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昨日☆今日☆明日~金曜日のピュ

私の毎日と心に浮かんだこと

方向音痴な春の憂い

2009-04-07 19:30:14 | 私というヒト
私は方向音痴という才能を持っている。
自分の勘で歩いているときは100%目的地に着かない。
地図を持っているときは角を曲がるたびに地図を回す。
プラットホームに立つと、自分がどちらの方向の電車に乗るか判断できない~最近は、
駅名と両隣の駅名が記された表示板が減ったように思う~。
「あれ?さっきここを歩いていたのに、またここにいる。」と思うことが多い。

今も散歩をしていて中学校の門の前を通ったのだが、桜の木が無い。
学校の門に桜は付き物なのに…。少し違うところを歩いてまた中学校の門に出る。
今度は見事な桜。狐につままれた気分で立ち止まってしまったが、しばらくして
理解した。さっきのは裏門だった。
私の目は門しか見ていなかった。体育館の見え方とか、周りの家々とか、そういう
ものは認識しない。中学生のころから近眼だがメガネをかけない主義だったので、
はっきり見えないのが当たり前になっている。
目のせいではなく脳のせいかもしれない。

何人かの友人は、信じられないくらいの土地勘を持っている。旅先でも道に迷わない。
彼女たちの目に、景色はどんな風に映っているのだろう。くっきりしているだけでなく
方向案内の矢印も見えているのかもしれない。なんて、からかっちゃいけない。
彼女たちのおかげで、迷わずに見知らぬ土地をあちこち旅したのだから。

方向音痴だけれど歩くのは好き。今の季節は庭先の花が美しいから散歩は楽しい。
楽しいけれどどこか憂鬱。
憂鬱の原因は特に無い。スケジュール帳は木曜日あたりから、楽しげな予定で
埋まっている。家族も元気だし、とりあえずは平和。
憂鬱の原因はある。たぶんテニス肘だろう。普通にしていれば痛くない。
ひねったり重いものを持つと少し嫌な感じはある。ギターは弾ける。弾けるけれど
疲れやすくなった。セーハがキツい。ギターが弾けなくなったら人生はつまらなく
なるだろうな…と思う。
でも最近、開き直りの悟りを開いた。ギターが弾けなくなったらスペインを目指そう。
だがスペインを目指すには、私の骨と筋肉と腱は弱すぎる。小さな村々を巡る旅が
出来るだろうか。

要するに私の憂鬱は、心の元気に身体の元気がついて行かないところにあるのだろう。
つい2~3年前は、子供たちにもっと手がかかったし仕事も結構ハードだったのに
趣味もサークル活動もこなしていた。松葉杖を突きながら働いていたことだってある。
今はその根性が無い。そこがもどかしい。

とか思いながら、それでも春の夕暮れ時は気持ちがいい。
桜を感じながら通りに出る。新しく出来たスーパーマーケットでニジマスを買った。
近所の桜並木で男の子たちが、散った桜の花びらを掃除している。よく見ると、
せっかく塵取りに集めた花びらをパアーっと空に散らしている。
その気持ち、分かる。


Unhappy Birthday, Happy Birthday

2009-03-22 02:37:29 | 私というヒト
朝から外はみぞれ雨 街の景色を曇らせる
気晴らしに あした占えば
なんだか悪いことばかり
Unhappy Birthday  Unhappy Birthday
バラの花束 投げ捨てる
Unhappy Birthday  Unhappy Birthday
また一年が巡り 私、不機嫌な大人になっていく

おまけに風も吹き始め 悲鳴をあげるガラス窓
気晴らしに ボトル空けても 
心は冷めていくばかり
Unhappy Birthday  Unhappy Birthday
洒落たカードも 欲しくない
Unhappy Birthday  Unhappy Birthday
また一年が巡り 私、不機嫌な大人になっていく

これは、私が22歳か23歳の頃に書いた詩。ううう、若い。
何故そんなに大昔の詩が残っているかというと、当時の友人が曲をつけて
歌ってくれたものがカセットに入っていたのだ。
(うちには古いカセットがぎっしり詰まった引き出しがあり、そこからとてつもなく
懐かしいものが飛び出してくる)
シンガーソングライターを目指していた彼は、時おりライブハウスで歌ったりも
していた。今はどうしているだろう。
この曲はアコースティックギターをかき鳴らしながら、印象的に歌い上げられている。
それにしても私。22~23歳…、夢のような年頃なのに、こんな不機嫌な詩を
書いている。気取っていただけかもしれないが生意気!!
と、過去の私に怒ってどうする。
そうじゃない。24歳が結婚適齢期だと言われていた時代だ、資格も才覚も
持たない私は将来に不安を抱いていたのかもしれない。恋愛に悩んでいたかもしれない。
青春時代が夢なんて、後からほのぼの思うもの…と森田公一も歌っている。
青春は甘いだけじゃないのだ。

不機嫌なバースデイを迎えていた私は、そのあとにやってくる日々を知らない。
私はギター合奏団に入った。スペイン語のサークルに入った。
スペイン語のサークルで夫になる人と出会い、そのギター合奏団には20年以上後に
再入団することになる。
不機嫌なバースデイを迎えていた私は、はるか未来の世界からオバサンになった私が
穏やかに「あなたである私」を見つめていることを知らない。

