「モルドバにずっと住んでいるのに、ルーマニア語を一言も知らない人がいる。」 この言葉を今までに何度聞いたことか…
モルドバ共和国の国の言語はモルドバ語(ルーマニア語の一方言: この呼び方自体、歴史背景を感じる。 ”米語”と言っているようなものだからだ…)とされているが、ここキシナウに住んでいると、ルーマニア語と同じぐらいロシア語を耳にする。 街を見渡しても、ロシア語の表示であふれているし、テレビを見ていてもロシア語の番組がたくさん放送されている。
ここに来る前は、そんなことも知らなかったので、ルーマニア語が話されているとばかり思っていた。 だから、ルーマニア語会話の本を少しだけかじり、モルドバにやってきた。 来てみて、そこら中のロシア語に正直驚いた。 自分にとっては予想していなかった事態だったので、それに驚いた。 だが、そんな状況をよく思っていない人がたくさんいるということもここにいるとわかる。 「日本人でもこうやってルーマニア語を勉強しているのに!」と言われると、変な気がするが、それは「ここに住んでいるのに、ルーマニア語を勉強しようとさえしない人がいる!」と言っているのだ。
先日も学生が少し顔を赤らめながら、そのことを話していた。
お店に行って、ルーマニア語で話しかけているのに、ロシア語でしか答えないから、そのままルーマニア語で話していたら、「あなた、ロシア語がわからないの?! 教養がないわね。」って言われたの。 むかついたけど、お金だけおいて、そのまま何も言わないで店を出ていったよ。 ロシア語もわかるけど、そんな態度の人にロシア語を話そうとは思えない。
旧ソ連時代はルーマニア語が禁止されていたという歴史背景が人々の心に深く残っているのがまず第一の理由だと思われる。 自分たちがモルドバ人であるというアイデンティティーを誇示するためにも、モルドバの人にとって言語というのは大きな存在なのである。 ただ、それが全ての人に当てはまるというわけではない。 というのも、自分の学生の中にもほとんどルーマニア語がわからない学生がいる。 その学生たちは言語が苦手というわけではなく、英語やフランス語は話せたりする。 つまり、ルーマニア語を勉強する気がないだけなのである。 自分としては、どちらの立場を支持するつもりもない。 前者の気持ちもわかるが、後者の気持ちもわかる。 学生と話していると、「ウクライナにおばあさんがいる」とか「母はロシア人」という話をよく耳にする。 元々は大きな一つの国だったのが、崩壊したからだ。 東京の人と愛知の人が結婚しても、北海道の人と大阪の人が結婚しても、沖縄の人と山形の人が結婚しても、別に普通のことであるが、突然明日からそれぞれが別の国として扱われたらどうだろうか。「 ここは東京なのに、何で名古屋弁を話すんだ!」、「北海道で大阪弁を話すな!」、「沖縄にいるのに、どうして沖縄の言葉を覚えようとしないのか。」、こんな状況は想像すらできない。 ロシア語はスラブ語系の言語で、ルーマニア語はラテン語系の言語なので、この2つは言語としては全く異なる。 そんな2つの言語が、いろいろな思いとともに入り乱れているここモルドバ。
一番最初に覚えた言語はウクライナ語、それからロシア語の学校に進み、大学ではルーマニア語、大学院では英語…という学生もいる。 うちではロシア語を使っているが、ルーマニア語の学校で勉強しているという学生もたくさんいる。 自分にとってはモルドバの人が持っている”過去”はないので、子供のころから2つの言語にずっと触れてきて、生活していく中でバイリンガルになれたらいいななんて思ったりもする。 もちろんそんな簡単なことではないというのはわかっているが…
いろいろと複雑な思いを抱えて生きているモルドバの人たち。 ただ、そういう話も学生とできるのは本当にうれしく思う。 中国では、学生の片言の日本語と自分の片言の中国語で話さなければならなかったので、なかなか深い話ができなかったが、ここでは英語という媒介語が使えるので、学生たちといろいろな話ができて、とても楽しい。
