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魚のあぶく。oO

日々の他愛もない日記と写真などの公開です

元任天堂社長の山内溥さん、死去

2013年09月20日 | news
19日亡くなった元任天堂社長の山内溥(ひろし)さんは「ファミコン」でゲームブームを起こし、家庭用ゲーム機を世界的な人気商品に押し上げた立役者だった。

「世界一の娯楽屋になる」が口癖で、米大リーグ球団のシアトル・マリナーズの買収も手がけた。

家業を継ぎ、1959年、米ディズニーのキャラクターをデザインしたトランプを発売し、売り上げを伸ばしたが、その後は鳴かず飛ばずだった。

転機となったのは、電子ゲームに活路を見いだそうという戦略だった。

「エレクトロニクスを使ったおもちゃは受けるかもしれない」

70年、光で標的を狙って遊ぶ「光線銃」を発売。それ以降、電子ゲームに注力し、80年に発売した時計と一体になった「ゲーム&ウオッチ」がヒット。その3年後に売り出したのが「ファミリーコンピュータ」だ。ブームを呼んだ背景には山内さんならではの読みがあった。

「ゲーム機がどんなに優れていても、ソフトがそろわなければゲーム機は売れない」と考えた。

ものづくりへの自信が日本に満ちあふれている時代。流れに逆らうかのように、ハードでなくソフトの開発にまい進した。狙いは的中し、「スーパーマリオブラザーズ」など、数多くの人気キャラクターの誕生に結びついた。

一方で、専用の集積回路(IC)を大量発注してゲーム機の製作費を削り、販売価格を1万円台に抑えた。

ゲームソフト開発の命綱である独創性を問い続け、「日本の画一的な管理教育がいけない」とも訴えた。「選手を横並びで管理したがる日本みたいなやり方は嫌い」と語り、マリナーズのオーナーとしても物まね嫌いは徹底していた。

山内さんは、一線を退いた後も、最近まで頻繁に電話などで岩田聡社長らの相談に乗り、苦境にある会社の将来を気にかけていたという(13/09/20 読売新聞配信より引用)。


なんか、この人は死ぬことがないやろなぁと思えるぐらい、バイタリティ溢れた人やったなぁ。

僕ら世代はインベーダーやブロック崩しといった超初期のTVゲームともに生き続けてきたんで、非常にお世話になったし、とても偉大な方やと思うし、亡くなられたんは大変残念やなぁ。

スマホや携帯ゲームに押されて、家庭用ゲーム機が元気ない状況とのことなので、任天堂には、是非、今一度意地を見せて頑張ってもらいたいものです。

これからも楽しいゲームが世に発売され続けられるよう、お見守りくださいませ。