木村真理子の文学 『みだれ髪』好きな人のページ

与謝野晶子の『みだれ髪』に関連した詩歌を紹介し、現代語訳の詩歌に再生。 また、そこからイメ-ジされた歌に解説を加えます。

薄田泣菫「暮春の賦」

2012-07-01 03:24:49 | 薄田泣菫

 

           薄田泣菫「暮春の賦」               ―『暮笛集』 金尾文淵堂(明治32年11月)より―

 

 一   冷(つめ)たき土窟(むろ)に醸(か毛)されて、               若紫(わかむらさき)の色深(いろふか)く、

      泡(あは)さく酒(さけ)の盃(さかづき)を、                 吾唇(わがくちびる)に含(ふく)ませよ、

      暮(く)れ行(ゆ)く春(はる)を顫(わなヽ)きて、               細(ほそ)き腕(かひな)の冷(ひ)ゆる哉(かな)。

 

 二   心周章(こヽろあは)つる佐保姫(さほひめ)が、              旅(たび)の日(ひ)急(せ)くか、この夕(ゆふべ)、

      人(ひと)は夕飯(ゆふげ)に耽(ふけ)る間(ま)を、           花(はな)、そここゝに散(ち)りこぼれ、

      痛(いた)ましい哉(かな)、春(はる)の日(ひ)の             快楽(けらく)も土(つち)にかへりけり。

 

 三   垂(た)るゝ若葉(わかば)の下(した)がくれ、                乱(みだ)れて細(ほそ)き燈火(と毛しび)に、

      瞳(ひとみ)凝(こ)らして見入(みい)るれば、               蕚(うてな)にぬれる蕊(ずい)の粉(こ)や、

      花(はな)なき今(いま)も香(か)を吹(ふ)いて、             残(のこ)れる春(はる)を焼(や)かんとす。

 

 四   足(あし)にさはりて和(やは)らかき                      名(な)もなき草(くさ)の花(はな)ふみて、

      思(お毛)ふは弱(よわ)き人(ひと)の春(はる)、             蹠(あなうら)粗(あら)き運命(うんめい)に、

      恋(こひ)の常花(とこばな)ふみさかれ                    憂(う)しや、 逝(ゆ)く日(ひ)の無(な)くてかは。

 

 五   暗(やみ)まだ薄(す)き彼方(かなた)より、                 常若(とこわか)に笑(ゑ)む星(ほし)の影(かげ)、

     知恵(ちゑ)ある風(ふり)にきらめきて、                    夏来(なつく)と知(し)らす顔付(かほつき)よ。

     今(いま)冷(ひや)やかに見(み)かへして、                 吾(われ)、 嘲(あざ)けるを江堪(た)へじな。

 

 六   耳(みヽ)をすませば薄命(はくめい)の                    長(なが)き恨(うらみ)か、 暗(やみ)の夜(よ)を、

     くだけて落(お)つる芍薬(しやくやく)や                    吾(われ)も沈(しづ)める 此(この)夜半(よは)を、

     毒(どく)ある花(はな)の香(か)に酔(ゑ)ひて、               消(き)江て人霊(すだま)と化(か)せん哉(かな)。

 

 七   かゝる静寂(しヾま)をことならば、                       心(こヽろ)ある子(こ)がものすざび、

      顫(わな)なく絃(いと)にふれもせば、                    弱(よわ)き我身(わがみ)はくだけても、 

      琴(こと)ひく君(きみ)が胸(むね)の上(へ)に、              涙(なみだ)のかぎりかけましを。

 

  八     あゝ恨(うら)みある春(はる)の夜(よ)の                   ほそきあらしに熱情(ねつじよう)の

     焔(ほのほ)な消(け)しぞ、木(こ)がくれに、                 のがれて急ぐ佐保姫(さほひめ)が、

     旅路(たびぢ)を咀(のろ)ふ蠱術(まじ毛の)の                息吹(いぶき)とはかん血汐(ちしほ)なり。   

 

  (注) 漢字は新漢字を用い、 節の番号は便宜上付けました。   江=え。  毛=も。  咀(のろ)ふ→「詛(のろ)ふ」の間違い。 晶子も『みだれ髪』(267)に於いて、同じ誤りをしています。   著作本『百年目の泣菫『暮笛集』』には、 訳も違っている箇所があることもあり、 『みだれ髪』にとっては非常に重要な詩ですので、 再度引用させて頂くと共に、 以前よりも直訳を心掛けました。     