もうすぐ誕生日が来る。今の私は若くはないがUnhappyではない。
昨日はスペイン語サークルの人たちが一足早い誕生日を祝ってくれた。
手作りのお菓子とワイン、香りの良い紅茶、桜色のカード。勉強前の和やかな時間だった。
サークルの人たちは私より少し年上。80歳の知的でチャーミングな女性も居る。
素敵な先輩達に囲まれて好きな勉強ができる。これだけでもhappyだ。
これから一年、やることはたくさんある。自分の生き方次第で、どんな風にも
アレンジできる。そういう環境を持っていることに感謝しよう。

写真は上野の奏楽堂。素敵な先輩の一人であるHさんのチェロ教室のコンサートがあった。
古いコンサートホールで聴くチェロの音色は格別だ。そして一年の研鑽を積んだ演奏は、
それぞれに美しい。
外に出れば夕暮れ時。早咲きの桜を見た。


道の向こうの未知

2009-03-02 18:22:29 | 私というヒト
ギター合奏団の大先輩から、「聴いてみて」と何気なく渡されたギター曲集。
第一曲目から涙が出た。自分でも信じられなかった。
クラシックギターのアルバムや演奏は、名ギタリストのセゴビアやイエペスを始めとして
最近の若手の演奏までずいぶん聴いたけれど、涙が出るほどの気持ちになったのは
初めてだった。
ギタリストの名前は七戸國夫。1994年に40代半ばで世を去った。
情熱を秘めたリリシズム、静かな煌き…、どう表現したら良いのだろう、彼の演奏を。

3月になった。
昨日までの悪天候が嘘のように今日は晴れ渡って、洗濯物が気持ちよく揺れている。
冬と春の狭間みたいなこの月に私は生まれた。たぶんそのせいかもしれない、
このごろ私は、これからの自分について考えることが多くなった。

10年くらい前のこと。スペイン語の仲間の女性がスペインに長期留学することになった。
まだ子育てに追われていた私にとっては、心がヒリヒリするくらい羨ましい旅立ちだった。
その気持ちを彼女に伝えると彼女は答えた。
「ピュさん、私は○○歳ですよ。これが最後のチャンスです。」
私は思った。まだ先のことだ。その年齢になれば私だって旅立てるだろう。
今月の誕生日が来ると私はその年齢を一歳上回ることになる。旅立ちの予定はまだ無い。
まだ無いのか、もう無いのか。。。なぜ情熱が消えてしまったのだろう。
スペインが、よそよそしいユーロの国になってしまったからだろうか。
私が歳をとって、昔のような旅をする自信がなくなったからだろうか。
あの頃の思い出をそっとしておきたいからだろうか。
それともただ単に面倒くさくなったのか。
しかも、旅立ちのためにとっておいた資金の一部を新しいギターと取り替えてしまった。
初恋を忘れてしまったような自分が少し寂しい。

でも私にはギター合奏がある。
下手くそで独奏はできないけれど、合奏では力が付いたような気がする。
独奏を諦めた分、合奏を愛することが出来るのは、むしろ幸せかもしれない。
もっと少ない人数の重奏にも挑戦できるだろう。
私と一緒にギターを弾いてくれる人は少なくない。
そうやってギターを弾いているうちに、いつかきっとスペインへの想いが蘇るだろう。
だって、私の人生の中でギターとスペインはいつも一緒だった。
道の先には未知がある。
いつかスペインの小さな村で、ギターを独奏している私がいるかもしれない。
そのとき私は可愛いおばあさんになっているかもしれない。

写真は池上本門寺の高台から見た風景。
お天気が良いので新しいウォーキングシューズをはいて出かけた。
かつてはここから富士山が見えた。

友人のお父様が逝去された。その人の書く文章の中で何度かお会いしたお父様は、
頼もしく優しい家庭人という印象で、私には羨ましかった。ご冥福を祈ります。


2008年の私

2008-12-30 03:16:48 | 私というヒト
 1月 花粉症。 地元のギター合奏団をやめる。 現在の合奏団の38回定期演奏会。
 2月 ぶっとびフラメンコギター合奏団に仲間入り。
 3月 右足薬指骨折。
 4月 飛騨高山家族旅行。 ブログを始める。
 5月 蕁麻疹。 次女就職内定。
 6月 合奏団の松戸サマーコンサート。 姑、骨折。 高校クラス会。
 7月 ライブ、観劇、多数
 8月    〃
 9月 結婚記念日。 友、遠方より来たる。 飲み会多数
10月 血圧上昇。 比較的地味な日々。
11月 体調回復。 ギター合奏団定演準備。 長女、転職。 三女、指定校推薦で大学決定。
12月 ギター合奏団39回定期演奏会。 ぶっとびフラメンコ合奏団でイベント出演。

家族 長女と次女は新しい就職先で順調。三女は大学も決まって元気にアルバイト中。
    夫はレベルの高いコーラスサークルに入って充実しているみたい。
    長女、次女の彼氏たちも一緒に食事会、飲み会、数回。
    実家の母は膝故障で東京に来なくなった。時どき会いに行く。
    姑は93歳、骨折しても元気。家庭人としての私は幸せ。

スペイン語クラス 水曜クラス、土曜クラス(2クラス)。音信不通1名を除いて順調。
           20人あまりの仲間たちは安心できる存在。
           自分の勉強は停滞気味。

ぶっとびフラメンコ合奏団 唄や踊りやギター伴奏をしている人たちは言うだろう。楽譜を
                見ながらフラメンコなんておかしいって。
                でも私はフラメンコギター合奏大好き。来年も弾くよ。

