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Maladet de Sahara

~ 人とのつながり、出会いの広がり ~

モルドバから 新たな旅立ち・・・

ルーマニアの旅 第十一話 ~ステファン大公の眠るプトナへ~

2007-03-09 21:06:18 | ルーマニア旅行

ハイ・クラス・ホステルで迎える3日目の朝。 顔を洗って、シャワーを済ませたころにはもう8時、このままだと8時半の電車に間に合わないとホステルを出ようとすると、「駅までは車で送っていってあげるから、ちゃんと朝ごはんを食べていったら。」という優しい言葉に甘えて、おいしい朝ごはんをいただいたあと、ホステルを出る。 時間が迫っていたこともあって、モニカさんが切符を買うのも手伝ってくれて、何とか8時35分のプトナ(Putna)行きの電車に乗り込む。

『世界の車窓から』の音楽が流れてきそうな電車の中の雰囲気と外の景色。 左右に広がる野原の間を電車はゆっくりと進んでいく。 そんな電車に揺られること2時間半、プトナ駅に到着する。 ホステルのある北スチャヴァ駅ものどかなところだが、それにも増してのどかなプトナ駅。



気持ちのいい自然の空気を吸いながら、モニカさんの手書きの地図を片手に足を進める。 めったに見ないであろうアジア人に対してもみんな笑顔であいさつしてくれる。 そんな雰囲気が素敵。 歩いていると、庭先から鶏の鳴き声が聞こえてくる。

駅から地図をもとに15分ぐらい歩くと、プトナ(Putna)修道院にたどり着く。



この修道院にはステファン大公(Stefan the Great)のお墓があり、ルーマニアの人々にとって特別な意味を持つ修道院だということである。 この修道院は1466年から1470年の間にステファン大公(Stefan the Great)によって建てられたが、火事や地震などにより何度も破壊され、現在の建物はその後再建されたものである。 ステファン大公(Stefan the Great)にまつわるものとして、当時使われていた鐘も見ることができる。 修道院の隣の建物は後に博物館として再建され、その中にはステファン大公(Stefan the Great)にまつわるものが数多く展示されている。




プトナ(Putna)修道院から歩いて10分ほどのところにヨーロッパ最古の木造教会と言われているドラゴッシュ・ヴォーダ(Dragos Voda)教会がある。 華やかなフレスコ画に包まれた修道院とは異なり、丘の麓に静かにただずむこの教会。



駅の近くの川沿いの道を歩いて行くと、隠遁者(祈りと瞑想の宗教的生活をした人)ダニール・シハストル(Daniil Sihastru)の石窟がある。



さて、ここプトナには1日3本しか電車が走っていない。 帰りの電車まではあと2時間、しかしながら、まわるべき場所はすでにまわってしまった。 ということで、のんびりとしたプトナの空気を楽しみながら散歩をする。 丘のほうから鐘を鳴らす音が聞こえると思えば、そこにはたくさんの羊を引き連れた羊飼いの姿。 木材やわらを載せた馬車が軽快な音を鳴らしながら、駆けていく。 川はゆっくりと流れ、ガチョウや犬の鳴き声が響き渡る。 忙しい毎日からはまったくかけ離れたこの空間… 毎日がこうやってゆっくりと流れているのだろう。







そんなことを思いながら、歩いていると、遠くのほうから子供たちの声が聞こえてくる。 川沿いの広場でみんなでサッカーをしている。 暇だったので、近くまで行ってみると、めったに見ないアジア人にみんな興味津々。 ルーマニア語で何とかコミュニケーションをとる。 結局、一緒にサッカーまですることに… サッカーをしている間、みんな教えてあげた「こんにちは」をひたすら連呼! 顔を見るなり、「こんにちは!」、ボールを蹴るなり、「こんにちは!」。 誰か知り合いが通るたびに、「この人、日本から来たんだよ!」と一人一人に紹介。 ここに国境なんてない。 息を切らしながら、プトナの子供たちとサッカーを楽しむ。 「もう時間だから、行かなきゃ…」というと、「もう1日、ここにいればいいじゃん。」と子供たち。



愛くるしい子供たちの笑顔に見送られながら、プトナを後にする。

素晴らしい星空の下、駅から歩いてホステルに戻り、モニカさん、今朝から泊まりに来ているアメリカ人夫婦とともに談笑する。 全然知らない人だったはずなのに、何だか家に帰ってきたようなこの感覚。 スチャヴァというこの場所、そして、モニカさんのホステル… そして、楽しい夜は更けていく…


ルーマニアの旅 第十話 ~世界遺産の修道院を巡る Ⅱ~

2007-03-05 22:22:45 | ルーマニア旅行

ヴォロネッツ(Voronet)修道院を後にし、再び車に乗り込む。 モニカさんの手作りケーキを片手に、話に花が咲く。 さらに北へ約1時間車を走らせたところに、モルドヴィッツァ(Moldovita)修道院はある。 あっという間の1時間。 残念ながら、日はかげってきてしまったが、それでも美しく聳え立つ修道院。

The Moldovita Monastery モルドヴィッツァ修道院 (1532)
モルドヴィッツァ(Moldovita)修道院は、1532年にモルドヴィッツァ谷にペトル・ラレスによって建てられ、外壁のフレスコ画は1537年に完成した。 壁に描かれた何百もの聖人たちは今にも動き出しそうである。 この修道院の深い赤い色と華やかな金色で彩られたフレスコ画はとても美しく、ルーマニア芸術の最も重要なものの一つとされている。

  



  

  


修道院を巡る旅もついに残すはあと一つ。 モルドヴィッツァ(Moldovita)修道院からスチェヴィッツァ(Sucevita)修道院へは一山越える。 モニカさん曰く、22の大きなカーブがあるらしく、途中までは数えていたのだが、話しているうちに幾つ目か忘れてしまう。 山の美しい景色を眺めつつ、楽しく話すこと約1時間。 ついに最後の目的地スチェヴィッツァ(Sucevita)修道院に到着。