  

 

            泣菫「暮春の賦」の訳                         木村真理子   

 

  1  冷たい室(むろ)に醸造され、                           若紫の奥深く、

     発泡してくる酒の杯を                                私の唇に与えよ。

     暮れて行く春を嘆いて、                              私の細い腕が冷たくなってくるから。

 

  2  心焦(こころあせ)る佐保姫が                          夕暮れになり、 旅路を急ぐのか、

     人々の夕餉の間に                                 男と交わった。

     花がそこここに散り、                                春の快楽が過ぎ去った。

 

  3  遠くに揺らめく細い燈火を通して、                       瞳を凝らして見入れば、

     垂れる若葉の下に、                               芋茎(ずいき)の粉が塗られていた。

     花のない今も香を放って、                            残る春を燃やそうとする。

 

  4  足に触れる柔らかい                               名もない草(行きずりの男)の花を踏んで

     思うのは、 愛に飢える人の春。                        衝撃的な運命に

     恋する女心を犯されて、                             悲しくて死んでしまいたい。

 

  5  薄暗い夕闇の彼方より                              永遠の輝きを見せる星影。

     物知り顔に煌めいて、                               夏がやって来ると知らせる。

     今、 冷ややかに見返して、                           星々が嘲るのを堪えた。

 

  6  薄幸の運命の長い恨みか、                           闇の中、 耳を澄ますと

     砕け落ちる芍薬(しゃくやく)の音がする。                   私も心(こころ)沈むこの夜半、

     毒ある花の香りに酔って、                            消えて人霊(ひとだま)となってしまおうか。

 

  7  この様な静寂の一方で、                             利かん気な子供の叫び声がする、

     感傷に浸る私に・・・・。                               弱い我が身は、性愛に耽(ふけ)る

     君の胸に飛び込み、                                涙が涸れるまで泣いていたい。  

 

  8  ああ、 恨みに思う春の夜、                           恋心に情熱を傾けた

     炎をなぜ消すのか、木立に身を                        隠しながら急ぐ佐保姫が、

     旅路を儚む出来事に、                              ため息を吐(つ)く血汐である。 

     

           泣菫「暮春の賦」と『みだれ髪』との対比 

 

 10年も前に書いた自著本ですが、・・・・もう一度「暮春の賦」の四章を読み直してみて、 自分でもなんかスゴイコト書いてるなって感心しました。

 晶子は駆け落ちを遂行する為に鉄幹と京都で待ち合わせをするのですが、一泊した後、鉄幹に「あなたは日にちを置いて後から来なさい。」と言われ、一人残されます。 それから放浪の旅が始まるのですが、その日の出来事を「暮春の賦」に一字一句漏らさず踏んで歌を詠んでゆきます。 この事件があってこそ『みだれ髪』が完成した、と言える程ですから、この詩が『みだれ髪』にいかに重要な位置を占めているかが窺えます。

 晶子は、堺の実家から駆け落ちをする為に出立します。

       「50  狂ひの子われに焔(ほのほ)の翅(はね)かろき百三十里あわただしの旅」        (訳)恋に狂った私は、情熱に燃えた翅は軽く、東京までの百三十里の道程を慌しく出発します。       (百三十里は、堺~大阪の十里と大阪~東京の百二十里の合計530km)

       「149  うなじ手にひくきささやき藤の朝をよしなやこの子行くは旅の君」           (訳)藤の花が咲く朝、(母が私の)項(うなじ)に手を触れ(後れ毛を身繕いしてくれながら)「(駆け落ちするのは)およしなさい、 この子は・・・・、 あなたが行くのは訳の分からない人ですよ」 と心配そうに囁きました。            「藤」は、大樹の陰‐藤原良房の「藤」でもありますから、母の庇護の下という意図があるかも知れません。

       「127 泣かで急げや手にはばき解くゑにしゑにし持つ子の夕を待たむ」    「ゑにし」は「えにし」の誤り。  手に着けるのは脚絆(きゃはん)、 脚に着けるのが脛巾(はばき)。           (訳)泣かないで(手に脚絆を着け)急ぎましょう。家族との縁を解き、手に着けた脚絆を解いてくれる縁を求め、(その人との縁ができる)夕方を待ちましょう。

 そして京都に到着し、夕方鉄幹と落ち合います。 次の日、鉄幹は一人東京に帰り、晶子は駆け落ちの京都に置いてきぼりをされます。その日が、丁度今の季節、旧暦の4月20日・明治34年6月6日だったと思われます。