フラメンコの唄と伴奏クラス 休んでばかり。ほとんど宴会要員。
                 私は伴奏より合奏が好きなことがはっきり分かってしまった今年。
                 でも来年もやめない。先生のもとで得るものがある。
                 往年のフラメンコファン。若い人たちのパワー。みんな素敵。

ギター合奏団 いろいろな人が語りかけてきた。それが嬉しかったり重かったり辛かったりした。
         来年は人数が減って厳しいスタートになるけれど、私は笑顔でがんばれる。
         ギター合奏好き。仲間が好き。

友達関係 あちこちにいる。近くにも、遠くにも、パソコンの中にも。
       一緒にご飯食べたりする。お酒を飲んだり音楽を聴いたりする。
       的確な言葉で励ましてくれたり、ほわんと優しかったりする。
       ギターの定演にたくさん来てくれてありがとう。

ハッピーエンドなんか無い

2008-12-14 18:06:07 | 私というヒト
幸せな定期演奏会が終わって一週間。
はじめの数日は、たくさん来てくれた友人たちにメールやお礼状を送ったり
過分なプレゼントを下さった人たちにささやかなお礼を買ったり
そんな風に温かな気持ちで過ぎていった。

金曜日は久しぶりに夫とデートした。
夫は今年、レベルの高いコーラスのサークルに入って結構苦労していた。
その初めての演奏会は11月の末にあった。
私の方の演奏会は翌週の12月7日。
この一ヶ月、夫は仕事から帰宅すると、楽譜とにらめっこだった。
私も自分のことに忙しかった。
お互い定期演奏会を終えて、やっと優しい顔で向き合えたような気がする。

スペイン語のサークルを一年ほど休会していた女性がいた。
大手術をされたご主人のお世話でサークル活動が出来なくなってしまったのだ。
もう帰ってこないかもしれない…そう思っていた矢先に復帰宣言。
嬉しかった。「久しぶりのクラス、楽しかったです。」と昨夜メールが来た。

昨日、土曜日は久々「ぶっとびフラメンコ合奏団」の練習に参加。
ギターは上手く弾けなかったけれど、自分が少しずつ
彼らの中に溶け込んできたような気がした。休憩時間はたくさん笑った。

明日は、演奏会に来てくれた友人2人とランチをする予定になっている。

私の周りは笑顔や優しい顔ばかりのような気がした。
昨日、フラメンコギターの練習のあと総武線の中で
私は穏やかで晴れやかな顔をしていたと思う。

そして昨夜。真夜中に一通のメールが来た。
文字の向こうの顔は笑っていなかった。つらそうで済まなそうだった。
一週間前、人けの無い商店街を、酔っ払ってウロウロ歩いていた4人がいた。
何だか幸せなほのぼのした気持ちで、これからも一緒にやって行こうねって
話していた私たち。でも…。

ハッピーエンドなんて無い。人生は続く。その人生を笑顔だけで送ることは出来ない。
寂しさや悲しさを勇気に変えて生きていくしかないんだろう。

このブログを、ほんの少しだけお休みします。
毎日のように変わっていく自分の気持ちを、じっくり見つめたいから。
週に2回のペースでは、まとめ切れなくなってしまいました。
心の問題に関わらない内容なら毎日でも書けるだろうけれど、このブログは
私にとって、そういう場所じゃなくなってしまった。。。

また、すぐに戻ってきます。

ホットですかクールですか

2008-12-03 00:50:23 | 私というヒト
よく、「あの人はクールだ」とか「ホットだ」とかという表現を見たり聞いたりする。
私自身は「ホットだ」と言われることが多い。
とくに今のAギター合奏団に入ってからは頻繁に言われる。
それは私が、全員に楽譜は行き渡っているか?連絡は伝わっているか?休んでいる人は
大丈夫だろうか?パソコンの掲示板の連絡だけでは不十分なのではないか?とか
気にしたり口に出したりすることが多いからだと思う。
合奏団の雰囲気は「全て自己責任」みたいな割り切った感じだから、私からみると
ちょっと冷たい。
だからといって私が本当にホットなのかどうかは自分でも良く分からない。
長くスペイン語のサークルをやっていて、そういうことを気にするのが当たり前に
なっているだけのことかもしれない。

いずれにせよ、ホットだと言われることは嫌ではない。
ホットでお人よし、どこが悪い?と思う。
「私ってクールだから…」とか自慢げに言う人がいると、何だかムカつく。
冷たい人間だなんてこと、全然、自慢じゃないと思うよ。
でも「自分はクールだ」みたいな感じの人が、実はすごくホットだったりすることもある。
そういうときはホッとする(洒落かい?)そして、私って人を見る目が無いな…と反省する。
世の中には分かりやすく優しい人と、分かりにくく優しい人がいるから
本質を見極めるのが難しい場合もある。

話は戻るが、自分が本当にホットかどうか良く分からない。見た目とか、どんくさい
喋り方とか、ドジなところは、とてもクールとはいえない。人が好きなのは確かだ。
けれど変に潔いところもある。たとえば、
今の合奏団の人たちは、サークル活動に疲れたとき「休会」する。
だから毎年、「休会」の人が何人かいる。
私だったら疲れたら「退会」して、新しい世界を見つけに行く。(未練はあっても)
「休会」は、いつか帰ってくるという道を残しておくことで、「退会」は道を絶つことだ。
そういう意味ではむしろ私の方が冷たいのかもしれない。