さて、そんなモルドバの学生たちが最近の日本語について憂慮しているとどれだけの日本人が想像できるだろうか… ロシア語しか話さない人の話を聞いたすぐあとで、別の学生たちが真剣な顔をして日本語について語っている。(ちなみに、ロシア語で…) 何について話していたかというと、日本語にはカタカナの言葉が多いということだ。 日本語には美しい響きの言葉がたくさんあるのに、カタカナの言葉ばかり増えていく最近の日本語。 そんなことを何人の日本の若者が考えているだろうか?! 西洋の文化が悪いというわけではないが、確かに最近日本古来のよさのようなものが忘れさられてきているような気もする。 もちろん、時代はすさまじい速度で変化していっているので、それに伴い生活様式も変わっていく。 ただ、ときどきは古きよき日本を振り返ってみるのもいいかもしれない。 ほとんど日本では知られていないモルドバという国の学生たちの話を聞いて、こんなことを思うのもおもしろいものである。
授業後に日本語能力試験の申込書を書くのを手伝っていた。 いつも一緒に帰っている学生が受験するということで、その学生も残って、書き終わるのを待っていた。 なぜこの話になったのかはよく覚えていないが、週末にパンク・ロックのコンサートがあるという話になった。 日本のポップやロックから洋楽、クラシック、ジャズ、ボサノバ、またいろいろな国の民俗音楽まで、音楽全般に興味はあるが、その中でもパンクというのは一番聞かない部類の音楽かもしれない。 クラシックのコンサートには日本でも行ったことがあるが、あとはほとんど行ったことがない。 一度、Goo Goo Dollsというアメリカのロック・グループのコンサートに行ったことがあるが、おそらくそれが唯一だろう。 ということで、逆に自分からかなり遠い位置にあるパンク、そして、コンサートに興味をそそられる。
「友達と一緒に行くつもりですが、先生も一緒に行ってみたいですか。」
「うんうん、今まで行ったことないし、ぜひ行ってみたい。」
「ただ、会場にはRacistや危ない人がいるかもしれませんから、
安全は保証できません。 会場に来る唯一のアジア人だと思うし…」
こんな会話を交わして、前日の夜を向かえ、その学生に確認の電話をする。
「コンサートって今週の週末だよね?」
「はい、そうですよ。」
「じゃ、明日はどうしたらいい?」
「まだわかりません。」
「えっ、何で?!」
「明日の朝になって、親にだめって言われるかもしれないし…」
ということで、当日の授業で会ったときに相談することに。 親に反対されて行けなくなる可能性もあるようなコンサートに先生を誘う学生… そして、危ないかもしれないと言われているにも関わらず、そんなコンサートに行く気満々の教師。(笑)
土曜日の会話の授業後、無事行けることを学生から聞き、待ち合わせの約束をする。 会場近くでその学生、友達と合流し、会場へ… "パンク"という感じの学生の友達… 開場まで時間があったので、会場の入口前で時間をつぶす。 とは言っても、学生たちはロシア語で話していたので、99%会話の内容はよくわからなかったが、見ていて本当に楽しそうな学生とその友達。 普段教室では見せることのない顔、そんな素顔を見ることができて何だかうれしかったり。 会話を聞いていてもほとんどわからないので、まわりで待っている人たちを観察。 「えっ、この人も?!」というような風貌の人もいたりして、正直想像していたような怖い雰囲気はなかった。 ちなみに、誘ってくれた学生やその友達はなかなか決まってた。
入口で係の人にお金を渡し、手首にスタンプを押してもらい、入場。 そんなに大きいホールではなかったが、会場にはたくさんのパンク・ロック・ファンが詰め掛けていた。

