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かななのつぶやき

日々のつぶやきなので時々意味不明です。

家族で沖縄へ行きました その4(青い海に感激)

2010-09-19 | おでかけ
沖縄は海のきれいな所ですね。
旅行中オール晴れということもあり
海の青さ、美しさを堪能しました。

海なし県に住む私。
海の美しさに大感激。
3日目、4日目(最終日)は海を楽しみました。

●美ら海水族館
沖縄旅行へ行ったどの知人も
「いいよ」と言っていたので期待してました。

大きな水槽が大迫力でした。

大きなサメの背にそって
小さなサメが泳いでいたのは面白かった。

まさに「コバンザメ」。
くっついておこぼれにあずかってました。


美ら海水族館の入り口


ナポレオンフィッシュ 私この顔が好き
アオブダイだと思ったらナポレオンフィッシュ(メガネモチノウオ)だそうです。 


大きな水槽。サメやエイが泳いでました。
コバンザメも

●ザ・ブセナテラス
2日目、3日目と宿泊しました。
ホテルのプライベートビーチやプールで泳いだり、
浜辺の散歩など楽しめました。

きれいだったのはホテルから見えた海に沈む夕日。
ずーと見とれていました。


ホテル利用者のビーチ。
息子は1メートル(だけ出来る)のバタ足でおおはしゃぎでした。



朝の散歩の途中でパチリしたプール


言葉にならないほどきれいな夕空

●ブセナ海中公園
ザ・ブセナテラスはブセナ海中公園の中にあります。
部瀬名岬にあるブセナ海中公園にはホテルだけでなく、
海中展望塔、グラスボート、
沖縄サミットの会場となった万国津梁館(ばんこくしんりょうかん)
がありました。

グラスボート、万国津梁館にもよりたかったのですが、
時間がなくなり海中展望塔のみ行きました。

海中展望塔に入ってらせん階段を
ずっと下って行くと海中の中にある
丸窓がいくつもある展望室へたどりつきます。
そのには丸窓が沢山あり
窓から熱帯魚が泳ぐ様子が見られました。

実はらせん階段を下るのに息子が怖がり
降りようとしなかったのですが、
励ましたら、下まで降りられました。

展望室についたら大丈夫になったようで、
窓からしっかり熱帯魚を見ていたました。

「ほら楽しいでしょ。」
息子の苦手がまたひとつ減ってよかったです。


桟橋の先にあるのが海中展望塔


丸窓から覗くと泳いでいるお魚が見えました。

その5へ続く

家族で沖縄へ行きました その3(平和学習編)

2010-09-17 | おでかけ
沖縄2日目はこの旅行の第一番の目的の慰霊。
戦争で亡くなった人達への慰霊の気持ちをこめ
戦争ゆかりの場所や資料館へ行きました。

対馬丸記念館ひめゆりの塔
ひめゆり平和祈念資料館健児の塔
沖縄県平和祈念公園沖縄県平和祈念資料館。
とまわりました。

対馬丸記念館


この日はおじいちゃんの行きたいと言っていた
対馬丸記念館からスタートしました。

対馬丸記念館は「対馬丸の悲劇」を忘れないで欲しい
と遺族らの思いで、つくられた記念館だそうです。

私は「対馬丸の事件」についてここにくるまで知りませんでした。

「対馬丸」とは沖縄の子ども達を中心に一般人を
本土へ疎開させる為に那覇港から出航した船の名前です。

出航になったのはすでに海が戦場となっていた昭和19年。
対馬丸に子ども達が乗っているなど想定されず、
撃沈され乗船者の8割が海に消えたそうです。

そのことだけでも悲しい事件です。

でも、さらに遺族ら関係者を悲しませたのが
対馬丸が撃沈されたことが世間にわかると
「船が攻撃され撃沈された。負けるのでは」と
人々を動揺させるので極秘にせよと軍部から
緘口令がしかれたことだったそうです。

記念館には子ども達が集団疎開に行くまでの様子や
対馬丸での子ども達の様子、助かった子ども達の手紙などが
展示されていました。

実際の学童疎開は沖縄弁でいうと
「ヤーサン(ひもじい)、ヒーサン(寒い)、
シカラーサン(さみしい)」
だったようですが、
学童疎開へ行く前の子ども達の作文には
「本土へ行くと雪で遊べるでしょうか、楽しみです」
とか「本土へ行くのは晴れがましい気持ちです」
と疎開への期待がありました。

