サラ☆の物語な毎日とハル文庫

『森は生きている』の翻訳者・湯浅芳子さん覚え

★湯浅芳子(1896-1990) 93歳まで生きる。
 チェーホフの訳者として知られるロシア文学者
 大学でロシア文学を研究したということではなく、スタートはロシア語を勉強している雑誌編集者ということらしい。

 湯浅芳子さんの最晩年、沢部仁美さんというライターが老人ホームにいる湯浅さんを4年間にわたり密着取材。その取材をもとに『百合子、ダスヴィダーニャ』という本を書いている。湯浅芳子と宮本百合子の関係を中心にまとめたもの。

 ちなみに『百合子、ダスヴィダーニャ』は、ピンク映画出身の女流映画監督、浜野佐知という人が映画化していて、ちょうど今、横浜あたりで上映されているところ。3月には神戸だそうだ。
「これは友愛(フレンドシップ)か、恋愛(リーベ)か?」というキャッチコピー。
文芸作品ではあっても、エロチックなシーンもあるだろうと想像する。

『孤高の人』で湯浅芳子について書いた瀬戸内寂聴さんによると、湯浅芳子は、刀で人を切るように、初対面でも言葉でバッサリ相手を切るような人であったらしい。
『森は生きている』の訳文からはずいぶんと遠いイメージである。

「繊細なやさしさと、痛烈辛辣な、人の肺腑を刺す舌鋒」=湯浅芳子

★以下、『孤高の人』より抜粋。

「百合子は芳子とめろぐりあったことで、決断しかねていた荒木との離婚にも踏み切れたし、生涯の代表作になる『伸子』を産むことも出来た。
芳子も百合子の愛を得て、ふたりの共同生活の中で、チェーホフの『妻への手紙』の翻訳を完成した。その点では、ふたりの同棲生活は互いの可能性を引き出し、開花させるいい土壌となっている。あえて言えば、百合子はあの時点で芳子にめぐり逢わなければ、『伸子』を書けていなかったかもしれないし、芳子もまた、百合子の情熱に押し切られて二人の愛の共同生活を始めなければ、いつまでも一介のロシア文学愛好者としてジレッタントのままで終わっていたかもしれない」

芳子と百合子は1927年(昭和2)12月15日から1930年(昭和5)11まで満3年にわたりソヴェトロシアに留学している。

「生涯をかけた湯浅さんの仕事は、一筋にロシア文学の翻訳であった」

「ロシア文学の翻訳家として十九世紀から二十世紀にかけてロシア文学の紹介に先駆的な功績があったということは誰も否めないだろう。
シチェドリン、ツルゲーネフ、チェーホフ、ゴーリキー等の諸作が訳されている。
またチェーホフの『三人姉妹』『桜の園』『かもめ』、マルシャークの『森は生きている』等は、今でも湯浅さんの訳で上演されている」 
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