きっと誰の心の中にも、暖かいものと冷たいものがあるのだろう。私の中にも。
でも、かっこ悪くても笑われても、最終的にはホットな自分を目指したい。
人のことを気にしたり思いやったり、やさしいメールを打ったりしているときの
自分が好きだから。ダン・フォーゲルバーグを聴きながら、温かい紅茶をゆっくり
味わっている時みたいな気持ち。なるべくそんな時間を増やして行きたい。
好きな人のことはずっと好きでいたいし、好きな人をもっと増やしたい。

今日は渋谷に行って来た。街はもうクリスマスの雰囲気でイルミネーションがきれいだった。
この季節は好き。風は冷たいけれど、皆で集まって食べたり飲んだりお喋りしたり
小さなプレゼントを交換したりする。
クールな顔して実はホットな季節なんだと思う。


三学期の学級委員

2008-11-25 10:35:47 | 私というヒト
私は運動神経が鈍い。少し泳げる程度で、スポーツと名のつくものはどれもこれも出来ない。
足は笑っちゃうくらい遅くて、かけっこはいつもビリだった。自転車にも乗れない。
こんな状態でよくまあ今日まで無事に生きてきたものだと思う。
小学生の頃は大変だった。逆上がりも跳び箱も球技もマット運動も縄跳びも、
なーんにも出来なかったのだから。
そんなにドンクサくていじめられたんじゃないか…というと、そうでもなかった。
仲良しの女の子がたくさんいたし男の子たちともよく遊んだ。
その上、毎年、学級委員にも選ばれた。

学級委員といっても一学期の学級委員ではない。三学期の学級委員。
一学期の学級委員には非の打ち所のないしっかり者が選ばれた。二学期はいわゆる
人気者が票を獲得した。
三学期の学級委員は微妙。三学期は期間も短いし行事も無いから学級委員の活躍の場は
あまりない。
まあいいか、欠点も弱点もあるけれどアイツに投票してやるか…みたいな票を集めたんだと思う。
オトナになってからも今も、そういえば私は三学期の学級委員タイプのままだ。
コイツしょうがないな、でも一生懸命なところがあるから応援してやるか。って
助けてくれる人たちがいたから、何とかやってこれた。
夫もそんな気持ちでいるのかもしれない。

日曜日はギター合奏団のリハーサルだった。今回はリハの翌週が定演ではなく
11月30日にもう一度練習がある。だからちょっぴり気持が楽だった。
リハの雰囲気は嫌いじゃない。皆、階段を二段上がりしたような演奏をする。
司会も入るし、今回はお客様も4人来てくれて程よい緊張感もあった。
前列には、それぞれ個性は違うが、一学期の学級委員や二学期の学級委員的
ギター弾きがずらりと並んでいる。その中に私もいる。
私だけは、やはり三学期の学級委員的にギターを弾く。私のギターの弾き方には
少しは魅力(笑いとも言える)があると思う。でも欠点だらけだ。
周りに助けられて何とか弾いている。

たまには一学期の学級委員のようにバシッと決めたいし、二学期の学級委員のように
華やかな存在になってもみたい。
でも人にはそれぞれ役どころがある。私はここで、私らしく頑張って行く。


当たり前のことが当たり前でなくなったりする日々

2008-10-20 12:28:37 | 私というヒト
血圧が急上昇した日から早くも2週間が過ぎた。驚いたし身体も辛かったが、
今は嵐が去って落ち着いている。
先週受けた超音波・心電図・動脈硬化の検査結果を聞くのが来月の7日なので、
それまでは不安もある。『結果の説明は血圧降下剤の効果が安定してからにしましょう』
とドクターは言っていたが、もう少し早く教えてくれても良さそうな気がする。
その間、ドクターは私の検査結果に目を通してくれるのだろうか。
もし大きな病気が隠れていた場合、早急に対処してくれるのだろうか。
患者さんの数がメチャクチャ多い病院だから、もしかしたら来月まで私の検査結果は
放置されているのかもしれない…。何だかなあ。。。病院って良く分からない。

薬の副作用でふらついたり頭が重かったりすることもあるが、ずいぶん身体は楽になった。
一昨日はスペイン語のクラスに、昨日はギター合奏の練習に、行動再開。
どちらも予習や練習を必要とするから、2日続くと結構きつい。
前々から少しずつ準備していれば良いのだが、子供の頃から間際まで力が出ない性格。
夏休みの宿題なんかも最後の3日間くらいが勝負だったし、定期試験の時は
一夜漬けどころか当日、早めに登校して教室で火を吹く勢いで勉強したこともある。
これ、高血圧気質だなあ。

スペイン語クラスの会場は原宿だった。4時間の勉強会のあと雑踏に立つと
頭がクラクラした。勢い良く歩いてくる若者たちが怖い。雑踏を元気に歩く…
そんな当たり前のことが当たり前でなくなったりするのだ。

