井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

涙無しの禁煙法 最終回

2012年07月22日 | 日記
番組のシフトが変わり、今はもう滅多に出なくなった日本テレビの「バンキシャ!」ですが、菊川怜さんが司会のレギュラーだった頃は、割にひんぱんに出ていました。

2度目の禁煙が破れたのは、この番組がきっかけです。選挙を目前にしたときの放送回だったと思います。当時は政治に疎くて、おまけに成り行きによっては、スタジオに誰だったか著名な政治家が来るかもしれぬという慌ただしい成り行きで(ナマ放送です)、不得手な政治ネタであるということもあり、コメントの出来が悪かったのです。

自己嫌悪でヨレヨレになりながら、しかしそのまま帰宅していればなんという事もなかったのですが、その日はたまたまスタッフの人たちが、私を食事に誘ってくれていたのですね。

食べるうち飲むうち、だんだん盛り上がって来て、スタッフのうち誰か悪いのがいて、私が禁煙中であるのを知って、しきりにタバコを勧めるわけですよ。断っていたら、タバコを数種類買って来て、「さあお好みはどれですか?」

見るといつも吸っていたメンソールがあります。1本を抜き出したわけです。せっかく数箱も買って来てくれたのだし、1本ぐらいは吸ってあげないと、場がしらけるし、と軽い気持ちで。

それからカラオケに流れ、当時住んでいた六本木の私の住まいに来てまた飲み、床で皆寝て始発まで。ということがあり。

外出すると無性にタバコが吸いたいのです。たった1本きりのタバコで体が思い出したか・・・・? と思ったのですが、後で聞いたところによると、私は実は相当本数吸っていたそうなのです。泥酔していたので自制心も記憶もなかったのですね。ふだんは、泥酔するほど飲まないのですが、コメントの出来が悪い自己嫌悪感をまぎらわしたくて、ガブ飲みし、たがが外れたところへタバコを勧められ、と条件が重なったのですね。
一晩、ヘビースモーキングしてしまった私は、もう体が引き返せなくなってしまってたのでした。そして再開、それから激しい咳込みが始まり、ついに喀血に至る、という流れで3度めの禁煙となるわけです。

今回はもうおそらく大丈夫だと思いますが、鬼門はおそらく来年の2月頃です。ちょうどその頃が禁煙1年目なんですね。自分の意志で再開することはありませんが、妙な条件が重なって泥酔、そこへ悪いのがタバコを何種類も銘柄を取り揃えて「さあ、どれかなあ? どれが好みかなあ?」と耳元でささやかないとも限らないのですから。緊張の2月にしようと、今から気を引き締めています。

・・・・駆け足に禁煙歴を述べましたが、結論を言うと動機と覚悟の度合いなんですよね。
最初の禁煙のごとく、入院でつらい思いをして、それから犬たちのために健康でいよう、この子たちを見送るまでは死ぬのやめよう、と思ってからの禁煙は、何でもなかった。すっと止められました。苦痛全くなし。吸いたいとも思わず。ごく当たり前に淡々とタバコを手放しました。2度目は物理的にタバコが吸えないところにたまたま1ヶ月間行ったので、その流れで禁煙。
これは結構、キツかった。動機がさほど強くなかったからです。ただ、つらい3日間、1週間と刑務所みたいな吸えない空間で過ごし、ひと月間過ぎたのでそれが助走期間となって、この時もさして苦しみはありませんでした。

上海へ同行したプロデューサー氏は、ストレスのある仕事ゆえにタバコを吸っていたが、仕事のストレスを上回るストレスが生じたので、更にその上を行くストレス=禁煙を自分に課して、ストレスを克服するのだと・・・止めていましたが・・・解ったような解らぬような、でも喫煙者の実感からしたら、解らなくもない話でした。

私の「ちょん吉を失った苦しみを考えたら、禁煙なんてどってこともない」と、少し似た発想かもしれません。私も喪失感というストレスに禁煙のストレスを重ねて別種のストレスへの転換をはかったのでしょう。

50年間ヘビースモーキングでコーヒーとセットにした喫煙を手放すぐらいなら人生なくていい、とまで思い込んでいた私が、さほどの苦しみなく止められているのだから、動機がきちっとあれば止められると思います・・・止められない人は、どこかで「止めたくない」と思っているのかもしれません。

それと意外に簡単だったと書きましたが、それは3度とも違う理由でラクだったのですが、今回3度めは阿鼻叫喚地獄を覚悟しちゃったんです。こりゃ相当苦しいぞ、と。覚醒剤中毒から立ち直る人のイメージ。ニコチンごときでこれは大仰ですが、そのくらい腹を決めてしまうと、いいのかもしれません。床や壁を爪でかきむしろうと、覚悟していましたから。

