木村真理子の文学 『みだれ髪』好きな人のページ

与謝野晶子の『みだれ髪』に関連した詩歌を紹介し、現代語訳の詩歌に再生。 また、そこからイメ-ジされた歌に解説を加えます。

北村透谷「楚囚之詩」  『みだれ髪』に対比

2012-04-30 19:09:19 | 北村透谷

 

      北村透谷「楚囚之詩」    『みだれ髪』に対比 

 第一

     *中(なか)に, 余が最愛の / まだ蕾の花なる少女も、

       ―「7 堂の鐘のひくきゆふべを前髪の桃のつぼみに経たまへ君」         (訳)お堂の鐘が低く響く夕方、桃割れ髪を結っている花の蕾であった私に、お経を唱えて下さい(謝って下さい)。

 大人になっていない少女を「蕾の花」と示し、晶子もそれを取り入れています。

 『みだれ髪』の最初から十首がプロローグ歌だとすると、5番「5 椿それも梅もさなりき白かりきわが罪問はぬ色桃(いろもゝ)に見る」が河井酔茗。 6番「6 その子二十(はたち)櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」は山川登美子。 この7番が晶子と同じ堺市の寺・覚応寺の住職であり、文学同好会の河野鉄南。 そして10番「10 紫の濃き虹説きしさかづきに映(うつ)る春の子眉毛かぼそき」が鉄幹であり、登場人物が一堂に会します。

 他に鉄南の歌としては、 「393 庫裏(くり)の藤に春ゆく宵のものぐるひ御経(みきやう)のいのちうつつをかしき」  があります。   (訳)藤の花の頃の夕方、寺の庫裏であなたは物狂いになりました。 寺の坊主なのに、お経の命とはいったい何なのでしょう。     

       

第二

     *余が髪は何時(いつ)の間(ま)にか伸びていと長し /  前額(ひたひ)を蓋(おほ)ひ眼を遮(さへぎ)りていと重し、

       ―「264 行く春の一弦(ひとを)一柱(ひとぢ)におもひありさいへ火(ほ)かげのわが髪ながき」  

  「わが髪ながき」を、通常、黒髪の自画自賛と捉えられているようですが、 「うっとおしい」 を意図しています。  集中には、五尺の髪を切って軽くなった、という歌もありますので、必ずしも長い髪が良い訳ではないのです。      

  「361 結願(けちがん)のゆふべの雨に花ぞ黒き五尺こちたき髪かるうなりぬ」         (訳)結願の日の昨夜に降った雨で、花が黒くなったように、私の希望が断たれました。(ですから気分を一新しようと)、五尺のうっとおしい髪を切って軽くなりました。

 (注)上田敏の解説からの訳が一般的に浸透していますが、 晶子の意図した歌は別です。 即ち「ゆうべ」は、通常解されている今日の夕方ではなく、「昨夜(ゆうべ)」=「昨日の夜」の意。     「こちたき」は、①言痛し・事痛し-うるさい。わずらわしい。    ②抉(こじ)る-ねじる。ひねる。えぐる。くじる。 「こちたき」の「き」(助詞)は、過去を表すのかも?-「抉(こじ)ってしまった」の意?  「こちたき髪」から、晶子は ①と②の造語? 何だか解からないけれど・・・・、「こちたき髪」を「うっとおしい髪」、そして「切ってしまった髪」として用いている様です?  無理やりですよね・・・・やっぱし。    

 

     * 肉は落ち骨出で胸は常に枯れ、/ ・・・・  余が口は涸(か)れたり、 余が眼は凹(くぼ)し

       ―「373 病みませるうなじに繊(ほそ)きかひな捲きて熱にかわける御口(みくち)を吸はむ」       

 私は最初、 自分で自分の口を吸う、と解していましたが、やはり鉄幹「余が口は涸(か)れたり、 余が眼は凹(くぼ)し」を対象とし、晶子が鉄幹に接吻をしていると思います。 

 中山梟庵-鉄幹宛て書簡(『明星 六号』(明治33・9)「新雁」)  ―御病気とのお知らせを得てより以云ひ知らず胸いたく、あらぬことまで思ひ出候。・・・・晶子様ととみこ様より頻りに御容体の義を尋ねられ候へど・・・・

とあり、晶子と登美子が鉄幹の病気の様子を梟庵に頻りに尋ねていたようです。

  