ギター合奏団の定期演奏会は12月7日にある。練習も佳境に入ってきた。
血圧騒ぎで合宿に行けなかったわりには何とか弾けたが、最初のうち緊張のせいか
頭に血がのぼった。トイレに行って鏡を見たら、お化粧でも隠せないくらい赤い顔に
なっていた。今回の血圧上昇は更年期障害とも関係しているのではないかと思う。
練習の帰りは反省会と称する飲み会に参加するのが常で、ビールの大ジョッキ1~2杯に
続いて日本酒の浦霞を飲むのが私の定番コースだが、さすがにそんな自殺行為はできず
「カシスアップル」なるジュースのような代物と、ノンアルコールビール「バクラー」
とかいうインチキくさい飲料水を頼んだ。
もちろん周囲のツワモノどもはビールだ、日本酒だ、ハイボールだ、と飲みまくっている。
意外なことに、あまり羨ましくもなく飲みたくもなかった。へなちょこ飲料水を飲んで
お料理を食べて、酔っているときと同じくらい賑やかにお喋りして、満足だった。
身体も楽だったし、もちろん電車で寝過ごすこともなかった。
え?私ってお酒がなくても生きていけるかも…と生まれてはじめて思った。
ショックでもあったが安心もした。
もしかしたら今まで「飲める自分」を意識しすぎていたのかもしれない。

何が自分にとって大切なのか、失くしてみなければ分からない時がある。
地元のギター合奏団をやめたときは、新しい合奏団に入っていたし平ちゃらだと
思っていたが、結構長く寂しさが尾を引いた。
お酒とは案外簡単に別れられるかもしれない。え?ホントかなあ。
気持ちが弱っているせいかなあ。。。



悪戦苦闘の日々…今度は血圧

2008-10-08 12:24:50 | 私というヒト
9月の末から体調イマイチだった。不惑の年齢を過ぎたあたりから気候の変わり目は
どうも調子が悪い。そんなさなか先週は忙しかった上に気分的に面白くないこともあり
ヤバイぞ…と思っていたらやはり月曜日に来た。血圧上昇。頭痛、肩こり、めまい、
首筋から頭にかけてクワ~っと来る感じ、始めは二日酔いのせいにしていたが、
そんな生易しいものではなかった。ついに服用を開始した。血圧降下剤。
あーあ、薬の世話になるようになってしまったか。
いや、身体が楽なのが一番。まだ効果は現れていないが。。。

よく人から優しいとか癒し系とか言われるが、本当に自分がそういう人間なのか自信が無い。
周りに優しい人が多いから、自分もそんな雰囲気になっているのかもしれない。
たった今も、水曜日のスペイン語勉強仲間のオジチャマがコスモスを持ってきて下さった。
一昨日、群馬県の板倉というところで刈り取ってきたばかりの今年初めてのコスモス。
笑顔でリュックサックから取り出されたコスモスは、バケツの水の中で急に生き生きする。

今ふっと思い出すのは、この1月に退団した地元のギター合奏団のこと。
穏やかなオジチャマがたくさんいて、みんな、口をへの字に曲げて合奏に取り組んでいた。
休み時間になると飴やお煎餅が配られた。人間関係というほどの関係はなかったし
面白い飲み会もなかったが、毎週木曜日の夜、静かな時間が流れた。
そこを飛び出したのには幾つかの理由があった。それを正当付けるのは簡単だ。
でも、今、少し心が弱っている私には、あの合奏団が懐かしい。

気持ちの休まる場所に常に身を置いていられたら幸せだ。
私には幾つかそういう場所がある。
良く考えてみよう、それらの場所は初めから気持ちの休まる場所だったか。
何の努力もしないで得られたのか。
YES、だって初めから穏やかな人が多かったもの。
NO、そうでない人もいた、緊張感もあった、時間をかけてここまで来た。

今、私がキツいと感じている場所だって、いつかは心休まる場所になるかもしれない。
そのためには逃げちゃいけないんだと思う。
友達もたくさんできたし充実した時間が過ごせる。今はちょっと疲れているだけ。


先週「ミス・サイゴン」の招待券を送ってくれた友人は、ここ数年難しい病気と
闘っている。最近は薬の副作用で体中に赤い斑点が現れた。
そんな中で彼女は言ってくれた。「招待券を送るから楽しんできてね。」

強さに裏打ちされている優しさ、本当の優しさ。私にあるのは甘ったれの優しさだ。
本当の優しさを身につけるまで、まだ人生は長い道のり。


ヒビだらけの日々

2008-10-03 11:54:44 | 私というヒト
私は自分の身体の構造をこんな風に想像している。
中心に薄紅色の華奢なハート。骨はマッチ棒ように細くて脆い。
華奢なハートと脆い骨を守るように、ぷよぷよの肉が何層も何層も取り巻いている。
ところが足先だけは神様の意地悪なのか、肉が薄い。だから足の指の骨を三回も骨折した。

一回目は10年ほど前。末娘の小学校の先生が家庭訪問に来るので掃除をしていた。
頑張りすぎてドアに足をぶつけた。頭の先まで、ぐわ~~んと響く生まれて初めての
痛みだった。左足小指の骨の根元にヒビが入っていた。近所の整形外科の治療法は
いたってシンプル。隣の薬指を添え木のようにして、ニ本の指をピッタリテープで巻く。
こうして固定したまま1ヶ月ほどで治った。

二回目は4年前、渋谷の雑踏で転んだ時。珍しくパンプスなんか履いていたのが
命取りだった。このときは一回目の何倍も痛かった。でも人の目もあるので
さりげなく立ち上がり(自分の中では感動的なくらい、さりげなかった)歩き始めたが
一足ごとに涙が出るほど痛かった。
目的地の区民館に到着し、スペイン語の勉強をしていても痛みは絶え間なく訪れた。
次のクラスの女性に連絡して湿布を持ってきていただいた。お母さんのように優しく
貼ってくれた。
クラスが終わってからの自分の行動は、さもありなん、もしくは、信じ難い。
その夜は銀座のスペインレストランで友人たちと飲む予定だった。とっさの判断。
「こんなに痛みがひどいってことは骨折に違いない。当分は遊びに行けないから
最後に楽しもう。」
パンプスでは痛くて歩けない。近くでブカブカの運動靴を買って履き替え、
どうやって辿り着いたのか記憶にないが、1時間後にはワインを飲んでいた。
翌日から松葉杖。右足の小指の根元にヒビ。前回より重傷。

