MARI’S ROOM

左利きの まり が考えたこと

カップ焼きそばの湯切り口

2005-03-26 17:35:49 | 左利き
容器が正方形では、どうしても不都合があるのでしょうか?
右利きの人は、右手メインでお湯を切るのにより適した長方形でないと、お湯が切れないほど不器用なのでしょうか??そんなことはないと思いますが。
左手メインでお湯を切り、いつもはみ出たお湯でやけどをしています。
正方形に作ってあれば、普通の注意深さで扱っている限り、誰もケガしないように思うのですが。

それとも、左利きなのが悪い…のでしょうか?
「ちゃんと」右で切ればいい、…のでしょうか?

字は右手で書くべきか

2005-03-26 17:35:18 | 左利き
左利きが右手で書くのは、右利きがわざわざ左手で書くのと同じストレスがかかります、多分。
自分自身が右利きではないので想像でしか語れず、だから「多分」と言っておきます。
「人目を気にする」という、私にとってはアホらしく思える理由で、わざわざ右手で書く必要はないと思います。
「女の子だから」左手で書くのは恥ずかしい…意味不明です。
筆記用具を、右手でものすごい持ち方(F●CK YOUのように中指が飛び出てる人とか…)をして持ち、判読困難な字を書くのと、左手でキュッと持ち、読みやすい文字を書くのと、どちらが「正しい書き方」、どちらが「恥ずかしい」でしょうか。
不自由な右手で書くより上手な字が書けるのなら、左手で書くべきだと思っています。

  文字は人に読んでもらってナンボです。

どちらの手で書こうと、いや口で書こうと足で書こうと、「結果的に読みやすい字が書きあがる」ということを第一に考えるべきです。
なので、もしも、左利きだけど右手で書く方が上手に書けるということなら、その場合は右手で書くべきだと思います。

…そういうことが、もしあるのならば。

左利きを何と呼ぶか・2

2005-03-26 17:34:11 | 左利き
「左利き」はかまいません。ただ、左利きのことを「左」と言われると、私は感覚的に腹が立ちます。
あくまで私個人の、なんとなく感じる感覚です。
私の耳には、共産主義のことを「赤」と一言吐き捨てて言い表す感じに似ているような、差別的な隠語のような響きを嗅ぎ取ってしまうような感じです。
また、私は全人格が「左」なわけではなく、単に手や目etc.が「左利き」であるだけ、という反発もあると思います。

実際に腹が立つ会話はこういうものです。
右利き用品(…とまで言うのは大人げないかもしれません、いわゆる普通の品のことです)がとっさに使えず、「あれっ?」と、そばにいた相手の顔をふと見た私に「あ、あなたは左だからね」と相槌を打たれる…。
相手は単に「左ぎっちょ」とかの、いかにも嫌がりそうな言葉を避けて言おうとしてくれているのだと思います。悪意で言っているのでないことはわかります、頭では。
この嫌さは、あくまで感覚的なもので、私にはうまく説明できません。

ここで思うのは、要するに、自分を左利きという点だけで認識されると、そして左利きであるということを「変わったこと」だとして過剰に意識されると、不愉快になるということのようです。
私の特徴の中の一部に過ぎない「左利きである」という所だけを見て評価するのは、私の全人格の中の、他のほとんどの部分を無視することになると思っています。

左利きを何と呼ぶか・1

2005-03-26 17:32:35 | 左利き
たとえ右利きの人に「左ギッチョ」と言われても、その人が自分のことを「右ギッチョ」だと思っているのならば、不愉快に思いません。思わないだろう、ではなく実際、思いませんでした。
それは対等な対語だからだと思います。

しかしもしもその人の考えの基本が『右利きが正しく、それができない左利きを「ギッチョ」という』ということであったら。そして『ギッチョがうるさいから、右利きの自分をあえて「右ギッチョ」と言ってみせた』…ということだとしたら、やはり不愉快だと思います。

