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管理人 まりあっち

枯葉剤機密カルテル(第12回) 

2006-09-29 13:35:01 | Weblog
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     世界の環境ホットニュース[GEN] 596号 05年07月30日
     発行:別処珠樹【転載歓迎】意見・投稿 → ende23@msn.com     
           枯葉剤機密カルテル(第12回)     
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 枯葉剤機密カルテル                    原田 和明

第12回  PCP需要拡大政策


日本国内でPCPが水田除草剤として使われるようになったのは1960年代に入っ
てからです。1958年に農林省(現・農水省)が全国試験を実施、翌59年の試験販
売を経て、1960年から実用段階に入り、1962年には早くもPCPの総販売量は2
万トン以上、散布面積でいくと 全国の水田面積の3分の1にあたる100万ヘクタ
ールで使われる見込みという超ヒット商品となりました。

PCPがそれまでの除草剤と違う点はあらゆる植物の種子の発芽を止めてしまう
「無選択性」で、田植え前に 散布すると、苗床で成長している稲だけは 抵抗力
があって大丈夫ですが、他の雑草は 根こそぎやられてしまう という強烈なもの
で、人手不足に 悩む 農民に「農業 近代化の 新兵器」として迎えられました。
(1962.8.11朝日新聞)

しかし、その毒性は雑草に対するものだけにとどまりませんでした。1962年7月、
琵琶湖や九州の有明海で大規模な魚毒事件が起きたのです。わずか1、2日の間に
何万匹もの魚が死に、地域によっては貝が全滅という惨状で、被害は両地区の他

山形、群馬、埼玉、京都、愛知、岡山など計14府県、被害総額は20億円以上に及
びました。

ところが、農林省は このような被害を 予測できなかったわけではありませんで
した。魚毒性があることは 最初から知っていた のです。実験の結果、PCPは
水田の土中の金属と化合して固定化したり、太陽光線で分解したりして毒性が弱
まり、10日過ぎれば排水しても害はないことを把握していました。そこで農林省
は「(1)PCP散布後10日間は排水しない、(2)水のあふれる危険のある田、近く
に養魚施設がある所は避ける」などの条件付で実用に踏み切ったわけですが、初
年度に琵琶湖で被害発生した後も、翌61年に有明海沿岸で4億円、62年には有明
海で18億円、琵琶湖で4億円の被害を出しながら、農林省は「大雨による海の淡
水化が原因」だという根拠のない理由を持ち出しPCPの使用禁止措置をとりま
せんでした。

それに、そもそも梅雨時期に行なわれる田植えの頃に、10日間も排水しないとい
う「対策」が実現可能だとはとても思えません。水田に雨が降れば水があふれる
のは当然です。それでも農林省は「PCPの魚毒は使用上の誤りによる例外的な
もの」との立場をとっていました。しかし、頻発する「例外」に対し、被害の大
きい県や漁業団体は「天災融資法」の適用や巨額の補償を求めました。

PCPが水田除草剤として優れた効果を発揮することは1956年に宇都宮大学農学
部の 竹松哲夫らの「思いつき 実験」でたまたま発見されたとのことです。その
いきさつについて竹松は「色々な薬をまいた後、まだ試験田が余ったので、PC
Pなんか毒性が強すぎてダメだろうが、とそれほど期待せずにぶちこんでみた。
それが当たったんです。」と語っています。その竹松は水産被害に対して農林省
の対応を批判しています。

 「今盛んにやっている田植え後、表面にまくやり方をやめ、田植え前に元肥と
 一緒にいれて土とまぜるやり方に限定すれば雨期ともずれて雨でPCPが外に
 出る心配がまずないので十分に通用すると思う。こんなことになったのも農林
 省のやり方に原因がありはしないか。PCPで死んだ魚の解剖学的特徴ぐらい
 はしっかり掴んでおくべきだし、不意の洪水で下流の魚や貝が受ける影響を調
 べる本格的な実験はぜひ必要と思うがこうしたことは実際はほとんどされてこ
 なかった。」
 
と指摘しています。(1962.8.11朝日新聞)

竹松によると対策は既にあったのです。しかも、肥料とPCPを一緒に土と混ぜ
るという「対策」は農林省も承知していました。農林省は1961年春に肥料取締法
を改正して、それまで異物混入を禁止していた肥料にPCPを混合する製品を合
法化しようとしていたのです。改正案の目的はPCP混入肥料の合法化であるこ
とを農林省自ら認めています。(1961.4.7参院農林水産委員会)

ところが既に何が混入しているかわからない「いかがわしい肥料」が巷に溢れて
いる現状(1958.2.17 衆院予算委員会第三分科会)を容認することになりかねな
いことを危惧する国会議員が多数いて、農林経済局長・板村吉正はしばしば答弁
に窮しています。参院では問題点を指摘されながらも21日に通過しましたが、衆
院で再び紛糾、審議未了で廃案になってしまいました。このとき、農業関係だけ
で18もの法案が同時に廃案になっています。(1961.6.30衆院農林水産委員会)

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