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昨日☆今日☆明日~金曜日のピュ

私の毎日と心に浮かんだこと

今までありがとう

2012-11-28 03:55:42 | 思うこと
越えなくてはならないハードルの高さと数が増しました。
しばらくブログをお休みします。
ずっと読んでくださった皆さん、ありがとうございました。
またお会いする日までお元気で ('-'*)アリガト♪ 

湯たんぽになれない私

2012-11-11 00:23:22 | 思うこと
実は、私は今、酔っ払っています。
酔っ払った状態でブログを書くのは良くないと思います。
誰の目に触れるかも分からない場所に、人にかかわる本音を書くのはいけないことなんだよね。

最初の頃は好き放題、書いていた。でもアクセス数が増えるにつれて、本音を書くのが怖くなってきた。
だったらブログなんてやめちゃえば良いのに、今日も書いている…。

先週は辛い一週間だった。ある人から何回も電話があって、それが辛かった。最初のうちは平凡で実現可能な朗報だった。
「良かったですね、頑張ってね!」と答えていた。だんだん話がエスカレートしてきた。そんなに上手い話はあり得ない、
と思いながらも「良かったですね!」と答え続けていた。辛くなってきた。
その人は心を病んでいるのかも知れない。現実から逃れるために、私に誇張した自慢話をしているのかもしれない。。。
でも心理学者でもない私には、どうして良いのか分からない。ただひたすら「良かったですね」と言い続けている。

昨日の土曜日はとても楽しい一日だった。スペイン語の仲間たちと勉強しコーヒーを飲み、
夜は新しいギター仲間と飲み会だった。年に一回、ギター合奏フェスティバルで演奏するために結成されたグループ。
来年の挑戦曲も決まった。大好きな曲だ。

もう、いい年齢なんだから、屈託のない場所で気持ち良く過ごせばいいのだ。
どうして、人の話に振り回されたり怯えなくてはいけないのだろう。面倒くさい場所なんて切り捨ててしまえばいいのに。
溜息...。

電気で蓄熱する湯たんぽ購入。温かい。私は「湯たんぽ」のような人間になりたかった。
 

ちょっとした恐怖について

2012-10-21 01:49:31 | 思うこと
1週間に土曜日が2回あったらどんなに良いだろう...と思う。
昨日の土曜日も「大船で飲み会」というチャーミングなお誘いがあったのに、スペイン語の勉強会が終わるやダッシュで帰宅し、
作っておいた夕飯を温めなおし、またまたダッシュでギター練習に向かうというハードスケジュールだった。

大船観音を眺めながらお酒を飲んだら、どういう気分になるだろう。大船駅から見える、あの白くて巨大な大船観音は、私にとって
子供の頃からの恐怖だ。夜はさらに怖い。夜空に浮かぶガスタンクも恐ろしいけれど、夜空に白く浮かぶ大船観音はもっと恐ろしい。
駅から見えるのは上半身だけ。お腹から下は山の木々に隠されているのだと思い込んでいた。もし全身像が現れたら、鳥肌どころか
髪の毛まで逆立ってしまったろう。
だいぶ大人になってから大船観音は胸像だと知ってホッとした。ホッとはしたけれど、やはり今でも大船を通るときはビクビクする。
見ないように、見ないようにと思いながら、チラチラと見てしまう。
 夜の大船観音、ゾッ

童謡の「あの町この町」も怖い。作詞:野口雨情・作曲:中山晋平、さすがゴールデンコンビだ。子供心を手玉に取るなどお茶の子
さいさい。

あの町 この町 日が暮れる 日が暮れる
今きたこの道 かえりゃんせ かえりゃんせ
お家(うち)がだんだん 遠くなる 遠くなる
今きたこの道 かえりゃんせ かえりゃんせ

私は方向音痴だから、余計この歌の怖さが分かる。
どんどん空が暗くなっていく。歩いても歩いても目的地にたどり着かない。
ここはどこ?道行く人は素知らぬ顔。それどころか道行く人の数も減っていく...。不気味な風の音がする。蝙蝠が飛びはじめた。
この歌の子は家に帰れたんだろうか。はっきりしてくれなくちゃ心配で眠れない。

この世の中には恐ろしいことが沢山ある。日々、恐ろしい事件が起こっている。それに比べたら大船観音や迷子なんて取るに足らない。
でも思うのだ、子供時代に、こういう小さな恐怖や孤独を味わっているからこそ、安らぎや温もりの大切さが分かるのではないだろうか。
大船観音にゾッとした私は母の優しい手を握った。寂しい夕暮れ時、家に帰れば温かい夕飯が待っていた。


また話がそれた。土曜日の夜にギター練習をしている場所のことを書こうと思っていたのに。
そのグループは年に1回、ギター合奏フェスティバルで1曲演奏するために結成されている。曲は難曲で先生も厳しい。でも私は、ずいぶん
ここが好きになっている。
合奏フェスティバルは来週。練習がんばらなくちゃ。

