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かななのつぶやき

日々のつぶやきなので時々意味不明です。

正義とは??

2010-10-02 | Weblog
NHK教育TVの「ハーバード白熱教室」という番組。
この春、夫が番組を見ていたので知りました。

ハーバード大学の評判の哲学の授業を放映したものです。
政治哲学のマイケル・サンデル教授の
「Justice(正義)」について授業。

毎回たくさんの学生が受講する人気の授業だそうで、
ハーバード初の授業TV公開となったそうです。

そのマイケル・サンデル教授が
先日来日して、東京大学で講演。
その様子も先日放映されました。
さらにこれからも放映予定のようです。

番組の詳しい様子はNHKのHPにあります。
http://www.nhk.or.jp/harvard/index.html

おばちゃん(私のことッス)は
「倫理哲学」に興味があるというわけではないですが、
そういう素人の私が見ても面白かったです。

「判断場面では多面的に物事をみること」
今更ながらにそう思いました。

そう、そんなでTVで興味を持ったのでサンデル氏の本
『これからの「正義」の話をしよう
―いまを生き延びるための哲学』
も購入し今読んでいる途中です。

頭に汗かく感じで
サクサク読み進められる本ではありませんが
若い頃一般教養で学んだ「哲学」がより分かりやすく
身近になった感じがしています。

それにしても白か黒か判断は難しいことが多いですね。

乳児院見学

2010-09-15 | Weblog
今日は里親の会主催で未委託里親さん向けの研修。
乳児院の施設見学をおこないました。
事務局ということで一緒に見学してきました。

その後、見学先の近くの公民館で情報交換会。
児童相談所の方も交えて話合いもおこない、
そちらの場にも参加してきました。

いろいろと思うことはあるのですが、
ここではあまり多く書くのは控えたいと思います。

ただ、一言書くなら
「どの子もみんないい人生を送れればいいなぁ」
ということです。

かわいい赤ちゃん達の顔を見ていてしみじみそう思いました。

ブレイクタイムのこんな話 あなたは信じますか?

2010-09-06 | Weblog
知人から「親指みせて」って言われたので見せました。

「あるね~~」と知人。

なんでも指の間接のあたりのしわが
目の形になっていると人は霊感がある
とTVで言ってたそうです。

知人にはなかったそれが
私の指にもしっかりあるとのことでした。

ホンマかいな。

それらしい気配は感じたことはあっても
ずばり、いわゆる科学では解明されていないものを
しっかり、はっきり見たことはありません。

だから、霊感があるといわれても??という感じですが、
時々、変な第6感は働くことがあるのでそれと
言われればそれかもとも思います。

そんな話をしていて思い出したのが、
伊藤三巳華:作「視えるんです」というエッセイマンガ。

なんでも、作者は子どもの頃から幽霊が視えていたそうです。

だからと言って、お払いができるわけでもなく、
視えるとわかると霊によってこられて困ったそうです。

視えなかったこと、気づかなかったことにして
やり過ごしていたことも数知れず、
それでも霊に気がつかれてしまったり、、、。

そんな体験談が面白おかしく、時には怖く、
時にはホロリと描かれているエッセイマンガです。

マンガの絵がとっても、かわいいのですが
幽霊だけはオドロオドロしく描かれています。
(幽霊だけは視えたまま描いているそうです)

それにしても登場する霊のなんて人間くさいこと。
(元人間なんだからそれでいいのか)
作者とそれらの霊達のからみが面白かったです。

TV「王様のブランチ」の本のコーナーで紹介され、
面白そうと読みたくなり、読んだ本です。

私自身はそういう世界は半信半疑だし、
自分自身が視える人ではないのですが、
「視えるだけで祓えるわけではないし、大変」
という作者の声におもわず、
うんうんとうなずいてしまいました。

