歌声広場(音楽会)、無事に終了いたしました。
残念ながら、今回私は都合により参加できませんでしたので、当日、フルートとスライド上映で舞台を務めて下さった茂木さんより、コメントをいただきましたので、掲載いたします。
なお、お写真1枚目は、茂木さんが休憩時間に撮影されたもの、2枚目は、いつもまくらが歌謡楽団の写真を撮影して下さっている山崎氏のFBよりお借りいたしました。
~茂木さんのコメント~
7月26日の音楽広場の休憩時の様子です。
カメラと三脚は持って行ったのですが、両者をつなぐ金具を忘れたので、演奏時の写真を撮れませんでした。演奏者は透明シートの向こう、お客様はマスクを常時着用するととともにソーシャルディスタンスを確保。
こんなこともあったよねと語れる日を待ちましょう。
早くコロナが過ぎ去ってくれることを願っています。
皆様の地域の歌声広場は、いかがでしょうか?たくさんのコメントをお待ちしております!
このような状況下、負けずに頑張りましょう♪♪♪
しばらくこのような状況が続くと予想されます。そこで思うのは「他の活動と同じく音楽会に参加するもうひとつの楽しみは、みんなで時間や場所を共有して意思疎通すること」ではないでしょうか。まくらが歌謡楽団のホームページは音楽(音楽以外も・・)を“さかな”に意見交換を楽しむ場でもあります。皆様のご意見やご感想をお待ちしています。
茂木さんのコメント「意思の疎通」、これは私もとても大切な事と思います。音楽は、言葉がなくても伝わる、世界を超えて感動を共有できる~これが、魅力だと思います。演奏者同士はもちろんですが、舞台での演奏においては、常に演奏者の一方的なものではなく、お客様がどう感じ、楽しんで下さっているのかを舞台上から肌身で感じながら演奏します。上手くいっている時は更に楽しい演奏ができますし、お客様が飽きているかなぁと感じたら、次回の内容を工夫したりします。
そこで、今後、ネット配信という形に変わった時に、果たしてこの意志の疎通ができると思われますか?例えば、会議等での意見交換はできると思いますが、音楽を合わせて、皆さんに楽しんでいただく事が可能なのか…皆がプロの演奏家であっても、それぞれが音響の良い環境で録音した後、編集してアップするらしいですが…
なお、私が子供の頃に母が歌ってくれた「五色浜の子守歌」について何度かブログに書いてきましたが、それを読んだ人から、秋田の子守唄としてほとんど同じ歌が歌われているというコメントを貰っていました。きょう、その秋田の子守唄の入っているアルバムをインターネット上で見つけたことを Facebook に書きました(https://www.facebook.com/tttabata/posts/3290804000957851 )。ご笑覧いただければ幸いです。
秋田の子守唄を聞かせていただきました。子守唄や遊び唄?などメロディーは同じで、地域ごとに歌詞を変えて唄われ、伝わっているものが多々あるようです。秋田の子守唄の中で、浜の石ころが波にもまれて淡路島へ行くと唄われていますが、秋田の海岸からでは九州の南を経由しなければならず、不合理に感じます。原典は瀬戸内海に面した地域から生まれたのではないかと推察します。
櫻ミサさんへ
安易にことばを選んでしまいましたが、深くは「人の魂と人の魂の交信」と言いたいです。内容の幅は広く、気配を感ずることから総合的に知りあうレベルまであると思っています。そして両端の浅いレベルと深いレベルは繊細で空間を共有しないと交信できないと考えます。つまり五感を動員しなければ叶いません。ネット配信の場合は一方的であることも手伝って交信のレベルには届きません。その場に居合わせないと味わえない臨場感を伴った参加型のイベントには不利です。ただし、容易に感想などを送れることはCDなどと比べて交信的であると思います。現在のネット配信は苦肉の策として行われている場合も多いのではないでしょうか。でもこれが発展して仮想現実を提供する技術が最高度まで進歩すれば本舞台に劣らない仮想舞台が可能になるかもしれませ・・・。前のコメントの本意はブログを利用すればこのように意見交換できるということですが、問いかけに対する回答を即席で考えてみました。
同じ歌詞で、違う曲と言えば、有名な北原白秋の「砂山」がありますね長調の中山晋平の方は広々とした壮大な感じがしますが、山田耕作の方は郷愁を誘うような寂しさを感じます。短調だからかな…
Tedさんは、どちらがお好きですか?