しどろもどろ

2012-10-16 07:42:03 | 思うこと
長女が小学生の頃、クラスの派手な女の子と交換日記をしていた。
当時の長女は気が優しかったせいか、一匹狼的な気の強い女の子から一方的に好かれてしまうことが多かった。
組しやすい...と思われたのだろう。
「お母さん、○○ちゃんてすごいんだよ。」と見せてもらった日記には、クラスのカッコいい男子たちから告白されまくったとか、
通っている劇団で良い役をもらったとか、アイドルの誰それと知り合ったとか、夢のような話が書き連ねてあった。
こりゃ、眉唾だなあ...と思ったけれど口には出さなかった。話の辻褄が合っていなかったから、気の良い長女も次第に疑いを
持つようになった。
劇団に入っていたのは、その女の子のお姉ちゃんだった。姉のいる華やかな世界への憧れが、交換日記の中で現実として描かれた
のだろう。よくあることだ。
狭いアパート暮らしのおデブな女の子だった私も、「こうだったらいいなあ...」なんて妄想することはあった。それも懐かしい。
今みたいに「早く血圧の薬から離れたいなあ」とか「膝痛が治りますように」とか日々考えているより、ずっと健康的だ。やれやれ。

それにしてもiPS細胞の臨床研究を発表したM氏。50歳近い大人になっても、願望と現実の区別がつかないものだろうか。ノーベル賞を
受賞した山中教授の謙虚な姿勢に久々、日本人としての誇りを感じただけに残念。
得意満面で虚偽の発表をした人が一転してシドロモドロになっている姿はワイドショー的には面白いだろうが、マスコミは騒ぎすぎる。
こういうみっともない光景は今では世界中に配信されてしまう。M氏も褒められたものではないけれど、それを食い物にしているマスコミが
一番みっともない。

私は自分が日本人であるということを深く意識したことがないし、世界における日本の立ち位置についてもあまり考えたことがない。
そんな私でも今の日本は心配だ。内政も外交もシドロモドロ。
ノーベル賞の快挙は嬉しかった。それなのにM氏のシドロモドロのオマケが付いてしまった。

世界中から経済力を誉めそやされた時代に戻ってほしいとは思わない。ひたすら仕事や研究に打ち込む人たちが、もっと評価され
活躍できる国であれば良いと思う。

☆ ☆ ☆

村上春樹さんはノーベル文学賞を逃してしまったな。
農村に根ざした莫言さんの力強さの方が評価されたのは仕方ないかもしれない。春樹さんの世界は独特だから。
莫言さんの本も読んでみよう。
膝痛になって、たった一つ良かったのは、じっくり本を読むようになったこと。

腹が減っては...

2012-09-21 06:23:56 | 思うこと
以前のスペイン語仲間で、今は北スペインで暮らしている男性がいる。
スペインの日々を、食と文化と読書を楽しんでいらっしゃる様子を、時おりネットを通して知ることが出来る。
最近印象に残ったのは
『世界的不況とは云っても、食糧の自給率が100パーセントを越えているスペインやフランスのゆとりを何時も感じている。』
という一文だった。
ギリシアに始まった経済危機はスペインにも及んでいる。もちろん苦しんでいる人は沢山いるだろうから楽観視はできないけれど、
国民が食べるものを自国で全てまかなえる...という基本を押さえているのは羨ましい。
美味しいワインとパンとチーズ、たっぷりの野菜・果物と海の幸、天井からぶら下がっている燻製肉。スペインは何もかも自分で
調達しているのだ。

日本はどうだろう。食糧自給率40%。
いつだったかテレビでやっていた。「いつも食べている、この料理。さて輸入品を除いたらどうなるでしょう。」
お皿の中に残っているものの少なさに驚いた。これじゃ生きていけない。
どこかの国で大豆や小麦が不作になったりトウモロコシが枯れたりする。自分の国をまかなうだけで精いっぱい、他国には輸出しません。
…ってことになったらどうなるのだろう。札びらきって買えるうちは良いけれど限界がある。

でも、ちょっと旅行に出れば日本の景色は水田と畑だらけだ。こんなに収穫しても間に合わないくらい私たちの胃袋はぶくぶくに肥大して
いるんだろうか。そうではなくて無駄と贅沢が多すぎるのだろう。政治も消費者も自国の農業を育てようという気概がない。

ところで私はゴーヤを育てている。育てているといってもそんなに手間はかからない。陽光さえ降りそそいでくれれば、水をやって眺めて
いるうちに実が生る。売っているものに比べると小ぶりだけれど味は変わらない。小さくても自分が収穫したものには愛着があるから
無駄にしないでしっかり食べてあげなくちゃ。秋口になると、夜の涼しさのせいだろうか、育ちきらないうちに黄色くなってしまう実もある。
それも食べてみた。少し柔らかいだけで十分イケる。
地面と太陽と、花粉を運ぶ虫さん。ありがとうございます、いただきます。
子供の頃、お茶碗にご飯粒を残すと叱られた。お百姓さんが一生懸命作ったものだから無駄にしないで食べなさい。

尖閣諸島で怒りまくる中国、漁夫の利を狙っているどこぞの国、反応が鈍い政府、利益追求、貿易赤字、不況、格差社会、原発...。
なんか疲れてきた。日本はもう一度、穏やかで慎ましい農業国に戻れないのだろうか。


ゆとりって何だ?

