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まるの日<へミシンクとミディアムな暮らし> ※ブログ引っ越し中

・まるの日圭のブログ
https://marunohi.hatenablog.com/
に引っ越し。

落書きしたりの

2012-11-26 21:08:19 | 『日常』


今日は朝から雨が急に降るわ、風が強く吹くわで。なかなかに葉っぱの飛び方が豪快な一日でして。
庭の木々の葉も、どこかに飛ばされてしまって、近所迷惑なことになっていそうな気もします。まあ、こういう時田舎だと多めに見てもらえるのでまだいいんですけどね。

それにしても、また寒くなってきたものです。
只今家のほうでは薪ストーブ全開中です。

さて、今日は家でいろいろと仕事してまして。イラスト書きなどもひたすらやっておりましたが。この間ガイドワークでは主にヒーリング関係をやったせいか、おかげさまで調子がかなり良くなっておりまして。意識の上でも楽になってきている気がしますね。
こういう時はちょっと落書きとかして自分の調子を確かめる時がありまして。

先日、子供の頼みで「けいおん」のフィギュアをクレーンゲームでゲットした話を書いてましたが。「そういえば「けいおん」見たことないが。このキャラはだれやら?」と思いまして只今ちょっと見ておりますが。子供は第2期まで全部兄の家で見ているらしいので。

で、子供の好きなキャラは「あずにゃん」らしいという話を聞いていたのですが、どうやら得たフィギュアには居ない様子で。
まあ、こんなキャラクターってことで落書きとイラスト練習ついでにちょっとざらっと書いて見ましたが。



PCで書くのはまだ慣れてないので、たまにはこうやって落書きついでも必要にはなりますかね。
いろいろと頼まれものもあるので、しばらくイラストもさらに練習していこうかと。
この人は初音ミクではありません。

まあ、本業ではありませんが趣味でいろいろやってますよってことで。
そういえば、こないだ久々に「アトランティスの記憶」の話になってしまいまして。
私がしばらく別ブログで書いていた物語のことですね。

ケーシー・リング 「アトランティスの記憶」
http://kesiring.jugem.jp/?month=201103


こちらから読むと最初の方から読めますが。これ、一回印刷してみたらA4用紙で500枚くらいになったので。
まあ、良く書いたもんだと思います。

3次元で生きているのが人間として。
人間が生きている3次元の理屈を使って世界の概念を把握しようとするのが科学的なもので。
その理屈を超えた世界を把握しようとするのがオカルトだとすると、4次元以降の話は今のところオカルト的な概念で把握していくしかないのかな、と思うところはあります。
科学的な手法と科学的な見方でそれを把握しようとしても、3次元の概念では説明できないので。どうしても「存在し得ない」世界という概念が今のところ強いですが。
その見えない世界を把握しようと過去からたくさんの人々がそれぞれに作り上げてきた概念が存在していて。
それが地域ごとに、民族ごとに違っていて。
世界中に人の集団があれば、その集団ごとに概念が存在して。
という感じになっているので、スピリチュアルな世界の話になると共通性が見出しにくいところもあると思いますが。でも、何かを見て、それを理解するために「3次元の概念」を当てはめてなんとかしようとしているので。
どこかしこに共通の何かは見えてくるような気がします。
私的には、過去世とかガイドとか別次元の話とか。そのあたりは4次元以上の存在を把握するために使う、一つの「概念」でしか過ぎないので。特定の宗教、特定の思考を持つ人たちのあいだには使えないし。
でも、その概念を持っている集団には使えるし。
という感じでもあるのかなと。

ヘミシンクにおいても概念が伝わってくる中で、かなりの変容を遂げている気はしまして。
モンローさんの作ったゲートウェイには特になんの概念も語られてないのですよね。
別にレトリーバルとか。囚われた意識を開放せねば、とか。
ゴーイングホームを聞いてみてもそうなんですが。ナレーションで囚われた意識、フォーカス22から26に捕まるといけません。
みたいなことは語って居りませんしね。
別に、特定の意識領域に捕まってもいいんじゃないの?
的な雰囲気も私は感じておりまして。
そもそも、レトリーバルという概念も特定の人が語りだしたのを、そのあとに続く人がその概念を利用して自分の体験を語り始めているから、そういう世界観が生まれてきていて。
実はヘミシンクCDの本質とは関係ないんじゃなろうか?

