って行動する能力を備えたものでなければ、

自分の過ちを思って、つらい涙を流しはしないのだ。

 

人間である限り、過ちは誰にだってある。

そして良心がしびれてしまわない以上、過ちを犯したという意識は、

僕たちに苦しい思いをなめさせずにはいない。

 

正しい道に従って歩いてゆく力があるから、こんな苦しみもなめるのだ

 

僕たちは、自分で自分を決定する力をもっている。

だから誤りを犯すこともある。

しかし──

僕たちは、自分で自分を決定する力をもっている。

だから、誤りから立ち直ることも出来るのだ。

 

子どもから大人に成長する段階では

誰もが、このような苦しみを経験すると思います。

大なり小なり、過ちを犯さない人間など、たぶんいないと思うからです。

そんなときに、心ある大人がそばにいて、こういう言葉をかけてくれたら

どんなに救われることでしょう!

 

宮崎駿さんが『君たちはどう生きるか』というタイトルで

アニメ映画を制作中とのことですが、

子どもたちがそこから教えを学び、心が救われる映画となるといいですね。

影響力のある方だけに。

 

今日も、素敵な1日をお過ごしください!

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