2012-09-08 07:42:56 | 思うこと
友人からメールがあった。オランダ17世紀絵画至宝展「マウリッツハイス美術館展」に行ってきたとのことだった。
人気の絵は、もちろんフェルメールの<真珠の耳飾りの少女>。この絵から着想を得てトレイシー・シュヴァリエが小説を著し、
映画化もされた。私もあの青いターバンを巻いた不思議な表情の少女に会ってみたいと思っていたので羨ましく思った。
でも現実は厳しかったようだ。平日にもかかわらず、入場までに1時間の行列。<真珠の耳飾りの女>に到達するまでに30分...。
本物の芸術作品に触れるのは体力勝負、と書いてあった。
お客様の多くは、時間のできた60歳以上の方々だったらしい。

ふうむ...。ご主人が定年退職し、夫婦そろって美術館や博物館巡りを楽しむ。そのことには、ゆとりと幸福を感じる。
けれども1時間を超える行列ってどうなんだろう。トイレもきっと行列だろう。帰りにコーヒーでも...と思ってもどこも満席だろう。
世界の至宝を目の当たりにする喜びは大きいにちがいないが、汗、疲労、足の痛み...。これが「ゆとり」かなあ。

全てが東京に集まりすぎているということなのか、人は有名なものに貪欲ということなのか、価値観が似ているということなのか。
よく分からない。

若いころ「シャガール展」に行った。1時間以上並んで中に入りゾロゾロと歩く。「絵の前で立ち止まらないでください。」...しつこく
アナウンスが流れた。以来、有名な美術展にはあまり足を運ばなくなった。
とはいえ良い経験もある。昨年の新国立美術館「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」では、すいていたこともあり、マネ、モネ、ドガ、
ルノワール等の絵を、近くでじっくり観たり少し離れたところから違う印象を楽しんだり、充実した時間を過ごすことができた。
スペインでは、ピカソの<ゲルニカ>の絵の前で1時間近く立ち尽くしたことがあった。プラド美術館のゴヤだって、ゆっくり鑑賞できた。
やはり人が多すぎるというのが問題なのかもしれない。


昨日、外出先から帰ってArthurさんのブログを開けたら、ハリー・ベラフォンテの <I'm just a country boy>という曲が紹介されていた。
ハリー・ベラフォンテというと「デーオ、イデデ、イデデ…」の<バナナ・ボート>や有名ヒット曲が思い出されるけれど、静かでシンプルで
心休まる曲も多い。
<I'm just a country boy>もその一つ。Arthurさんの気取りのない素敵な訳詞や、美しい映像のYoutubeもアップされていた。
アイスコーヒーを飲みながら、詞や映像を味わって曲を聴いた。私にとっては、ゆとりのひと時だった。

有名な作品に群がることだけがゆとりじゃないと思う。
皆がそれぞれの世界を持っていれば、ほんの身近なところにも小さな贅沢があることを知れば、何かが変わるかもしれない。
なんて生意気なことを考えたのでした。

Uさんのこと

2012-08-26 07:56:50 | 思うこと
中国や韓国との関係について、あれこれ考える日々が続いている。
「韓国のやり方ってヒドいよね。」と三女に言ったら、「お母さん、Uさんのこと忘れちゃったの?」とたしなめられた。

Uさんと初めて会ったのは5月だったかな。知っている人も初対面の人も含め7~8人で、あるコンサートに行った時のことだ。
Uさんは在日の、とても人懐っこい韓国人女性。私よりはずいぶん若いのだけれど同じ母親ということもあり、すぐに
親しみを寄せてくれた。その日は早くもカンカン照りで、Uさんは通りに出ると私に傘をさしかけてくれた。それは日傘なんて
お洒落なものじゃなくてユニクロで売っているような折り畳みの雨傘で、私はUさんの素朴さと優しさに打たれた。
家族の話や子育てについて あれこれを話しているうちにホールに着いた。私がスペイン好きなのを知ったUさんは、司会者が
「次はスペインの曲で...」と紹介するたびに、こちらに体を傾け嬉しそうに「あなたのために演奏してくれるのよ。」と囁いて
くれた。

2度目にUさんと会ったのは7月。Uさんがご主人とやっている韓国料理店に何人かで食事に行った。Uさんは、本当に気持ちよく
心からもてなしてくれた。
その折、「韓国の人は泣いたり怒ったり感情の表し方が激しいですね。」みたいな話になった。
「その通りです。私たちは思ったことを全て吐き出しぶつけてしまいます。だから傍から見ると喧嘩をしているように見えることも
あります。でもお腹の中には何もない。誰かが困ったら皆で助け合う、そういう温かさがあるのです。」とUさんは言っていた。
そのとき心から頷けたのは、たった2回だけれどUさんの人柄に触れていたからだった。

オリンピックのさなかに竹島に上陸した李大統領のパフォーマンスはさておき、「独島(竹島)は我々の領土」とかたくなに主張する
一般の人たちの反応については、私たち日本人はもっと理解しなくてはいけないのかもしれない。昨夜のテレビを見て、そう思った。
小さいころから「独島は韓国の領土だ」と教育を受けているのだから、それがしっかり頭に植え付けられているのは当然のことだろう。

昨年 中国で、車に轢かれた女の子が放置され亡くなった。あまりに惨い話で怒りに震えた。
でも日本はどうだろう。いじめられている子をクラスメートも教師も守ってあげることができず、死に追いやっている。大問題になって
いるのに、いじめ問題は後を絶たない。私たちに中国を批判できるだろうか。