最初のバンドは、ポーランドのバンド "Cemetory of Scream"。 挨拶は英語だったので、ここに来て初めてちゃんと理解できた。 ロシア語で少し何かを言っていたら、学生が「この人のロシア語は、先生と同じぐらいのレベルだよ」と笑って話す。 演奏が始まると、次第に座っていた観客たちは立ち上がり、ステージの前に集まっていく。 そして、首を上下に激しく振りながら、音楽を楽しむ。 おそらく歌詞は英語だったと思うのだが、全然わからなかった。 すさまじい音で何を言っているのかわからなかったのだ。

次のバンドは、連れて行ってくれた学生もお気に入りのモルドバのバンド "Neuromist"。 "流暢な"ロシア語で挨拶をすると、会場中が盛り上がる。 そして、ステージの前の観客たちが再び激しく首を振る。 ロン毛の人が多かったが、このためだったのか… と、一人納得する。 坊主だと首を激しく振っていても、あまり見栄えがしない。 そんな無駄なことを考えながらも、この雰囲気を楽しむ。 おそらく歌詞はロシア語だったと思うが、先ほどのバンドと同様、どうせ爆音でよくわからなかった。

最後のバンドは、これまたモルドバのバンド "Cahorgewa"。 一応、去年1年ルーマニア語を勉強してきたが、この日、ルーマニア語を聞くことはなく、学生たちも、バンドの人たちもみんなロシア語だった… それはともかく、再び会場がすごい盛り上がりを見せる。 ちゃんと習ったことはないが、趣味でギターを弾くので、ギタリストの手先は気になる。 うまいなあ… とすごい速さの手さばきに関心。 エレキ・ギターをまだ弾いたことがないので、ちょっとやってみたくなった。
どのバンドのボーカルの声も魂の叫びという感じだった。 ギタリストも、ベーシストも、ドラマーも魂が感じられる演奏だった。 そして、会場に来ていた観衆もまたその魂を感じとり、また自分の魂をこめて首を振る。 自分はどちらかといえば、傍観者という感じではあったが、それでも十分に楽しかった。 心の中にたまった鬱憤を激しい音とともに吐き出す人たち… ただ"うるさい"としか扱われないこともあるかもしれないが、こういう形もあっていいのではないかと思った。 ストレスをためこんで、変な形で発散し、人に害を与える人もいるが、それよりも、よっぽど健全で心からすっきりできるのではないだろうか。 パンク・ロックのコンサートに行ったことのないそこのあなた… あなたも一度足を運んでみては。
先週、NHKから「地球アゴラ」のビデオ(DVD)が届いて、早速見てみた。 基本的に自分の部分以外はまるで視聴者のごとくリラックスして見ていたので、もう一度見てみても同じような感じだったが、自分のところを第三者の目で見るのは初めてだったので、おもしろかった。 テレビの中に自分がいて、その自分が話しているのを見るのは、やはり少し不思議な感じだった。 自分では画面を見て話していたのだが、カメラがモニターの上についていたので、終始下を向き気味だったのがちょっと気になった。 あとは、もっと川平さんとからみたかった(笑)ぐらいか…
NHKから届いたビデオをネット上で公開することは当然できないので、今回の放送のために部屋を提供し、いろいろと協力してくれた学生のローマさんがデジカメで撮影してくれたビデオをここでは公開。
実際に放送を見られなかったみなさん、舞台裏みたいな感じですが、どうぞご覧ください。






モルドバでのテレビ放送の様子もアップしたので、ぜひご覧ください。


モルドバはもうすっかり秋。 最近雨の日が多く、ここ何週間か週末も雨ばかり。 ただ、先週何日かすっきりした秋晴れに恵まれ、今日しかないと思い、カメラを片手に出勤前に写真を撮った。 日本で秋といえば、紅葉を思い浮かべる人が多いと思うが、ここモルドバの秋の色は黄金色。 首都であるにもかかわらず、ここキシナウは本当に緑が多い。 ここにいると、季節の移り変わりを目で楽しむことができる。

雲一つない真っ青な秋晴れの空にキシナウのシンボル、大聖堂も映える。 ワイン・フェスティバルが行われた国の庁舎前の道をはさんだ反対側に、この大聖堂がある。 まわりは大きな木々が茂る公園になっており、この日もたくさんの人を見かけた。


大聖堂のある公園から歩いて2, 3分のところにあるモルドバの英雄、シュテファン大公の像。 このまわりもまた大きな公園になっており、普段から多くの人でにぎわっている。

他の国の首都の真ん中でこんなにも多くの緑を見ることができるだろうか。 こんなにも木々の香りを感じることができるだろうか。 本当に心から癒されるこの空間… キシナウにはこういう公園がたくさんある。 「週末は何をしましたか。」と聞くと、「散歩をしました。」と答える学生が結構多い。 中国で日本語を教えていたときは、誰一人としてこのような答えを言う学生はいなかった。
さて、公園から財団のある大学まで足を進めていると、この景色が目に入ってきた。

