くたばれ!! HAWKS

南海時代からのホークスコレクションを紹介。

久保寺雄二 実使用バット

2007-10-19 21:07:40 | 南海ホークス
'70年代から'80年代の南海ファンにとって忘れることのできない選手、久保寺雄二。
1985年、26歳の若さで他界した将来有望の選手でした。

このバットは1979年6月15日、大阪球場で行われた南海ー日本ハム戦に使われたもので、試合後、審判をしていた父が、本人から譲り受けたものです。マーク部分に少しキズがありますが、とても貴重なバットです。

美津和タイガー製のバットで、グリップが太い通称「こけしバット」と呼ばれるものです。
このタイプは、南海の藤原や阪急の福本などが愛用していたことで有名ですが、当時の南海では、新井なども使用していました。
ちなみにこのバットを貰った時「新井のバット?」と聞いた記憶があるので、当時のイメージは藤原より新井の方が強かったみたいです。
一般的に「こけしバット」は重たいイメージがあるんですが、このバットは比較的軽めで、子供の頃、素振りをするには最適の重さでした。

グリップエンドにはN(南海)と当時の背番号33が刻まれています。
6新井宏昌
'78年頃の新井は同じ「こけし」タイプだけでなく、メーカーも同じ美津和タイガー製のバットを使用しています。
33久保寺雄二
当時久保寺は入団3年目で広瀬監督の秘蔵っ子といわれた選手でした。しかしレギュラー定着までにはほど遠く、すでに一流選手として活躍し、更に自分と似た体型の好打者・新井の姿を見て同じタイプのバットを使っていたのかもしれません。



大入り袋

2007-10-08 01:41:45 | 南海ホークス
球場が満員になった時に関係者に配られる大入り袋です。中身は5円、100円、500円など様々だと聞きましたが詳細は不明です。
ちなみに父からもらう時は、すべてカラの状態でした。

'80年代後半からのものがほとんどで、やはり福岡ダイエーホークスのものが一番多く残っています。

デザインも様々でその当時、頻繁に大入り袋をだしていたダイエーや日ハムは、専用のキャラクターマーク入りの袋を作っているのに対して、あまり大入り袋のでない阪急や近鉄などは急遽作ったような感じです。

こちらは1991年「西武ライオンズ対広島東洋カープ・日本シリーズ」の大入り袋。

第7戦まで白熱した戦いが続いた日本シリーズで、優勝は西武ライオンズ、MVPは4本のホームランを打った、現ホークスの秋山コーチでした。
大入り袋は、全7戦分ありますが西武球場と広島球場とでは大きさが違っているのが面白いです。

そして南海ホークス時代の大入り袋といえばこちら。
1988年10月15日大阪球場最終戦の時のものです。袋にはホークスのロゴとマークが入っていますが、対戦カード、日付は簡単なハンコ判。とてもショボイですが、貴重なものです。

南海ホークス 手帳

2007-10-07 01:33:15 | 南海ホークス
     
【南海ホークス 粗品手帳】
毎年、関係者に配られた南海ホークスの粗品の手帳です。皮のような素材で色は南海カラーのダークグリーン、マークと年号が金色になっています。
縦12センチ横6.5センチの小ぶりなサイズで中身は1月から12月までの日付が刻まれたスケジュール帳になっていて、球団戦績表や南海ホークスの歌、自分で記入できるのホークス勝敗表などが付いています。

1970年から1981年までのものがあるのですが、年代によっては2冊あったりするものも・・。
ファンになる前のもの('70年~'73年)は落書きだらけでボロボロ状態なんですが、'75年ぐらいからは、結構きれいな状態で残っています。ちなみに'70年から'74年までは金色のホークスペンが付いています。

毎年、この手帳をもらうのが楽しみで、意味無くシャツの胸ポケットに入れて学校に持って行ったりしてました。