今できることは何だろう。あの人たちは根本的に私たちとは違う...と考えるのはやめて、良いところも間違ったところもある同じ人間だ
というところから出発しなくてはならない。少なくとも民間レベルでは。
そうしなくては、事態は悪化する一方だろう。

鎖国ってわけにもいかないし

2012-08-23 08:18:40 | 思うこと
私はお出かけ好きな人間ではあるけれど、毎日毎日 出歩いているわけではない。静かに過ごす日も多い。
スペイン語サークルの予習や資料作りで一日中パソコンに貼り付いている日もあるし、引き出しの整理なんかをしているうちに
夕方になってしまう日もある。
最近は早めに夕飯の支度を済ませ、5時ごろ、近くの図書館に行ったりする。読みかけの本を携えて行くこともあれば、図書館で
適当な本を見つけて読みふけることもある。閉館時間がきて外に出ると、いい具合に涼しくなっていて空にはバラ色の雲がたなびいる。
何て穏やかで平和な一日だったんだろう...と思う。

良い友達や仲間に恵まれているから、お出かけはもちろん楽しい。
でも外に出れば多少のストレスはある。例えばサークル活動。こちらのサークルでは功を奏している気配りが あちらのサークルでは
余計なお節介だったり、行くのが楽しくてたまらない場所もあれば ちょっと足が遠のいている場所があったり…。

一人で(家族と共に)過ごす平和な一日、何の気兼ねもストレスも感じない友人たちと過ごす楽しい一日、周囲とバランスを取りながら
過ごす一日。どんな一日を選ぶか、どんな一日にするか...、自分次第でどんな風にも生きられる。


ところで日本は今、自分のことを嫌っている人たちと過ごす日々を送っているように思える。気の弱い私は、この写真を見て
震え上がった。

尖閣諸島をめぐる中国の反日抗議デモの写真だ。こんなに多くの人たちが日本を嫌って気炎を上げているのだと思うと恐ろしい。
石原都知事の怪気炎ではとても太刀打ちできないだろう。というより、もし日本人が同じレベルの反中抗議デモをしたら(しない)、
戦争になりそうな勢いだ。日本製の車が叩き壊されたという話も聞く。彼らの心の在り様が理解できない。
うちの近くには中国人のご夫婦がやっている総菜屋さんがあるけれど、その店に石を投げたり不買運動をする人なんか一人もいない。
韓国では日本からの親書を突き返したという。彼らの心の在り様が理解できない。

例えば尖閣諸島にしても竹島にしても共同所有ということにして、共に開発し利益を分かち合うという方向には行かないのだろうか。
行かないんだろうな...。

相手の立場を考えず穏やかな話し合いを拒否して自分の言い分だけを通そうとする人と付き合うのはウンザリだ。そういう人たちと
付き合うくらいなら、私は引き出しの整理をして夕方図書館に行く生活の方を選びたい。

でも尖閣諸島や竹島の問題は、そんなレベルの話ではない。「ええいっ、めんどくさい、我が国は鎖国します」ってわけにはいかないの
だから。辛抱強く寛容の心で取り組み続けなくてはならない。。。

屈託のある人生

2012-07-23 07:17:36 | 思うこと
原宿の雑踏の中で~たぶん右膝をかばいながら歩き続けていたせいだろう~文字通り「足が棒」のようになった。
歩くという基本的な動きがこんなに煩わしいものだとは、健康な時には思いもしない。
何の屈託もない若い人たちが周りを歩いている。
何年か前、いきなり血圧が上がったときもそうだった。その何年も前、骨折したときもそうだった。原宿や渋谷の雑踏の中で、
行き交う若者たちの動きについていけず、自分だけが弱くて取り残された存在であるような気持になった。
10年前、骨折したオバサンを振り返ることも気にすることもなく携帯電話を片手に闊歩していた若い人たちは、今ごろどうして
いるのだろう。妊娠して大きなお腹を抱えながら歩いているかもしれない。営業成績が上がらず、足をひきずって街を歩いている
かもしれない。
もっと昔、渋谷が庭だった高校生の私は、自分の傍らを行く大人のつらさなんて考えもしなかった。
まあ、しょうがない。元気なときは思いっきり元気にしていればいい。大変なときは、負けないように生きていくしかない。

昨日、若い友人から電話があった。つらそうだった。花を摘み取れる人と摘み取れない人がいる...彼女はそう思っている。
そうなんだろうか。高いところに咲く大輪の花だけが花じゃないよ。もう少し小さな花を集めて綺麗な花束を作ることもできる。
もう少し小さな花をゆっくり育てて大輪にすることもできる。焦らないで。あなたには可能性がいっぱいあるから。

ずっと前に読んだスペインの小説に、こんなセリフがあった。「死とは、こまごまとした慢性病との別れだ」。そのときは特に共感も
しなかったけれど今は何となく分かる。たいていの人間は心や身体に、小さな屈託を抱えて生きている。長く生きれば生きるほど
余計なものがくっ付いてくる。そういう余計なものとどうやって付き合っていくか、それが生きる意味なのかもしれない。

原宿で「足が棒」になった私は、ふっと立ち止まり<Savoy>という店を見つけた。可愛いバッグをお手頃な値段で売る店で、よく新聞で
宣伝している。どこに店があるのか知らなかった。中に入るとケーキみたいに綺麗で美味しそうななバッグが並んでいる。
<SALE会場は地下です>...、棒になった足で階段を下りるのは非常に厄介なのに、ついつい下りて行った。そして素敵なバッグを見つけた。

