マンゴーの花咲く頃に

ラオスに暮らして数年目、何の縁があってかラオス人と結婚することに。結婚手続き、結婚式準備などのドタバタの備忘録。

婚約式を行う

2012-11-18 19:53:31 | 婚約式
3月(結婚式まで10ヶ月)、相方の実家で婚約式を開きました。

前日、実家に到着し、当日は早朝に起きて、家の前を通る僧侶の托鉢行列に喜捨しました。

朝から、親戚やら友人やらが集まって、宴会の料理作り。私はほとんど戦力にならないので、ミントの葉をむしるとか、ニンニクやトウガラシをすり鉢でたたき潰すといった単純作業で、何となく手伝っているフリ。

時間が近づくと、ラオスの衣装に着替えます。このときは、手持ちのシルクのブラウスとシン(ラオスのスカート)、パービエン(肩掛け布)の中から一番良さそうなものを選んで持って行きました。美容師さんをしているという親戚のおばさんがメイクをしてくれ(「昼間だから薄めにしておいた」と言ってくれたけど、かなりの厚化粧)、式が始まります。

まず、夫婦円満でお手本となるようにと選ばれた年配の女性が持つ金のベルトの端をつかみ、彼女について会場に引き出されます。

その後の流れとしては、村長さんの挨拶→結納金の確認→指輪の交換→「モーポーン」(祭事のときに祝詞をあげる人)による祝詞→「マッケーン/バーシー」(腕に健康や幸福を願って糸を巻く)→婚約証明書への証人のサイン。

結納金の確認ですが、面白かったのは、銀の鉢、金の鉢が出てきて、銀の鉢を開けると噛みタバコが入っています。これを花嫁側の友人に握っておくように渡されていました。緊張のあまり、当日は由来を聞く余裕がなく、あとから相方に聞いても「年寄りに聞かないと分からない」とのことで確認し損ねましたが、機会があったら調べてみようと思います。

金の鉢を開けると、結納金の札束、金、指輪が入っています。式を仕切る村長が、この札束を私の友人に渡し、みんなの前で数えるように命じました。金額を確認したら、村長がそれを婚約証明書に記載します。

結納金は普通は、花婿から花嫁の両親に渡されるものですが、私の日本の家族は、ラオスからの結納金は期待していないでしょうし、私たちの場合は、そのまま共有の結婚資金としました。

婚約証明書の証人欄には、私の家族は婚約式には来られなかったので、ヴィエンチャンからかけつけてくれた友人たちが、証人としてサインをしてくれました。

そのあとは、庭に並べられたテーブルで宴会が始まります。食べて、飲んで、歌って、踊って、日が暮れていきます。

ちなみに、結局、婚約証明書については、彼の住民票(サマノークア)があるビエンチャン市の村で作り直したので、手続きのことだけを考えれば、別に大掛かりな婚約式をする必要は全くありませんでした。実際、村長など数名に少しご馳走するとか、「付け届け」だけ渡して婚約証明書を作ってもらうという人も多いようです。

それでも、終わってみれば、なかなかなかなか面白い一日でした。まあ、私としては「友だちにも祝ってもらえたし、もうこれでいいのでは?」と思わなくもありません。数十人規模の婚約式で十分大変だったのに、数百人が集まる結婚式はどうなることやら。

婚約指輪を買う

2012-11-14 22:42:22 | 婚約式
3月(結婚式まで10ヶ月)、婚約指輪の購入。

私が地方出張から戻る2日後に婚約式という無理なスケジュールを組んでしまったため、指輪選びは、婚約式の前日に。その日の夜には会場である相方の実家に向うため、指輪選びに許された時間は1時間程度。

と、思っていたら、選択肢が少な過ぎて、1時間も必要ありませんでした。

タラートサオ・ショッピングモールの2階、知り合いの情報で「信頼できる」と言われた店へ直行。(いい加減な店だと、不純物が混ぜてあるとのことですが、この「信頼できる」という情報がどのくらい信頼できるものなのかはよく分かりません。)