展示を見ながら胸が痛くなりました。

●ひめゆりの塔&ひめゆり平和祈念資料館



沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の
両校が併置された際、校友会誌もひとつになり、
「姫百合」と名づけられたそうです。
それが両校の生徒が動員された「ひめゆり学徒隊」の
名前の由来となったそうです。

この塔の立っている場所はその「ひめゆり学徒隊」を含む
多くの陸軍関係者が攻撃にあって亡くなった場所なのだそうです。
 
小説で有名になったからでしょうか
対馬丸記念館に比べて大勢の観光客がおりました。
駐車場周辺にはお土産屋や食事所なども沢山ありました。

私達は「ひめゆりの塔」入り口に
献花用の花束(南国の)が100円で売っていたので、
その花束を買い献花しました。

家族全員で手を合わせた後、
となりにある「ひめゆりの塔平和祈念資料館」へ。

資料館の展示物をおじいちゃんは丁寧に見ていました。

展示のひとつ病院壕のジオラマの場所では
元ひめゆり学徒隊の生存者の方が当時のお話を
語ってくれていました。

「ああ、本当にここであったことなんだ」
とたまらない気持ちになりました。

見学者は若い人も多かったような気がします。

若い男の子のグループは生存者の方の
お話を真剣に聞いていましたし、
3才くらいの子どものパパさんは
「お姉ちゃん達が戦争で苦しんだんだよ。平和がいいね」
と語りかけながら展示を見ていました。

見終わった後、おじいちゃんに
「戦争で優秀な若い人達もずいぶん失ってしまったですね」
と言ったらおじいちゃんは
「育成するということは機械を作るのとは違うんだよ。
機械は壊れたら新しく作れるけど、人はそうはいかない。
本当にかわいそうで残念なことをしたんだね」
とつぶやいておりました。

●健児の塔



沖縄師範学校男子部等の生徒に
よって編成された鉄血勤皇隊を祀った碑です。

小説にもなったので「ひめゆり学徒隊」は有名ですが、
他の学校の沖縄の学生さんも動員されました。
特に男子は特攻に近いことなどもさせられたそうです。

ここは「ひめゆりの塔」と違い、
私達以外の観光客はおりませんでした。

駐車場のそばは閑散としており、
1軒だけ貝細工のお店が開いていたようですが、
閉店したと思われるお土産屋さんが
いくつかありました。

駐車場から階段を海の方に下って少し行った場所に
碑があり、家族で手を合わせました。

碑の奥の方にも道が続いていたのですが、
あまり、足が強くないおじいちゃんのことを考え、
そこで引き返すことにしました。

実は好奇心の強い私はその道の先を少し見に行ったのですが、
「ここは行かない方がいいな」となぜかそう思いました。
後で資料を見て知ったのですが、奥の方には
生徒達が自決した壕の跡があるそうです。

その道はそこへ通じている道だったのでしょうか。

どうぞ、やすらかに。

沖縄県平和祈念公園沖縄県平和祈念資料館
 (写真は沖縄県平和祈念資料館の展望塔から)

沖縄県平和祈念公園はとても広い敷地です。
暑いし、おじいちゃんがかなりお疲れのようなので
公園内は散策せず沖縄県平和祈念資料館だけを
見ることにしました。

資料館ではなぜ太平洋戦争がおきたのかから始まり
戦争中の様子、戦後の沖縄の生活までの資料が
展示されていました。

戦争中の壕が再現していたり、
戦後の街の様子が再現されていたり、
映像もあったりと体感できるように
展示されていました。

ひととおり見てから展望塔へ上ると
眼下にきれいな海が広がっていました。

見学途中、当日学習で来ていたらしい、
沖縄の高校の生徒さん達と一緒になりました。
彼らはとても元気いっぱいでした。

きれいな海と元気のいい生徒。
平和はいいなぁとしみじみ
今の平和はありがたいと思いました。

その後、ドライブをしながら斎場御嶽(せーふぁうたき)を
見学してと思ったのですが、
斎場御嶽の駐車場が満車で入れなかったのと
おじいちゃんがお疲れのようだったのとで見学をせずに、
この日の宿の名護市のザ・ブセナテラスへ向かいました。

※途中、健児の塔を見た後、昼食をとりました。
ガイドブックにあるお店に行こうと思ったのですが、
ちょっと遠かったので道沿いにあるレストランへ入りました。
海がきれいに見えるレストランでした。
お店の人の子どもだと思いますが
とても人なつっこい2才の男の子がいました。