       「83 その涙のごふゑにしは持たざりきさびしの水に見し二十日月(はつかづき)」      (訳)私は、その涙(駆け落ちの京都に一人残されたこと)を拭(ぬぐ)う縁は持っていません。 水に映る二十日月(旧暦明治34年4月20日の月)を淋しく眺めています。 

 さらに東京に到着したとされているのが6月14日ですから、 実に一週間以上も掛けて放浪の旅をしたことになります。 その東京までの道筋の歌を当時の天気と絡めて『関西文学 49号』(2005年4月)に解説させて頂きましたが、又いずれ歌だけでもお話ししましょう。  

 ここでは、一人置いてきぼりにされた6月6日頃の出来事を紹介します。 泣菫詩「暮春の賦」にピッタリ一致したのでしょう。 晶子はこの詩を一字一句漏らさず踏むことにより、 自身を慰めていたにちがいありません。

 

  一

     冷(つめ)たき土窟(むろ)に醸(か毛)されて/若紫(わかむらさき)の色深(いろふか)く/泡(あは)さく酒(さけ)の盃(さかづき)を/吾唇(わがくちびる)に含(ふく)ませよ

      ―「367 その酒の濃きあちはひを歌ふべき身なり春のおもひ子」       「あちはひ」=「あぢはひ」の誤植。   (訳)その「若紫(わかむらさき)の色深(いろふか)く/泡(あは)さく」酒の味わいを噛み締めている私-春を求める私です。

 「その酒」は、上記を踏んで、佐保姫が酔う「冷(つめ)たき土窟(むろ)に醸(か毛)されて/若紫(わかむらさき)の色深(いろふか)く/泡(あは)さく酒」とし、対象を晶子自身としました。 (もっと簡素なものだと思い、著作本とは変更しました。)

 

     暮(く)れ行(ゆ)く春(はる)を顫(わなヽ)きて/細(ほそ)き腕(かひな)の冷(ひ)ゆる哉(かな)             

       ―「320 いとせめてもゆるがままにもえしめよ斯くぞ覚ゆる暮れて行く春」         (訳)せめて(恋の炎よ)燃えるがままに、燃え尽きよ。 この様に惨めな終わり行く恋を。

 (320)は上記を踏み、 「斯くぞ覚ゆる」は、駆け落ちの京都に一人残された恨み、この時を忘れない、という気持ちが込められていると思います。   

 二

     心周章(こヽろあは)つる佐保姫(さほひめ)が/旅(たび)の日(ひ)急(せ)くか、この夕(ゆふべ)/人(ひと)は夕飯(ゆふげ)に耽(ふけ)る間(ま)を/花(はな)、そここゝに散(ち)りこぼれ/痛(いた)ましい哉(かな)、春(はる)の日(ひ)の/快楽(けらく)も土(つち)にかへりけり

       ―「88 恋か血か牡丹に尽きし春のおもひとのゐの宵のひとり歌なき」          (訳)(表訳)か家族か(行くか帰るか)、恋という人生の華に尽きる青春の想い(の為ここまで来ましたが・・・・)、宵の宿屋で一人打ちひしがれています。    (裏訳)愛を勝ち取るか、刃傷沙汰もしくは自殺か、牡丹(の赤)に尽きる青春の想い、一人寝の宵に睦みはありません。

 上記を踏んでいますから、二重詠みの歌と解しました。  「恋か血か」=鉄幹との恋か家族との血縁か? このまま駆け落ちを遂行して行くべきか、それとも家族の元に帰るべきか? の選択。  裏歌の「恋か血か」=激しい恋か、血を見る刃傷沙汰もしくは自殺か、という苦境の選択です。  「牡丹に尽きし春のおもひ」=恋という人生の華に尽きる青春の想い、この想いによって駆け落ちを遂行して来たこと。  「とのゐ・宿直」=京都まで駆け落ちをして来て、鉄幹に置いてきぼりされた宿屋での一人寝。 「歌」=言葉・気持ちと、恋の睦み、との意図と解しました。

 