 第三

     *余の青醒(あをざ)めたる腕を照らさんとて / 壁を伝ひ、 余が膝の上まで歩寄(あゆみよ)れり。

      ― 藤村「白磁花瓶賦 十七・十八」

      ―「312 あでびとの御膝(みひざ)へおぞやおとしけり御幸源氏(みゆきげんじ)の巻(まきゑ)の小櫛(をぐし)」

 舞妓に化して詠んでいますが、結局は晶子自身のことを言っています。

         

     *彼等は山頂の鷲なりき / 自由に喬木の上を舞ひ / 又た不羈(ふき)に晴朗の天を旅(たび) / ひとたびは山野に威(ゐ)を振ひ / 慓悍なる熊をおそれしめ / 湖上の毒蛇の巣を襲ひ / 世に畏(おそ)れられたる者なるに   

       ― 藤村「鷲の歌」

 藤村は、ここから「鷲の歌」を生み出しました。 透谷と藤村の友情・・・・どんなにか藤村は透谷を慕っていたか・・・・。

                   

 第四

     *彼れの柔(よわ)き手は吾が肩にありて / 余は幾度(いくたび)か神に祈を捧(さゝげ)たり。     

       ―「395 室(むろ)の神に御肩かけつつひれふしぬゑんじなればの宵の一襲(ひとかさね)」         (訳)部屋で恋人(鉄幹)の肩に手を掛け跪(ひざまず)きました。 生理の日の夜の愛の営みです。

  窪田空穂『歌話と随筆』(昭和8・11 一誠社) ― 関西へ行つて帰つて来た与謝野氏も、鳳に逢ふと、歌つてものは本当に思つた通りの事を云へばいいものかと聞くので、それでもいい、それだけの物だつて返事をしたが、本当かつて駄目を押して居た、といふ意味の事を云はれた事があつた。

 

     *左れどつれなくも風に妬(ねた)まれて / 愛も望みも花も萎れてけり / 一夜の契りも結ばずして / 花婿と花嫁は獄舎(ひとや)にあり。

       ―「43 春の夜の闇(やみ)の中(なか)くるあまき風しばしかの子が髪に吹かざれ」       (訳)春の夜の闇から吹いて来る恋心を誘う甘い風よ、どうか暫くの間、あの子に(鉄幹の)恋心が向きませんように、私の髪に飾っている鹿の子に吹いて私の方に恋心を運んで下さい。

 佐藤春夫『みだれ髪を読む』(昭和34・6)― 己を三人称で呼んでいるので、それが甚だおもしろい。多分、恋心に思いみだれて春に得堪えぬ自分を疎んでこう客観的に三人称で呼んだ。

 市川千尋『与謝野晶子と源氏』(国研出版 1998年)によると、「かの子」が「浮舟」を指し、― 浮舟の場面が設定され、そこに流れる気分を晶子の現実に当て嵌めた ― という第三者説もありますが、通常、佐藤春夫の説に従い、「かの子」を自分自身としています。

 しかし歌の構造からすると、この「吹かざれ」は、肯定と否定の両方の意味を持たせています。 「彼の子の髪に吹いて下さい」と、「彼の子の髪に吹かないで下さい」です。  従って「かの子」は、己を三人称で呼んだ=私(晶子)であり、 三人称の=三人称→彼の子=あの子でもあるのです。  それは、『新潮社版』「春の夜の闇の中くる甘き風しばし我身を専らに吹け」の改定版でも知られます。 晶子の改定版は歌の向上、というよりも常に補助歌であり、説明歌ですし、また、意味不明と捕られるなら、丸々別の歌に変更したりしています。  また歌の特徴は、二重読みが多く取り入れられていますし、感情が驚くほど直線的です。この歌で晶子が踏みたかったのは、「左れどつれなくも風に妬(ねた)まれて / 愛も望みも花も萎れてけり」であり、登美子との恋の駆け引きだったのでしょう。

 

 第五            

     *余が愛する少女の魂も跡を追ひ / 諸共に、昔の花園に舞ひ行きつ 

       ―藤村「白磁花瓶賦 二十二・二十三」

 

     *塵(ちり)なく汚(けがれ)なき地の上にはふ(ママ) バイヲレツト / 其名もゆかしきフオゲツトミイナツト /  其他種々(いろ〃)の花を優(やさ)しく摘みつ / ひとふさは我胸にさしかざし / 他のひとふさは我が愛に与へつ / ホツ!   是(こ)は夢なる! / 見よ!  我花嫁は此方を向くよ! / 其の痛ましき ! / 嗚呼爰(ここ)は獄舎(ひとや) / 此世の地獄なる。