親戚の子が幼稚園に通っていたとき、一人前のような口を利くその子に、
「○○ちゃん、ヨウチエンで赤いご本作ったんだ~、おばちゃんは茶色だよ~」
などと、ちょっと対等なフリをすると、子供のこと、単純に喜んでいました。
ちなみに、この子が作ったのは工作の時間に先生にパンチしてリボンで止めてもらったお絵かきの束(表紙が赤い色画用紙)、私が作ったのは取引先に配布する月刊広報誌(黒インクと茶色インクの2色印刷)です。
このとき、言葉ではあくまでも園児と同列に立っているけれど、まさか対等に見ているわけではありません。
このときような、内心見下ろす感覚に似ているかもしれません。

左手を使う子供に、右手使用を勧めてみるべきか

2005-03-26 17:30:00 | 左利き
私は「矯正」と言って正当化されている行為のうち、左利き度の高い子に対する右使いの無理な強制には、反対しています。
短く言えば「強制反対」になるせいか、私自身が強く左利きなせいか、単に話しぶりが悪いのか、上に書いた意見を述べると、右使いに誘導すること一切に対して絶対反対派かのような極端な反応をされることがありますが…

子供が主に左手を使っていると気付いた時…
もしかしたらその子供が両利きで本当にどっちでもよかったり、または極端な話、もしかしてもしかしたら多少右利きよりの両利きなのに、左利きの親の真似 or 顔色を見て左手を使っているだけかもしれません。

「顔色を見る」と書きましたが、なにも、左利きな親は精神的肉体的「左利き養成ギブス」で子供に圧力を加えるものだ…左利きな親は子供を無理やりにでも左利きに仕立て上げたがる…なんてことは決して言っていません。子供というものは、よほどの親であってもとにかく「親に好かれたい」ものだということ。子供にとって親は大きな存在だということを忘れる事はできないということです。
左利きである私が想像するに、わが子が左手を使っているのを見た時に、左利き仲間になりそうだということを嫌悪することはあるまい、多分とりあえず嬉しいのではないかと思うのです。このちょっとした嬉しさに、子供が反応することがあるのではないかと想像しています。

利き手の傾向を100%左から100%右までのグラフ上に表すと思って下さい。
多分、100%右利きという人は実在しないのではないかと思いますし、生身の1人の人をたった1点で表すということも、実際は難しいと思います。ただ、話をわかりやすくするために、その人の利き手を、左と右の間の直線上にある1つの点で表すと思って下さい。

ちょうど中央(の辺り)な子だったら、本当にどちらでも同じなのなら、多数派の右手使い組に入っておけば右利き社会で生きるのに楽なので、あえて左手で書き続ける必要はないでしょう。
もしも右側な子だった場合は、左手で書き続ける事が、左利きの自分が右手で書かされた事と同じようにストレスになると思います。

本当の利き手傾向を探るために、右手「も」使ってみる機会は与えたい。ただし左側ゾーンに属する子だとわかったら、私はすぐ撤退するでしょう。
ゲーム感覚で、
  両手で書けるかな~書けたら面白いね~かっこいいね~、
みたいな、右が正しくて左が正しくないという要素を排したノリなら、やってもいいかなと思っています。

刷り込まれたあきらめ

2005-03-26 17:28:11 | 左利き
私は財布、特にがま口というものは、誰にとっても、そもそも開けにくくできているものなのだと思って(勘違いして)育ちました。
私だけでなく、みんなもやっとの思いで開けているのだと思っていました。
お金の大切さを教えるためかな、とか、意味不明の理由付けまでして、納得していました。

「がま口といえば右利き用のがま口をさし、財布といえば小銭入れが右手で出しやすいように付いている。それが当たり前で、それしかあり得ない。」

左利きに生まれてきて、そんな状況の中で育ちました。
しかし、フェリシモの、左利き用にできた財布に出会って、自分の勘違いに気付きました。
左手で、右用に打ち合わせられたがま口を開けようとするから、やりにくかっただけなのです。
左手で財布を持ち、右手でお札を出すような向きに作られている財布を右手で持って、左手でお札を出していたから、不自然だっただけなのです。