 三

     垂(た)る ゝ若葉(わかば)の下(した)がくれ/乱(みだ)れて細(ほそ)き燈火(と毛しび)に/瞳(ひとみ)凝(こ)らして見入(みい)るれば

       ―「82 おりたちてうつつなき身の牡丹見ぬそぞろや夜(よる)を蝶のねにこし」        (訳)(表訳)空ろな私は、(庭に)降り立って牡丹の花を見ました。 「そぞろや?」夜に蝶が眠りに来ています。   (裏訳)思い立って、空ろな我が身の牡丹を見ました。この虚しい夜を蝶の恋人よ、睦みに来て下さい。

 「おりたちて」=降り立つ、と思い立っての掛詞。  「牡丹」=牡丹の花、と女性性器の掛詞。  「そぞろや」=?(逸見久美『新みだれ髪全釈』では、「すずろ」と同じであって、「意外・思いがけない」と訳されていました。)が、解からないので、ここは保留とさせて頂きます。  もう一方は、気が落ち着かない、そわそわするの意味で、「虚しい」を当てました。  「ねにこし」=寝に来る・寝にやって来たの意、と寝に来られたし・寝にいらっしゃい、の掛詞。

 

     花(はな)なき今(いま)も香(か)を吹(ふ)いて/残(のこ)れる春(はる)を焼(や)かんとす

       ―「255 夜の神のあともとめよるしら綾の髪の香朝の春雨の宿」      (訳)夜の恋人(鉄幹)の後を追い求める私の白綾に染み付いた鬢の香りが、朝の春雨が降る宿に漂っています。

 (255)は上記の部分を踏んでいますから、「鬢の香」は直接的には女性性器の匂いであって、二重詠みとも言える歌です。   「もとめよる」=求め寄る、ではなく、「求める+~しよる」という方言。 「し」はdoです。 自分の意思に反して身体が自然と「鬢の香」を放つことを示しています。

 

 四

     足(あし)にさはりて和(やは)らかき/名(な)もなき草(くさ)の花(はな)ふみて/思(お毛)ふは弱(よわ)き人(ひと)の春(はる)

        泣菫『暮笛集』「村娘」―神よ情(じやう)ある人の子に、/盲目をゆるせ、 ゆく春の/長きうれひを眺めては、/か弱き胸の堪へざるに。

       ―「217 神ここに力をわびぬとき紅(べに)のにほひ興(きよう)がるめしひの少女(をとめ)」      (訳)神様は、ここに非力を詫びて下さっているでしょう。私は、危険な恋を面白がっている恋に盲目の少女です。 

 「暮春の賦」‐思ふは弱き人の春は、「村娘」‐か弱き胸の堪へざるに、という意図によって、「村娘」を踏んで成立しています。  「とき紅(べに)のにほひ興(きよう)がる」→危険な恋を面白がる。  鉄幹歌話は参考にせず、常に歌に忠実になる方が良いと思います。

 

     蹠(あなうら)粗(あら)き運命(うんめい)に/恋(こひ)の常花(とこばな)ふみさかれ/ 憂(う)しや、 逝(ゆ)く日(ひ)の無(な)くてかは

     泣菫『暮笛集』「巌頭にたちて」―耳をすませば、岩(いは)がくれ/薄き命の響きして、/風にわなゝく蘆(あし)の葉の/波間に沈む一ふしよ。

       ―「250 二十(はた)とせのうすきいのちのひびきありと浪華の夏の歌に泣きし君」      (訳)(表訳)二十年の幸せ薄い命の響きがあると、 (去年の)大阪での夏の歌に泣いて下さったあなたでしたのに・・・・。   (裏訳)二十年の幸せ薄い命の響きがあると(去年の)大阪での夏の睦みに(結婚すると)約束して下さったあなたでしたのに・・・・。

 直接的には「巌頭にたちて」を踏んでいますが、暗々裏には、「恋(こひ)の常花(とこばな)ふみさかれ/ 憂(う)しや、 逝(ゆ)く日(ひ)の無(な)くてかは」を踏み、

       「253 君ゆくとその夕ぐれに二人して柱にそめし白萩の歌」      (訳)登美子が帰って後、その夕暮に二人で睦んだ、私の愛。 → この時、既に晶子は鉄幹と結婚する約束をしていたのでしょう。 鉄幹はそんなつもりは毛頭なかったにしろ・・・・。

この歌を念頭に置いて詠まれています。

 

 五

     暗(やみ)まだ薄(す)き彼方(かなた)より/常若(とこわか)に笑(ゑ)む星(ほし)の影(かげ)/知恵(ちゑ)ある風(ふり)にきらめきて/夏来(なつく)と知(し)らす顔付(かほつき)よ