まるで絵葉書のような風景。 モルドバの国旗の色でもある青、黄色、赤が美しい。 思わずカメラを取り出して一枚。
次の日も晴れていたので、またカメラをポケットに入れて、少し早くうちを出る。

バスを待っているときに、撮った一枚。 ちなみに、背景に写っているのは自分が住んでいるアパートの並びのアパート。

バスを降りて、財団まで歩いているときにまた一枚。
この黄金色の葉が見られなくなったとき… モルドバに冬がやってくる。 もうしばらくこの美しさを楽しませてくれるだろうが…

時間軸としては逆行してしまうが、「地球アゴラ」出演の前の週にモルドバの朝の番組"Buna Dimineata"に生出演した。 朝の7時にはテレビ局入りしないといけないということで、その日は5時半に起床し、6時半にタクシーに乗り込み、財団の副理事長、学生(理事長・副理事長の娘)とともにテレビ局で向かった。 「緊張してる?」と聞かれたが、この時点で自分がどんな番組に出演するのかも、何を話すのかもよくわからなかったので、緊張するも何もなかった。 10分ほどでテレビ局に到着。 "Tele Centru"と呼ばれる地域は何度も行き来していたが、テレビ局に来るのはこの日が初めて。 到着後、早速スタジオまで案内され、番組の司会をつとめる女の人と打ち合わせ。 といっても、すべてルーマニア語でなされていたので、よくわからず… とりあえず、やるべきことはわかった。 ルーマニア語で自己紹介をすること、それが自分のやるべきことだった。 放送直前になり、スタジオのソファーに座り、マイクが取り付けられる。
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番組が始まるやいなや、突然自分!!! 何か振りがあると思っていたので、ちょっと焦る…(先に言っておいておくれ…) 文化クラスのときにしたのとだいたい同じ自己紹介をする。 焦って、最初に"Buna Dimineata"(おはようございます。)と言い忘れたのが不覚。

司会:「モルドバの何が好きですか。」
Maladet:「モルドバ料理がとても好きです。
ママリガとか、サルマーレとか、プラチンタとか…」
「それから、モルドバのワインもおいしいです。」
これだけじゃ、ありきたりだしおもしろくないと思い、「モルドバ”人”はきれい」と言おう思ったのだが、たぶん自分のルーマニア語力のなさと、そんなことを言うとは思ってなかった娘により、「モルドバ”語”はきれい」という翻訳になって終わってしまう。 おもしろいことを一言も言えなかったのは何よりの不覚だった。

このあとは、副理事長と娘が財団のことなどを話し、ときどき、質問をふられ、答えるという感じで放送は終了。
実は9月の最初の授業のときに、学生それぞれに自己紹介プリントを書いてもらった。 そこに「私の夢は~ことです。」という質問を入れておいた。 学生がどんな夢を持っているのか聞きたかったのと文型の復習も兼ねて入れたこの質問。 自分が逆に聞かれるとは思っていなかった。
学生:「先生の夢は何ですか。」
Maladet:「ええっ? え~っと… アフリカで日本語を教えることです。」
学生:(笑)
Maladet:「それから… モルドバで有名人になることです。」
このテレビの話が決まったとき、学生たちに「先生、夢がかないましたね!」と笑顔で言われた。 どうしたらなれるのかはわからないが、目指すはモルドバ親善大使。 その第一歩を踏み出したかもしれない… ただ、それよりも学生たちの心に一生残る”変な日本人の先生”でありたいと思う。 この仕事に就こうと思ったのは、アメリカでお世話になった先生方に出会ってからだった。 あの出会いがなかったら、今自分はここにはいない。 自分にとってのアメリカの先生方のように、学生たちの心に残れたら… 10年後、20年後も「そういえば… あんな先生いたなあ」なんて思い出してくれたら、それだけで十分うれしい。 日本語教師として、また一人の人間として、これからも学生たちと精一杯関わっていきたい。

さらに…
昨シーズンの冬にルーマニアの旅行紙に記事が載ったときに、インタビューをした雑誌関係の仕事をしている学生からもう一度インタビューを受けて、その記事がALL MOLDOVA.COMに載りました。 ルーマニア語だけですが、写真もあるので、ぜひご覧ください。
http://www.allmoldova.com/index.php?action=gennext&id=1193908012&lng=rom