井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

テレビで昔を思い出す

2012年10月13日 | 日記
このところ何でだかテレビに出ている人を見て
昔を思い出すことが続いています。

中森明菜さんが歌姫ということで取り上げられてたのをちらっと見ながら
昔、彼女を泣かせてしまったことを思い出してしまいました。

六本木の酒場で、遭遇。フロアでお互いすれ違いそうになった時
私のほうから話しかけたような気がします。初対面です。(酔っていた)

で、よせばいいのにアドバイスと称してお説教をしちゃったのですね。
明菜さんは大粒の涙をこぼしたのですが
おそらく感性の豊かな人で、私の言葉が琴線に触れる所があったのかもしれません。


ただ・・・その後、人の仲介で数名で食事を共にしたことがあるのですが、
その時の彼女は当時の恋人をかたわらに無表情でした。
体の具合が悪いというので、「病院に行ったら」とついまたおせっかいを言ったら、
「一回私、病院なんかに行ったら、そのまま入れられてもう出られなくなっちゃいますよ」
と乾いた声で、そう言ったのでした。終始、無表情でした。

六本木の酒場で、おせっかいなお説教をした酔っぱらいと私が
同一人物であるかどうか明菜さんが認識していたかどうか
聞きそびれてしまいました。


希林さんの豪邸に住みそびれた話

2012年10月13日 | 日記
仕事上の参考に、DVDを見たのですがこれに樹木希林さんが出ていらして
ふと思い出したのですが・・・・

「この家借りない?」

と希林さんが唐突に口にされたのが、希林さんの豪邸におじゃましている時です。

「?」
「別に家を建てるのよ。だから信用できる人に貸したいの」

と希林さんが口になさった金額はおそらく相場の4分の1程度。当時私は世田谷の家にローンを払っている最中でしたが、別荘はまだ所持していず、拝借しようと思えば拝借出来ない金額ではありませんでしたが、当時は愛犬2匹がいて、こんな立派な家を汚さないように暮らすだけで大変・・・と辞退したのですが、六本木の交差点からさほど遠くない、かといって閑静な住宅街で、かなり心が揺れました。

希林さんの素敵な演技を拝見しながら、ふと思い出したことです。

そう言えば・・・私がその土地を舞台に2度、連続ドラマを書いた西伊豆の土肥の人たちから温泉付きの家一軒をお礼に建ててあげようという申し出を受けたことがあります。
富士山が見える高台です。
これもちょっと心が揺れましたが、ツーマッチでご辞退したのでした。

テレビの世界も世の中も景気が良かった頃の話です。
局から高視聴率のご褒美だといって、ファーストクラスで主演女優さんとヨーロッパ行きたい国へ行ってください、お供つきです。というのもありました。
これも、締め切りのほうが切実でご辞退したのでした。

仕事がらみではないほうでは、タイの王宮に泊まらぬかと、王宮にある事情で親友がいる女優さんからお誘いを受けたこともありますが、これも連ドラの締め切り直前の話で、お断りしたのでしたが、今でも心残りです。王宮内なんて取材ですら入れませんものね。
「扇ぐ係りとか、靴をはかせてくれる召使とか1人ずつつけてくれるよ」とその女優さんのお話でしたが、考えてみれば一生に一度の体験でしたのにね。
いや別に、靴は自分ではけるし、召使複数名にそばにはべられる暮らしなど息が詰まりますが、物書きとしてはそういう特殊な暮らしをなさっている人々の感覚のいったんなりとも、経験できたかな、と思うので。

私の妄想内の王宮の庭園には孔雀が陽に極彩色の羽を光らせてゆったり歩いているのですが、さて実際にはどうなのでしょう。

寒いのが不得手で昔はかなり通ったタイですが、ここ10年ほど国際線の飛行機にすら乗りません。日々に億劫です。この間、作品が賞にノミネートされたので渡った中国が久々の海外でした。
もう当分、海外には出ないと思います。
飛行機がとみに不得手で、昔がまんができていたのは好奇心が苦痛を上回っていたからです。
できれば一生、もう日本を出たくありません。国内でも旅が億劫なほうです。
出るとしたら、仕事がらみで致し方のない渡航だけでしょうし、そうあることとも思えません。海外取材が必要なドラマもめっきり影を潜めてしまいましたし。
昔はぞろぞろ連れ立って、渡っていたのですけどね。大名旅行で、作家だけがビジネスクラス。プロデユーサー、演出家、他はエコノミーという・・・これも、今では考えられない話です。
ドラマが「作家のもの」であった時代でした。先輩の市川森一さんが逝かれ、私がその時代を知るほぼ最後の生き残りになってしまいました。・・・上にはまだ、倉本聰さんや山田太一さんがいらしゃいますが、倉本さんたちは作家の黄金期を生きた方々で、私がちょうどその黄金の終バスにかろうじて駆け込みで乗れたくちだという意味です。