三回目は7ヶ月前。花粉症の薬で朦朧としていたのだろう。家具に足をぶつけた。
右足薬指の根元。若いレントゲン技師に「またですか?」とクスクス笑われた。
このときも薬指と中指をテープでくっ付けて4週間たたないうちに完治した。
先生からは「幼稚園児並みの回復力」とお褒めの言葉をいただいた。

さて、一昨夜だが、無意識に家具と床の隙間に足を差し入れたらしい。
そのまま足を上げたら例のぐわ~~んという痛みが来た。この痛みは…。
でも前回よりは痛く無い。もう要領は分かっている。薬指と中指をテープでくっつけた。

昨夜は銀座に「ミス・サイゴン」を観に行った。また招待券をいただいたのだ。
指定校推薦が決まった娘とお祝いかたがた観に行った。足指の痛みはあったが
固定しているから大丈夫。

「ミス・サイゴン」はベトナム戦争の頃の悲恋物語。アメリカ兵と恋に落ちた娘は
彼の子を生み、凄まじい苦労の末に別れ別れになった恋人との再会を果たすが、
彼には既に妻がいた…。お決まりのストーリーといえばそうだが、途中
アメリカ兵と現地女性の間に生まれ捨てられた子供たちの映像が流れ、心に迫った。
すごい舞台だった。金色に輝く巨大なホーチミン像、ヘリコプターが降りてきたり、
きらびやかなキャデラックが乗り入れたり…。上から横から、様々な舞台装置が現れ
目を奪われた。
と、ところが第二部が始まって間もなく、いきなり幕が下り場内に明かりがつく。
舞台装置の機械トラブルがあったらしい。20分ほど進行が止まってしまった。
舞台進行に「ヒビ」ですか!?
とはいえ無事に終了し、カーテンコールでは主役の別所哲也さんが深々と頭を下げた。

今週は足指のみならず、あちこちでヒビが入っている。心にも薄い亀裂。
でも大丈夫。幼稚園児並みの回復力だから、もう新しい骨が生まれ始めてる。


今の私をやりすごさないで見つめること

2008-09-30 19:59:14 | 私というヒト
気持ちというのは毎日動いている。

昨日の今頃の私は、ある人に腹を立てていた。
いきなり連絡が途絶え体調がとても悪いという情報が流れ、皆で心配していたら
全然違う場所に元気に現れていた…という一件。
一生懸命心配していた自分がバカらしく思えた。ホントにお人よしの私。
今の私は、ぶっとびフラメンコ合奏団のリーダーから送られてきた新曲のmidiを
聴きながら笑っている。1stのメロディーが入っていないのだ。フラメンコは
伴奏がカッコいいからそれなりに聴けるけれど、やはり間が抜けていて可笑しい。

その日その日の感情をブログなりmixiなりに書くことには意味があるのだろうか。
昨日感じた怒りは、明日には薄れるかもしれない。
人を批判したことを悔いるかもしれない。でも私は書く。

昨日の怒りは、仲間うちの掲示板には書けないのでmixiに書いた。書いているうちに
心が落ち着いてきた。私はお人よしで時々バカを見るけれど、それでいいんだと。
『気持ち、分かるよ』と返事してくれた人がいた。『私も弱っちくてどんくさいよ』と
共感してくれた人がいた。私みたいな不器用なお人よしがが他にもいるんだ。
返事や共感があればもちろん嬉しいけれど、無かったとしても
自分の気持ちを見つめて書くだけで、心は落ち着く。

このブログがいつまで続くか分からないし明日の自分のことも分からないけれど、
今の自分を、今の自分の思いをやりすごさないで見つめていくのは大切だと思う。


本名、愛称、ハンドルネーム

2008-08-12 15:37:29 | 私というヒト
旧姓に<寺>という漢字が入っていたので、子供の頃から結婚するまでの愛称は
「てら」とか「てらちゃん」だった。テラはラテン語で「大地・地球」を意味する。
大きくて温かい感じがして好きだ。
高校時代だけは「デラ」と呼ばれていた。そういえば♪デーラ、君が好き…♪って
ジュリーが歌っていたよね(古!)、明治のミルクチョコレート・デラックス。
今も古い友人たちからは「てら」とか「デラ」と呼ばれている。
若い頃の自分に戻ったみたいで、くすぐったく懐かしい。

名前の方は、新潟から上京し一代で大きな呉服店を築いた祖父母に付けられた。
初めての内孫だったから、祖父の名前の漢字に「子」を付けてもらったのだが
昭和中期の香りがして、ちょっと古くさい。
(ちなみに弟は商売繁盛の「繁」と名づけられた。
どちらにも父母の意志は入っていないと思われる(>_<))
私を名前で呼ぶのは親戚と、何人かの新しい友達くらいのものだろう。

