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昨日☆今日☆明日~金曜日のピュ

私の毎日と心に浮かんだこと

今ここにある幸せ~Viva la Vida~

2008-07-21 11:26:21 | 家・家族
昨日は忙しい一日だった。
ギター合奏団の練習、5時間。反省会と称する飲み会に1時間くらい参加したあと、
新宿で開かれたフラメンコ・フェスティバルへ。
我がフラメンコの師匠のところからは2名が出演。
ギターのMB君は、師匠を2ndギターに従えて熱演。
カンテ(唄)のA子ちゃんは堂々とソレアを歌いきった。
帰宅すると、三女が「すごく良いCDを買ったから聴いて」と2階から下りてきた。
今、人気の英国のロック・バンド、コールドプレイの<Viva la vida~人生万歳>という
アルバムだ。多彩で美しい曲の数々、歌詞も不可思議で魅力的。2人でしばし耳を傾けた。
こんな一日を過ごすと、疲れも心地よい。
動き回って、好きなことをして、元気を貰って、家族とも共感して。
平凡だけれど幸せなんだと思う。

長女が小学校の低学年、次女が幼稚園児、三女が1歳くらいの頃。
最寄の駅の「音楽教室」で無料コンサートがあると知り、3人を連れて聞きに行った。
生徒募集のキャンペーンみたいなチャチなコンサートで、無料に惹かれて出かけて
行ったことを後悔した。
おまけに帰りは雨が降り出して、やっと帰宅すると郵便受けに一枚の葉書。
スペイン留学に出発したばかりの若い勉強仲間からだった。懐かしいスペインの写真の裏には、
新しく始まる生活や勉強への抱負が生き生きと書かれていた。
身体がヘナヘナとした。子育てに追われ、無料コンサートで気分転換しようとした自分を
ものすごく惨めに感じて泣きそうになった。

あの時の自分を思い出すと、情けない。
私にとってはチャチなコンサートだったとしても、長女と次女は目を輝かせて
楽しんでいたではないか。イントロ当てクイズに一生懸命取り組んでいた二人。
そして私の膝の上では三女が穏やかな目をして大人しく座っていた。
あの幸せは、もう戻ってこない。
子育ての楽しい思い出はたくさんあり心の中で輝いているが、
このホロ苦い思い出もまた消えることは無いだろう。
そして私に語りかける。今ある幸せを大切にしなさいと。

長女の誕生日から10日とたっていないが、今日は三女の誕生日。
夜は家族で食事に行く。写真は長女と次女が内緒で作ったバースデーケーキ。


居酒屋「T」と、ぶっちゃけ我が家

2008-07-16 13:07:40 | 家・家族
長女と次女は、地元のミッション系幼稚園に通っていた。
パイプオルガンのある教会と、芝生のスロープが特徴のナイスでハイソな幼稚園だ。
子供を入園させるために朝の5時から並ばなければならなかった。
ママたちも良い家の若奥サマといった感じで、家には趣味の良い調度品やお手製の
クッションなどがあり、集まる時は手作りのお菓子を持ち寄った。

三女は、幼稚園に入る前に仲良くしていたお友だちと同じ幼稚園に入れた。
どちらかといえば庶民的な幼稚園で、ママたちはざっくばらんな明るい女性が多かった。
彼女たちとは、子供のお誕生会やらクリスマス会やらお楽しみ会やらにかこつけて
よく集まった。子供たちは子供たちで遊ばせて、母親たちは昼間からビールを飲んだ。
そんな不良?ママたちと最初に飲みに行った店が、家から歩いて4~5分のところにある
小さな居酒屋「T」だ。当時からお世辞にもキレイとはいえない店だったが、
霜が付いたジョッキで飲むキンキンに冷えたビールは格別だった。