夫が話しかけたら夫になついて
「おじちゃん達これから平和祈念公園へいくけど一緒に行く?」
冗談で言ったらその気になってしまって、かわいかったです。

その4へ続く

家族で沖縄へ行きました その2(琉球王朝と沖縄文化)

2010-09-14 | おでかけ
沖縄に到着して、遅いお昼を食べて
レンタカーを借りて、首里城へ行きました。

旅行中はおじいちゃんや息子の事を考え
レンタカーで移動することにしました。
沖縄ではレンタカーを借りて旅行する人が多いようで、
「わ」ナンバーの車が沢山走っておりました。

首里城一体は公園となっています。
公園内にある有料駐車場へ車停めました。

さすが、首里城は世界遺産。
夕方になっても沢山の人が観光しておりました。


駐車場から正殿までは少し歩きます。
正殿までの各門をくぐる一般のルートは急な坂や階段がありました。

ただ、別ルートで車椅子やベビーカーで
行けるようにもなっていました。
私達は車椅子もベビーカーも使わないのですが、
なぜか、嬉しかったです。
長年、そんなことをチェックした情報を集めていたからでしょうか。

泰神門から中は入場料がかかりました。

チケットを買おうとしたら、
中国から留学しているという学生さんに片言の日本語で
「20名から団体割引でチケットが買えます。
私達17名で後3名足りません。一緒に買うとお得ですので
一緒に買いませんか?」と誘われました。

もちろん、OK。
団体割引で入場しました。

正殿は現在、漆を塗り替え中でした。
それでも半分はしっかりと塗り替えてあり、
塗り替えられたところはきれいな色になってました。


「琉球王朝は尚氏尚氏
お城はグスクって言うんだよ
と小さく鼻歌を歌いながら見学してたら、
「いい年してはしゃぐと恥ずかしいからやめなよ」と
娘に言われました。

首里城を見た後は那覇市内にある「ナハ・テラス」にチェックイン。
レモングラスを使ったというウエルカムドリンクが出てきて感激。

休憩した後は「島唄を聴きながら食事がしたいなぁ」
というおじいちゃんのリクエストでホテルの人に
教えたいただいた国際通りの「波照間」というお店に行きました。

「波照間」では沖縄料理を堪能しました。
息子は沖縄そばが気に入ったようでした。
おじいちゃんお勧めの「島らっきょう」は
初めて食べたのですが美味しかったです。

おじいちゃんはお気に入りの唄「19の春」を
リクエストしたら唄ってもらえてご機嫌でした。

太鼓の音と三線の音、マイクを通しての響く音などが
苦手な息子が嫌になったら夫と交代で外へ行こうと相談していたのですが、
息子は途中、ちょっと耳をふさぐこともありましたが、
しっかり最後まで嫌がることなくミニライブを見ることができました。

ライブ最後の唄はお店のお客も全員で踊って参加する唄。
息子も立ち上がってはねて踊り、最後は拍手もできました。



沖縄初日の夜はいい思い出の夜となりました。

その3に続きます。(そのうち公開予定)

家族で沖縄へ行きました その1(おじいちゃんの一言から)

2010-09-13 | おでかけ
夕日の写真を携帯からアップしたのですが、
家族で沖縄に旅行に行ってきました。

なぜ、沖縄へ旅行に行ったのかというと、
それは義父のひとことから始まりました。

義母亡き後、矍鑠と一人暮らしをしている80才過ぎた義父が
「スポンサーになるから春には沖縄へ一緒に行かないか」
と昨年の秋に遊びに行った時に提案してきました。

「一緒に行きたいね」と夫もその提案に賛成。

ただ、この春は家族そろっての時間がなかなかとれず
9月になってやっと行くことができました。

生まれは東京の義父ですが、
義父の父が軍にいたので子どもの頃は満州で育ち、
青年期には海軍経理学校で学び、在学中に終戦を迎え、
戦後は大学を卒業し、M新聞社に定年まで勤めました。

そんな人生を歩んできた義父ですので、
太平洋戦争に対して様々な思いがあるようです。
慰霊の旅として沖縄に元気なうちに
行っておかなくてはと思っていたようです。

家族全員で一緒に行きたいと義父のリクエストで
障がいを持つ息子も含め総勢5名で行くことにしました。

初めての飛行機を使っての家族旅行となりました。

息子は長距離の旅行は大丈夫かなと心配もありました。
特に飛行機の離着陸時は振動や音もでるので
パニックが心配でした。
でも、修学旅行で短い距離ですが一度、飛行機に乗っていますし、
(ちょっとパニックになりそうだったそうですが)
夫も娘もいるしなんとかなるだろうと思い切って出発しました。