結婚して超平凡な姓になった。苗字3文字、名前3文字。最後の「子」以外は
全部「a」の母音の音で、芸能人で言えば「山田花子」に響きが似ている。
さらに悪いことに、苗字の一番上の音と名前の一番上の音が同じ。
山田花子より、浜田花子だろう。
美しさとか優美さとか、知性とか品性とか、そういったものを感じさせない名前なのは
残念だが、自分の実体を考えれば贅沢は言えない。
好きで結婚した夫の姓だし、語呂が良いのが取り柄。

ネットの世の中になってハンドルネームが持てるようになった。
自分で自分の愛称を創造するのは素敵なことだったが、なかなか難しい。
私らしく、個性的で、響きも良くて、でも気取りすぎはダメ。。。

ここでは『金曜日のピュ』と自分を呼んでいる。
昨年この世を去ったスウェーデンの映画監督イングマール・ベルイマンの映画
~正確に言えば、彼が脚本を書き、息子が監督をした映画~『日曜日のピュ』の
題名を少し変えた。私は金曜日生まれだから。
ベルイマン監督の子供時代の思い出や、父親との葛藤が、美しい田園風景を舞台に
描かれた静かな映画だ。
『金曜日のピュ』というハンドルネームには、映画が大好きだった少女時代への郷愁と、
少し苦い味もするが懐かしい父の思い出と、美しい田園への憧れが込められている。

普段は別のハンドルネームを使っている。南米の女流詩人の苗字から拝借した。
ある季節、地中海に吹く風の名称でもある。
今ではこの名前で私を呼ぶ人も少なくない。

結婚して独身時代の愛称とは違う姓になり、単に姓で呼ばれたり、○○さんの奥さん、
○○ちゃんのママだった時もある。
それも幸せな時代だったが、ハンドルネームという新しい名前で生き始めた今の自分を
大切にしたいと思う。


人に疲れるけれど、人に励まされる

2008-08-05 18:29:14 | 私というヒト
ときどき雷の音がする火曜日の午後。スペイン語の予習をしながら、音楽を聴いた。
ダン・フォーゲルバーグ。彼のことを知っている人は多くないかもしれない。
私も知らなかった。
1970年代から活躍したミュージシャンで、メロディーは時に壮大、時にシンプル、
心を打つ美しい曲もあれば、軽快なロックもある。
アコースティックギターを弾きながら歌っている静かな曲に耳を傾けていると、
弦の上をすべる左指と弦が擦れてキュッと音をたてるのが聞える。
私はその音が好きだ。音の向こうに、弾いている人の存在をはっきりと感じるから。
ダン・フォーゲルバーグは昨年末にこの世を去ってしまったけれど。。。
聴けば聴くほど優しく奥深い彼の世界に、私は心が少し疲れたとき浸っていることが多い。

先日、友人から思わぬ相談を受けた。人間関係の問題。
昨日はそのことでメールを打ったり電話をかけたりしていた。
上手く調停できたら…と思ったけれど、そんなに簡単にいくことではなかった。
たぶんあとは時間が解決してくれるのを待つしかないのだろう。
長く生きていても人間関係は難しい。特に新しくできた友達は。
当たり前だ、ずっと違う人生を、違う価値観を抱いて生きてきたのだから。

その点、古くからの友達は気持ちが楽だ。学生時代やお勤めをしていた頃の友達は、
久しぶりに会っても3日ぶりくらいの感じでスタートできる。
気持ちがすれ違うことも滅多に無い。
土曜日はスペイン語の勉強のあと、クラスの人たちと飲んだ。タイプの違う人たちの
集まりだが、それぞれの雰囲気も分かっているから寛ぐ。一人を除いて年上の人ばかり。
私は彼らに温かく支えられて20年近くサークルを運営してきた。
それから神楽坂へ。じっとしていても汗が吹き出るような夜だった。
遅れて到着したから連絡を取らなくてはと携帯を取り出していると、友人二人が
目の前にいた。うっそー。なあに?偶然?。暑いよね…。そんな風に始まる。

古くからの友達が居れば、それで充分だ。でも、私は新しい人間関係を開拓したりする。
何故だろう。きっとまだ人や明日を信じているから。
ダン・フォーゲルバーグを教えてくれた人も、日曜の夜、男っぽいロックを
聞かせてくれた人も新しい友達。
もし自分が心を開いていなかったら出会うことは無かったろう。


私、増殖中

2008-05-25 01:59:01 | 私というヒト
土曜日の夜は、ライトアップされたバラの庭園を見に行く予定だったが、あいにくの雨。
郵便受けに2つの郵便物が入っていた。

一通は、先週、スペインの詩人ロルカに関する講演に一緒に行ったスペイン語仲間から。
さらに詳しい資料を送ってくれたのだった。
1898年、南スペインに生まれたロルカは、土地の音楽を愛しジプシーたちと交流し、
マドリードの大学に入ってからは自由な気風の中で詩や戯曲を作った。
ホモセクシュアルだったという。1936年に軍が反乱を起こして内戦が起きた時、
ロルカはその自由な考え方と生き方ゆえに捕えられ、自分の墓穴を掘らされ、銃殺された。
ロルカの詩には難解なものも多いが、スペインの土の匂いがする印象的な小品もある。

 Memento               メメント~主よ、お覚え下さい~

Cuando yo me muera,       私が死んだら
enterradme con mi guitarra    埋めてください 私のギターと共に
bajo la arena.             砂の下に

Cuando yo me muera,       私が死んだら
entre los naranjos          オレンジの木と
y la hierbabuena.           ハッカ草の間に

Cuando yo me muera,       私が死んだら
enterradme, si quereis,      葬ってください、お望みなら
en una veleta             風見の中に
¡Cuando yo me muera!       私が死んだら!