金のアクセサリーは似合わないのですが、ラオスでは銀とかプラチナの結婚指輪という選択肢はなさそうだったので、普通の「カム」(金)よりは、色がやさしい「カム・ファラン」にしようというのは決めていました。

「カム・ファラン」は「フランスの金」という意味ですが、名前の由来は調べていません。ラオス人に聞いたら「フランスから輸入した金だ」と言っていたけど、本当かなあ。

いずれにしても、「カム・ファラン」の方が「カム」(普通の金)よりも安く、「カム」が売ろうと思ったら重さで売値がつくのに対し、「カム・ファラン」の売却は難しいようです。まあ、婚約指輪の売却を考えるのは縁起が悪いでしょうが、財産として持つなら、普通の「カム」を買った方がいいということになります。

私の短くて太い指には、大きな指輪は似合わないので、「一番細いカム・ファランの指輪を出して」と言って、指輪を並べてもらい、端から試して、指に入ったものに決定しました。所要時間5分。

私はアクセサリーにほとんど興味がないので、シンプルな指輪で十分ですが、お金と時間をかけられれば、日本などから見本の写真を持って来て、ラオスで金の指輪を加工してもらうということもできると思います。

ちなみに、ラオスでは、婚約指輪を交換するということ自体、外から入って来た割と新しい風潮だと思いますが、婚約指輪と結婚指輪を2組買うという習慣は私が知っている限りまだ浸透していないようです。ラオスで言う婚約指輪(ウェーン・マン)は、日本人が考える結婚指輪のように、その後も普段身につけるものということになります。

婚約式の日取りを決める

2012-11-14 06:57:20 | 婚約式
2012年1月(結婚式まで1年ーもちろん、このときには結婚式の予定は決まっていませんでしたが)、初めての相方の実家訪問。ヴィエンチャンの街から車で2時間ほどのところに住むお義母さんを初めて訪ねました。

それなりに緊張しましたが、アヒル料理のご馳走で迎えてくれました。(後で聞いたら、実はお義母さんも相当緊張していたそうですが。)

始めのうちだけかもしれませんが、近所に住む親戚が集まっての食事会は、「なんだラオス語話せるじゃないか」「おー、もち米、食べられるのか」「わお、アヒルの血もいけるのか」(実は大好物)、と終始和やかでした。

相方はラオス人には珍しく下戸ですが、この時集まった親戚にも酒好きはおらず、アヒル料理なのにビールなし、というラオスでは極めて珍しい(?)状況でした。私も緊張していたので、ビールを飲みたいと考える余裕はありませんでしたが。

それにしても、家の冷蔵庫には常にビールが冷やしてある私が、まさか酒の飲めないラオス人と結婚することになるとは。人生何が起きるか分からないものです。

さて、その日の夜。私は「今日会ったばかりだし、お義母さんが私を嫁として気に入らなかったということもあるかもしれないし、少し時間をおいた方がいいんじゃない?」と言ってみたものの、相方は「大丈夫!」といつもの根拠のない自信で、お義母さんに婚約式の準備について相談することに。お義母さんはお義母さんで、「あらそう?」といたって普通にカレンダーを持ち出し、早速、日程調整開始。

呆然としている私が聞かれるままに、仕事でヴィエンチャンを離れる予定などを答えると、いつのまにか婚約式の日程が決定していました。

このとき初めて知ったのですが、ラオスでは、月が欠けていくときは縁起が悪いので、吉事は月が満ちていくときに行わないといけないそう。しかも、月齢が奇数の日の方が縁起が良いとのこと。これを厳密に守ると、吉事に向いている日はカレンダーの中の4分の1。これが土日などの仕事の休みの日にあたるとなると、なかなか日程が合わないということになります。

婚約式のときは、相方の仕事の都合もあり、確か、月齢の奇数、偶数は無視して日程を決めた記憶がありますが、後に結婚式の日程を決めたときには、この制約のためにいろいろと面倒が起きました。その話はまた後ほど。