居酒屋「T」は子連れで入れる店なので、その後も今も家族のお気に入りだ。
駅まで出れば小洒落た店はいくらでもあるが、歩いて行ける気安さがある。
メニューは三女が幼稚園児だった頃と変わらない。焼き鳥や手羽焼きがメインで魚類は無い。
安そうな部位の馬刺しは意外に美味しく、玉葱のスライスと共にニンニク醤油で食べる。
野菜類にはふんだんにマヨネーズがかかっている。マスターの脳裏には、
凝ったドレッシングなどという発想は無いらしい。
日本酒の品揃えはなかなかなもので、私の好きな「久保田」「出羽桜」「浦霞」は
もちろんのこと、「影虎」「八海山」、他ではあまり飲めない「緑川」なんかもある。
娘たちがこの店を気に入っているのには理由がある。
皆で打ち解けて話が出来るから…だそうだ。ボロっちいし気取らないし近いし、
そういえば夫も私もホロ酔いで陽気に喋っていた。
子供たちはそんな雰囲気が好きだったんだなあ。
そうこうしているうちに、いつのまにか長女と次女も飲む年齢になった。

7月12日は長女の誕生日。居酒屋「T」で誕生会をした。
たまには静かなレストランで…とも思ったのだが、本人の希望だから仕方ない。
長女と次女の彼氏たちも飛び入り参加。
夫は長女の彼をあまり気に入っていない。大学を出ていないし職人さん風で口下手でもある。
彼は夫にイマイチ好かれていないことを感じているようなのだが、この集まりに参加した。
温かい家庭に恵まれていなかったので家族的な雰囲気が好きなのだという。
私は以前銀行に勤めていて、超一流大学を出た若い営業マンたちとも時々飲んだ。
感じの良い青年もいれば鼻持ちならない子もいた。学歴は気にしない。
毎日仕事でテンパっている長女が楽なら、それが一番だと思う。
次女の彼は如才ない好青年だ。次女は高校時代からモテモテで、すぐに次が現れるから
誰かと付き合っても長続きしなかった。今度はどうだろう…。
一番親に心配をかけた娘でもあるが、就職が決まり、ようやく落ち着いてきた。
三女は、姉たちを見ながらマイペースで生きている。居酒屋でも好きなものを食べ、
楽しげに大人たちの会話を聞き、いつのまにか眠くなっている。
我が家の癒し系だが、そろそろ進学や将来に悩みつつある。

…こんな我が家。
帰り際、夫が親しみを込めて長女の彼の肩を叩いているのが見えた。
酔っ払った私の目にもそれはちゃんと見えた。

異様な植物との異様な戦い

2008-07-07 11:25:49 | 家・家族
私は専業主婦だ。普通の専業主婦よりは少し忙しいかもしれないが、
働いていた頃に比べれば時間はたっぷりある。家事はあまり好きでない。

私は家の仕事を3つに分類している。
①絶対にしなくてはならない仕事
②近い将来しなくてはならないが、今はいいや、でもちょっと気になる…という仕事
③まだ当分は放ったらかしにしておいて大丈夫…という仕事

②がクセモノだ。例えば、はがれた壁紙の補修、ギターの楽譜や勉強会の資料の整理、
カーテンの洗濯、草取り、そして~本当は秘密にしておきたかったが~
普段使わない部屋にひっそりと飾られているお雛様の片付け…。
「早くやれ!!」という罵声が飛んできそう。

草取りは最近まで③だったが、この季節さすがに②に昇格し、実は三分の二ほどは
済ませている。庭などというゴージャスなものは無い。玄関前の小さなスペースと、
隣家の敷地との境にある通路程度の土地。
特に南西側は隣が駐車場のため日当たり抜群で、雑草が伸び放題だった。
何という名前の草かは知らないが雑草のカテゴリーをはるかに越える植物があった。
その植物は5月に1階のトイレの窓に達し、トイレの窓を開けると大きな葉と不気味な実が
視界をふさぐようになったが、その段階では私を含め家族の誰も動じなかった。
その植物の先端が2階のトイレの窓に近づいた時、さすがの私も慌てた。