三巳華さんの場合は大変だけど、
マンガが描ける才能があったから
視える事もネタとし活用できたわけですが、、、

特殊能力があったとしても、
それを活用する別の能力がなければただ、
大変なだけで終わってしまうのかもしれません。

特殊能力なんていうとちょっとあこがれるけど、
あればあったでもてあましたりするんでしょうね。

本来なら気がつかないことを気づいてしまうのは
結構しんどいでしょうね。日々そんななら
ナイーブな(自称ですが)私のハートが
ノイズにつぶされるのではと思います。

なぁんてね。

さて、私はこの占いを信じたらいいのかな。
信じないほうがいいのかな。

ちなみに夫は占いに全然興味がないので
私がこのの話をしたら「へっ」という感じでした。

当たるも八卦、当たらぬも八卦。
占いは自分にとって前向きになるように
解釈するのがいいのかな。


もう9月だもんね~~

2010-09-05 | Weblog
今年の夏は暑いですね~~。
9月になってもまだ暑いですし。

この一週間もあっという間。

プライベートでは息子が急に蕁麻疹になって、
お医者さんへ連れて行ったけど、
なかなか良くならなくって再度連れて行ったり。

今はすっかり引けて大丈夫そう。
もう、本当にあたふたしました。

予定がつまっている中で思いもしなかった
新たななにかが入ると本当にあわただしいですね。

何事もないことのありがたさそのたびに感じます。

無事一週間が終わったことに感謝ですね。

たかが表記 されど表記 その心は、、、 

2010-08-21 | Weblog
先日、ある大学の先生がおっしゃってました。

「『障害』と表記されている学生のレポート等は
かならず「障がい」と訂正して返しています。」と。

「害」という漢字を使うことで
ハンディがある人に対して
負のイメージがつかないように
表記を配慮しようということです。

たかが表記されど表記。

ハンディを持つ息子を長年育ててきた
私としてはハンディがあることが必ずしも
負であることばかりでないことを
身をもって知っています。

ですので、その大学の先生の実践の中に流れる
心づかいはありがたいと思いました。

ただ、その大学の先生のように
自らが実践されている場合はいいのですが、
表記にこだわりすぎて、
声高に表記を使っている人を責めると
「ますます負のイメージをもたれてしまう」
という逆効果の部分もあるのではとも思ってしまいます。

というの過去(何年も前)にぺぱの情報誌に
以下の2つのご意見をいただいたことがあり、
その時まわりのスタッフのママ達の
本音を聞いたことからそう思うようになりました。

ぺぱにいただいたご意見のひとつは
「情報誌の中で『障害児』と
『害』の字を表記しているのは
まったくもって認識不足だ」
というお怒りのご意見。

もう、ひとつのご意見は
「『子供』という表記をして情報を
提供するとはなんたる無知。
『供』はお供=家来とかの意味で
『供』を使うとは
子どもの人権をなにも考えていないのでは」
というお怒りのお電話です。

アマチュアのママが非営利で
作成している情報誌づくりです。

その時のママスタッフ達は
「長年の慣習で使っていたから気にしていなかった。
より生活がしやすくなったり楽しんでもらおうと
思って作っているのに。そんなつもりもないのに。」
と思ったようです。

そして「配慮して今後は気をつけよう」
ということになりました。

ただ、本音の部分は意見をマイナスに
とらえたママもいたようです。

「『障がい』を持っている人や支援している人って
被害者意識が強いですね。なんか、引いちゃいます」
とか
「『供』という字を使わなくなることと
『子どもの人権を守ること』はそんなに関係あるのですか。
きつく言われるとちょっと怖いです。」
とか思ったママもいたようでした。

念のため書いておきますが、
普段から弱者にはやさしいママ達です。

人は誰でもそうだと思いますが、
自分が批判されたと思うと拒絶したり
わかってもらえないと思うと攻撃的になる部分が
あるようです。

ご意見を言った人の意図とはまったく別方向へ
そのご意見が元で(皮肉なことに)
人の心を誘導してしまうこともあるのだなぁと
思いました。

ちなみに私はぺぱにいただいたご意見をどう思ったかというと
「たかが表記。されど表記なんだな。
経験から障がいは負だけではないと思っているから、
情報の中にもそのことは配慮していたつもりだった。
子どもの権利だって大切だと思っている。
でも、表記ひとつでそのことは伝わらない人がいるんだな。
気がつかなかったけど、今後配慮した方が伝わるな」です。

本当人の心は一番難しいです。

だから、表記からなのかしらとも思いますが、、、。

でも、やはり、表記だけでなく心。
一番大切なのは心だと思います。

「被害者意識を持っている人」なんてレッテル貼られながら
「障がい」という表記に気を使ってもらっているとしたら
その方が私は嫌です。

そうそう、「障がい」を持つ当事者の一人でもある
息子自身はどうとらえているかというと
「言葉」や「表記」ということよりも
人の気配を感じることは人一倍能力があるようで
彼に対して肯定的に接する人がどうも好きなようです。

言葉をしゃべらず、字も読めない息子だからかもしれませんが、、、。

健常者といわれる人が様々な考えを持つように
障がい者と言われる人も様々ですので
あくまでも我が家の息子の場合ですが、、、。

PS,私の反省
このブログでもそうですが、時々変換にまかせて
いろいろな表記に配慮を忘れることもあります。
こんなえらそうなこと書いていてと反省気分でもあります。

たかが表記、されど表記、そして心は難しい、、、。