昨日は膝が痛かった。今日はちょっと楽。先週は渋谷で遊んだ。可愛いバッグをバーゲンで買った。今週は飲み会とギター4重奏の演奏。
小さな屈託を小さな幸せでかわしながら日々は過ぎていく。
だから、あなたも負けないで。

大津市の事件

2012-07-07 23:41:44 | 思うこと
高校生らしい男の子が4~5人、電車に乗り込んできた。とても仲の良いグループで、和気あいあい喋っている。
歯の話。「お前の歯、デカいなあ。」「お前の歯は<ジャキイーン>としてるよな。」「お前、歯茎が殆ど無いじゃん。」
「こういうのがイケメンなんだよ。」「あはは」
どんな顔(歯)をしているのか振り返って観察したかったけれど、そうもいかない。口元がゆるみそうになったとき、不意に
冷水を浴びせかけられたような気持ちになった。
もしこの子たちが結束して誰かをいじめたら…。この仲の良さは、もしかしたら誰かをいじめているという共犯意識から
きているのではないか…。

こんな嫌なことを考えるのは、最近のニュースのせいだ。毎日毎日、心にも身体にも暴力を受け、自殺の練習までさせられ、
ついには命を絶った中学生のことを思うと、いてもたってもいられなくなる。
どんな気持ちで通学していたのだろう。
どんなに辛かったろう。

周囲の状況もひどすぎる。いじめを目撃しながら「やりすぎるなよ。」と笑っていたという担任教師。
「いじめた側にも人権があり、配慮が必要。生徒や保護者に『いじめを疑っているのか』と不信感を抱かれるかもしれない」などど
言い訳して、うやむやにしようとした教育委員会。
いろいろな情報が出回っている。保護者がPTA会長だった??地元の実力者だった??だから過剰に配慮したのだろうか??

いじめをした中学生たちは<将来ある少年>と守られる。彼等は、いじめた相手が自殺したことを悔やんでるだろうか。罪悪感に
耐えきれず、血が出るまで自分で自分を痛めつけるだろうか。しないだろう…と書いたら偏見か。

多くの若者がネットに意見を寄せている。「私もいじめを受けた」「私も死にたいくらい辛かった」というコメントがあとを絶たない。
いったい、私たちの国はどうなってしまったのだろう。
悲しみと怒りは大きな波となって思わぬ方向へ広がって行った。加害者たちの名前が公表され、彼等のその後の動静や顔写真まで
掲載されたサイトもある。それは間違った方向なのだけれど、間違っている!と断定したくない私がいる…。

人の痛みが分からない大人や若者や子供がこれ以上増えたら、日本にはハムラビ法典が必要になるかもしれない。
そうなる前に私たちは何をすべきだろう。
<優しさ>という星が、遠くで光っている。

音楽の贈り物、12の課題

2012-04-13 18:07:07 | 思うこと
最近、二人の方から音楽のプレゼントがあった。
一つは<スパニッシュ・コネクション>。伊藤芳輝〈フラメンコギター〉平松加奈〈ヴァイオリン〉吉見征樹〈タブラ〉のユニットで
フラメンコのリズムが基本だけれどスペイン音楽だけに留まらない世界がある。
カッコいいなあ…と聴いているうちに、ふっと思い出した。<スパニッシュ・コネクション>、確か何年も前に赤坂のライブハウスで
聴いた…、あの時はカンテ(フラメンコの唄)も入っていたから印象が違って、すぐには思い出せなかった。
好きな音楽って忘れた頃にブーメランのように戻って来る。自分で意図しなくてもね。

それから懐かしい<トリオ・ロス・パンチョス>と<ロス・インディオス・タバハラス>が届いた。
古いLPレコードから録音し直したもので、柔らかくて優しい針の音が聞こえる。レコード盤に針を落とす時の緊張と期待を思い出す。
まずパンチョスの「キサス・キサス・キサス」の前奏が流れてくる。
http://www.youtube.com/watch?v=MQUl3x2N44Y&feature=fvsr
Siempre que te pregunto
que cuando,como y donde
tu siempre me respondes
Quizas, Quizas, Quizas
いつも「たぶんね。」としか答えてくれない恋人をなじる歌。でも切羽詰まっていなくてノンビリとした雰囲気がある。
この歌、メキシコ料理店でスペイン語仲間たちと声を張り上げて歌った。勉強会で歌詞を訳した。
以前は私の手元にもLPがあったのだけれど、いつの間にか無くなってしまった。戻ってきたね。

<ロス・インディオス・タバハラス>はブラジルの奥地から現れたインディアンの兄弟。甘い音色のギターデュエットが一世を風靡した。
「マリア・エレーナ」が全米トップチャート入りを果たしたのは1964年だというから昔々の曲なのだけれど、ギスギスしてしまった今の
時代にこそ聴きたい。
http://www.youtube.com/watch?v=BGCfxTz4n08
プウウンと響く音は何か機械的な操作をしているのだろうか。癒されますううう。
彼等のLPも家にあったような気がする。羽の被り物と民族衣装…。ジャングルで拾ったギターをいじっているうちに一流のプレイヤーに
なったという話は実話だろうか、伝説だろうか。