というのはかなり前から私は思っておりまして。
意識がとらわれるとダメ、とかそれがあると卒業できない(これも概念ですね)とかそういうのも結局は誰かの語った内容を受け取った人が、語る際に使って行った概念に過ぎず。
という感じで思ってます。
目標を設定して、それに向かってワークを進めて行く。というのはある意味今の3次元的思考では一番しっくりきますので。大抵のスピリチュアルなワーク、オカルト的なワークは回数とか順番とかありますが。
それは一つの概念を、新し概念を理解して受け入れるためには手順を追わないと難しいから。
というのもあると思います。
モンロー研ではそれを、新しい概念を理解してもらうためにああいうプログラムを組んでいるのだと思いますし。なので、新しい概念を受け入れられることができるならば、特にその先は必要ない人もいるでしょうし、ほかのワークで概念を身につける必要のある人もいると思いますし。

まあ、一般的に「ヘミシンク的」な内容は、全て誰かの「概念」をもとにして語られいている、と思っていただけるとゲートウェイの体験を見つける際にも広い目線をモテるんじゃないかな、なんて思います。
私の本も、先人たちの「概念」を使って自分の体験を語ってますので。そのあたりは理解の上お読み下さいね。
全ては見えない世界、4次元以降の世界を3次元ではない認識手法で理解しようと、自分の中に受け入れて行こうとする際に使う「概念」がいろいろなスピ的な手法なんだろうと思います。
瞑想もそうですよね。こっちはそういう「概念」を切り捨てていくことで自分の持っている「自分の領域」に気づくことが出来て行く感じでしょうか。
過去世とかガイドとかオカルト的手法では、概念を見ることで、実際に自分で体験することで「自分の領域」に気づくようになっていく。
双方同じ目的を違うやり方でやっていて。

今のスピリチュアルは西洋から入ってきた「概念」が生きていて。階級社会的な概念とか、選民思想的な概念とか。西洋の社会構造を表したような概念が多数見えてきて、その概念で理解を進めていこうとすると、日本にある古来からの概念とそぐわない部分も多数出てきているような気もします。

まあ、それはそれとして。
生まれ変わりがあるとかないとか、そういうのはもはや概念にすぎず。認識できたから、共通のことを言う人が多いから、それが真実とは限らない。
だからといって、生まれ変わりを否定することもできない。
実際に調査をしている人のたくさんの情報が存在してますからね。

とはいえ、状況証拠だけで「それが存在する」というのを言い切れないのは裁判でも言えることですが。
人の意識、というのは、感情というのはその場の流れ次第ですぐに変えて行けるものでもあったりしますので。

私がガイドワークの時に、たまに使う手なのですが。
中央に座布団を置いて周りの人に「そこに女の子が座っています」と言うと、和室の時だと圧倒的におかっぱ頭の着物の女の子が多く現れてきます。
これは日本人の概念「和室、座布団、女の子」という部分が刺激されて、自分にとって一番違和感のない存在を投影していった結果がそうなるのだと思いますし。

そんな感じで、人の意識というのは他社の意識との兼ね合いのなかで、自分に一番しっくりくる概念を受け入れつつ拡大していくもの、
なのかな、と思いまして。

そのなかで、3次元におこる出来事を受け入れる際に、3次元の事象はあまりにも過酷で、直視する際に自分の心が強いダメージを受けてしまう。
そんな可能性があるときに、人は2次元、あるいは4次元以上の方向へ意識を向けて、自分の自我を守ためにその世界の概念を通して3次元の事象を見ようと試みる。
もしくはそうやることで精神的な安定を得ることが可能となる。

そんな感じもあるかな、と思うときもあります。
なので、オタク、と言われる2次元LOVEな方々は。自分よりも次元の低い世界で自分の思い通りになりうる世界で表現をすることで。
そこで自分の3次元で対面している葛藤、事象を理解し、自分なりに受け入れていく。
もしくはスピリチュアルと言われる世界観。まあ、この場合は4次元以上の話になりますが。
そこに自分の3次元での出来事を投影することで。それを経由することで今の自分の葛藤、問題点を目に見える形にして受けれいていく。
そんなこともやってしまうのではないかな、と思っております。