The Sucevita Monastery スチェヴィッツァ修道院 (1581 ~ 1601)
ラダウツィ(Radauti)の町から18キロ、同名の村、スチェヴィッツァ(Sucevita)村に位置するスチェヴィッツァ(Sucevita)修道院。 この修道院は1581年から1601年の間に貴族イェレミア・モヴィッツァ(Ieremia Movita)、シモン・モヴィッツァ(Simon Movita)によって建てられた。 外壁のフレスコ画は、モルダヴィア地方出身の画家、ソフロニエ(Sofronie)、ヨアン(Ioan)兄弟によって、1595年9月から1596年7月の間に描かれた。 北側の壁の「徳のはしご」(The Virtue Ladder)には、人々の善悪の間での葛藤が描かれており、とても印象的である。

  



  





南米とここでしか作られていないという黒い陶器のお店によって、豚の置物を購入し、帰路に就く。 朝陽に迎えられた行きとは反対に、夕陽に背中を押されながらスチャバ市内を通ってホステルに戻る。 そして、200キロにも及ぶ修道院を巡る旅が終わりを告げる。

美しい修道院を見たあとは、モニカさん特製のおいしい夕食。 まずは食前に飲むといいと言われているツイカ(Tuica: ルーマニア名物のプラムのお酒)で「カンパ~イ!」。(モニカさんは日本人のお客さんが来たときに聞いた日本語をノートに書いて覚えている勉強家)



ツイカをぐいっと飲んだあと、野菜のたくさん入ったチキン・スープをいただく。 「おいしい!」の一言にモニカさんも笑顔。



次に出てきたのは、自家製サワークリーム、牛乳から作ったチーズと羊の乳から作ったチーズ。 サワークリームはそのまま食べてもおいしい。 見た目、アイスクリームのような牛乳から作ったチーズはとてもさっぱりした味。 羊の乳から作ったチーズは塩味のきいたチーズらしい味。 そして、そこに運ばれてきたのはほかほかのママリガ(Mamaliga: とうもろこしの粉を練って作ったルーマニア料理)。 温かいうちに食べないとおいしくなくなると言われ、急いで写真を撮る。 羊チーズの上にママリガ、その上に牛チーズとサワークリームをのせて、フォークでつぶしながらしっかり混ぜていただく。 おいしかったので、さらにおかわり。(モニカさんのおいしい料理は、なくなるまでおかわり自由)



「疲れたときは甘いものを食べると元気になるよね!」と次に持ってきてくれたのはデザートのクレム・ド・カラメル。 プリン好きにはたまらない…

美しい修道院を見て心が満たされ、おいしいルーマニア料理でお腹も満たされ、すばらしい1日が幕を閉じる。


ルーマニアの旅 第九話 ~世界遺産の修道院を巡る Ⅰ~

2007-03-02 21:52:25 | ルーマニア旅行

今日は待ちに待った修道院をまわる日。 7時半に起きて、シャワーを浴びて、朝食を済ませる。 そして、ここのホステルのオーナーでもあるモニカさんの車に乗り込み、8時半過ぎに出発。 日曜日ということもあって交通量も少なく、スチャバ市内もすいすいと進んでいく。 スチャバ市内を抜けると、そこには一面に広がる広大な野原。 その野原を朝日が照らす。 日本ではなかなか見ることができないこの広々とした空間。

10時少し前に最初の目的地フモール(Humor)修道院に到着。 今まで写真でしか見たことがなかったものがすぐそこにある。 さすが四大修道院の一つだけあって、すばらしいフレスコ画。 まずは一つ一つの絵が何を意味しているのか、モニカさんから説明を受ける。 (説明なしでは、絵がたくさんありすぎて何が何を意味しているか理解するのは相当難しい) ストーリーになっているものもあり、意味がわかるとまたおもしろい。 それにしても500年以上もの間、雨、風、雪、そして、日光にさらされているにもかかわらず、この美しさを維持しているというのは本当にすごいことである。 修道院の中も美しいフレスコ画でうめつくされている。 言葉では表現することのできない美しさが眼前に広がる。

The Humor Monastery フモール修道院 (1530 ~ 1535)
モルダヴィア地方北部の小さな町、グラ・フモールルイ(Gura Humorului)の北、5キロほどのところに位置している修道院。 1530年にペトル・ラレス王子(Prince Petru Rares)が中心となり、フモール修道院が建てられた。 モルダヴィア地方にある修道院の中で最も古いオープン・ポーチを持つ修道院。 美しいフレスコ画は、1535年、スチャバの画家トマによって描かれた。 鮮やかな赤い色で人々を魅了している。





  

  



次に訪れたのはヴォロネッツ(Voronet)修道院。 ここは四大修道院の中でも最も有名な修道院。 先ほど訪れたフモール(Humor)修道院からは、グラ・フモールルイ(Gura Humorului)の町を通って、車で50分ほど行ったところにある。 先ほどのフモール(Humor)修道院との一番の違いは、ヴォロネッツ(Voronet)修道院の東側には尖塔があることだろう。 王家の建てた修道院には、このように尖塔が見られる。

The Voronet Monastery ヴォロネッツ修道院 (1488)
モルダヴィア地方北部の小さな町、グラ・フモールルイ(Gura Humorului)の南に位置している修道院。 1488年にステファン大公(Stefan the Great)によって建てられ、St, ジョージ(The Great Saint George)に捧げられた。 半世紀ほど後の1547年、グレゴリエ・ロスカ(Gregorie Rosca)の助言によって、新たにポーチが設けられ、それとともに、フレスコ画も描かれた。 西側の壁に描かれた「最後の審判」の絵はとても美しい。 この修道院の鮮やかな青い色は「ヴォロネッツ・ブルー」(Voronet blue)として世界的にも知られている。





  



  