今の若い人たちは躊躇もなく海外に出かけ友達を作って会話をマスターしてくる。
私たちがやっている勉強などまどろっこしいだろう。詩や小説を読んだり文法を学んだり。
でも私はこのスタイルでやっていこう。応援して支えてくれる人たちがいるから。


もう一つの郵便物はフラメンコで知り合った友人から。彼女の出したCDを注文していたのだ。
フラメンコの師匠の下で、何人もの若い人と知り合った。みんな、ひたむきだ。
フラメンコ歌手を目指し、真っ直ぐに進み、時には悩んだりしている彼女たち。
違うジャンルからフラメンコに飛び込んできた人たちもいる。
ベヴィメタのボーカリストだったり、サルサの踊り手だったり。
シャミアンさんはエスニックな香りのするユニットのヴォーカリスト。
彼女の曲を聴いていると、ずーっと以前のことを思い出す。
若い頃のことや、旅のことや、子供の頃のことや、生まれてくる前のことも。
http://www.audioleaf.com/amamania/


結婚して子育てをして落ち着いた後も、いろんな人に出会い肩を押してもらって
今日までやってきた。

銀行で働き始めたとき、性格も銀行向きじゃなかったし要領が悪いので仕事が遅かった。
その分をカバーしようと自分なりのノウハウを作った。
先輩のスタッフさんにはそれが気に入らなくて、いじめられそうになった。
その時ベテランの行員さんが言ってくれた。「彼女の好きにやらせてあげて。」
その行員さんとは妙に気が合って、今も時々会っている。

スペイン語の会話学校では若い人たちと友達になって、よく飲みに行った。
皆、はるか年上の私を友達扱いしてくれた。中の一人が映画や音楽や文学について
熱く語ってくれた。その人と話していると忘れていたことをたくさん思い出した。
昔好きだった映画や、村上春樹や、夏目漱石やワーグナーを思い出した。
そんなことからクラシック映画のBBSに書き込みをするようになった。
そこでも出会いがあり、ギターに対する思いが深まった。
そして新しいギターの友達がたくさんできた。

私はまだ増殖中。そんな私を支えてくれる家族や、懐かしい学生時代の友達もいる。

このブログのことを知っている友達はごく少ない。読んでくれている人にも、
くれていない人にも、ありがとうを言っておこう。


怖いものを見た

2008-05-19 08:47:17 | 私というヒト
先日の土曜日のこと。
その日は午後から4時間スペイン語の勉強会。夜は代々木でスペインの詩人ロルカに
関する小さな講演会があった。久々アカデミックな半日を過ごし講演会場を出れば、
曇り空ではあったが暑くも寒くもない5月の夜。
爽やかな風に吹かれていると、勉強会のために行くことが出来なかったギターコンサート
のことも、講演会のあとに振舞われたスペインワインを~ジンマシン再発防止のため~
辞退したことも忘れ(→注:私は酒に意地汚い)、ただただ充実感がみなぎった。
友人と夢中でお喋りしながら代々木駅に近づく。ふと目を上げると「それ」はあった。
曇った夜空を背景にそそり立つ巨大で恐ろしいもの。
みぞおちのあたりがズキンとし、背筋がゾワゾワと波立ち、足がすくんだ。怖かった。

このテのものに対する恐怖感は、夜空に白く浮かぶ球形のガスタンクに始まった。
幼少期に見たのだと思う。
その恐怖心は、大船駅から山の上に見える大船観音への恐れにつながった。大船観音は
昼間見るとどうってことのない綺麗な観音様なのだが、夜、ライトアップされると
異様に怖い。
そして最後に「夜空に浮かび出る大きなもの」への恐怖心が芽生えた。
大人になっても治らない。
その時の気分であまり怖くないときもあるが、怖い時の方が圧倒的に多い。
先週は渋谷に夜遊びに行ったのだが、人通りが途絶えたあたりで、いきなり右側に
渋谷クロスタワー(旧東邦生命ビル)がヌッと現れ肝をつぶした。

この恐怖感のつらいところは、共感してくれる人がいないことだ。
一緒になって「きゃあ、怖い!!」と騒いでくれる人がいたら、どんなに救われるだろう。
クロスタワーの時の連れに「怖くないですか?」と尋ねたところ、「え?全然。」と
笑われた挙句、「霊感が強いんですか?」と意味不明の質問までされてしまった。
代々木の時の友人からは「何かトラウマがあるんじゃないの?」と驚かれた。
娘たちからも「お母さん、悪いけど、その気持ち分からない。」と言われてる。

トラウマがあるのだろうか。
ガスタンクに関しては、幼少期に住んでいた所にも、行きそうな所にもガスタンクが無いので
本当に見たのかどうか実は分からない。もしかしたら誘拐されて監禁されていた場所から
ガスタンクが見えたのかもしれない(考えすぎ)。
大船観音は毎夏、逗子の海に遊びに行った帰りに見たので、「お楽しみ」が終わった時の
寂しさや疲れが恐怖心につながったと考えている。
「夜空に浮かぶ大きなもの」への恐れは、たぶん子供時代に見た『ゴジラ』の映画あたりが
発端だろう。どれも大したトラウマではない。それに分析しても怖いものは怖い。

本当に他の人は怖くないのだろうか。信じられない。