再び桜庭一樹の番が回ってきて、朝日新聞連載コラム「古典百名山」で4月23日に紹介された第二冊目は『フランケンシュタイン』。
19世紀に詩人シェリーの妻、メアリー・シェリーによって書かれたゴシック小説だ。
桜庭一樹さんも書いているように、 スイスのレマン湖畔の別荘、ディオダディ荘を借りて住んでいた詩人バイロン卿のもとに、詩人シェリーと恋人のメアリーが身を寄せたのが事の起こり。
前の年の1815年にインドネシアのタンボラ火山が大噴火した影響で、翌年にあたるその年の夏は、北半球はすっかり寒冷化していたそうだ。
長雨が続き、外出もままならず、すっかり退屈したバイロン卿は、「みんなで、それぞれ一編ずつゴシック小説でも書こうじゃないか」(We will each write a ghost story.)と言い出した。
それをきっかけに、バイロン卿の主治医ポリドリが書き上げたのが『吸血鬼』であり、メアリー・シェリーが書いたのが『フランケンシュタイン』だったということだ。
古典百名山は日曜の朝日新聞読書欄で連載が始まったばかりのコラム。
桜庭一樹が2冊目に何を紹介してくれるのか、興味津々だったのだけど、『フランケンシュタイン』とは意外なところを突かれた。
ちょうどこの日の夜、日テレで『フランケンシュタインの恋』というドラマがスタートした。
綾野剛がフランケンシュタイン役で登場する変わったドラマだが、これに二階堂ふみが主演している。
二階堂ふみと言えば、桜庭一樹原作の映画『私の男』で主役を演じた、いま注目の若手女優。
原作者と主演女優なのだから、もちろん何回かは顔を合わせたこともあるだろう。
そんなつながりもあり、今回『フランケンシュタイン』なのかな、と類推してみたり。
『フランケンシュタイン』は読んだことはないけれど、映画にもなっているし、そのストーリーはあまりにも有名。
なるほど、そう来たか、とひとり頷いた日曜の朝だった。
【以下、朝日新聞デジタルより引用】
(古典百名山:3)メアリー・シェリー「フランケンシュタイン」 桜庭一樹が読む
■みんなで読みたい怪物譚
数ある古典の中で、最も「読書会向けの一冊」がこれ! これなんです! 一人で読むより皆で集まって話したほうが、十倍、いや二十倍も面白いの。
時は一八一六年。著者メアリーは花も恥じらう一九歳。英国の思想家ゴドウィンの娘で、目下、ロマン派の詩人シェリーと駈(か)け落ち中。彼ともに詩人バイロン卿の別荘を訪ねた夜、「一人一篇(ぺん)、幽霊譚(たん)を書こうよ」というお遊びに参加した。これがきっかけで本書と、バイロン卿の主治医ポリドリによる『吸血鬼』が生まれたのだ。
えー、いいなぁ。なんてドラマチックな一夜だろうか……。
本書の主人公はフランケンシュタイン青年だ。幼い頃から科学への興味が強く、長じて「死体を集めて電流を通して復活させる」禁断の研究に没頭。ついに怪物を造ってしまう――!?
どうしても映画版の怪物のイメージが強烈だけれど、原作小説のほうだって根強い人気がある。その理由はおそらく、シンプルな物語の中に多くの解釈の可能性を隠しているからだ。
たとえば、人造人間の誕生は「産業技術の急速な発展を現している」とか、「いや、出産恐怖と産後のメランコリックの暗喩だろう」とか。自分を造った青年から嫌悪され、虐げられる怪物の存在は「当時の労働者階級の苦悩そのものだ」とか、「いやいや、父から勘当された作者自身の姿の投影だろう」とか。
もう無限の迷宮である。
で……? わたしがどう読んだかというと……?
フランケンシュタイン青年は母を病で亡くした。それが人生で初めての挫折だった。男の子にとって母を失うのは「創造主を失う」ことと等しいのだろうか? 悲嘆しつつ、創造主=母にならんとして怪物を産み落としたマザー・コンプレックスの神話……だと、思った。
さてあなたの感想はどうだろう? 聞いてみたいなぁ。この手の本は誰かと一緒に読んだほうが面白いんだもの。
(小説家)