ルーマニアの旅 第八話 ~ついにスチャヴァに到着~

2007-02-26 22:15:14 | ルーマニア旅行

夜行列車の旅は予想以上にきつかった。 6人一室のコンパートメントだったのだが、前に座ったおじさんはビールを片手に一晩中話し続けるし、隣の赤ちゃんは1時間に1回は泣くし、とても寝られる環境ではなかった… 人々が降り、静かになったころにはもうほぼ目的地に… 結局ほぼ一睡もできなかった。 目的地は"Suceava Nord"という駅だったのだが、アナウンスも全然ないし、外はまだ暗く何駅かよくわからないし… 多くの人が降りていくので、女の人に聞いたら"Suceava"だと言っていたので(ここには"Suceava"と"Suceava Nord"という二つの駅がある)もう一駅あると思って、コンパートメントに戻る。 しかし、10分待っても発車する気配がない。 ちょうど車掌らしき人が来たので聞いてみると、ここが"Suceava Nord"であることが判明! 慌てて、電車を降りる。 初めての場所だったので、ホステルの人にあらかじめ連絡をしておいて、迎えに来てもらうことになっていたのだが、その姿も見えない。 ちなみにブラショフ-スチャヴァ間の電車は1日この夜行列車1本のみで、10分待っても姿が見えなかったら、帰ってしまうのも当然である。 仕方がないので、自分で歩いて行くことに… 駅から50メートルほど行くと、ここがどんなところかわかる。 道沿いに家はあるが、高い建物などはなく、目の前には草原が広がっている。 「こんなところに本当にホステルがあるのか?!」と思うような場所。 途中で一度道を聞いたが、ほとんど迷うこともなく無事到着。

ホステルのオーナー、モニカさんに温かく迎えられる。 ホステルに来たというよりは、友達の家に泊めてもらうような感覚。 まずは緑茶を飲みながら、事情を説明。 ちゃんと予約していたわけでもなく、メールでやりとりしていただけだったので、10分待っても来なかったので、気が変わったのだと思い、ホステルに戻ってきたということだった。 到着したのは朝8時、お腹もすいていたので、朝食をいただく。



ホット・サンドイッチ、いろいろな野菜のピクルス、ソーセージ、そして、「変わったものがあるけど、食べてみる?」と言って出された"Toba"(豚の胃袋に、肉、レバー、脂肪をつめて、燻製にしたもの 写真参照:手前の4つに切ってあるもの)。 ちなみに、ピクルスもソーセージもトバもすべてホームメード! お腹も満たされ、今日の午前にここを去るというウクライナ人カップルと話した後、スチャヴァ市内へ。 今日(1月6日)はこちらの人にとって神聖な日で、教会にはたくさんの人の姿が… 最初に聖ジョン修道院(St. John the New Monastery)に行ったのだが、宗教的な儀式の邪魔になっていはいけないので、ひとまずその場を離れる。 歩いてスチャヴァの要塞(The Fortress of Suceava)へ。





この要塞は1388年、スチャヴァをモルダヴィア地方の首都と定めたペトル1世の時代に築かれた。 その後、ステファン大公(Stefan the Great)の時代にさらに規模が拡大された。

要塞から歩いて修道院に戻ると、もう人はまばらになっていたので、修道院を見学。





The St. John the New Monastery 聖ジョン修道院 (1514 - 1522)
聖ジョン修道院は、ステファン大公の息子ボクダン3世の時代1514年に着工が開始され、1522年に完成した。 この修道院の造りはステファン大公の時代に建てられた他の修道院と少し異なっていることで知られている。 外壁のフレスコ画はかなり風化してしまっている。



500年という時間の経過とともに、風化してしまっている部分も多くあったが、初めてのフレスコ画のほどこされた修道院に感動… 厳粛な修道院の中の雰囲気は、キリスト教徒ではない自分も何か圧倒されるものがあった。 このルーマニア旅行の一番の目的はこの地方の修道院を見ることだったので、まず一つ見られて、大いに満足。

この後、スチャヴァ市内を歩いてまわる。



市役所やカトリック教会の前を通り、ここでも民俗博物館へ。 ブラショフの民俗博物館よりもここのほうが100倍よかった。 博物館の中は、この地方の昔の家の中が再現されており、家具や食器、いろいろな道具などが展示されている。 2階は服飾関係の展示、地下1階はワインを貯蔵する蔵になっている。 何と日本語のガイドもあって、びっくり!(日本人の知り合いに作ってもらったらしく、日本語も正確) モニカさんお薦めの博物館だけある。

その後、さらにスチャヴァ市内をまわる。



聖ニコラス教会(St. Nicholas Church)、聖ディミトル教会(St. Dimitru's Church)をあとにし、バスでホステルに戻る。



今日の夕食は、ルーマニア料理のスープの一つCiorba(チオルバ)、ソーセージとたまねぎの炒め物、ゆでたじゃがいも、森でとれたキノコとパプリカのピクルス。 お腹いっぱい… 実はこのあとパンケーキのデザートもあったのだが、さすがにもう食べられず、明日の朝食べることに。 食後にモニカさんといろいろ話し、車なしでいろいろな修道院を回るのはほぼ無理なことがわかったので、少しお金はかかるが(普段は3人から)一人で修道院ツアーをすることに。 明日はいよいよ楽しみにしていた修道院巡り。

= ホステル情報 =

Suceava High Class Hostel(お薦め!!!)

住所:Mihai Eminescu Street 19, Suceava - 720183, Romania

宿泊費:4人部屋ドミトリー 15 Euro/50 Lei
        (とれたて新鮮食材を使った朝食 込み)

設備:セントラル・ヒーティング、暖炉、フリーインターネット

その他:シャワーやトイレもきれい。 
        モニカさんの作り出すアットホームな雰囲気、
        リラックスするには最適の場所。
        +25 Leiでルーマニア料理(デザート付)の夕食も味わえる。
        修道院ツアーもここから出発。