生まれたときからそうだと、気付かずにあきらめてしまうものなのだなと、つくづく感じました。

直す治す

2005-03-26 17:27:24 | 左利き
左利きの子供に、右手を使わせようと奮闘する人がよくいるようですが、される方の子供にとっては、右使いを押しつけられ、変えさせられているだけだと感じます。
右手を使わせようとする時に「大人になって困るから」と、よく言うようですが、左手を使って大人になり、今思うことは、むしろ
  小学校を乗り切れば、あとはほとんど困らない
ということです。
大人になって、恥ずかしい思いもした事はありません。

「右側に短い紐でくくりつけられた鉛筆」…こういう、わざわざ作り出された特殊な状況では、さすがに不便しますが、これは本当にわざわざ作られた状況です。
ちょっと長い紐にするとか、鉛筆に紐を付けるのをやめるか。
その程度で解決するのに、わざわざ右利き専用に作った状況です。

自然に右を使うよう誘導して、右使いに変わる子は、最初から左利き度があまり強くなかったのだと思います。
左利き度が強いと、たとえ一旦右を使うように無理強いしても、右手のちょっとしたケガなどの小さなきっかけで、左使いが復活することが多いようです。

左利きは直すとか治すとかいうものではないと思っています。
「矯正」も、不正な歯並びを正しい歯並びにするときに使うような言葉で、不適切だと考えています。
「右を使うように変えるのが正しい」という前提で考えてるから、「直す」という言葉が出てくるのでしょう。
「ちゃんと」右を使わないのは正しくない、と親が考えていれば、じわじわと以心伝心で伝わってきます。これは、子供にとっては自分の行動の基本を否定されるということです。
自分の行動の基本を否定された思い出は、子供の心の奥にしっかりと残ります。

Gパンの伝統

2005-03-26 17:25:25 | 左利き
伝統的なスタイルを維持したGパンは、「5ポケッツ」。
左右の後ろポケット、左右の前ポケット、そして右前のコインポケット。

コインポケットは、小銭を入れたり切符を入れたり、重宝しています。
両側にあっては、絶対にいけないものなのでしょうか?
  右側のコインポケットは右利き用なので、
  左利き用に左側にだけコインポケットを付けてほしい
…なんてことは、まったく言っていません。
両側にあれば、片方に小銭、もう片方に切符と、便利に使えるのにと思うだけです。

左利きの私は、右前のコインポケットに、体をねじって左手で物を出し入れしています。
そのくらい右手でやればいいと思うのは、右利き・両利きの、左利き度の低い人の考えです。
体をねじるのは愚かだとわかっていても、気がつくと自然に左手が出ているのが、(強度の)左利きというものです。
左利きが左手を出すのは、右利きの人が自然に右手を使うのと同じ、自然な無意識の行動です。

はたらく車

2005-03-26 17:24:05 | 左利き
工事現場ではたらく車は、運転席の右側からアームが出ているものが多いです。
右腕の延長のつもりなのでしょうか。

あのアームは、右手一本で操縦しているわけではなく、片手で前後の動き、もう片手で左右の動きを調節しているようです。
両手で操縦していて、あのアームを右腕の延長と感じるかどうかは疑問です。

右利きでも左利きでも、本当は、操縦席の前からアームが出ているのが自然に感じるはずだと思います。ただ、それだとアーム自体がじゃまになって、作業中、肝心のアームの先が見えません。
それでどちらかに寄る必要があるわけですが…感覚的に左手の延長よりは右手の延長になる方が、右利きにはしっくりいくのかもしれません。

