私たちの環境

今地球の環境がどうなっているかを
学んでいきます。

管理人 まりあっち

米国からイラクへ

2006-02-13 19:23:52 | Weblog
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
     世界の環境ホットニュース[GEN] 561号 05年02月07日
     発行:別処珠樹【転載歓迎】意見・投稿 → ende23@msn.com     
           沖縄の化学兵器(第14回)        
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 沖縄の化学兵器                      原田 和明

第14回 米国からイラクへ

沖縄から撤去された化学兵器はその後どうなったのでしょうか。米国には化学兵
器の持ち込みも米国内での処理費用の支出も認めないグラハム法があります。米
政府は持ち込み禁止範囲である「米国内」を米50州と解釈することでハワイ・ジ
ョンストン島への移送を強行しましたが、処理工場の建設は技術的にも予算的に
も難しかったと思われます。しばらくの間、化学兵器はジョンストン島に放置さ
れたままだったようです。

1984年夏、ジョンストン島を巨大ハリケーンが襲いました。このとき、数千トン
の化学兵器を同島に放置したまま管理要員110人を含め370人の在住者が全員ハワ
イに飛行機で避難しました。沖縄から持ち込まれた分を含む多量の神経ガス、マ
スタードガスが、コンテナ、ロケット、爆弾、機雷、砲弾などの形で置かれてい
て、米議会会計検査院は83年、「ジョンストン島の貯蔵施設は不適切で、化学兵
器の質を低下させている」との報告書を公表しています。(1984.8.21 ワシント
ンポスト)一刻も早い処分が必要な状況であったようです。それに沖縄から移送
された化学兵器は1万3千トンでしたから数量に差異が生じています。

毒ガス撤去後、国際社会で化学兵器の使用が確認されたのは1979年に始まったイ
ラン・イラク戦争です。このとき、イラクがイランに対して使用した毒ガスはマ
スタードガスとタブンでした(鳥井順『イラン・イラク戦争』第三書館、1990年

が、そのイラクに化学兵器を提供していたのは米国でした。1978年のイスラム革
命でイランに反米政権が誕生、テヘランの米大使館が学生に長期間占拠されると
いう事態になっていました。その対抗策として米国はイラクのフセイン大統領を
支援したのです。

83年末に当時民間人だったラムズフェルド・現国防長官がレーガン米大統領の特
使としてフセイン大統領と会談、そして米政府はイラクに生物化学兵器の売却を
許可したのです。売却リストには炭疽菌、ボツリヌス菌、マスタードガス、その
他危険な化学物質が含まれており、ダウケミカル社が化学兵器に転用可能なこと
を知りながら商務省の許可を得て 150万ドルで売却した殺虫剤もあったとのこと
です。(2004.12.30ワシントンポスト)

ブッシュ政権がフセイン政権の大量破壊兵器問題でたびたび引用する事件に、イ
ラク軍がクルド人を毒ガス攻撃したという「ハラブジャ事件」(1988年)があり
ます。ただ、当時クルド人被害者を検診したトルコの医者たちが、症状から毒ガ
スの内容をイラン側の所有するシアン化物または青酸ガスだと証言しています。
当時イラク軍はシアン化物を持っていませんでした。イラクのハイララ国防相も
当該地域は峡谷で毒ガスが滞留しやすくイラク軍にも被害がでるとの理由で毒ガ
ス兵器の使用はしなかったと証言しています。(鳥井順『イラン・イラク戦争』
第三書館、1990年)イランはその毒ガスをどこから入手していたのでしょうか。
86年11月、レバノンの新聞アルアシアが「米国が密かに武器をイランに販売して
いた」と報道しました。レーガン米大統領は一旦否定したものの、数日後には武
器販売の事実を認めました。(コントラ事件)

イラク戦争の折、米軍はファルージャ、ナジャフ、モースルなどで化学兵器工場
発見と発表しましたが、その後化学兵器工場ではなかったことが判明しています

その後もイラクに化学兵器工場があったことは確認されていません。結局、ブレ
ア英首相もブッシュ大統領もイラクの大量破壊兵器保有情報は間違いだったこと
を認めました。イラクには米国等が売却した毒ガスがあっただけでした。

その後、ジョンストン島ではワルシャワ条約軍に備えて西ドイツ内に配置してい
た化学兵器10万2千発を、1990 年7月中旬に米軍が搬出、化学兵器処分システム
(JACADS)で廃棄することになりました。早速南太平洋のバヌアツ共和国
で開かれた15カ国・地域の国際機構「南太平洋フォーラム(SPF)」年次総
会は、「米軍が行う化学兵器の廃棄処分について、海洋に依存するオセアニア各
国は、環境悪化につながるので、重大な懸念を表明する」と、対米非難提言を全
会一致で出しました。(1990年8月14日 週刊アエラ)

西ドイツにあった毒ガスをジョンストン島に移すということは、それだけのスペ
ースがジョンストン島にできたということになります。ジョンストン島の保管施
設は72年の沖縄返還までに毒ガス撤去の方針の下、急拵えした経緯があり、最初
から十分な余剰スペースがあったとは考えられません。上記アエラ誌は「毒ガス
弾など、400トンの焼却処理を計画、すでに1億5000万ドルで4基の焼却
炉を造り試験運用している」として、沖縄にあった毒ガスの処分の準備が進みつ
つあることを伝え、「転用」した可能性には言及していません。

------------------------------------------------------------------------
■ご意見・ご投稿 → ende23@msn.com
   ホームページ →「環境と学びのひろば」 http://www.kcn.ne.jp/~gauss/
------------------------------------------------------------------------