       ―「275 みどりなるは学びの宮とさす神にいらへまつらで摘む夕すみれ」       (訳)平和に収めることを学びなさい、と指し示す鉄幹に、夕方、苛立って毟り取る菫。 (駆け落ちの約束をして京都まで来たのに、鉄幹が先に一人で東京に帰ってしまい、残された私は、夕暮時に一人苛立ちながら菫を毟り取っています。)

 通常、は違う訳ですが・・・・、緑色が、平和というイメージ。 鉄幹が妻、滝野との穏やかな解決策のため、晶子と一緒に上京しなかったのでしょう。それを、緑という色彩で表現しています。

       ―「279 十九(つづ)のわれすでに菫を白く見し水はやつれぬはかなかるべき」       (訳)十九歳の頃、既に私は恋愛に対して嫌悪感を持っていました。 自然の中のその(塵なく穢れなき地上に這う)菫は、水が干乾びて可哀想な状態です。

 どの解説書にも述べられていませんが、「御経のいのちうつつをかしき」の河野鉄南を指したものかも知れません。

 

     *其他種々(いろ〃)の花を優(やさ)しく摘みつ / ひとふさは我胸にさしかざし / 他のひとふさは我が愛に与へつ    

       ―「372 きけな神恋はすみれの紫にゆふべの春の賛嘆(さんたん)のこゑ」

       ―「237 野茨(のばら)をりて髪にもかざし手にもとり永き日野辺に君まちわびぬ」

 「372」も「237」も上記とは打って変わって愛の賛歌です。

 第六 

      * ひと夜(よ)。  余は暫時(しばし)の座眠(ざすゐ)を貪りて /  起き上り、厭(いと)はしき眼を強ひて開き / 見廻せば暗さは常の如く暗けれど /  なほさし入るおぼろの光・・・・是れは月! / 月と認(み)れば余が胸に絶えぬ思ひの種(たね) / 借に問ふ、今日(けふ)の月は昨日(きのふ)の月なりや? 

        ―「382 月こよひいたみの眉はてらざるに琵琶だく人の年とひますな」     

 (272)と対の歌であり、楠桝江を詠んでいます。   (下記参照)

    

      * 美の女王!  嘗つて又た隅田に舸(ふね)を投げ /  花の懐(ふところ)にも汝とは契をこめたりき。

        ―「158 男きよし載するに僧のうらわかき月にくらしの蓮(はす)の花船(はなぶね)」

        ―「159 経にわかき僧のみこゑの片明(かたあか)り月の蓮船(はすぶね)兄こぎかへる」 

 船の発想は、ここからのイメージかも知れません。藤村「蓮花舟」を参照して下さい。

 

 第七

      *牢番は疲れて快(よ)く眠り / 腰なる秋水のいと重し,

        ―「19 秋の神の御衣(みけし)より曳(ひ)く白き虹ものおもふ子の額に消えぬ」 

 難解な歌ですが、上記の「尿意を催して目覚めた」というところから、発想されたのではないでしょうか?    (訳)は、何だかこれ訳して良いの? という訳になってしまうので・・・・、「白き虹」は、精液か?  「ものおもふ子の額に消えぬ」は、女性の立場? (159) の「兄こぎかへる」が男性の立場から見た場合ではないか? と思います。  「秋の神」=季節が秋であり(初出が明治34・1)、飽いてしまった鉄幹、の掛詞。 意味よりも、どちらかと言えば歌の形態・詠みのリズム、として「秋」を挿入したと思います。      各自訳してみて下さい。

 

      *(第六)何(な)ぜ・・・・余は昼眠(ね)る事を慣(なれ)として /  夜の静(しづか)なる時を覚め居(ゐ)たりき

      *意中の人は知らず余の醒(さめ)たるを・・・・ / 眠の娯楽・・・・尚ほ彼はいと快(こころよ)し / 嗚呼二枚の毛氈(もうせん)の寝床(とこ)にも  / 此の神女の眠りはいと安し!/ 余は幾度も軽るく足を踏み / 愛人の眠りを攪(さま)さんとせし/ 左れど眠りの中に憂(うさ)のなきものを / 覚(さま)させて、 其(そ)を再び招かせじ,

         ―「272 裾たるる紫ひくき根なし雲牡丹が夢の眞昼(まひる)しずけき」         (訳)表歌 ― (空に)紫の浮き雲が低く垂れ込め、牡丹が夢見て眠っている真昼間、静かです。     裏歌 ― 着物の裾をだらしなく垂らし、恋する意識も低い養女の楠桝江が、恋を夢見て、昼間静かに眠っています。