もちろん、約一割の左利きに全員が合わせろ、などというのは、当然実に無茶な話です。
片方のタイプしか絶対に作らないのなら、大多数の人にあわせるのが、確かに妥当でしょう。
しかし、狭いところの作業では、作業スペースの関係で、左側にアームが付いている方が便利なケースもあるのではないでしょうか。


そう考えていたら、左側にアームのついた工事車両を見かけました。
左利きの運転者にとって心地よいかどうかは、運転したことがないのでわかりません。
でも、左側が壁になっている所を工事するのには、確実に便利だと思います。

血液型と利き手

2005-03-26 17:23:22 | 左利き
AB型も左利きも、それぞれ日本人の約一割。
血液型占いで、4割を占めるA型は「まじめ・几帳面」などと言われてます。
「頭が固い・融通が利かない」という言い方だけをした本を、私は見たことがありません。
3割を占めるO型も「親分肌」であって、「おせっかい」とだけ言われることはあまりないように思います。
しかし、2割のB型を叩くような番組が横行したこともありますし、1割しかいないAB型も「変人・二重人格」などの言われ方で片づけられることが多いと感じます。
「AB型は独創的・切り替えが早い」という言い方だけをする本は、私が知る限りはありません。

左利きも、右手ではなく「わざわざ」左手を使っていると思われるのか、「器用」「変人」などと決め付けられます。
実際は、なにもわざわざ左手を使っているわけではなく、右利きの人が右手を使うのと同じ理由で左手を使っているだけです。

血液型ABにしても左利きにしても約一割、少ない人達相手になら、十把ひとからげに変な決め付けをしても、反発する人数が少ないので無視できると思われてるように感じます。


「AB型? なんで直さないの?」などと言う人は皆無です。
血液型はともかく、左利きは「直せる」と思われているようです。
「左利きの矯正」と称して、表面的に使う手を右に変えさせることもあります。
でも、血液型が人に言われて変わらないのと同じく、生まれつきの、とっさに出る利き手は変わりません。
私はAB型・左利きですが、血液型で問題を起こしたことも、「左利きだからお嫁に行けなかった」ということもありません。
小さい頃、右手で字を書くように無理強いされましたが、結局字を書くのも左手に戻り、今は不自由なく左手を使って暮らしています。
「左利きではお嫁に行けない」などと信じ込み、愛情から「娘のために」と心を鬼にする人もいるようですが、いくら愛情からといっても、身心に負担をかけるほどの無理強いは間違っていると思います。

習字 あるお悩み相談を見て

2005-03-26 17:21:58 | 左利き
左で書き始めて、何年目かに右信者の教師にいきなり出会ってしまった時にどうすればいいか、私なりに考えました。
選択肢はいくつかあると思います。

他の左利きの生徒からうらやましがられるのを覚悟の上、特別に左で書かせてもらうように頼む。
そして一方で、左書き筆法
http://homepage3.nifty.com/club-lefty/image02/image3/syodo.htm
をこの教師に教える。
高圧的(自信のなさの裏返し) な教師は、保護者から教わることに抵抗と屈辱感を感じるようです。
仕返しの恐れが大きいと思います。


右手では書きにくい・上手く書けないということを示す時間と割り切って、しばらく右手で書いてみせてから、左で書きたいと宣言する。
「左利きの子はしばらく右で書かせてから選ばせる」という程度の右信者なら、一番いいと思います。
密かに左筆法を独学しておいて、学校で披露するのは「左利きの生徒の試験期間」が終ってからにすれば摩擦がないと思います。

どうしようもなく右信者だった場合は、振り付けの時間と割り切って、その担任の一年だけ、右で書く。
長い人生の中の一年、その中の習字の時間は、学期中の、ある曜日の、一時限だけです。
利き手でない方の手で書いた字が下手だったからといって、人生全体に及ぶほどの損はしないと思います。
特に、小学生で、中学受験もしない場合は、その年の習字が下手でも、内申書に及ぶ影響も、多分ありません。(←あくまでも筆者の時代の受験体制での考察です。イマドキの教育関係者・保護者の方、情報があれば、お願いいたします)

