私たちの環境

今地球の環境がどうなっているかを
学んでいきます。

管理人 まりあっち

変わらぬ基地の島

2006-02-13 19:25:30 | Weblog
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     世界の環境ホットニュース[GEN] 562号 05年02月10日
     発行:別処珠樹【転載歓迎】意見・投稿 → ende23@msn.com     
           沖縄の化学兵器(第15回)        
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 沖縄の化学兵器                      原田 和明

第15回 変わらぬ基地の島

1971年夏に沖縄の化学兵器は撤去されたことになっていました。このとき、日本
政府と琉球政府は沖縄に化学兵器が残存していないか確認したいと、米軍に知花
弾薬庫以外の立入検査も求めました。しかし、米政府は知花弾薬庫への立入を認
めただけで、他の地区への立入検査はみとめませんでした。このためランバート
高等弁務官は「沖縄から毒ガスは一掃された」と語ったにも拘わらず、他の地区
に化学兵器が残っているのではないかとの疑念は晴れませんでした。

毒ガス撤去から10年後の1981年5月21日、米海兵隊辺野古 弾薬庫内にヤギ及び牛
が放牧されているのが確認されました。このことは、当該弾薬庫に毒ガスや細菌
兵器等が貯蔵されているのではないかという疑惑を抱かせるものでした。という
のも、化学兵器が沖縄に配備され始めた1960年代初頭から米軍267化学中隊に
ヤギが飼われているのを地元住民が見かけて、アメリカ人は動物愛護の念に富ん
でいると感心したものでしたが、後にそのヤギは毒ガス漏れ探知用のイケニエだ
ったことがわかったという経験があったからです。(大田昌秀『拒絶する沖縄』
サイマル出版1971)

外務省北米局外務参事官・松田慶文は米軍からの回答として「沖繩辺野古弾薬庫
に置かれております海兵隊第三部隊役務支援軍、第三補給大隊、弾薬中隊、第一
分遣隊は化学兵器ないし核兵器を整備する能力を有する部隊である。ただし、実
際の貯蔵、搭載云々というものは全くないが、能力を保持するということは総合
的な軍の機能維持のために全世界的にやっておりまして、これは従来からいろい
ろな国会の委員会で重ねて政府が申し上げておりますとおり、そういった能力を
各般の段階で保持していることは米軍の体制上あるが、しかしそういう部隊の存
在が、そういった核兵器の存在とは全く別個の問題であるということを申し上げ
たいと存じます。」と述べています。(1981.9.8参院外務委員会)。

化学兵器を扱う部隊はあるが化学兵器はない、そんなことがありうるのでしょう
か? 1971年の撤去時には化学兵器の移送に伴い取り扱い部隊もジョンストン島
に移動するとランバート高等弁務官は述べていましたが、化学部隊があるなら化
学兵器もあるだろうと考えるのが素直な見方でしょう。そして1993年4月8日、市
民グループ「平和資料共同組合」が、米国の情報公開法を駆使して、在日米軍の
基地情報を入手、辺野古弾薬庫にCS毒ガスと白リンを貯蔵しているとの公文書
を入手・発表しました。CSとはベトナム戦争当時使用されていたCNに代わっ
て現在世界で最も広く使われている催涙剤です。白リン弾は、第二次大戦中の米
軍沖縄上陸作戦において、日本軍の地下壕攻撃に使用された化学兵器です。71年
の移送後も沖縄には化学兵器はあったのです。

白リン弾は炸裂と同時に粉末として飛散し、防御マスクのゴムを通過して顔まで
届く。そして、人体(湿気)に触れた途端に発火する。白リンの粉を吸い込んだ場
合は、口・喉・気管・肺(内部には湿気がある)・目・鼻(内部)・耳(内部)で、発
火し焼き尽くして人体を内部から溶かしていく。また、喉と肺に水泡ができて呼
吸できない症状で呼吸困難に陥るという化学兵器です。米国は、イラク戦争で無
差別に使用していると言われていますが、白リン弾やナパーム弾のような焼夷兵
器を一般市民の居住地域で使用することを禁じている国連特定通常兵器禁止条約
に署名していない為、国際条約違反ではないと主張しています。

1988年12月21日の朝日新聞は「沖縄米軍の演習、なぜ激化 米ソは平和ムードな
のに」という見出しで、在沖縄米軍の変化を次のように伝えています。
「今年の沖縄は在沖米軍の演習が激化し、それに対する県民ぐるみの反発が目立
った。もう1つ、県民を不安がらせているのが、在沖米軍のNBC(核、生物、
化学)兵器防護訓練が増えたことだ。米空軍嘉手納基地や読谷飛行場、海兵隊キ
ャンプ・ハンセン基地などで化学防護服を着用しての訓練が日常化している。」

記事の最後に次の会話を紹介しています。
一緒に基地を回ったタクシーの運転手さんに、こう聞かれた。「米ソが平和なム
ードなのに、なぜ沖縄ばかり演習が激化してるんですかね」。本土の人間として

沖縄県民の問いに答えようがなかった。

1990年8月、イラクがクウェートに侵攻、その後 湾岸戦争へと発展しました。11
月に中東から長崎・佐世保港に帰港した米海軍の兵士は「連日船内で生物化学兵
器防御訓練があった。約460人の乗組員すべてが、クウェートに進駐している
イラク軍の化学兵器を最も恐れていた。訓練のときは、みんな真剣で私も本当に
恐ろしかった」と話しました。(1990.11.10朝日新聞)

米国が戦争当事国双方に兵器を売却し、米軍は化学防護訓練を強化する・・・。
沖縄はそんな舞台でもありました。

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月刊誌『世界』記事紹介
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雑誌『世界』につぎの記事が掲載されていますので、ご紹介します。

●05年12月号 「たったひとりの聖戦」ロバート・フィスク 安濃一樹・訳
 オサマ・ビンラディン――アフガンの荒野から孤独の荒野へ
●06年01月号 「法という名の正義」       安濃一樹・宮前ゆかり
 「CIA漏洩事件」の闇に迫るフィッツジェラルド特別検事
●06年02月号 「空に浮かんだ撤退作戦」S・M・ハーシュ 安濃一樹・訳
 ――イラク戦争はどこに行こうとしているのか
 
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   ホームページ →「環境と学びのひろば」 http://www.kcn.ne.jp/~gauss/
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