       ―「1 夜の帳(ちやう)にささめき尽きし星の今を下界(げかい)の人の鬢(びん)のほつれよ」       「長恨歌」を参照して下さい。

 

     知恵(ちゑ)ある風(ふり)にきらめきて/夏来(なつく)と知(し)らす顔付(かほつき)よ

       ―「135 春はただ盃にこそ注(つ)ぐべけれ知恵あり顔の木蓮や花」      (訳)知恵あり顔をしている木蓮の花よ、春はただ、盃に酒を注ぐべきだ。

 「夏来(なつく)と知(し)らす顔付(かほつき)よ」 を暗々裏に踏み → 「春来と知らす顔付よ」 → そんなに落ち込んでいないで、いずれ恋が成就しますよ、と言う「知恵あり顔の木蓮の花」に、苛(いら)ついての一言。 「恋は、一途なものですよ。」 が、「春はただ盃にこそ注(つ)ぐべけれ」。

 

     今(いま)冷(ひや)やかに見(み)かへして/吾(われ)、 嘲(あざ)けるを江堪(た)へじな 

        ―「266 そのわかき羊は誰に似たるぞの瞳(ひとみ)の御色(みいろ)野は夕なりし」       (訳)その若い羊は、誰に似ているでしょう? と思える程の瞳の野の夕焼けの色です。  (彷徨える羊である私の瞳も、この夕焼けの野のようです。)

 「吾(われ)、 嘲(あざ)けるを江堪(た)へじな」を踏み、 晶子が自分自身を嘲笑っています。 涙で真っ赤になった瞳の色、 その色が梅雨の合間の夕焼け空に染まった野の色と一緒だったのでしょう。

 

  六

     耳(みヽ)をすませば薄命(はくめい)の/長(なが)き恨(うらみ)か、 暗(やみ)の夜(よ)を

       ―「264 行く春の一弦(ひとを)一柱(ひとぢ)におもひありさいへ火(ほ)かげのわが髪ながき」       (訳)春が過ぎ行き、駆け落ちの一つ一つに思い出があります。とは云うものの、燈火の影の私の髪は(あなたを恨んで)長く伸びています。

「行く春」=過ぎ行く季節と、過ぎ行く青春と、駆け落ちの道程。 「一弦(ひとを)一柱(ひとぢ)に」=琴を弾いている訳ではなく、一つ一つの出来事の譬え。 「さいへ(さ云へ)」=とは言うものの。 「B-わが髪ながき」=A さ云へ「B」 → A の逆説が「B」 、つまり 「B-わが髪ながき」は、「A-行く春の一弦一柱におもひあり」 の肯定文に対しての逆説であり、 否定的文章-悪い意味で「髪が長い」となり、 「長(なが)き恨(うらみ)か、 暗(やみ)の夜(よ)を」 を踏んだものが、「火(ほ)かげのわが髪ながき」です。

 

      くだけて落(お)つる芍薬(しやくやく)や/吾(われ)も沈(しづ)める 此(この)夜半(よは)を/毒(どく)ある花(はな)の香(か)に酔(ゑ)ひて/消(き)江て人霊(すだま)と化(か)せん哉(かな)。

        ―「262 とどめあへぬそぞろ心は人しらむくづれし牡丹さぎぬに紅き」       (訳)抑えることが出来ない空虚感をあなたにはお解かりにならないでしょう。 裂かないのに崩れてしまった牡丹が咲ききらないで紅く(散っています)。

 「くだけて落(お)つる芍薬(しやくやく)や」を「くづれし牡丹」、「吾(われ)も沈(しづ)める 此(この)夜半(よは)を」を「とどめあへぬそぞろ心」とし、「毒(どく)ある花(はな)の香(か)に酔(ゑ)ひて/消(き)江て人霊(すだま)と化(か)せん哉(かな)」を暗々裏に踏んでいます。

 (262)五句を〔新潮〕では「袂に紅き」、〔改造〕では「大地に紅し」と変更していますから、どうも五句の「さぎぬ」の語彙がしっくりいかなかったのでしょう。 「さぎぬ」=着物ではなくて、「裂ぎぬ(さぎぬ)と咲きぬ(さきぬ)」の掛詞。 「さきぬ」とすれば、「咲きぬ」の意味に特化されてしまう為、「裂きぬ」の意図が飛んでしまうからです。 晶子としては鉄幹との駆け落ちが、自分の意思ではないこと(裂かないのに)を強調したかったのだと思います。