習字 経験から

2005-03-26 17:19:25 | 左利き
私は小学1年から、父に字は右で書くよう無理強い・強制されました。
6年生の時、右手を突き指したのを口実に左手で書いたら、右手よりは綺麗な文字が楽々と…5年半の努力は、一週間で水の泡となり、今では筆も左に持って字を書きます。

ちなみに、問題の父の、子供だった私への主だった対応は、
 ・嫌味を言う
 ・泣くまでからかう
 ・よろけた「フリ」をして使っている左手をこづく
という三つの行動でした。
よろけたフリをして小突く…正面切って使っている左手を「コラッ」と小突くのとは違い、罪悪感がうかがえます。
親は教育と思ってがんばったけれど、された方の子供にとっては嫌な思い出になってしまった…というケースもあるかとは思います。そんな不器用なお父さんと違い、ウチの場合は後暗い気持ちを込めた行動で、はじめから「教育」のつもりではなかったのだろうと考えています。

お習字は、こんな父を持つため「先生が父のような『右信者』だと大変」と母に説得され、学校で始まる前から、右手で習っておきました。
ただし、私は習字の「とめ・はね・はらい」を、紙に向かってやる「振りつけ」のような感じでやっていました。
結果的に和紙に字が書かれてはいくものの、「自分の手で字を書く」感覚とはほど遠く、ロボットになったような気持ちで、自分の右手を操縦したみたいな感じです。
工事車両のアームに筆を取り付け、操縦席でアームを縦横に操作して、大きな字を書く、というイベントをテレビで見たことがあります。
私がやっていた「習字」はこれに近いです。

40人のクラスの、上手くかけた5人に入ったこともありますが、私にとって習字の授業は振りつけの時間であって、文字を書く時間ではありませんでした。
学校の授業というのは、各科目、社会に直接役立たないことも多いですが、その中にあって「習字」は字を書く練習であり、冠婚葬祭時の記帳など、直接役立つ、数少ない授業だと思います。…右利きの子供にとっては。

社会の理不尽や不条理を学ぶ機会だと思って役立てたいと思う場合に限って、右でお習字をすることにも価値があるかもしれません。

左利きの敵

2005-03-26 17:16:12 | 左利き
単に左利きのことを知らない右利きの人は、説明すればわかってもらえることも多いように思います。あなたとは違って私は左利きなので、こういう不便があってこういうことが気になって…などなど。そういう世界もあるんだな、という感覚でしょうか。

しかし、自分が「努力で」右を使えるようになった…と、本人は思っている、実際は左利き度が弱かっただけの「元左使い・今右使いの左利き」の場合、強く左利きな人の不便をかえりみない人が多いように思います。
右利き度が低かったという程度の自分と、強く左利きな人の違いを、左利き度の違いとは認めず、強く左利きな人は自分より努力が足りない、甘えていると思っていたり。

左利きに無理やり右を使わせようとする理由が、無知からではなく、自分ができたのだからお前もできるはず、という、(前提を無視した)実績提示だということが、厄介に思うのです。

実績があると言われたり、これは実験結果だと言われると、つい真実だと思ってしまいませんか?
しかし、科学的には、実績を上げた理由が他のところにあるかどうか調べた上でないと、データに意味がないし、実験条件を操作すれば、かなり違った結果を得ることができます。
ある人(酒豪の男性)が、一晩に一升ビンを空けた「実績」があったとします。
その男性が
 「自分は頑張ったからできた」
 「人間ガンバレば、誰でもその位飲めるもんだ」
 「飲めないといってるヤツは、努力が足りないんだ」
と主張した場合は、信じますか?