ルーマニアの旅 第七話 ~日本のイメージは「カラ~テ」~

2007-02-23 21:10:59 | ルーマニア旅行

今日は10時半に起床。 昨晩から今朝にかけてかなり寝たので、昨日の夕方に比べるとかなりましになった感じ。 ただ鼻づまりがひどかったので、起きたときには口は渇き、のども痛い。 昨日の時点ではまだわからないと言っていたが、マットさんも今日ブラショフを発つということで、別れのあいさつをしたあと、遅い朝食。 といっても、時間的にはほとんど昼食。 さすがにこんな時間だったからか、ダイニングには誰もおらず、外の雪景色をながめながら、のんびりパンをほおばる。 ここにもラズベリーティーがあったので、再びラズベリーティーで体を温める。 ゆっくりしていると、いかにもアメリカ人という感じの女の子がダイニングに… 彼女も風邪を引いてしまい、外には出る気がせず、ホステルでゆっくりしていると話していた。 少し話をしたあと、スチャヴァのホステルの連絡先を調べ、Eメールをしてから、部屋に戻り、荷物の整理。 必要のなくなった地図などを捨てて、荷物を軽くする。 荷物整理の後で、シャワーをして、少しネットで調べ物をしてから、街に出る。 昨日見なかったシナゴーグへ… せっかくそこまで行ったのだが、時間が遅くてすでに閉館… 開館が午後1時までという設定もどうかと思うが、仕方がない。 シナゴーグはそのまま素通りし、昨日ホステルの人に聞いた民俗博物館を目指す。 ホステルの人も友達に電話をしたりして聞いてくれたのだが、はっきりした場所がわからず… 地図にだいたいの場所を書いてもらう。 地図の場所の近くまで来たところで、近くにいた警察官に聞いてみる。

「民俗博物館はどこですか。」(ちなみにルーマニア語で…)
「民俗博物館… わからないなあ。」
「ああ、そうですか…」
「あっ、美術館ならあそこにあるよ。」

そう言って、近くまで歩いて一緒に行ってくれた。

「どこから来たの?」
「日本です。」
「何かマーシャルアーツできる?」
「いいえ、できません…」

モルドバでもここでも日本人だといって真っ先に聞かれるのはマーシャルアーツができるかどうか… いまや日本のイメージは「サムライ」ではなく「カラ~テ」のようである。 ブラショフ市内にはいたるところに警察官が立っているので、その辺の人に聞くよりは有力な情報が得られるような…

そして、そこにあったのはやはり民族博物館ではなく、美術館。 2レイ(約90円)だし、いいやと思い、入ってみる。 他にお客は誰もおらず、美術館の人が先回りをして電気をパチパチつけていき、見終わったところの電気をパチパチ消していく。 どうやらブラショフ出身の芸術家の作品を集めた美術館のようだったが、これといって気に入ったものもなく、ものの10分ほどで全部見終わってしまう。 最後に民俗博物館がどこにあるのか聞いてみると、何とこの建物の隣の建物! ここにもまた他にはお客が誰もいない… フロントの係員が違うスタッフに「電気をつけて~!」と声をかける。 英語で書いてあるのは"DO NOT TOUCH"のみ… ご親切にどうも。 説明はすべてルーマニア語で書いてあり、よくわからない。 これでは外国人が訪れるはずもない。 ただ、ここにはルーマニアの民族衣装がたくさん展示してあり、説明がわからなくても、それなりに楽しめた。 大きなはたおり機もあり、それも動かしてくれたりと、別にサービスが悪いわけではなかった。 これで終わりだと思って、出ようとしたら、もう一つの部屋に案内される。 ここでは小麦の収穫からパンを作るまでの過程が紹介されており、なかなかおもしろかった。

今日の目標はこれで達成できたので、ルーマニア料理を食べようと思い、レストランを探す。 街をうろうろしているうちに、雪が… これ以上風邪がひどくなっても困るので、その辺の安そうなお店に入る。 鶏肉の料理ということ以外、よくわからなかったが、ごはんとともに注文。 出てきたのは、フライドチキン、ごはん、酢漬けのキャベツにパン一つ。 5年前はきっと喜んで食べていただろうが、今となってはフライドチキン6個は重い… ごはんは日本のものとは程遠い食感、そして、味… 今晩は長旅になるので、エネルギー補給にはよかったかもしれないが。

外はもう暗くなっていたので、せっかくだと思い、街の中心部の夜景を撮りにいくことに…







また体も冷えてきたので、一度ホステルに戻り、少しくつろぐ。 それから、駅へ行く準備をし、再びバスに乗り込み、駅へ… 10時前には駅に到着し、無事スチャヴァ行きの夜行列車の切符も購入。 電車の時間までベンチに座って時間をつぶしていたのだが、隣に座ったおじいちゃんに時間を聞かれたり、次に隣に来たお兄さんたちと話をしたりしているうちに、あっという間に電車の時間に。 23時14分、電車は定刻通り出発し、ブラショフを後にする…


ルーマニアの旅 第六話 ~素敵な町並み、患う体~

2007-02-21 20:20:51 | ルーマニア旅行

昨日の急激な寒さで、鼻づまりの初めてのブラショフの朝… 朝食の席でシカゴ出身の兄妹やフランス人の姉弟やその友人とのんびり話して、心も和む。 これぞ一人旅の楽しさ。 ホステルに泊まっている人はいろんな人がいるので、話しているととてもおもしろい。 シカゴのお兄さんは、大学院で中国の歴史を勉強しているらしく、中国語も少しわかるらしい。 みんな日本にも行ってみたいとは言っていたが、やはりお金の問題で、なかなか行けるところではないと話していた。 楽しく朝食を終え、今日はブラショフ市内をまわることに。 まずはホステルから歩いてほど近いところにある、聖ニコラス教会へ…



ょうどお昼の時間で残念ながら教会の中には入れなかったが、なかなか素敵な教会。 街のほうへ行こうと思っていたのだが、どちらかよくわからず、サバイバル・ルーマニア語で道を聞いたりしていたのだが、何だかおかしい… ちょっと歩いたところにまた教会があったので、とりあえず写真撮影。



地図を見てもどうもおかしいので、子連れのお母さんに聞いたところ、やはり逆方向に進んでいた… それからは地図上のどこに自分がいるのかわかったので、迷うことなくスケイ・ゲート、エカテリーナ・ゲートのあるところにたどり着く。 寒いには寒かったが、今日は青空のひろがるすっきりした天気で市内周遊には最適。





スケイ・ゲートをくぐり、さらに足を進めていくと黒の教会にたどり着く。 名前の通り、黒い…



教会の中は写真撮影禁止だったので、写真は撮れなかったが、何だか落ち着く教会の中の雰囲気。 そんな教会の雰囲気を味わいながら、中で少しゆっくりしたあと、街の中心部へ。

ブカレストとは雰囲気が全然違い、何だかかわいらしいブラショフの町並み。



雪化粧をした町並み、向こうのほうに除雪車の姿も見える。 この通りを少し歩いていったところにある教会をのぞく。



素敵な雰囲気の通りを後にし、ホワイト・タワーに向かう。 最初はどこにあるのか肉眼で見つけることができなかったのだが、歩いているうちに発見!