 表裏二重詠みの歌であり、表歌の「紫ひくき根なし雲」の意味は、「紫」が「ひくき」に掛かり、「雲」に掛からないので、「紫の浮き雲が低く垂れ込め」とするには、歌の文章構造として無理があります。 ですから、裏歌の意味が汲み取れるということなのですが・・・・。

 裏歌の意味は、「紫ひくき」=恋を志向する意識が低い。 「根なし雲」=系統家系を持たないこと、即ち養女であること。 「裾たるる」は「根なし雲」に掛かり、 着物の裾を垂らしている情景。 「牡丹が夢」=恋愛を夢見て、昼寝をしている情景。 裏歌の方は、下記の(382)と対の歌で、「231 春にがき貝多羅葉(ばいたらえふ)の名をききて堂の夕日に友の世泣きぬ」の友の楠桝江のことです。

     晶子の河井酔茗宛て書簡(明治34・3・19)(新間進一「文学」昭和30・9) ― このひとわれより五つばかりの姉様に候。かなしきすくせもつひとに候。 西の別院へ経ならひにゆきかよひしころは、覚応寺の河野様とおなじなりしとに候

     

 第八

      *送り来れるゆかしき菊の香(かをり)! / 余は思はずも鼻を聳えたり / こは我家(わがや)の庭の菊の我を忘れで / 遠く西の国まで余を見舞ふなり /あゝ我を思ふ友! / 恨むらくはこの香(かをり) / 我手には触れぬなり。

       ―「113 師の君の目を病みませる庵(いほ)の庭へうつしまゐらす白菊の花」 

    晶子『歌の作りやう』(大正4・12 金尾文淵堂) ― 私は眼を病んでおいでになる師の庭へ、其お眼の慰みにと思つて、自分の家の白い菊の花を持つて行つて植ゑました。

 

 第十

      *罪も望みも、 世界の星辰も皆尽きて / 余にはあらゆる者皆,・・・・無(む)に帰して / たゞ寂寥, ・・・・微(かす)かなる呼吸―― / 生死の闇の響(ひゞき)なる / 甘き愛の花嫁も、 身を擲(なげう)ちし国事も  /  忘れはて、 もう夢とも又た現(うつつ)とも!

       ―「1 夜の帳(ちやう)にささめき尽きし星の今を下界(げかい)の人の鬢(びん)のほつれよ」

 (1)は、「長恨歌」からだと以前言ったでしょう? といわれそうですが・・・・、透谷もまた「長恨歌」を踏んでいます。

 

 第十一

      *(第三)中に四つのしきりが境となり / 四人の罪人(つみびと)が打揃ひて――

      *(第四)四人の中にも、 美くしき / 我花嫁・・・・  いと若(わ)かき / 其の頬の色は消失(きえう)せて / 顔色の別(わ)けて悲しき / 嗚呼余の胸を撃(う)つ / 其の物思はしき眼付き!

     * 余には日と夜との区別なし / 左れど余の倦(うみ)たる耳にも聞きし / 暁(あけ)の鶏(にはとり)や、また塒(ねぐら)に急ぐ烏(からす)の声 / 兎は言へ其形・・・・想像の外(ほか)には嘗つて見ざりし。

       ―「70 とや心朝の小琴(をごと)の四つの緒のひとつを永久(とは)に神きりすてし」       (訳)朝、我が疑いの心に問いました。 (住之江で遊んだ)四人‐ 鉄幹・梟庵・晶子・登美子の内の一人、登美子を鉄幹は永遠に切り捨てたのでしょうか?

 「朝の」は、(339)の「朝の」と同じ時。 「とや心」=「問や心」と「塒(とや)心」の掛詞 (上記から踏んでヒントを得る?)― 「問う心」と「塒(ねぐら)の心」・・・・疑いの心? を意図する様ですが・・・・(三・四版)では「誰かよくこころとかむと相笑みぬ君がかきし画わが染めし歌」 を補入し、 晶子自身も(70)は意味の取れない歌だとしています。  

 

  第十二 

       *余には穢(きた)なき衣類のみならば  / 是を脱ぎ,  蝙蝠に投げ与ふれば / 彼は喜びて衣類と共に床(ゆか)に落ちたり /  余ははい寄りて是を抑(おさ)ゆれば / 蝙蝠は泣けり、 サモ悲しき声にて / ・・・・ ・・・・ / 卿(おんみ)を捕ふるに・・・・野心は絶えて無ければ。