なので、意識を広げていくと、2次元、4次元に存在している概念を自分のなかで統合して、使えるものは使っていけるので。
それを使って受け入れた結果を3次元に再び投射していければ。
私は2次元LOVEだろうがスピリチュアルな世界にはまっている人だろうが。
その手法を使っていけばいいんじゃないの、って感じでは思いますね。

私は大人になるまでは兄の影響で2次元の世界にある概念を理解できて。
そして大人になって、3次元どっぷりの生活をして。
ヘミシンクやり始めて、4次元以降の世界の概念を受け入れていって。

なので、私はそういう世界観の存在が必要な人達がいて、そういう概念を使って行うことが大切な場合もあることを理解してますので。
今は4次元的なワークとかでその概念を使ってのことをやってますけど。グリッドとかガイドとか、ですね。

2次元の方の流れも、また重要と思ってますので。そっちでの流れもなんかお手伝い出来ていければいいがなぁ、なんて思ってもおりますか。

人が持つ概念の幅は広いに越したことはありませんので。
使える概念を、選り好みしないで見つけ出していく事がは大切だと思います。

「偉い人が言うから」「第一人者が言うから」ではない、自分なりの概念探し。それをやるには多くの概念を理解して受け入れることも必要になると思いますので。
私のであってきた「なんらかの第一人者」的な人はそういう人の概念を理解した上で、いろいろと語っている方が多いような気がしますね。

ちょっと概念の話をしてみましたが、これも私の「概念」なんで。
別に信じてもらいたいわけではありませんが、こういう考え方もあるという事を書いてみたということです。




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まるの日さん、こんにちは。 (りんパパ)
2012-11-27 06:12:28
 お兄さんは、いろいろなアニメを持っているのですね。
 けいおん、というアニメは私も題名は知っていますが、見たことはありません。
 お兄さんは、すごいです。

 私もよく書くのですが、フォーカス世界は何でもありの世界です。
 良いも悪いも、C1世界での判断です。

 各フォーカス世界のイメージも、やはり、国民性が出てきますね。
 外国の方は、その国民性の世界を見ているのですかね。

 そう、それこそ何でもありの世界ですね。
返信する
 従来から、仏教では「真の人間」を観るということを修行の大目標においていたので、 (さき)
2012-11-27 09:29:28
諸種の坐観法も要はこの「真の人間」(生命本来の面目)を自覚せしむるにあるのであります。「ヘミシンク然り。」
{般若心経}にある観自在菩薩のせられた般若波羅蜜の修行は、
実に徹底した「神想観」の修行でありますな。
観自在菩薩はこの観法においてこの
「真の人間」
ほんらいの面目が、
不生、不滅、不垢、不浄、不増、不減の
光明生命であって、
これのみが
唯一の実在である。
さあサタン(虚説きょせつ)パパこの事実はC1だろうがZ1だろうがP1だろうが…どこであれ変らない。
虚説とは「存在しない」ことである。
お前たちは「無い物」を追い求めているのである。
「悪」とは何であろうかそれは
存在の本来相(すがた)を「包み隠し」現わさないことであるのである。
「罪つみ」とは「“つつみ”かくし」を語源とするのである。
「罪」と「迷い」とはひっきょう同じものでありまして、
 その本来の善(よ)さを
<無ま知よ無い明>(むちむみょう)のために
ツツミ隠している。
これが「罪」であり「迷い」であり、

