くたばれ!! HAWKS
南海時代からのホークスコレクションを紹介。
 



南海ホークス野村監督から頂いた昭和49年の年賀状です・・・もちろん父にですが。水島新司のオリジナルイラストがとても印象的で、正月にこの年賀状を見つけた時、かなりドキドキしたのを覚えています。野村監督、前夫人、そして息子さんが一筆入れています。

昭和51年の年賀状です。しかし写真を見ると、監督でもない、キャッチャーでもない、4番バッターでもない。野村監督には一番縁遠いと思われる走塁の姿です。ある意味かなり珍しいというか、多分野村監督のことなので、何かを意図しているのでしょうね。

野村監督の南海ホークス最後の年、昭和52年の年賀状です。このシンプルで鮮やかなグリーンのユニフォーム、当時は何か物足りなくて正直高校野球っぽいなぁと感じていましたが、いま改めて見るとやはりカッコよろしいですな。

昭和53年ロッテに移籍した年の年賀状と昭和55年現役最終年、西武時代の年賀状です。イラストは水島新司が改めて描いていますが、先のイラストとはかなり印象が違いますね。この2枚は南海から出て行った野村克也には興味がない時代だったので、残念ながら、その当時の印象はほとんどありません。



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'70年代から'80年代の南海ファンにとって忘れることのできない選手、久保寺雄二。
1985年、26歳の若さで他界した将来有望の選手でした。

このバットは1979年6月15日、大阪球場で行われた南海ー日本ハム戦に使われたもので、試合後、審判をしていた父が、本人から譲り受けたものです。マーク部分に少しキズがありますが、とても貴重なバットです。

美津和タイガー製のバットで、グリップが太い通称「こけしバット」と呼ばれるものです。
このタイプは、南海の藤原や阪急の福本などが愛用していたことで有名ですが、当時の南海では、新井なども使用していました。
ちなみにこのバットを貰った時「新井のバット?」と聞いた記憶があるので、当時のイメージは藤原より新井の方が強かったみたいです。
一般的に「こけしバット」は重たいイメージがあるんですが、このバットは比較的軽めで、子供の頃、素振りをするには最適の重さでした。

グリップエンドにはN(南海)と当時の背番号33が刻まれています。
6新井宏昌
'78年頃の新井は同じ「こけし」タイプだけでなく、メーカーも同じ美津和タイガー製のバットを使用しています。
33久保寺雄二
当時久保寺は入団3年目で広瀬監督の秘蔵っ子といわれた選手でした。しかしレギュラー定着までにはほど遠く、すでに一流選手として活躍し、更に自分と似た体型の好打者・新井の姿を見て同じタイプのバットを使っていたのかもしれません。




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球場が満員になった時に関係者に配られる大入り袋です。中身は5円、100円、500円など様々だと聞きましたが詳細は不明です。
ちなみに父からもらう時は、すべてカラの状態でした。

'80年代後半からのものがほとんどで、やはり福岡ダイエーホークスのものが一番多く残っています。

デザインも様々でその当時、頻繁に大入り袋をだしていたダイエーや日ハムは、専用のキャラクターマーク入りの袋を作っているのに対して、あまり大入り袋のでない阪急や近鉄などは急遽作ったような感じです。

こちらは1991年「西武ライオンズ対広島東洋カープ・日本シリーズ」の大入り袋。

第7戦まで白熱した戦いが続いた日本シリーズで、優勝は西武ライオンズ、MVPは4本のホームランを打った、現ホークスの秋山コーチでした。
大入り袋は、全7戦分ありますが西武球場と広島球場とでは大きさが違っているのが面白いです。

そして南海ホークス時代の大入り袋といえばこちら。
1988年10月15日大阪球場最終戦の時のものです。袋にはホークスのロゴとマークが入っていますが、対戦カード、日付は簡単なハンコ判。とてもショボイですが、貴重なものです。


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【南海ホークス 粗品手帳】
毎年、関係者に配られた南海ホークスの粗品の手帳です。皮のような素材で色は南海カラーのダークグリーン、マークと年号が金色になっています。
縦12センチ横6.5センチの小ぶりなサイズで中身は1月から12月までの日付が刻まれたスケジュール帳になっていて、球団戦績表や南海ホークスの歌、自分で記入できるのホークス勝敗表などが付いています。

1970年から1981年までのものがあるのですが、年代によっては2冊あったりするものも・・。
ファンになる前のもの('70年~'73年)は落書きだらけでボロボロ状態なんですが、'75年ぐらいからは、結構きれいな状態で残っています。ちなみに'70年から'74年までは金色のホークスペンが付いています。

毎年、この手帳をもらうのが楽しみで、意味無くシャツの胸ポケットに入れて学校に持って行ったりしてました。

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【'75~'76南海ホークスカレンダー】
’74年に引き続きカレンダーとしては少し小さめのB4判の横長サイズ。
表紙は'74年から使用を始めたホーム用2パターン・ビジター用2パターンのユニフォーム姿の選手たちで1番下の左から藤原・野村監督・江本、その上が佐藤道・広瀬・長谷川、次が中山・桜井・島野、1番上が門田・山内新・西岡となっています。

2カ月ごとの6枚綴りで、4~5月は野村監督・佐藤道、6~7月は桜井・門田、8~9月は江本・松原、10~11月は山内新・西岡&中山、12~1月は広瀬・ロリッチ、2~3月が藤原&佐野・島野と、当時の主力選手のほとんどが登場しています。カレンダーの方には'75年のホークス戦の日程が記されています。ちなみに表紙に登場しているこの年のドラ1長谷川勉だけが中には登場していません。ちなみなに長谷川はルーキーとして、オープン戦で完封するなどかなり期待されましたが、シーズンでは0勝3敗とふるわず、シーズンオフに行われた江夏ー江本の大型トレードの一員として阪神に移籍しました。