要は動機づけがしっかりとあったら、あとは「覚悟」の問題かなあと思います。1度目の禁煙が一番ラクでした。「この子たちのために入院するわけにはもう行かぬ。この子たち見送るまでは絶対に死なない」と思ったら、すっとタバコは捨て去り、吸いたいとも思わなかったのですから。日に3,4箱吸っている頃のことです。覚悟と納得の深さなのだと思うのですね。本当に、なんという事もなかった。

動機も単に健康に悪いから、程度だとやめづらいかもしれませんね。止める積極的な理由は何でしょう?それは切実な理由でしょうか?

日々、僅かずつながら自己再生、浄化して行っているであろう肺を思いながら、長年虐待して来たお詫びなど言っています。
元の肺に戻るほどの時間は私にはもうないと思うのですが、少しでも浄化に向かう身体であるのは悪いことでもない気がします。

止めて5ヶ月間ほど経った今も、日に1回軽く咳き込みますが、この程度の後遺症は当然で、再び吸わぬためのよい「警告」にもなっています。

そうそう、かかりつけのクリニックは禁煙外来もやっていて、そこに頼ろうかとお話をうかがってみたら、面倒なのですよ、いろいろ。あぁメンドくさっ、そんなら自力で止めるほうがシンプルでまだいいや、というのもありで、止めちゃったんでした。
次に薬を貰いに行ったときの、先生が驚く顔など想像しながら。(その顔を実は見たくもあり)実際に「止めました~」と軽く言ったら、驚いてましたけどね。
薬を飲み続けながら、しぶとく吸い続けていた私が止めたのですから。

まあ止めて半年にも満たぬので偉そうなことを言えた義理ではないのですが、もう吸わないでしょう。部分部分が壊死、硬化した肺の画像を見ていたら、申し訳なかったし・・・・私が肺だったら、とっくにヤケを起こして機能停止しています。
よくまぁ長年、虐待して来たものだ。そりゃあ肺だけではなくすべての器官に及びますからね。

初めてテレビを書いた時、ハイライト(強い)を日に5箱吸いながら書いてまして、この時は咳き込んでました。
咳は肺の悲鳴なんですよね。

禁煙に踏み切るのを躊躇した理由の1つに、書けなくなるのではないかという懸念もありました。長年、くわえる、火をつける、吸う、吐く、書くという一連の動作が染み付いていて、それを止めたら書けなくなるか、作風が変わるのではないかという心配。

結果、まったく関係ありませんでした。吸わなくても書けたし、特に質が落ちることもありませんでした。
手書きからワープロに移行した時と同じでした。


今でも吸いたいなぁと思うことはあります。脳がとりわけ食後の、コーヒーと共にくゆらす快感を記憶していますから。
でももう喫煙には戻りません。酸素ボンベの恐怖が最大ですが、身軽なんですよ、タバコを吸わないと。
吸っていた頃は出かける前に、ライター2つ(オイルが切れた時イライラしないためのスペア)と、外出時間から割り出したタバコの本数チェック、場所にとっては携帯灰皿、そして人と禁煙の場所で会うときには、会う前にカフェに寄って吸い溜めの時間・・・・と煩瑣でしたからね。約束の場所を訪れたら、視線はテーブルの上を灰皿探してさまよっているし、喫煙所の場所を探すし・・・・
出演のためにテレビ局へ行っても、メーク室から喫煙室へ直行、本番が始まったらCMの最中にスタジオで吸う豪の者が昔はいたけれど、今は吸えません。
誰とは言わないけど、女優さんでもいますけどね、撮影の合間にタバコを禁煙のスタジオでくわえる人。
人の病室を見舞いに来て、部屋で一服する女優さんもいましたねぇ。煙で疑われるのは私なのに。

世の中の害になるから、という理由でタバコのCM依頼を断ったのは岩下志麻さんです。極道の姐さんをやってらしたので、依頼があったのでしょう。

この岩下さんですが、以前新宿のクラブに出かけた時、カラオケしてくださったのですが、私のタバコを1本ひょいっと抜き取って、片手に煙をくゆらしながら極道の姐さんのドスの利いた低い野太い声で「愛の讃歌」を歌ってくださったのでした。根っからの女優さんです。

余談に逸れました。・・・・結局、人の禁煙体験など参考にはならないですよね。




岩下さん、凄い落差でしょ・・・・。普段はまったく吸わない方です。