~ 真理の無自覚 ~、

すなわち「本当の知恵」の欠乏(けつぼう)から来るのであります。
総全(あらゆる)世の中で、知恵が欠乏し(姑息な知識のことではない)ているほどの大きな罪(包みかくす意)はないのでありまして、
 あらゆる罪悪は、この「本当の知恵」の欠乏から来るのであります。
 その暗<くらやみ>黒(あんこく)←(ホントのものの)非在(の状態)。
の中でいろいろと ありもせぬ 怪物が心の迷いではびこる-----
-------この怪物の中に、病気とか
(幽霊が肉体もないのにサ夕ンの云う“良いも悪いもない「苦しみ←ワラ苦しいんだろ?」に悶える。しかし他人のことは笑えんゾお前も無い肉体と格闘しているだろ”)まあいい、
不幸とか、不和とか、家庭苦とか、生活難などといういろいろの
一つ目小僧や、三つ目、大入道がいる。
「本当の知恵」のないところから、
あらゆる不如意(思い通りにならぬ。つまり「不自由」)不完全は出発するのだ。
(いや有るんだ“大好き”なんだ、オレの「自由」だ。と云うなら好きにしろ。)
 だから仏教でも「阿のく多羅三みゃく三菩堤心」(あのくたらさんみゃくさんぼだいしん)(要するに仏の最上の知恵です。)
すなわち「サトリ」ということを第一においている。
キリストも「真理はなんじを自由ならしめん」といって、
「真理を知る」ということ
すなわち、サトルということをその教えの第一においている。
ロッピー教も同じなんだがなぁ。
「自分で観に行きなさい」とね。
「妄想しろ」とは云っとらんよ。
それからまたキリスト教の信者となるには「洗礼」ということをする。
「洗礼」というのは水をそそぐことで、日本古神道でいう{身{示契}(みそぎ)に当たり、
 つまり自分が神の子、仏の子、さらに進んで自身が神であり仏そのものであることを確認思い出す。
象徴(しょうちょう)として行なうのであり水をかぶることが目的や大事なのではないが、
「罪」すなわち本当の自己の生命を包んでいる「迷い」を洗い浄めるという
精神を形にあらわして水をかけたり水の中に浸ったりするのであります。
 さてここまで来ても尚「何でもアリだろ」「オレたちの自由だ」「ヒャホーイ」
ていうかね。
「敵を愛せよ」と仰せられたイエスが、
なぜ「サタンよ、退(しりぞ)け」といわれて、「サタンを愛せよ」といわなかったのでしょうか。
「敵」というものも、その実相は完全な人間でありますから、「敵を愛せよ」とは、
その実相(ホントのすがた)なる完全(A wholeness)な人間を見て愛せよ
という意味において、正しい真理であります。
しかしサタンというものはどうであろうか。
それは妄想(もうぞう)が客観化したものであります。
妄想というものは「本来無いもの」を
あるかのごとく描いたのが妄想でありますから、
その客観化であるサタンというものも、結局は存在するかのごとく見えても
本来非実在であります。「無い!」
 それで敵ならその敵の実相を見れば、
敵の内性に神の子なる実相を見て愛することができますけれども、
異端、妄説、妄念、妄想は
「本来無い説」----虚説----でありますから、
その実相を見れば、「あぁ、本来無いな。」ということがわかるだけ
でありますから、
「本来無いもの」(虚説)に和解することは絶対にできない、つかありえない。のであります。
光は暗と和解することはできない。
光が近
返信する
光が近づけば暗は消えるほかはない。 (さき)
2012-11-27 10:46:18
それと同じく真説は虚説に近づけば虚説を消す働きになる。
真理が妄想の客観化なるサタンに和解せんとして近づけば、
かえってサタンを消す働きに“ならざるをえない”(いや残念だねぇ)、
すなわち言葉でこれをいえば、
「サタンよ、去れ」の一喝(かつ)とならざるをえないのであります。
虚説を許さないことをもって、
「和解」と「寛容(かんよう)」の徳がないように思うのはまちがいであります。
 また虚説を容れることをもって
「俺は何でも受け入れらる高徳者だゼ」
と寛容と和解の徳があるように思うのもまちがいであります。(ソラ思い上がりだアホ)
 このごろ流行の仏教雑誌やスピ本をまだ本当に思想が固まらないあなたのような方がお読みになるのは善いことではありません。(ま、好きにすりゃいいが)
内容の中には推奨すべきよいことが書いてあるのもありますが、
中には本当の仏教をキリスト教をホニャララ教を知らないで(つまり真理やな)
「人生空無」、「無価値」などを説いたのもないとも限りません。
人生の空観、空観だけでは、
人生は夢幻-------儚い極みのものであると、(←ハズカシげもなく独白(セリフ)吐く)
厭世的(えせいてき)になり遁世的(とんせいてき)になりますが、
空観の奥に「実相観(ホントのすがた)」が確立して、はじめてその空観が生きてくるのです。
「人間は夢幻的の存在であり、空であり無である。つまり覚者釈迦も…。」というようなあなたの考え方は間違っています。
 肉体の方からいえば、自分の念波を投影している一個の超光速フラッシュしている夢幻にすぎませぬが、
実相より観るときは金剛不壊不滅の永劫(えいごう)の存在なのです。
この金剛不壊不滅の自分の実相をさとり、
その悟りをそのままに現実世界に(どのフォーカスだろうがグリッドだろうがチューニングスだろうと)
活きることが、真実の生き方であります。
この生活においては人間は厭世的にも遁世的にもなることなく、
自由自在、実相常楽の歓びの生活をこの世に(以下同上)
実現することになるのであります。
今一度、人間は病むことも死すこともない。そのほかのものは皆「<無まよい明>(むみょう)」である。
病気や死などというものはことごとく「無明まよい」であって、存在しない。
そしてまたその「無明まよい」というものは、
実はほんらい無いものを、
有ると思っているからこそ迷(まよ)いであって「無明まよい」というものは無いのだ。
それはただ単に「明るさが無い」というだけの消極的状態で、(ああ、暗く居ちゃイケナイのか「自由だろ」←また出た履き達い早合点とか「闇を経験したかったのだ」とかもう好きにしろや(呆れ笑))
闇がアルというような積極的な「実在」ではない。
 もし「無明まよい」が積極的の力として有るのであれば「無明」を無くするのに骨もおれようが、
「無明まよい」は ほんらい 無いのだから、
「真の人間」を自覚しさえすれば、
“ひとりでに”「無明まよい」は消える(点灯やね)と観ぜられるのでありますよ。