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【'75ファンブック】300円 A4判
なぜか一冊だけある近鉄バファローズのファンブック。野球に興味を持ち始めた頃だったので、取りあえず買ったものだと思います。表紙は当時、実力はイマイチ、人気はピカイチだった太田幸司。

監督は名将西本監督、当時54歳。期待の星!ヤングバファローズとして梨田昌崇・佐々木恭介・羽田耕一・栗橋茂の4選手が取り上げられています。

昨年亡くなった、仰木さんも2軍守備・走塁コーチとして地味~に写っています。当時39歳でした。

これは'75年の後期優勝の時に発売された「優勝記念乗車券」。近鉄沿線に住んでいたので買ったのでしょう、多分・・・。この年近鉄は後期に優勝したものの、プレーオフで前期優勝の阪急に敗れて涙をのんだのでした。


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現在残っている中で一番古いチケットです。
'74年7月31日対日本ハム戦のもので、試合は4対3で南海の勝ち。年間契約をしていた友達の父親に連れて行ってもらったので、ボックス席で観ることができた試合です。

この時期、大阪球場で野球を観るときは、ほとんどがこの座席指定席でした。バックネット裏中段ぐらいの関係者席で非常に見やすかった記憶があります。ただチケットが結構しょぼかったので、ほとんど捨ててしまい数試合分しか残っていません。ちなみにこの試合は'74年9月15日、対太平洋戦のダブルヘッダーで第一試合は9対2で南海の勝ち、第二試合は4対2で太平洋が勝っています。

珍しいところでは、大阪球場のチケット袋。これもほどんど捨ててしまい、残っているのはこの2枚。上が年代不明、下が'81年5月2日対阪急戦の時のものです。この頃になるとチケットを余分に取ってもらうという贅沢をしていたので結構未使用のものが残っています。

これは'88年10月15日、大阪球場での南海ホークス最終戦のチケット。バックネット裏のボックス席で前から3段目でした。ちょうど斜め後ろにMBS中継の解説席があり水島新司を見て感動したのを覚えています。

'88年頃からは、関係者に配布される「家族証」で主に観戦していました。パリーグ公式戦全試合に対応しているカードで、一人でふらっと行くときに重宝していました。

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南海ホークス時代の野村監督に頂いたものです。サイン色紙というよりも当時の座右の銘でしょうか、丁寧に毛筆で「球心一如」と書かれています。

こちらはサインボールで、ここにも「球心一如」と書かれています。

こちらの色紙も同様で、3種類のサインは時期もバラバラに頂いたんですが、かなりお気に入りの言葉だったんでしょう。「球心一如」、野球と一体になるというような意味でしょうか。監督・捕手・4番という当時の野村監督にはピッタリの言葉のような気がします。ダイエーホークス就任当時の王監督も一時用いていた言葉です。

こちらは、ヤクルト監督時代に頂いたものですが「耳順」と書かれています。中国の聖人、孔子の言葉で「六十にして耳順う」、つまり60歳になると誰の意見にも素直に耳を傾けられるという意味で、当時56歳であった野村監督の目標みたいな言葉だったのでしょうか。しかし今年71歳になる最近の野村監督をみていると・・・・どうなんでしょうねぇ~。

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【'74年ファンブック】400円
南海ホークスファンブックの創刊号。B4判という大きめのサイズで主力選手のカラー写真が充実しています。「南海ホークス ユニフォーム」の巻きで紹介した江本のサインもこのファンブックにしてもらいました。

全体的には、やはり野村監督がメインで写真の数も他の選手より、かなり多めになっています。


【'75年ファンブック】400円
この年からA4判サイズなり、以降、南海ホークス最終年の'88年までこのサイズで統一されました。個人的には、この’75年の表紙が一番のお気に入りです。

この年の中身の構成が、以降のファンブックの原型になっているような感じです。


【'76年ファンブック】450円
江本ー江夏の世紀の大トレードが行われた年で、南海としては全国区の人気を誇る江夏を全面的に押し出す戦略をたてました。

前年に達成した野村監督の600号ホームランと2500本安打の写真です。当時の南海ファンの一番の話題だった野村監督の偉大な記録。しかし達成時にはテレビの放送はおろか、ラジオ放送さえなく、更に今のように野球ニュースなどあるわけもなく、確か巨人戦の途中経過でアナウンサーが伝えたのを覚えています。映像の方は、一瞬VTRが流れたか流れなかったか・・・みたいな感じでした。もちろん、スポーツ新聞などという気の利いたものは取ってなかったので、写真さえ見たことがありませんでした。そういう意味で、当時、特にこの写真は、嬉しかった記憶があります。

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1976年ぐらいに頂いたバットです。
当時パリーグの審判をしていた父が、門田の折れたバットを見て息子がファンなのでもらえないかと頼んだところ
「折れたバットでは失礼なので・・・」ということで、使用中のバットを取り出してサインをしてくれた貴重なものです。

久保田スラッガー製のバットで、グリップには手書きで当時の背番号27と記されています。
まだ子供だった為、その価値が分からず庭の木にボールを吊して打ってみたり、草野球の試合で使ってみたりと今では考えられないようなことしていました。そのおかげでサインはハゲて消えかかり、その上からマジックでなぞるという始末です。

でも、いろんな意味で思い出がたくさん詰まった宝物です。



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