残念ながらタワー自体には登れなかったのだが、高台にあるので、そこからブラショフ市内が一望できる。





ベンチに腰掛けしばらくブラショフ市内の雪景色を満喫…

再び街に戻ろうと歩き始めたのだが、歩いているうちにだんだん寒気に襲われ、体も硬直してくる。 これはまずいと思い、先ほどの素敵な通りにある小さなカフェで体を休める。 サンドイッチとお茶を注文。 ラズベリーティーで体を温めて、再び外へ… 店内にいるときはよかったのだが、外に出た途端、再び激しい寒気に襲われ、バスの切符売り場の場所を聞いて、バスでホステルに戻る。 4時ごろホステルに戻り、ダウン… 完全に風邪を引き、9時半ぐらいまでベッドでくたばる…

それから、同じ部屋のマットさんと今日行ったところのことなどを話して、フロントへ。 ブラショフももちろん来たかったのだが、一番行きたいのは何よりスチャヴァ。 フロントの人にスチャヴァ行きの電車のことやブラショフ市内にある博物館のことなどを教えてもらう。 とりあえず、ホステルに戻れば、こうやって落ち着けるのでとてもいい。 ドラキュラ伝説のブラン城にも行ってみたかったのだが、この体で行って、さらに体調を崩してしまったら、スチャヴァ行きも危うくなってしまうと思ったので、ブランへ行くのはあきらめる。 明日は出かけることよりも、まずは体を休めることを考えねば… 部屋に戻り、マットさんとまた少し話した後、12時前に就寝…


ルーマニアの旅 第五話 ~雪のペレシュ城~

2007-02-13 20:51:12 | ルーマニア旅行

今日はついにブカレスト最後の日… 7時半に素敵なご夫妻(ルーマニアの旅 第二話 ~こんなカウント・ダウンは初めて…~ 参照)と待ち合わせだったので、6時起き。 最近寝不足の日々が続いていたので、さすがに起きるのがしんどかったが、何とか起きて出発準備。 7時前に泊まらせてもらっていたルーマニア人の友達に別れを告げて出発。 途中の通りにある店の電気がついていたので、そこでPitaというブリトーのようなものに挑戦。 朝ごはんにしては、ボリューム満点という感じだったが、なかなかおいしかった。 思った以上に雨が強く降っていたので、地下鉄で行くことに… 歩いたら、30分もかからないところなので、地下鉄なら余裕と思ったのだが、ここだと思って降りた駅の外に出てみても、どこにいるのかさっぱりわからない。 何とここに来て迷子… いろいろな人に道を聞きながら、走ったが当然のごとく時間には間に合わず… 結局ぬれないようにと思って地下鉄に乗ったのに、上から下までずぶぬれになり、さらに15分の遅刻…(本当にすみませんでした。) 15分遅れで合流し、ペレシュ城のあるシナヤへ出発。 素敵なご夫妻、同僚のN先生との4人の旅。 途中までは雨だったが、シナヤに近づくにつれ次第に雪になり、シナヤに来たらかなりの吹雪! 多くの車が路上で動けなくなり、後ろから車を押していた。 この車もチェーンを装着。 これから雪の中を歩くことになるので、まずは体を温めるためにお茶を… ラム入りのコーヒーがあったので、それを注文。 あまりラムの味はしなかったが、普通においしかった。 体も温まったところで、車に戻り、もう少し上まで車で行って、そこからは吹雪の中を歩いて進む。 雪も風もすごかったが、幸い気温は0度だったので、耐えられないほどではなかった。 



辺りは本当に真っ白。 寒いには寒いのだが、雪で真っ白な景色は美しい。



雪の積もった斜面を使って、そりで楽しそうに遊ぶ子供たち。 そんな子供たちの横をすりぬけ、さらに足を進めていくとペレシュ城の姿が…



さらに少し進むと、そこは目的地のペレシュ城。 お城というからにはもっと大きいものを想像していたのだが、思ったよりもこじんまりしていた。





ガイドに連れられて、お城の中を回る。 各国の武器や鎧があり、中には何と日本のものもあって、少し驚いた。 お城の中はさまざまな装飾で飾られ、美しい。(お城の中で写真を撮るためには、かなりのお金を払わなければならなかったので、あきらめた。) お城の中はさすがこの土地にあるだけあって、たくさんの暖炉があり、本当に暖かかった。 各国からの贈答品もたくさんあり、「あの焼き物、日本のっぽいなあ…」と思ったら、何と薩摩の焼き物だった。 ここに来てガイドの口から「サツマ」という言葉を聞くとは思いもしなかった。 残念ながら、ガイドなしでは回れないということなので、仕方がないのだが、もう少しいろいろなものをゆっくり見られたらよかった。 以前ドイツに行ったときは、お城巡りを全くしなかったので、今回がヨーロッパのお城は初めて。 日本のお城を巡るのも好きなので、また機会があったら、他のヨーロッパのお城も回ってみたいと思った。