先週、私は鋏を手にして南西側の通路に乗り込んだ。問題の植物に至るまでに
45リットル袋3杯くらいの雑草を抜かなくてはならなかったが、彼らは小物だったので
大した戦いではなかった。その植物の前で途方に暮れた。茎は太く固くて
鋏で切れるような代物ではなかったし、根を抜くにはクレーンが必要だったろう。
私の作戦はこうだ。高いところの茎は比較的柔らかいので、手を伸ばして鋏で切る。
上からどさどさと落ちてくるのを袋に詰め込み、シンプルな茎(幹?)だけにして、
その根元を踏んだり時にはジャンプしたりして折る。折れたところの繊維を一本一本
鋏で辛抱強く切り、根から切り離す。植物は一本だけではなかったから、この作業を
何度も繰り返さなくてはならなかった。汗まみれ泥まみれで働いていると、通りから
ハイハイおじさんの声が聞えてきた。彼は1日に一回、我が家の前を通る奇妙な人物。
上半身直立不動のまま、大またで歩きながら
「ハイ、おとうさん、そこどいて!ハイ、おかあさん、気をつけて!ハイ!ハイ!」
と大声を上げる。(周りには誰もいないのだが…)
異様な植物と戦いながらハイハイおじさんの声を聞いていると、
自分のいる世界が不思議なもののように思えてきた。

村上春樹の作品に「ねじまき鳥クロニクル」というのがある。主人公は専業主夫で、
スパゲッテイを茹でたりサンドイッチを作ったりコーヒーを沸かしたり洗濯をしたり、
単調な日々を送っているのだが、異様な電話がかかってきたり不思議な人たちが
訪ねてきたりしたりするうちに異常な世界へと足を踏み込むことになる。

もちろん私のところには異様な電話も訪問者も無いが、日常生活のところどころに
不思議な世界があるような気はする。


2枚のお盆の思い出

2008-05-02 02:55:18 | 家・家族
我が家には直径30cmくらいの木彫りのお盆が2枚ある。
どちらにも小鳥が彫刻されていてニスで仕上げてある。
一枚は止まり木に止まった鳥で、脇に草花も彫刻されている。
もう一枚はもっと単純なデザインで、中央に丸っこい体つきの鳥がうずくまっている。
止まり木の方は長女が小学校5年生の時に図工の時間に作ったものだ。
うずくまった鳥の方は2歳年下の次女が同じ時期に作ったもの。
5年生と3年生が同じ時期に同じ教材で作品を作るというのは普通あり得ない。
これには小さな思い出がある。

次女は3年生の頃の一時期、女友達のグループから仲間はずれになってしまった。
もともと女の子同士のネチっとした関係が嫌いで、帰宅後は家に男の子が遊びに
来ることが多かったから、学校で娘に何が起きているのか私には分からなかった。
ある日、長女が言った。「あの子、昼休みはいつも図工室にいるよ。」
「え?お友だちと一緒に?」
「ううん、一人みたい。」
当時、図工の先生は休み時間に図工室を開放してくれていた。
外遊びの嫌いな子、絵や工作が好きな子たちが自然に集まってきた。
静かであまり怒らない図工の先生のところに来てストレスを発散していた子もいたようだ。
そして昼休みに一緒に過ごす友達がいない寂しい子も…。先生は次女の様子に
何かを感じたのかもしれない。余っていた5年生の教材~お盆~を与えてくれた。
次女は毎日一人で図工室に通い、こつこつと彫刻をし、ニスを塗ってお盆を仕上げたのだっだ。
まだおぼつかない手つきの3年生に、先生も手を貸してくれたことだろう。
お盆が完成した頃、次女は再び友達の輪に戻ることが出来た。
長女は昼休みコッソリ図工室を覗いて、私に様子を報告してくれた。
時がたって、次女もその時のことを話してくれた。

今、彼女たちはすっかり成長して、もう当時のことを忘れているのかもしれない。
けれど私は、お盆を見るたびに想像する。一人で図工室にいた次女の小さな姿や、
心配して覗いている長女の姿を。
そして大きな心で受け入れてくださった先生に今も感謝している。