そんなことで、沖縄旅行がスタートしました。

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写真は那覇空港に到着して、レストランから撮りました。

そうそう、息子は予想どおり離陸の時ちょっとパニックになり、
怖くて声を上げましたが「大丈夫だよ」と
夫は左手、私が右手を握ってあげたら落ち着きました。
その後は全然平気な顔。空の旅を楽しみ那覇に到着しました。

下仁田町 さくらの里 

2010-05-08 | おでかけ
風邪でダウンする前日にさくらの里へ行きました。

アップしようと思っていたのですが
風邪を引いたので今日になってしまいました。

実家の母がどこかへ行きたいと
電話があったので、私ら一家と母で
妙義山の南斜面にある
さくらの里へ行きました。

さくらの里はなかなか花の時期に
行く機会がなく一度花の時期に行きたい
と思っていた場所です。

花好きの母と歩かせたい息子にもぴったり。
お天気もいいし
『ここだ~~』と出かけました。

休日なので混んでいて駐車するのに時間が
かかるかと思いましたが
管理事務所の近くの駐車場は満杯でしたが
中之岳神社近くの駐車場にはすぐ
止めることができました。

敷地は約47ヘクタールというだけあり
園内はとても広かったです。

傾斜地だったので
歩きやすい服装と靴で正解でした。

私達は全部はまわらず
中園地周辺で桜を楽しみました。

当日は桜祭りが開催されていて
野外ステージで木琴の演奏
もおこなわれてました。

私達もきれいな音色を楽しませてもらいました。

ベンチで休憩していると
管理事務所の方が話しかけてきてくれ
フゲンゾウという八重桜の
いわれを教えてくれました。

なんでもこのフゲンゾウという花は
花の中央から雌しべが2本出ており、
この雌しべが普賢菩薩の乗る
象の鼻に似ているということから
フゲンゾウと名前がついたそうです。

普賢菩薩は辰年と巳年の神様だとも
管理事務所のおじさんは教えてくれました。

他にもこの園内に桜を植えた時の
お話だとか桜の種類は沢山あるお話だとか
してくれ、おじさんの桜の木への愛が
伝わってくるようでした。

こういう方々のおかげで
きれいな花をみることができるのですね。

おじさんにはそんな思いもこめて
「お話ありがとうございます」と
感謝の気持ちを伝えました。


さくらの里から妙義山。


傾斜地なので階段や坂道が多いです。
階段を見上げる娘とおばあちゃん。


ソメイヨシノは葉桜になりかけていましたが
八重桜はまさに満開でした。


フゲンゾウの写真を撮ろうとしたら
おじさんが桜の枝を押さえてくれました。
「桜の話をみんなに伝えて」と言いながら。
おじさん~「本当にありがとう」

ちなみにさくらの里は管理は
(社)群馬県林業公社だそうです。
こちらのHPに詳しい情報がありました。








2010-04-10 | おでかけ
桜満開!!

歩いて、自転車に乗って、
車に乗って、
行く先々で桜に出会います。

きれいです。
「桜の国」になる数日間に
うっとりです。

多くの桜と出会えたのですが、
その中で立ち止まって
見ることのできた桜の写真です。


新田のぼたん寺の桜


新前橋 駅近くの児童公園の桜


群馬の森の桜

緑化フェア 

2008-05-03 | おでかけ

いろいろ話題になっている群馬県の緑化フェア。

太田の北部運動公園に行ってきました。
途中雨が降ったりもありましたが、
ボランティアの方が植えたという芝桜や
今が満開のつつじを満喫してきました。

南米エクアドルからやってきた SISAY(シサイ)というバンドが
ステージをやっていてラテンとアンデスの音楽が
とても心地ちよく響いてました。
ケナーの音色の美しさの再認識でした。
サンポーニャという楽器の音色も素敵でした。


世界蘭展入賞作品


ボランティアの方々が植えたという芝桜


おまけ  これは先日行った前橋の緑化フェア

 


すっかり春に

2008-03-22 | おでかけ
義母のお墓参りの帰り、ドライブで貫前神社へ。
車から降りてあたりの景色見渡すと、

梅の花や、菜の花が咲いていて
桜のつぼみはふくらんでいた。

春だなぁ。

もうすぐ義母の一周忌。
一年あっという間。