お城の中では写真が撮れなかったので、雪の中ペレシュ城の外観を撮影。





また行きに通った道を戻り、お腹もすいたので、レストランへ。 パスタのゆで具合はちょっとゆですぎの感もあったが、こんなにチーズがいっぱい入っているパスタをここ2年以上食べていなかったので、何だかそれだけでうれしかった。(中国、モルドバ、ルーマニア… どこでパスタを食べても、ゆですぎ… ゆで具合は気にしないのだろうか… それとも、たまたまそうだったのか…) レストランで素敵なご夫妻からブラショフ行きの電車の情報をいろいろもらって、いよいよ一人旅の始まり。 3人に別れを告げ、雪の中を駅まで歩く。 3時半ごろ駅に到着し、4時発の特急の切符を買って、ホームで待っていたのだが、外は激しい吹雪。 4時を過ぎても、電車がやってくる気配はない。 しばらくホームで待っていたのだが、あまりに寒かったので、地下道に避難。 そして、待つこと30分、ついに電車が・・・



とにかく寒かったので、何も考えずに電車に乗り込むと、自分の席のある2両目ではなく、1両目。 しかも、日本の電車のように、1両目から2両目に移動することはできない。 仕方がないと思い、最初は立っていたのだが、30分ぐらい走ったあとで、おそらくこの大雪のせいで全く動かなくなり、空いている席に勝手に座る。 1時間ほどして、やっと電車は動き出し、少し走って、次の駅へ。 そこで、1両目から2両目に移動。 シナヤからブラショフまで特急なら約1時間で着くはずが、2時間半かかってやっとブラショフに到着。 ブラショフに着いたときにはもう6時すぎ、そして、ここもまた真っ白な雪景色。 疲れていたので、すぐにバスに乗って、予約しておいたホステルへ。 バスを降り、そんなに迷うこともなくホステルを見つけ、無事到着。



6人部屋の部屋だったのだが、個人ロッカーもあるし、シャワーやトイレもきれいだったのでよかった。 同じ部屋に泊まっていた世界を旅するカナダ人、マットさんとも仲良くなり、いい気分で就寝。 久々に1時前にベッドに…


= ホステル情報 =

Kismet Dao Hostel

住所:Str. Democratiei 2, Brasov, Romania

立地:ブラショフ駅から4番のバスに乗って、終点のPiata Unirii下車。 徒歩1分。 
      旧市街の中心部にあり、市内観光にも便利。

宿泊費:6人部屋ドミトリー 9.9 Euro/33 Lei 
        (パンとコーヒーの朝食、500mlのビール、あるいは、飲み物代 込み)

設備:個人ロッカー、セントラルヒーティング、フリーインターネット

その他:シャワーやトイレもきれい。 ペレシュ城、ブラン城へのツアーもあり。
        ホステルの人もみんな親切だった。


ルーマニアの旅 第四話 ~バタバタの日中と素敵な夜~

2007-02-08 23:26:46 | ルーマニア旅行

連日の遅寝早起… しかしながら、だんだん起きる時間が遅くなっていく。 今日は11時に起きて、シャワーをして、出発したのは12時半。 地下鉄に乗って、昨日入らなかった国民の館へ。 ブカレストの地下鉄にもすっかり慣れ、問題なく到着。 しかし、そこには予想もしていなかった長蛇の列。



基本的に混んでいるところは好きじゃないので、普段だったら、この列を見て、すぐに立ち去るところだが、いろいろな本にここは見る価値があると書いてあったので、心を決めて並ぶことに… 並ばないで割り込んでいく人たちにいらいらしながら(何回かそれが理由で口論になっていたが… まぁ当然!)、1時間並んでやっと入口にたどり着く。 入場料をとらるのかと思いきや、無料だったので、それは少しうれしかったが…

先回も書いたが、国民の館というのはチャウシェスク政権のとき、1984年から1989年にかけて建てられた巨大な国会議事堂。 その面積は265,000㎡もあり、世界でもペンタゴンについで第2位の大きさを誇る。 ここには6000もの部屋があり、数百にのぼるオフィス、レセプションやさまざまな会議を行うための部屋がある。

とにかく何でも大きい中の様子…






国民の館の正面から外を眺めると、こんな感じ…





再び中に戻る。



議会を行う場所。 広すぎて全体をフレームにおさめるのは不可能だった。



会議室はこんな感じ…



何でも大きく、きれいではあったが、本に書いてあったような感動は特に覚えず、1時間も並んだのに、1時間もしないうちに外に出ていた。 それから、ブカレストの友達がいいと言っていた村落博物館(Village Museum)へ。 この博物館は4時に閉まるというのに、国民の館を出たときにはすでに2時50分。 ここで1時間も並んだことが響いてくる。 でも、せっかくだからと思い、急いで博物館に向かう。 昨日聞いた最寄の駅に着いたのは3時半、そこから、道行く人に道を聞いて、走る… 走る… そして、走る!!! 近くまで来ていたようなのだが、入口は反対側だということを聞いて、再び走る… 走る… そして、走る!!! それらしきところに着いたときにはもう3時50分、でも、間に合った… そして、少し足を踏み入れると… 警備員らしきおじさんに止められる。 あと10分あるからと頼んだが、もう閉めるからだめだと言って聞いてくれない。 そこに、ちょうどもう出ようとしていたおばちゃんが「5RON(1RON=約50円)ぐらい渡したら、きっと入れてくれるから」と買収を支持。(笑) おばちゃんにお礼を言って、買収を試みたが、あえなく失敗… 結局、国民の館に入るために1時間も並んだことが仇になり、たくさん走って、汗だくになったのに、博物館は見ることができなかった。 そして、とぼとぼ歩いていると、そこにVillage Museumの文字が! 「えっ、ここなの?!」 もう何が何だかわからない… そして、そこには「1月1日と2日は閉館」と書いてある。 「じゃ、さっきのところは?!」 買収に失敗した先ほどの場所には、公園のようになっていて、ルーマニアの伝統的な家のミニチュアがたくさんある。(「リトルワールド」ルーマニア版と言ったところだろうか… とはいっても、名古屋近辺の人しかわからないか…) 博物館と書いてあるこの場所は、白い小さな建物。 実際、建物の中の展示を見るより、古い家の造りを見たりするほうがおもしろそうだったので、見られなくて残念だった。

