こんにちは
今回は、エカテリーナ宮殿の二回目にして最終回をお届けします。
今回は主に、皇帝やその家族が過ごした奥のプライベートのスペースをご案内します。
ところで、エカテリーナ宮殿の名前は、歴史に有名な女帝エカテリーナ2世の名を付けたと思わ
れがちですけど、ではなくてエカテリーナ1世の名を付けたのでした。
1世は、ロシアの初代皇帝であるピョートル大帝(青銅の騎士像)の二番目の妻でした。
このエカテリーナ1世の、あり得ないほど数奇な運命には驚くばかりです。
彼女はリヴォニアという小国の農民の家に生まれ、夫が戦死した後ロシアの捕虜となり、ロシアに
連れてこられて洗濯女(奴隷)として働いていました。いきさつがあって、ピョートル大帝の所に労働力として献上され、大帝と出会います。
大帝に気に入られて愛人になり、やがて正式の妻(后妃)となり、大帝亡き後大帝の跡を継ぐ形で第2代ロシア皇帝の座に就きます。
その後、大帝との間にできた彼女の長女のアンナ、次女のエリザベータも皇帝の座に就きました。
それならば、彼女はよほどの美人で魅力的な人だったのだろうと想像したくなりますけど、その逆であったと、どの記述にも書いてあるのです。
ずんぐりとして色が黒くがさつで品位がなくよく食べ、でも快活な人で、ピョートル大帝の病的な怒りを鎮めるのが上手な人だった、と。
ピョートル大帝は名君でしたけど、長男(一番目の妻との)を拷問の末、殺してしまうほど怒ると激しい人でした。
ロシア初代皇帝ピョートル大帝
↓下の写真の左側がエカテリーナ1世、下がエカテリーナ2世の肖像画です。
二人の間に接点はなく、エカテリーナ2世は第8代の皇帝です。
2世は、ドイツから第7代皇帝ピョートル3世に嫁いできたのですけど、家臣を皆自分の味方につけ、
無能だったという夫を暗殺させて自分が皇帝の座に就きます。
ピョートル3世はエカテリーナに怯えて、護衛を固くし逃げ回っていたらしいのですけど、遂に暗殺
されてしまいました。
↓下は、宮殿に飾ってあったエカテリーナ2世のドレスと絵画。
エカテリーナ2世は、男性の皇帝が足元にも及ばないほどの政治力があり、剛腕で戦争の戦略にも
長け、ポーランドやウクライナを領土にし収益をもたらし、ロマノフ王朝の最盛期を築いた人でした。
また世界各地から多くの美術品を収集してエルミタージュ美術館の基礎を作った人でもあります。
エカテリーナ宮殿の皇帝家族のプライベートスペースには、エカテリーナ2世の趣味で、よりロココ風
に改装された部屋が多いそうです。
↓下の部屋は「ラズベリー色の付け柱の間」。ロマンティックですのでエカテリーナの好みでしょう。
↓下は、「緑色の付け柱の間」です。
どの部屋にも右の青い装飾タイルのペチカが壁に埋め込まれていました。
↓黒人の召使いは、当時宮殿で働いていた黒人奴隷をモデルにしたそうです。
↓下は「絵画の間」。エカテリーナは絵画が好きでした。
↓下の部屋には特に名称が無かったようなのですけど、綺麗な壁が印象的な部屋でした。
↓そして下のウェッジウッド風のレリーフの美しい部屋は、エカテリーナ2世が作らせたお気に入
りの「緑の食堂」。時に残酷な男勝りの女傑として名高い人ですけど、意外にも夢見心地な乙女風
が趣味だったようで微笑ましくなりました。
↓下の部屋は、エカテリーナ2世の後に、男性の皇帝によって改装された部屋のようです。
↓宮殿の奥に行くに従って、家族色が強くなってゆきました。
↓いつの時代なのか分かりませんが、王子たちの肖像画と当時の衣服。
エカテリーナ2世はロマノフ朝(ロシア)の14人の皇帝の中でも最も在位が長く、34年間の権勢
を誇りました。一方、何百人もの愛人がいたというのも史実だそうです。そんな怪女でした。
↓エカテリーナ2世がとりわけ自慢していたのが世界唯一の「琥珀の間」でした。
壁がすべて琥珀(コハク)で造られており、プロイセン(ドイツ)から贈られた部屋を冬宮に置いて
いたものをエカテリーナがこの宮殿に移し替えました。
Yahoo画像より
「琥珀の間」は、見学はできましたけど写真撮影はNG。
↓下は、宮殿のショップに置いてあった琥珀や琥珀の製品です。
琥珀は、木の樹脂が長い年月地中で宝石のように硬化したものだそうです。
↓ついでにショップに置いてあったイースターエッグなど。復活祭に飾る装飾卵。
↓下もイースターエッグの発展型。
宮殿の廊下から外のクリスマスツリーが見えました。
↓近くで写したエカテリーナ宮殿の一部。ロシアバロック様式を代表する建造物です。
以上でエカテリーナ宮殿を終わります。