たくさんの曲が入っていた。ラテン物だけではなく、「セントルイス・ブルース」「夜のストレンジャー」「ムーンライト・セレナーデ」
「煙が目にしみる」「ジャニー・ギター」…。
タイトルを読んだだけでメロディーが浮かんでくる私って、やっぱり古いヒトなのね。開き直りじゃなくて、古いヒトで良かったと思う。


☆ ☆ ☆ ☆

ネットで<幸せになるための12個の行動習慣 >というのを読んだ。とりたてて目新しいことは書いていなかったけれど。

1、感謝の気持ちを持つ
若い頃は、「私だって頑張って生きているんだから、いちいちヘコヘコ感謝していられるか!」って思っていた。今は日々感謝している、
特に震災のあとのこの一年…。私たちは涙や別れや苦しみの隣で生きている。いつ自分がその悲しい渦の中に吸い込まれてもおかしくない。
だからこそ、今を感謝している。

2、楽観的になる
先日お見舞いに行ったとき、母が笑った。それから泣いているような表情になった。私はぎくりとした。突然母の意識が戻って今の状態を
自嘲したのではないかと、背筋が凍る思いだった。その時、一緒にいた娘が嬉しそうに手を叩いた。「おばあちゃんが笑った!!」
娘のようになりたい…と私は願った。

3、考えすぎない
時どき、どうでもいいことを考え過ぎる。時どき、考えるべきことを考えない。

4、人に親切にする
無理して親切にする必要はないと思う。偽善者のような気がするから。
でも自然体で親切ができたときの自分は大好き。相手のさりげない優しさに気付いたときの嬉しさは格別。それを意識したり感じる回数は
確実に増えている。

5、人付き合いを持つ
これは大丈夫。

6、ストレス対処法を学ぶ
最近あるサークルで少しガッカリすることがあり、その気持ちを持て余した。
それで、思い切って家の近くで活動している小さな団体に入った。心ひそかに憧れていたけれど躊躇していた場所。
ガッカリに背中押されて新境地…川柳ですか。

7、人を許す
それは良いことだけれど、簡単に許したり忘れたりしてはいけないこともある。そこは押さえよう。

8、今を生きる
過去は帰って来ないし、未来のことなんか分からない。そう、今が大切。
テレビのCMなんだけれど、すごく良い台詞を見つけた。「私は今度 生まれ変わる予定はありません」

9、人生を楽しむ
スカッシュ、壁打ちを卒業して、夫と打ち合うようになった。運動神経の鈍い私でも少しずつ進歩している。球技がこんなに楽しいなんて
思ってもいなかった。

10、目標を持つ
今さら大きな目標は持てないかもしれないけれど。とりあえず今読んでいるスペインの原書を読破する。それから次の目標をみつけよう。

11、精神性を高く持つ
…。

12、身体的、精神的に健康でいる
若い頃は、健康なんて当たり前のことだった。今は違う。
難しい病気にかかりませんように。認知症になりませんように。(祈)

私なりに頑張ってます。

方向音痴ワールド

2011-10-19 02:39:12 | 思うこと
恵比寿駅の近くに『シャコンヌ』という名のギター専門店があった。
マンションの6階の一室で、扉を開けると不意に空気が変わり、静かなギターの世界が現れる。
当時はスペイン語の勉強会が恵比寿で開かれていたので、時おりギターの弦や楽譜を買いに寄った。

線路に沿った小道を恵比寿から目黒方向に100mばかり歩いて行くと左側に階段があり、降りたところに
そのマンションはあった。
きわめて特殊な方向感覚を持つ私は、2回に1回は店に辿り着くことができなかった。何故だか分からない。
歩いているうちにマンションにつながる階段ではなく大通りに出てしまうのだ。
その時の狐につままれたような気分を、私は心のどこかで好んでいた。見慣れたはずの風景が急に私を裏切って
迷路になってしまう感覚…。
ところが、ある時から~道を理解したのではなくコツを掴んだらしく~迷わずマンションに行けるようになって
しまった。何だか残念だった。理解不能な世界は、ただの普通の道になってしまった。

子供の頃、少女雑誌で読んだ話を今も覚えている。
それは女の子が学校の帰り道に突然、透明な迷路に入り込んでしまうという話だった。彼女の眼にはいつもの風景が
見える。買い物に出かけるお母さんの姿も見える。それなのに彼女は迷路から抜け出せない。
迷路というより別世界、パラレルワールドだったのかもしれない。子供心に怖かった。

道に迷うというのは、それまで信じていた風景が次第におぼつかなくなり最後には迷宮になってしまうことだと思う。
たぶん方向感覚がしっかりしている人には、こういうことは起こらないだろう。
だとしたら方向音痴は、ある種の能力かもしれないな。

ギター専門店の『シャコンヌ』は2年ほど前に突然店じまいしてしまった。
同じところに別のギターショップがオープンした。
扉を開けると不意に空気が変わり、静かなギターの世界が現れる。けれどそこは違う空間…。
 ユキノブ




正直に書くと…

2011-09-23 15:51:52 | 思うこと
私はこのブログに自分の思ったことを真っすぐ正直に書いている。時には気取った表現をしたり、体裁よくまとめ過ぎたり、
人を批判したりもするけれど、後悔するようなことは書いていない。