走って汗だくになったうえに、お腹も少しすいたので、近くの公園でまたポップコーンを買って、ベンチで頬張る。 そこから教会が見えたので、とりあえずそこまで歩いていって、写真を撮る。



もう疲れたので、帰路につく。 まだお腹がすいていたので、カルフールで何か買おうかと思ったのだが、カルフールはまだお正月休み… 泊めてもらっているアパートに向かう途中の売店で、モルドバでもよく買っていたNaty(ウェハースのお菓子 → 過去のブログ:「お気に入りのお菓子」参照)を発見、即買い。 やっぱりうまい! そして、アパートに戻ると、そこにはルームメイトが。 挨拶を交わすやいなや、漢字の名前を頼まれる。 今晩はみんなでルーマニアの伝統料理を食べに行くということで、車で目的地に向かう。

クロークにコートを預け、店の中へ… 奥にはステージがあり、なかなかよさそうなお店。



ステージではルーマニア音楽のパフォーマンスが繰り広げられる中、ワインで乾杯。



今までになく今夜はちゃんとしている… 日中はいろいろ大変ではあったが、世の中悪いことばかりじゃない。 何を頼んだらいいのかよくわからなかったので、ルーマニア人の友達にお願いしたところ、これがおいしいということで豚肉とママリガの料理を注文。 しばらくすると、料理が運ばれてくる…



豚肉とレバーにグレイビーソース、ママリガには定番のサワークリームとチーズがかかっている。 写真撮影を終え、早速一口…「うまい!」。(みなさんももしチャンスがあれば、ママリガを食べてみてください。 とても素朴なとうもろこしの味ですが、何だかはまってしまう食感と味です。) 豚肉のグレイビーソースともあっていて、とてもおいしかった。

料理を食べたあとも、乾杯した赤ワインだけでなく、白ワインも飲みながら、友達と楽しく話したりして過ごす。 何気にペーパーナプキンで鶴を作って、机の上に置いておいたら、隣の席の子供たちがその鶴に興味津々… 一人の男の子にその鶴をあげたら、何とデジカメを持ってきて写真撮影! 折り紙で折ったら、もっとしゃきっとした鶴が折れたのだが、何せペーパーナプキンなので、ちょっとへなへな… それでも、子供たちは(実は大人たちも)大喜びだったので、他の子にも鶴や箱を作ってプレゼント。 そうしたら、何と子供たちもペーパナプキンを折って自分たちの作品を持ってきてくれて、こっちも大喜び。 うれしかったので、一緒に写真を撮ってもらう。


Maladetの顔をご存知の方が多いとは思いますが、暑苦しいので編集の都合上カットさせていただきました。



写真を撮った後、話を聞いてみると、彼らはギリシャ人のグループ。 実は出身地の稲沢市(稲沢と言っても、誰にもわからないので、普段は名古屋と言っている。)は、ギリシャのオリンピア市と姉妹都市。 それもあって、小学校の給食にときどきギリシャ料理が出たのを覚えている。 でも、実際にこうやってギリシャの人たちと話すの初めてだったので、この出会いに感謝。 最後は一緒に座ってギリシャ語の挨拶や日本語の挨拶を教えあったりして、とても楽しいひと時をすごす。 折り紙を通して、こんなところでもちょっとした国際交流。 一人の子は今度日本語も勉強してみたいと言ってくれた… こうしたちょっとした出会いから、お互いの国のことに興味を持ち、友好な関係が築いていけたら本当にすばらしい。

これ以外にも、泊めてもらっていた友達、そのルームメイトとともにルーマニア語の歌をうたったり、みんなでダンスをしたりして、本当に楽しい最後の晩餐だった。 アパートに帰ってからは、先ほど歌った歌をビデオに収録。 そして、この日も寝たのは2時… 明日早いのに…

ルーマニアの旅 第三話 ~お正月の静かなブカレスト市内~

2007-02-05 21:40:53 | ルーマニア旅行

何だか不思議な新年の幕開け。 ブカレストにいられる時間も限られているので、5時に寝たものの、11時にはブカレスト散策に出発。 昨晩から今朝にかけての盛り上がりとは裏腹に、街はひっそりとしている。 きっとみんな今はグーグー寝ているのだろうが… 真っ青な青空にも恵まれ、晴れ晴れとした気分で散歩を始める。



まっすぐ伸びる車の通らない新年の道を一人歩く。 しかし、実は自分の行きたかったのとは別の方向に行っていたことに途中で気づく… 行き止まり近くでは、犬にさんざんほえられ、戻る途中では野犬にずっとついてこられ、今年は犬に縁がないのか?(あるのか?)なんて思っているうちに、目的地ではなかった教会にたどり着く。



教会の中に入っていく人がたくさんいたので、新年の礼拝があるのだろうと思い、中に入り、神父さんのありがたいお話を聞く。 ルーマニア語だったので、ほとんどわからなかったのだが、何だか少し新年の気分が味わえたような…

教会を出たあとは、国民の館へ… 国民の館というのはチャウシェスク政権のとき、1984年から1989年にかけて建てられた巨大な国会議事堂。 その面積は265,000㎡もあり、世界でもペンタゴンについで第2位の大きさを誇る。 ここには6000もの部屋があり、数百にのぼるオフィス、レセプションやさまざまな会議を行うための部屋がある。

広い公園の彼方に巨大な建物がそびえたつ。 適当に足を進めて行ったら、どうもそこは裏側だったようで、その巨大な敷地の周りをぐるりと一回りすることに… かなり歩いて、やっと正面にたどりつく。 このおかげでどのくらい大きいかは身をもって体感することができたのだが…



今日は1月1日で中には入れないと思い(実は入れたらしいのだが…)、写真撮影をして、その巨大建造物ともお別れ。 とはいえ、その前を横切るだけでも結構歩くのだが。 川沿いまで歩いていくと、素敵な場所があったので、カメラを取り出し写真を撮る。 プラハに行ったときも思ったが、水のある景色にはどこか心が癒される。