信じるという方、この主張の「人間」という言葉に、違和感はありませんでしたか?
「誰でも」と言っているので、どんな人も含まれると主張しています。
3年前に生まれた「人間」であるところの 3才児 が、ガンバレば日本酒一升飲める…でしょうか。
まだ信じるという方、急性アルコール中毒での死者は、体質の違いではなく、頑張らなかったからだと言うつもりですか?

さて。
ある人(左利き度の低い左利き)が、右手で作業できるようになった「実績」があったときに、その人が
 「自分は頑張ったからできた」
 「左利きでも、ガンバレば、右手でその位できるようになるもんだ」
 「できないといってるヤツは、努力が足りないんだ」
と主張したら…どうなのでしょうか。

左利き撲滅運動

2005-03-26 17:14:01 | 左利き
実際に左利き用品を買う左利きの数は、左利き人口よりずっと少ないようです。

左利き用品を否定する、右利き用品に慣らされた左利きの気持ちを想像するに…。
右利き用品を何とか使えるように工夫してきた人は、左利き用品を使うことによって、その努力を否定してしまうような気がするのかもしれません。
そして、左利き用品を初めから、のうのうと使う人を否定することで、自分を肯定するような。

初めて左利き用缶切りを使った時、それまでの右利き用缶切りを使う時の苦労は何だったんだ、と、私も脱力しました。
ただ私は、自分のそれまでの苦労が消えた事を単純に喜んだし、これから缶切りに出会う左利きキッズには、はじめから左利き用缶切りに出会ってほしい。
恨みのぶつけ先を、後世の左利きに持って行くか、私がそうしたいと思うように右利き社会に持って行くかの違いのように思います。
私の考えは後者なので、左利きに対しても右利きに対しても、「左利きは左利き用品の方が使いやすい」と主張します。

左利きにも購買力はあるということを、ほとんどのメーカーは忘れているようです。
不買運動を起こされても、左利きは約一割しかいない。
 ↓
一割が不買運動起こしたところで痛くない。
 ↓
一割くらい、面倒だから無視しよう。

数の暴力を、左利きは小さい時から身をもって経験しています。

「右使いに直す」の、「直す」も、悪いものを良く変えるという意味だから、まちがっています。
うるさい親や年配者がしばしばしたがるのは、無理やり右使いに「変えさせる」です。
右利きよりも、むしろ変えさせられて右を使えるようになった左利きが、実は一番左使いの左利きの敵になりやすい、と、私は感じています。

トイレの水流

2005-03-26 17:11:53 | 左利き
前から気になっていた。
私は、しばしば紙が流れそこなうのを見て、自分の行く先々でトイレが故障しているのかと思っていた。
しかし、それは偶然ではなく、単に私が左手で紙を使うからだ。

便座に座っていて、左手で使った紙をそのまま無造作に捨てれば、紙は左手の下に落ちる。
左手によって(座ったままの状態で時計で言うと)9時の方向に捨てられた紙は、11時から 3時頃に向けての時計回りの強い水流が触れない位置にあり、余波でかろうじて流れていく。
ときに流れそこない、水流の余波のほんのわずかな水を吸って、便器にへばりつくこともある。

右手で紙を使ったなら、3時の方向に紙が落ち、確実に最初の時計回りの水流が直撃して、あっけなく押し流されるはずだ。
トイレまで右使いを意識して作られていたとは…

人目につく箸使い・書字などと違って、「女の子なんだから右手でふかないと恥ずかしい」などと教える親がいるとも思いにくい。
そもそも「人目につくから右手でさせる」ということ自体に、私は疑問を感じるが…。
ともあれ、密室での動作だけに、かなり『矯正』「強制」「無理強い」がされにくい動作だと思うのだが、紙を使う手は、どのくらいの割合になっているのだろう。


ただし、メーカーの違いか製造時期の違いかわからないが、最近は便器の壁全体から水が流れて、まんべんなく紙その他が流れていくタイプも見られるようになった。
メーカーの違いではなく製造時期の違いで、新しいタイプがそうなのであると嬉しいのだが。