でも前回書いた「6万分の一の私」に関しては何だかモヤモヤしている。
自分自身や家族も含め、一生懸命生きている人たちの現在と未来の命を守りたいと思う気持ちを確認できたから、あの集会に
行ったのは貴重な体験だった。
けれど違和感や疑問を覚えたこともあった。それを書かないのは正直じゃないような気がする。

公園に入ると沢山のノボリが見えた。○○労組、△△支部…。
OL時代、メーデーの行進に参加したときのことを思い出した。あのとき私は、メーデーの意味も知らず訴えたいこともなく
ただその場にいた。「動員」されただけ…。それを思い出したのだ。
ノボリの周りにいる人たちは公園の奥で始まっている集会のスピーチを聞きたがっている風も無く、所在なげにデモ行進の開始を
待っているように見えた。この人たちも「動員」されたのだろうか…。
奥に進むと何枚かビラを渡された。日の丸・君が代、強制反対。それに関する是非はともかく、この場で受け取りたいビラでは
なかった。
ようやく話が聞こえる位置まで辿り着く。といっても、だいぶ後ろだったから聞き取れない言葉も多かった。少し離れたところで
声高にお喋りをしているグループがあった。まだ発言の最中なのに、楽器を叩いて「原発やめろ!」と騒いでいる若者たち。
お祭りじゃない。

まあ、そういうことだ。世間知らずの私は、この集会に参加する人々は、私や友人たちのように原発や放射能問題に心を痛め
真剣に「個人の意志で」やってくる人たちだと思っていたが、必ずしもそうではない…ということも知った。
私は<誰でも参加できる市民の列>というノボリの後ろを歩いた。そんなノボリがあること自体が驚きだった。

だからといって私は否定的な気持ちになっていない。あの集会の時、壇の周りでは朝早くから集まったであろう多くの人たちが
熱心に耳を傾けていた。福島県からの参加者も数多かった。
後ろで、私の周りにいた人たちは真剣な顔をして耳に手を当て、発言者の聞きとりにくい言葉をかき集めていた。暑さの中、
文句も言わずじっとデモ行進が始まるのを待っていた初老のご婦人たち。黙々と歩いていた若い女性。リュック姿のオジサン。
○○労組で「動員」されてきた人たちにしても~OLさんのメーデー行進ではないのだから~日々原発のニュースに接し、
思いがあるからこその参加だろう。

6万人とか5万人とか宣伝しているけれど(私も書いた)、本当は人数の問題ではない。
心を痛め真剣に考えている人が多ければそれでいいと思う。

原発推進派の言い分も読んだ。原発が無くなり節電をしたり電気代が上ったりすれば、産業は衰え国力が弱まる。
若者たちの希望がさらに打ち砕かれる。生き馬の目を抜くような隣国が、尖閣諸島、竹島、北方領土を虎視眈々と狙っている。
自然エネルギーなんて夢の夢。

そうなんだろうか。命とか自然とか優しさとか言っているのは甘いんだろうか。
原発問題は右翼と左翼の抗争の場ではないはずなのに、そんな気配さえ感じる。

原発に対する私の気持ちは変わらないけれど、分からないことが多すぎる。
それでも分からないなりに今回は正直に書いた。

6万分の一の私

2011-09-20 08:42:41 | 思うこと
最近、原発問題や東電(及びその影響下にある政治家や学者たち)への関心や批判が薄まりつつあるような気がする。
異論はあったにせよ新しい一歩になるはずの、菅さん孫さんの自然エネルギー推進論も首相交代で鳴りをひそめてしまった。
「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」「臭いものには蓋」「長いものには巻かれろ」「明日は明日の風が吹く」…日本人はそんな風にして
辛い時代を乗り越えてきた。でも原発問題は、原発が無くならない限り乗り越えられない。

OLだった頃、時代も街もきらびやかだった。会社の経費で連れて行ってもらった六本木や赤坂の夜は華やかに光があふれていた。
あのキラキラした街の記憶は今も心から消えない。震災後、明かりを落とした通りを歩いていると侘しい気持ちになる。
明るい方がいい、景気の良い話をして暗い話には耳をふさぎたい。…それを言っちゃあおしまいだよね。だからこの夏は、せっせと
20%以上の節電をした。

でも世の中というのは、私みたいに単純ではないらしい。
ドイツが全原発廃止を決定した…というニュースに感銘を受けているそばから、<礼讃は禁物>みたいな意見が出てくる。
自然エネルギーの可能性…いや日本の場合は、これこれあれこれで無理である。節電…経済発展のブレーキになり将来は暗い。
だから「原発廃止のデメリットにも目を向けよ。」…新しい芽を摘み取ろうとする否定的な意見。これらは真実なのか、意図的に
流されている情報なのか分からない。
分かっているのは、福島原発が今現在も良い状態には無いこと。周辺の自然や人の生活が損なわれたこと。多くの子供たちが
危険にさらされていること。次に同じようなことが起きたら日本は立ち直れない、地球を汚してしまうということ。