ここからさらに歩いて、チシミジウ公園へ。 ここは自分にとっては少し意味深い場所。 というのも、モルドバに来る前に買ったルーマニア語会話の本のダイアログに出ていたからである。 ここに来る前の数週間、mp3で会話を聞きながら、ほとんど意味のわからないルーマニア語をカフェなどでシャドーイング(CDの言った言葉を影のように追いかけて自分も発音する練習)を繰り返していた頃が懐かしい。 あの時は、注意書きを読んで、「へ~ そんな公園があるんだ… 市民の憩いの場所か…」程度にしか思っていなかったが、今その場所に実際に近づこうとしているのだ。 街では1月1日ということもあってか、ほとんど人影を見なかったのだが、チシミジウ公園は子供から老人まで大勢の人でにぎわっていたので、少し驚いた。 新しい年の最初の1日を緑の多い公園のベンチでのんびり過ごすのも何かいい。 小腹もすいたので、ポップコーンを買って、ベンチに座って頬張る。 きゃーきゃーはしゃいで遊んでいる子供たち… ベンチで楽しげに会話を交わすカップル… ゆっくりと公園の中を散歩する老夫婦… 麻雀のようなゲームを楽しむおじさんたち… それぞれがそれぞれの楽しみ方で公園を満喫する。





お腹も落ち着いたので、チシミジウ公園から大学広場まで歩く。



ブカレスト市内にはいたるところに教会がある。



大学広場に到着後は、地下鉄に乗って、ヴィクトリア広場へ。 凱旋門の行き方を道行く人に聞き、歩く… 地図では近そうに見えたのだが、思ったより遠かった。 足を進めていくと、彼方に凱旋門が…



30分ほど歩いて、やっと到着。 元々の凱旋門は1878年に独立戦争の凱旋パレードために造られ、その後、1922年に第一次世界大戦に参加したルーマニア兵のパレードのために造り直された。 現在の凱旋門は1935年から36年にかけて、建築家ペトレ・アントネスクによってパリの凱旋門を模して造られたものである。



この後、ルーマニア人の友達と合流。 本当は明日ブカレストを発って、ブラショフに向かうつもりでホステルも予約してあったのだが、昨日会った素敵なご夫妻が行きたいと思っていたペレシュ城にあさって車で連れて行ってくれるということを聞いて、キャンセル料はあきらめて、予定より1日長くブカレストに滞在することに。 この日はみんなでアパートに戻り、「バニラ・スカイ」を見た。 いまいち自分の好みではなかったが、この日もまたアパートに戻って寝たのは午前4時半。 今日がいったい何月何日なんだかよくわからない日々が続く…


ルーマニアの旅 第二話 ~こんなカウント・ダウンは初めて…~

2007-01-30 02:59:31 | ルーマニア旅行

新年のパーティのために、別のルーマニア人の友達の家に移動。 そこには本物の大きなモミの木を飾ったクリスマス・ツリー、そして、素敵なご夫妻がパーティの準備を整えて待っていた。



奥さん手作りのサラダなどの軽食を口にしながら、みんなで楽しく談笑。 新年の訪れを待つ。 11時すぎになり、素敵なご夫妻を残して(奥さんは妊娠中なので…)、カウント・ダウン会場へ行くことに。 アパートを出て、二手に分かれて、タクシーをつかまえようとするのだが、なかなかつかまらず、 第一陣が行ってしばらくして、やっと自分たちもタクシーをつかまえるのに成功… しかしながら、会場に近づけば近づくほど、道は込み合っていき、結局途中でタクシーを降りて、歩くことに… そのときすでに11時45分… 会場のイルミネーションは見えるのだが、まだまだ距離はある。 あと15分、、、 あと10分、、、 あと5分、、、 早足のスピードも増していく… これこそまさにカウント・ダウン!!! カウント・ダウンといったら、本来こっちが新年が来るのを待ち構えているものだが、なぜか新年が来るのに追われ、こっちがカウント・ダウン”されている”感じ。 それでも、ルーマニア人の友達は別のタクシーで行った3人に会うために必死。 会場近くはすさまじい人で電話もなかなかつながらないうえに、この人ごみの中から自力で探すのは無理… と思ったのだが、彼は必死。 が、がんばった甲斐もなく、そんなことをしてうろうろしているうちに新年を迎える… 「もう会えなくてもしかたない。 新年を素直に祝いたい!」と強く思っていたが、花火がガンガンあがっているときもまだ彼は必死で3人に会おうとしている…(5,6分後にやっと発見) いったいなんだこの新年は… こんな大晦日も、こんな新年の迎え方もすべて生まれて初めて。 会場は花火とイルミネーションできれいだったし、ルーマニアがEU加盟を果たした記念の新年をここブカレストでルーマニアの人々と祝えたということはいい思い出なのだが…



カウントダウン会場で、願い事を書いた紙を燃やして、カップの中に入れ、そのカップでシャンパンを飲んだ。 これはきっとルーマニア流の何かで、それを体験できてよかったのだが、未だにどうなったらその願いがかなうのかはよくわからないまま。

そんなこんなでいろんな意味で疲れている日本人二人をよそに、学生、その妹、そして、ルーマニア人の友達は楽しげに踊っていた。



さて、再び素敵なご夫妻のアパートに戻る。 今度はテーブルにはお菓子やケーキが並ぶ。



お酒ではなく、コーヒーを片手にお菓子やケーキを頬張る。 ここに戻ってきてからは、みんなバラバラという感じだったが、個人的には素敵なご夫妻の旦那さんから、次に行くブラショフやスチャヴァのことを教えてもらったり、他のお薦めの場所を教えてもらったりしてとても楽しかった。 同僚のN先生は、その間、大きなクリスマス・ツリーの横でうとうと…このまとまりのないパーティがお開きになったのは、早朝4時。 泊めてもらっているアパートに戻ってきたころには、外は明るくなりかけていた。 今日ってそういえば1月1日だったっけ… そんなことを思いながら、午前5時ついに就寝。