  

  七

      かゝる静寂(しヾま)をことならば/心(こヽろ)ある子(こ)がものすざび

        ―「126 春の川のりあひ舟のわかき子が昨夜(よべ)の泊(とまり)の唄(うた)ねたましき」       (訳)春の川の乗合い舟に乗り合わせた子供が、昨夜の宿で唄って(騒いで)いたのが妬ましかったです。

 「春の川のりあい舟のわかき子が」=嵐山遊覧(保津川下り)の舟に乗り合わせた子供が。 「かゝる静寂(しヾま)をことならば」-晶子が鉄幹に置いてきぼりをされ、沈んでいる一方で。 「心(こヽろ)ある子(こ)がものすざび」-躾の悪い子が騒ぐ。 

 

      顫(わな)なく絃(いと)にふれもせば/弱(よわ)き我身(わがみ)はくだけても/琴(こと)ひく君(きみ)が胸(むね)の上(へ)に/涙(なみだ)のかぎりかけましを

        ―「260 くろ髪の千すじの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもひみだるる」        (訳)(私の)黒髪の千筋の乱れ髪が、(恋によって)さらに思い乱れ、乱れています。

 初出は『みだれ髪』ですが、「暮春の賦」を一字一句踏みたいという意図により、編纂時に挿入されたのでしょう。 晶子の言葉の遣い方でスゴイと思うのは、「かつ」の語彙を挿入したことです。 「尚且つ(なおかつ)」の「かつ」ですが、畳み掛ける用法としても、音としてのアクセントとしても区(句)切れにも効果を演出しています。

 

  八

      あゝ恨(うら)みある春(はる)の夜(よ)の/ほそきあらしに熱情(ねつじよう)の

        ―「83 その涙のごふゑにしは持たざりきさびしの水に見し二十日月(はつかづき)」       (訳)上記を参照して下さい。

 登美子「その涙のごひやらむとのたまひしとばかりまでは語りうべきも」 (訳)「その涙を拭ってあげるわ」と言うばかりまでは、語り合えるのですが・・・・。  この登美子の歌を引用し、 登美子なら、鉄幹は一緒に東京に連れて行ったでしょう、という思いが根底にあります。 「その涙のごふゑにしは持たざりき」は、結婚の約束をしたけれど、まだ妻ではないし・・・・、を意図します。

  

      焔(ほのほ)な消(け)しぞ、木(こ)がくれに/のがれて急ぐ佐保姫(さほひめ)が

        ―「129 小川われ村のはづれの柳かげに消えぬ姿を泣く子朝見(あさみ)し」      (訳)小川よ、あなたは村の外れの柳陰に泣きながら消えていった私の姿を朝、見ましたよね。

 「のがれて急ぐ佐保姫(さほひめ)が」ですから、晶子が逃れて急いで消えていきます。 「われ」=私ですが、呼びかけの二人称「あなた」を意図し、「小川われ」=小川に呼びかけた「小川よ、あなたは」の意。 歌全体が小川に呼びかけた文章。 「消えぬ」=消える(反語)。 「小川われ/村のはづれの柳かげに/泣く子/消えぬ姿を/朝/見(あさみ)し」 の置換です。

 

      旅路(たびぢ)を咀(のろ)ふ蠱術(まじ毛の)の/息吹(いぶき)とはかん血汐(ちしほ)なり

      泣菫『暮笛集』「村娘」― 和肌に/指をさはれば此は憂しや、潮に似たる胸の気の浪とゆらぐを今ぞ知る

      泣菫『暮笛集』「尼が紅」― 乳房さはりて吾胸の/力ある血の気は立ちぬ

        ―「392 誰に似むのおもひ問はれし春ひねもすやは肌もゆる血のけに泣きぬ」     (訳)誰に似ているか? と自問してみる程の、春の一日中(私の)柔肌を燃やす血の気に泣いています。

 直接的には泣菫の「村娘」と「尼が紅」を踏んでいますが、佐保姫が自身のことを「息吹(いぶき)とはかん血汐(ちしほ)なり」と述べていますので、 晶子自身のことを言っています。  「誰に似むのおもひ問はれし」=誰のような生き方をしたいかと問われた、のではなく、 「誰に似むの」思いを問い掛ける程の、意であって、「やは肌もゆる血のけに泣きぬ」に掛かります。