地震で帰宅困難者になりました。

2011-03-12 16:36:51 | 日記

    こんにちは。

大地震ですが、みなさんは大丈夫でしょうか。

被災地のみなさまに心よりお見舞い申し上げます。

わたしは地震のあった昨日は帰宅困難者になりました。

東京近郊のコンサートに出かけたホールの中で開演14分前に地震になり、結局一晩

ホールに泊まって、翌朝にバスと私鉄を乗り継いで帰ってくることができました。

震度5ということです。

テレビで見ることはあっても、まさか自分がその立場になるとは夢にも思いませんでした。

まずホールが停電し、携帯電話が不通になり、電車は現在全線不通ですとのアナウンス。

意外に公衆電話は使えました。

ホールに泊まることを覚悟して、お弁当でも買うために夕暮れの街へ出ましたら、大手スー

パーを始めお店はすでに地震と停電のため街中全部閉店になっていて買い物不能です。

レストランなども停電のため調理不能ということで閉店。

コンビニも閉店。

道路の信号機もすべて消えています。色のない信号機を初めて見ました。

日暮れとともに真っ暗闇になってゆく街。

人よりも懐中電灯のチラチラ動く灯りのほうが妙にリアリティーがあって。

戸締りをしているご主人に、ホールへ戻る道を尋ねましたら丁寧に教えてくださって、「暗い

から気を付けて行ってくださいよ」の労わりの一言にはじめて、ああ、これが地震というもの

なんだとしみじみと実感しました。

もちろん自動販売機も動いていません。

ホールではペットボトルのお水を出してくださったり、トイレなどの要所には女性の事務員

さんが懐中電灯を持ってずっと立っていたり、時々、東京や神奈川県など近くの情報を

ハンドマイクで報せてくださったり、ホッカイロを頂いたり、その他にもたいへんお世話に

なりました。

地震に遭った時には公共の建物に入るのがいい選択かもしれません。

その市立のホールは地震時のマニュアルがあり、従業員のかたたちも日頃からよく訓練

なさっていた様子で、対応も早く、まず交通網の遮断について連絡があり、パニックになら

ないように穏やかに親切に接してくださり、座布団や毛布などの備蓄もありました。

そのうち21時近くになって電気が回復して、いっせいに歓声が上がります。

ほんとうに、電気がなくては手も足も出ません。これで暖房も入るようになりましたし、

自動販売機も点きました。

携帯電話も通じて、みなさん無言で安全確認の交信をし始めます。

建物の奥のいちばん暖かいところにゴザを敷いて頂いて、座布団や毛布をお借りし、NHK

の被災状況の放映を見ながら過ごしているうちに、駅などで帰宅できずに立ち往生していた

かたたちが、300人ほどホールに案内されてきて、わたしたちの居場所や正面のフロアや、

客席に分かれました。

学生さんやサラリーマンに混じって、顔見知りのコンサートのお客さんたちも入ってこられ

ました。

駅や電車の中で復旧を待っていたそうで、ほかの公共の建物や大学に案内されて行った

かたたちもいらっしゃると聞きました。

近くの女子大では1000人、このホールでは結局700人収容したようです。

再び地震がきたときにはいつでも逃げれるように電灯もあかあかと点いたまま、NHKの

テレビ放送も大音量で点いたままで、一夜を過ごしました。

深夜、自動販売機で飲み物を買っていたら、お勤め帰りらしい女性が話しかけてこられまし

た。「すみません、誰かと話さないと不安でたまらなくて・・」。

わたしはお仲間がいましたので、気が紛れて良かったと思いました。

電車はほとんどが午前中に復旧し、お知り合いのかたも帰宅できたようで、安心しました。

被災地の無残な状況には胸つぶれる思いですが、一刻も早い救出と復旧をお祈りいたします。

 

 

 

 

  

 

 


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