いろいろな思いにまとまりをつけたくて、昨日は明治公園で開かれた「原発にさようなら集会」に行って来た。
発起人の大江健三郎さんや落合恵子さんのお話はYoutubeでも十分に聞くことは出来たけれど、自分の目と耳で確かめたかった。
明治公園は身動きも取れないくらいの人出で、話が聞けるところまで辿り着くのに30分近くかかってしまった。汗びっしょり。
周りの人たちも汗をぬぐっている。脱原発の活動を続けている俳優の山本太郎さんや福島県の女性の訴えに拍手が起こる。
(6万分の一の私)

それからデモ行進が始まるまで、暑い日差しの中を気が遠くなるくらい待たなければならなかった。それでも皆、辛抱強く待つ。
私よりずっと年上の女性が多いことに驚いた。ご夫婦で参加している人たちも多かった。子供や孫の代に負の遺産を残したくない…
そんな思いなのだろう。
神宮球場の前を通って外苑通りへ。ふと見上げると歩道橋の上には、<応援>と書かれたプラカードを掲げている人たちがいた。
外苑前、南青山、表参道。ここまで来て頭がクラクラしてきたので脱落。

表参道では洒落たファッションに身を包んだ若者たちが楽しげにそぞろ歩きしていて、デモ行進に好奇の目を向けている。
全く無関心でお喋りに夢中な女の子たちも大勢いた。これから結婚し子供を産む若い人たちこそ、原発についてもっと考えなくては
いけないはずなのに。でも仕方ない、人にはそれぞれの価値観と人生観がある。

私自身、脱落した後は表参道の交差点にある小さな本屋さんで休憩などしてしまった根性無しだ。
その本屋さんでは谷内六郎のデッサン画を展示していた。懐かしい絵だ。ほんの50年前まで、日本は素朴で質素な国だったのに
そのままでいることは出来なかった。躍進を続けていくことが使命だった時代もあったが、今は足元を見直す時だろう。
 

私はやはり原発反対の意思を持ち続けて行こうと思う。

8月8日、ホタルノヒカリ

2011-08-08 09:01:45 | 思うこと
最近、ギター合奏団でギターを弾くのがしんどくなってきた。少し前までは周りから「うるさい!」と言われるくらい大きな音が
出せたし、下手くそなりに大胆な演奏ができた。爪の長さとかタッチとか細かいことを意識しなくても勢いで何とかなっていた。
要するに「邪道」が通用していたのだ。
昨年あたりから右指の動きがぎこちなくなっている。大きな音で速く弾くために、ポジションを選んだり、指の角度を工夫したり、
爪の形を意識したりしなくてはならない。何も気にしないで自由に弾けていた頃に戻りたい。
家で一人静かに独奏を楽しむのであれば自分のペースで弾くことが出来る。でも人数の少ない合奏団では、それなりの音量と
皆に合わせる速さや技量は必要だ。今のままではいずれ弾けなってしまうような気がする。
ギター合奏が大好きだし、一人ぼっちで弾くのは寂しいから、ここは少し面倒くさくても長持ちさせる方法を考えなくては…。

私はスペイン語の電子辞書を愛用している。広辞苑も付いているので手放せない。
土曜日のクラスで電子辞書の値段を尋ねられてハッとした。この辞書は昨年の秋に急逝した友人から、お古を貰ったものだった。
いわば形見なのに、あんまり身近な品なので意識していなかった。昨年の今日~8月8日~は、彼と最後に会った日だ。
あの日も暑かった。
土曜日はクラスが終わってから、会場近くの喫茶店でビールを飲んだ。その店のシンプルで開放的な造りが気に入っている。
天井が高く、中央にガラス張りの中庭がある。中庭ではキュウリを育てていて、びっしりと緑の葉を付けた蔓が2階まで這っている。
晴れた日は中庭のテーブル席に座ることもできる。その夜はバーベキューパーティがあるとのことで、着々と準備が進んでいた。
そうだ、私たちもここでパーティをしよう。もし彼が生きていたら喜んだろうな。そういうことが大好きな人だった。


先週は北総線の大町というところに蛍を見に行った。
北総線は法外な運賃で悪名が高い。北総線に乗る距離を短くするために東松戸というところまでJRを利用したら、ずいぶんと
時間がかかってしまった。東松戸のホームに降り立つと、空気が違う匂いになっていた。
2つ目の大町駅から歩いて5~6分の所にある市川市動植物園では毎夏、自然の蛍を観賞することが出来る。蛍を見るためには、
当たり前だけれど真っ暗な道を行かなくてはならない。おぼつかない足取りで、牛ガエルの呑気で不気味な声を聞きながら行くと、
ところどころで小さな白い光が瞬いていた。思っていたより儚く幻想的な光だった。ツーっと目の前を飛び去っていく様子は
夢のようだ。
蛍を見るのは人生で2回目。最初に見たのは大学時代、長野県飯山のギター合宿の時だった。深夜、皆で散歩に出かけた。
山道をどんどん進んで行くと誰かが教えてくれた。アレガホタルノヒカリダヨ。
あれから歳月が流れ、三女があの頃の私の年齢になった。そして私は新しいギター友達と蛍を見ている…。

蛍はホタルルシフェラーゼとホタルルシフェリンによって発光するのだそうだが、私には分からない。
私にはこの光が、遙か彼方の世界からやって来るように思える。それは死んでしまった人たちの世界かもしれないし、二度と
帰って来ない過去の世界かもしれない…。


夏真っ盛り。庭のゴーヤカーテンがこんなに育った。