くたばれ!! HAWKS
南海時代からのホークスコレクションを紹介。
 




南海ホークス時代の野村監督に頂いたものです。サイン色紙というよりも当時の座右の銘でしょうか、丁寧に毛筆で「球心一如」と書かれています。

こちらはサインボールで、ここにも「球心一如」と書かれています。

こちらの色紙も同様で、3種類のサインは時期もバラバラに頂いたんですが、かなりお気に入りの言葉だったんでしょう。「球心一如」、野球と一体になるというような意味でしょうか。監督・捕手・4番という当時の野村監督にはピッタリの言葉のような気がします。ダイエーホークス就任当時の王監督も一時用いていた言葉です。

こちらは、ヤクルト監督時代に頂いたものですが「耳順」と書かれています。中国の聖人、孔子の言葉で「六十にして耳順う」、つまり60歳になると誰の意見にも素直に耳を傾けられるという意味で、当時56歳であった野村監督の目標みたいな言葉だったのでしょうか。しかし今年71歳になる最近の野村監督をみていると・・・・どうなんでしょうねぇ~。

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【'74年ファンブック】400円
南海ホークスファンブックの創刊号。B4判という大きめのサイズで主力選手のカラー写真が充実しています。「南海ホークス ユニフォーム」の巻きで紹介した江本のサインもこのファンブックにしてもらいました。

全体的には、やはり野村監督がメインで写真の数も他の選手より、かなり多めになっています。


【'75年ファンブック】400円
この年からA4判サイズなり、以降、南海ホークス最終年の'88年までこのサイズで統一されました。個人的には、この’75年の表紙が一番のお気に入りです。

この年の中身の構成が、以降のファンブックの原型になっているような感じです。


【'76年ファンブック】450円
江本ー江夏の世紀の大トレードが行われた年で、南海としては全国区の人気を誇る江夏を全面的に押し出す戦略をたてました。

前年に達成した野村監督の600号ホームランと2500本安打の写真です。当時の南海ファンの一番の話題だった野村監督の偉大な記録。しかし達成時にはテレビの放送はおろか、ラジオ放送さえなく、更に今のように野球ニュースなどあるわけもなく、確か巨人戦の途中経過でアナウンサーが伝えたのを覚えています。映像の方は、一瞬VTRが流れたか流れなかったか・・・みたいな感じでした。もちろん、スポーツ新聞などという気の利いたものは取ってなかったので、写真さえ見たことがありませんでした。そういう意味で、当時、特にこの写真は、嬉しかった記憶があります。

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1976年ぐらいに頂いたバットです。
当時パリーグの審判をしていた父が、門田の折れたバットを見て息子がファンなのでもらえないかと頼んだところ
「折れたバットでは失礼なので・・・」ということで、使用中のバットを取り出してサインをしてくれた貴重なものです。

久保田スラッガー製のバットで、グリップには手書きで当時の背番号27と記されています。
まだ子供だった為、その価値が分からず庭の木にボールを吊して打ってみたり、草野球の試合で使ってみたりと今では考えられないようなことしていました。そのおかげでサインはハゲて消えかかり、その上からマジックでなぞるという始末です。

でも、いろんな意味で思い出がたくさん詰まった宝物です。



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南海ファンになるキッカケになったのが、この'73年型深緑のユニフォーム。実際に見たのは、'73年初観戦の太平洋クラブライオンズ戦と阪急ブレーブスとのプレーオフ第2戦の二試合だけでしたが、それはそれは印象深いユニフォームでした。そして'74年、ホークス子供の会に入会し、喜び勇んで見に行ったのが4月7日の開幕第2戦・第3戦の近鉄バファローズとのダブルヘッダー。大阪球場の薄暗い階段を上がってグランドを見渡すと・・・・あれ?・・・どこのチーム?
楽しみにしていた深緑のユニフォームがいないじゃありませんか。練習している選手をよ~くみると胸には確かにホークスの文字が・・・。しかし、どうみてもカッコの悪いユニフォームに変わっていたのです。

明るいグリーンの帽子に黄色のアンダーシャツ。
しかもヘルメットは深緑って・・・バランス悪すぎ・・・。

確か試合が始まってもしばらくの間、なんでこのユニフォーム!?
と繰り返しつぶやいていたことを思い出します。
試合の中身は全然覚えていませんが、野村監督がホーム上のクロスプレーかデッドボールかなにかで負傷退場したことだけ記憶に残っています。
開幕第1戦に登板し、上がりで観戦していた江本投手を見つけ、サインが欲しいけれど恥ずかしくてなかなか声をかけられず、やっとの思いでもらったのが、このサインです。

結局このユニフォーム、誰がみても不評だったらしく、すぐになくなりました。かわりにシーズン途中から'73年型深緑のマイナーチェンジバージョンと明るいグリーンでアンダーシャツまで統一されたユニフォームの2パターンに変わったのです。
子供心にめちゃめちゃカッコ悪いと思ったユニフォームでしたが、その後南海ホークスを語る時に、ほとんど全く登場しないことを考えると、実は結構貴重なもの見ていたんだなぁと実感します。

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【'74南海ホークス子供の会の会員証】
高島屋で優勝記念写真展とファンの集いがあった時に入会したものです。
確かこの会員証のような、ひさしが黄色の帽子をもらった記憶があります。案内のチラシをみてみると、会長は野村監督になっています。

更にみていくと、
1.趣旨・・・南海ホークスを愛する少年ファン相互の親睦と野球を通じて心身の鍛練をすることにあります。
2.資格・・・小・中学生
3.会費・・・500円
特典としてオープン戦・公式戦の内・外野席無料入場(年間15試合)
となっています。
記憶では、兄と2人で入会したと思うんですが、
なぜか会員証は3枚あります。



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