            ―「119 のろひ歌かきかさねたる反古(ほご)とりて黒き胡蝶をおさへぬるかな」

 有名な歌ですが、(119)の発想は、この詩から生み出されました。 この歌と、下記の(339)がこの詩から生み出された典型的なものでしょう。  松川久子氏は、蕪村「うつつなきつまみごころの胡蝶かな」を指摘されておられる様です・・・・、「胡蝶」という語彙は、そうだと思いますが、 蕪村の句は、蝶の両方の翅を畳んで摘まむ感覚 :なんとも頼りなく、指がグニュグニュした不安な気持ち: を詠んだものですし、 晶子のパシッとした、確(しっか)り取り押さえる感覚とは別のものだと思います。

   晶子『歌の作りやう』(大正4・12 金尾文淵堂) ―  私は陰鬱な家庭を憎んで居る。私を苦しめる保守的な習俗を憎んで居る。私は呪はしい気分に満ちてゐる。私はたまたま黒い蝶の飛んで来たのを見て、あの蝶も憎いと云つて側にあつた歌の草稿で抑へた。 呪詛の歌に満ちた近頃の草稿である。

            

  第十三  

     *――我身独りの行末が・・・・如何に / 浮世と共に変り果てんとも!

       ―「77 ゆあみして泉を出でしやははだにふるるはつらき人の世のきぬ」         注:「やははだ」は「わがはだ」 と晶子自身が訂正。(『明星 十五号』)

 上記を踏んでいる、と想定しました。

 

     *嗚呼蒼天!  なほ其処に鷲は舞ふや? / 嗚呼深淵!  なほ其処に魚は躍るや?

       → 藤村「鷲の歌 七」― わが若鷲は・・・・谷の落(おと)し羽(は)飛ぶときも / 湧きて流るゝ真清水(ましみづ)の水に翼をうちひたし / このめる蔭は行く春のなごりにさける花躑躅(はなつゝじ) 

       →「146 巌(いは)をはなれ峪(たに)をくだりて躑躅(つゝじ)をりて都の絵師と水に別れぬ」

       →「381  金色(こんじき)の翅(はね)あるわらは躑躅(つゝじ)くはへ小舟(をぶね)こぎくるうつくしき川」

 

     *羽あらば帰りたし, も一度 / 貧しく平和なる昔のいほり。    

       ―「171 春かぜに桜花ちる層塔(そうたふ)のゆふべを鳩の羽(は)に歌そめむ」   

  初出は「金翅」(明治34・7)ですが、この銘々は「鳩の羽」からでしょう。  鉄幹との駆け落ちの為、京都で待ち合わせたのですが、一人置いてけぼりをくった時の歌です。 羽があるなら、もう一度実家に帰りたいが、ここまで来てしまったからには、もう後戻りは出来ない、という気持ちが込められています。  私は場所としては、京都の黒谷を想定してしまいます。

 

 第十四

     * 鶯は此響(このひゞき)には驚ろかで / 獄舎の軒にとまれり,  いと静に! / 余は再び疑ひそめたり・・・・此鳥こそは / 真に,  愛する妻の化身ならんに。 ・・・・・・・・ / 然り!  神は鶯を送りて / 余が不幸を慰むる厚き心なる!/ 嗚呼夢に似てなほ夢ならぬ / 余が身にも・・・・神の心は及ぶなる。/ 思ひ出す・・・・我妻は此世に存(あ)るや否? / 彼れ若し逝きたらんには其化身なり、 / 我愛はなほ同じく獄裡に呻吟(さまよ)ふや? / 若し然らば此鳥こそ彼れが霊(たま)の化身なり。 / 自由、 高尚、 美妙なる彼れの精霊(たま)が / この美くしき鳥に化せるはことわりなり,/ 斯くして、 再び余が憂鬱を訪ひ来る―― / 誠(まこと)の愛の友!  余の眼に涙は充ちてけり。

       ―「339 朝の雨につばさしめりし鶯を打たむの袖のさだすぎし君」        (訳)朝の雨が降る中、雨宿りの鶯を袖で打つような事をする、遣り過ぎのあなた(鉄幹)。  ・・・・私は、あなたを慰める為にやって来た・・・・愛する妻の化身の鶯なのに・・・・。

 通常、「さだすぎし君」は、 袖で打つという行為から女性と解釈されている様ですが、晶子は一度も女性を「君」とは呼んでいません。 この歌も(171)や(70)(146)(381)と同様に、駆け落ちの京都に一人残された時のもので、透谷「楚囚之詩」を踏んだことにより、存在している歌です。