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なかなか勝てない馬がいる。今日もその馬が走る。
がんばれ、と声が出る。
まなざしは、ゴールの先を見つめている。

山と氷河の図譜 五百沢智也山岳図集

2021年10月24日 13時49分48秒 | 読書・登山


空撮ステレオ写真から作った山や氷河の細密記録図や現地調査時の水彩スケッチなどをまとめ、さらに日本の氷河地形分布図、七〇万分一日本地貌図を加えたのが、この図集である。

1 ヒマラヤの山と氷河(展望図・鳥瞰図ヒマラヤ山岳図 ほか)
2 アルプスの山と氷河(マッターホルン ベルニナ北東面 ほか)
3 日本の山々(北海道から九州まで ふるさと山形の自然 ほか)
4 日高山脈・日本アルプスの氷河地形分布図(日本の氷河地形判読基準カード
日高山脈南部の氷河地形 ほか)
5 日本地貌図(日本地貌図・北海道試作図 北海道地方地貌図 ほか)

シシャパンマは、南側からはゴサインタンと呼ばれてきた山である。
この聖者の居場所という意味の山は、チベットでは草地のある山の意味のシシャパンマである。

ランタン・リルン
ランタン国立公園

ランタン谷に入ると、ガンチェンポGangchenpoの鹿島槍の感じに似た姿が眼をひく。

「ガネッシュヒマール」
山群で一番高い7429m峰がⅠ峰、標高の順にⅦ峰まであるが、個別の名もある。
パービル Pabil は第Ⅳ峰である。
Ganesh II Himal

マナスルは、日本にとって記念碑のような山だ。
1950年、フランス隊のアンナプルナ8000峰人類初登頂に刺激されて、日本でも8000m峰を狙おうという気運が盛り上がった。
マナスルを見つけ出したのは、京都学士会山岳会の今西錦司先生である。
1952年、西堀英三郎氏がネパール王室と政府から入山許可をもらうと、登山母体を日本山岳会に移し、1952年秋には今西偵察隊が北面からのルートを見つけ,
1953年に第一次隊、54年に第二次隊を送ったが果たせず、56年の第三次隊が、5月9日、その初登頂に成功した。
ヒマルチュリは1960年西面から慶応隊が初登頂し、大阪大学登山隊が1970年にP29(DAKURA)に登ったので、この三山は日本の山となった。
1983年、ネパール政府はマナスルの標高を8163m、P29は7871mに訂正した。
ヒマルチュリは7893mのままである。

アンナプルナ Annapurna の主峰とⅡ峰のまわりには氷雪原の高い台地がある。
https://www.google.co.jp/maps/@28.585,83.9908333,3a,75y,90t/data=!3m8!1e2!3m6!1sAF1QipNnzfW6JVm4GB4hIiaEn2mu51oulPQu1t8l2ju8!2e10!3e12!6shttps:%2F%2Flh5.googleusercontent.com%2Fp%2FAF1QipNnzfW6JVm4GB4hIiaEn2mu51oulPQu1t8l2ju8%3Dw203-h232-k-no!7i1838!8i2104?hl=ja

カトゥマンドゥ付近からマナスル山群を眺めると、魅力的で目立つのがこのヒルマチュリで、ネパール語の「ナイフのように尖った雪の山」という意味である。

P29は、大阪大学登山隊が1970年秋、7500mのキャンプから出た登頂隊の2人は、キャンプからの遠望で登頂したかに見えたが、下山時に墜落して、遺体が収容された。状況証拠により、これが初登頂とされている。

ヨーロッパアルプスを代表する山がマッターホルンだとすると、同じような鋭い山容をしているマチャプチャレがヒマラヤの代表であろうという意味で、ヒマラヤのマッターホルンと称されている。しかし鋭い三角錐は麓のリゾート地ポカラからの眺めで、
マチャ=魚、プチャレ=尾びれ、の山名は、西側に回った地点から起こったに違いない。
マルディヒマールは標高5600mである。


マルディヒマルは、ヒマラヤ山脈の息を呑むような景色を望む、アンナプルナ地域での挑戦的で美しい4日間のトレッキングです

私の人生で最高のトレッキングの1つです。忘れられない思い出がそこにありました。今までで最高のホスピタリティサービス。スタッフ全員が笑顔でとても素敵です


マチャプチャレベースキャンプは海抜3700メートルの標高にあり、世界最高峰のいくつかの明確な景色を眺めることができます



ネパールヒマラヤの上空を何度も飛んだ。
目立って魅力的、圧倒的な量感で目が離せなくなるような山がある。
そんなすごい山を東から西へと印象で書いてみよう。
まず、カンチェンジュンガの大城砦がある。
右にカブルー、左にジャヌーの出城、背後にジョンサンの砦を備えて中央に主峰・ヤルンカンなどの4峰の連立天守閣が高い。


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