 この徹底的な大々的楽天主義が釈迦の説教の骨髄を貫いているのでありまして、
仏教をもって厭世教だ
というのは解釈をまちがえた一知半解の人のいうことでありもす。オツカれ
返信する
あずにゃん (ゼネテス)
2012-11-27 11:35:48
かわいいですよね
しっかりものですし!

大晦日の紅白で
今年映画もあったから
放課後ティータイムが出てこないかな
と期待してたのですが
出てきませんでしたね
(T_T)

今年の大河ドラマで声の出演になりかけた
初音ミクさんも応援枠でいいから
出演してくれると嬉しいですけどね

現在宇宙の中で判明している物質は4%
といいますが
これに次元を加えると
まだまだわからないことだらけで
その分、可能性は無限ですね
o(^-^)o

2次元といえば
ひだまりスケッチも
おすすめします!
返信する
Unknown (ヒロにゃん)
2012-11-27 16:43:19
(スイマセン!なんか書きかけのヤツが「プレビュー」って書いてある所に載っちゃったんですが・・・;;ホントごめんなさい!!><下のヤツが本文です;)

m(._.)m(._.)m(._.)*本文*(._.)m(._.)m(._.)m

初めてコメントさせていただきます!
母がヘミシンクに前から興味があって、その影響でw
まだ中2のガキなんですけどね・・・^^;

あずにゃん可愛いですよね!!けいおん好きですよ^^あと初音ミクも(笑)VOCALOID最高デス!!ww

1年ぐらい前からまるさんの本とか読ましてもらってました^^ムンクさんのとかもw

今はCD聞いて頑張ってます(笑)
あたしもまるさんの本を参考にさせてもらってますっ!
頑張ってレトリーバルとかできるようになれたらいいなぁ・・・^^

あ、それと、アニメでオススメなのは、「日常」とか「魔法少女まどか☆マギカ」とか「バカとテストと召喚獣」とかですよ♪日常とバカテスはギャグ系ですが・・・w

よかったら見てみてくださいね^^

お忙しい中申し訳ないです;;それではヽ(^o^)ノシ
返信する
圭さん初めまして。 (enki)
2012-11-28 11:27:27
さきさんの熱いメッセージに釣られて思わず投稿してしまいました。
圭さんの文章~
私的には、過去世とかガイドとか別次元の話とか。そのあたりは4次元以上の存在を把握するために使う、一つの「概念」でしか過ぎないので>
圭さんはヘミシンクの講師さんでもありますから、皆さんにヘミシンクの概要などを説明するのにそういった概念で説明されるのが現実的だということは確かだと思いますが、さきさんのお話にも有ります様に、実相を汲み取ることも大切だと思います。例えば過去世は、この世に生まれる前に自分が体験し積み重ねた膨大な経験ですし、ガイドさんは庇護すべき人を本当に親身に気遣って、又、愛してくれる存在でもあります。別次元に存在する自分もそれぞれが実際に存在する自分のルーツの表出する一部です。過去世などに対して
、ただ単に情報をインプットしただけの方もいれば、実際に自分の一部として自分の存在から産み落とした(光存在として考えると自分の分身ですが、ただC1世界のありふれた光とだけ認識してしまうと、光をコピーした単なるマトリクスの一つという意識が過剰になります。)分身でもある訳でして、ガイドさんにしても単なる自分の一部という見方はこのC1世界の自分中心に見た一相でしかなく、実際には別の次元に存在する自分を媒介する多相構造を成していると思えます。その辺り、グリッドの概念と同じですが、ここはC1世界に突出した自分だけを中心に判断すべきで有りきか。実在とは実は空なる存在などという誤りは正して観ると、創造の根源というものはただ最初にあった光程度(C1世界の波動の低い明り程度)に捉え勝ちですが、実際には最大波動の、原初の存在意義から始まる膨大な意志を持った濃密な愛のエネルギーの固まりで、我々はそこから分かたれた愛の存在エネルギーだと思われますし、それを踏まえると、ただ光の明滅だ、0と1のの羅列だと捉え過ぎる見方は、C1世界の低次元の(低波動の)凝態に落とし込んだ表現でしか無くなってしまうと思います。ガイドもガイド自身の指向性を持った独自の愛の固まりです。そこから彼等なりの光を差し込んできます。まだC1世界の私達が気付かない内にも。ですからもっと濃密(複雑)なんです。
最近の圭さんの文章は圭さんのグリッドと言う様な素晴らしいアイデアを隠してしまう様な、時にC1世界からの表層表現だけの概念と、グリッドの様な実像探求型で真理追求型で多相表現(思考)の主張が混じり合っているので、注意しないと、皆さんが大切な部分を見逃してしまうようで心配でなりません。圭さん、もっとクリアに行きましょう。~と思いました。
返信する
皆様コメントありがとうございます。 (marunohi)
2012-11-28 20:11:32
まどか☆マギカ、これは松村さんもお話の中で語ってましたので。ぜひチェックせねばと思っております。
今度見てみますね。たぶん兄の家にDVDあると思うので。

さて、概念のお話ですが、私的にはここに語っていること、そしてコメントで言われていること、全て「概念」の異なる意見であって。
それが共存しているこの世界が、なんとも素晴らしいと思うのですがどうでしょう?

愛というものが大元にあって。そこから分かれてきたというのであれば。
人には愛というものが存在しないのか?というとそうではないですよね。
であれば、すべての人は愛の源と常につながっていて。
それをどういう形で受け入れていくか。というのが今存在しているいろいろな概念だと思っています。
そもそも、愛とはなんでしょうね?
私はそこからスタートして、探索していって、
様々な概念を包括して存在していることを許していて、受け入れている。そういう素晴らしい世界を認識することができました。
なので、私にとってはすべての世界は愛であり。それを受け入れる受け入れ方が人それぞれに違うのであり。
だからこそ、デジタル的な概念。グリッド的な概念。ガイド、高次の存在的な概念。全てを私は語っている感じです。
どれが正解でもないし。どれが間違いでもないし。
そのどれを自分が受け入れているか、でいいと思うのですけどね。

闇の中から光を見た時と、光の中から闇を見た時と。

同じ光を見ても、すでにここで立ち位置が違うのですから。
見え方が異なって当然ですよね。
この両方の視点があるから世界が美しいのだと、私は思ってますよ。

両方のいい部分を見つけていければいいんじゃないかと。
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