レコードもそうですね。昔は1枚買うのもだいぶ迷いながら買ったような気がしますが、あの大きさがCDになり、そして今ではipodなど1曲づつをダウンロードできるようになり、低コストとはるかにお手軽になりました。
ただ、このコロナの問題が起きてから、さかんにニュースでは「新しい生活習慣」ばかりを連呼するので、生来、ひねくれ者の私は、少々本気でひねくれている所がありますというのも、もちろんワクチンや治療薬がない今、感染を避ける為にやむをえずテレワーク、ズーム等を利用する、というのは理解できます。が、コロナ前と後ではまるでスライドさせるかのように、社会全体をこの機会に変えようという動きには逆行したいと思っているのです。もちろん、満員電車の緩和は、コロナとは関係なく推奨されるべきものだと思いますが、その他はいろいろと問題点を含んでいると思います。
クラシック音楽畑だからなのかもしれませんが、やはり電子楽器とピアノは大きく違います。今の電子ピアノはかなり性能も良く作られていますが、根本的に倍音の出るピアノとは違います。電子楽器に慣れてしまった耳には、その違いを感じ取ることさえ難しくなってしまいます。ということは、ネットからの音に慣れてしまったら、コロナが怖くなくなっても、わざわざ苦労してまで生の音楽を聴かなくても良いなぁ~なんていう人が増えるのでは、と取り越し苦労かもしれませんが、思ったりします。
便利な社会は、また新たなストレスも生みだすような気がします。簡単なメールでは、言いたい事をすぐにぶつけてしまい(私の場合も!)後で、後悔することもあります。が、手紙の時は、何度も読み返し、丁寧に封をしてポストに入れました。音楽も、レコードだった時代は、ステレオの前で静かにじっと聴き、1曲だけでなくその中に入っている曲全てを聴くのに時間がもったいないと思ったこともありませんでした。
きっと、昭和歌謡や童謡を好きな理由もそこにあるのかもしれません。フォークソングなどの時代以降、何か一方的に自分に浸ったり、その想いをそのまま歌詞にぶつけたものより、メロディラインがあって、何かゆったりと思いやりあふれるゆとりのある歌詞に心を感じます。
などと、とりとめのない事を思うままに、書き連ねてしまいましたが古き良き時代は残しつつ、「今だけ」しょうがないから、できる方法で行う、これは決して「新しい様式」なのではなく、「しょうがない方式」で何でも簡単に社会を変えてはいけない、そう思います。
2つのDNAによる見解、面白く読ませていただきました。私個人としましては、日々変化のある都会と10年、20年経っても、のどかな景色がほとんど変わることのない田舎の風景を想像すると、あきらかに前者の日々変化のある景色にワクワクする事が多いです。が、これはおそらく新宿に生まれ、練馬で幼少期を過ごした事により、大人になってもその感覚がDNAの中に残っていて離れないのかもしれません。休日等は、都内で舞台や美術館巡り、少し休んでカフェに入り、本を読んだり外を歩く人達を眺めたり~が、古河に来てから30年…最初は退屈この上ない景色も、だんだん慣れ、今年などは自粛で一度も都内へ出る事がなくなると逆に、筑波山にかかる雲の色合いの変化を感じたり、鳥の声に耳を傾けたり…意外に新しい発見があるものだなぁと感じたりしています。
などと、とりとめのない事を書いてしまいましたが、もう少しの辛抱かもしれません頑張りましょう
例えば、歌の好みというのは、ひとそれぞれだと思いますが、育った環境の中で、どの種類の音楽をたくさん聴いていたか、流れていたかによってある程度の好みは決まってくるように思います(特徴的なハードロック、ヘビメタルのような音楽、穏やかなクラシック、現代的なクラシック等、それこそ親から引き継がれたDNAからも好みは分かれるように思います。もちろん、もとはクラシックが好きだったけれど、後天的に他のものに興味が移った~等はよくある事ですが、最終的にはやはり元に戻る事が多いのかなと思います。
それから、人種によっても、もちろん好みが違うと思います。これは、日本人は民謡や盆踊りの血は流れているけれど、ウィンナーワルツは?となると、その3拍子を感じて演奏するのは難しいとよく言われますが、だからと言って、得意なものと好みは一致しない事もあるので、これもそれぞれ~という事でしょうか…
一般的な日本人の好み~という事からすると、CDで「名曲100選」のようなものは、人気のある曲を統計的に選んで集めていると思います。そこには、例えば「ショパン名曲100選」を見ると、ほとんどがピアノを弾く人でなくてもわかりやすくて美しいメロディが多いように思いますが、その他にもとても良い曲なのにあまり知られてない曲もあります…
Tedさんのお好みということは、おそらく童謡、日本歌曲、クラシック等をハイブリッドにして生み出された好みなのではないかと思います
「野ばら」のシューベルトとヴェルナーの曲の相違について書いてあるウェブサイトを探すと、「シューベルトのほうは4分の2拍子で軽快な感じ、ヴェルナーのほうは8分の6拍子で、ゆったりとゆれる感じ」と書いてあるサイトがありました。
「砂山」と「野ばら」の合計四つの曲を聞いていて、それぞれ、おおよそそういう感じを受けていました。私は少なくとも歌については、どちらかといえば「明るい、軽快」よりも「悲しい、ゆったり」が好きということらしいですね。櫻さんが私の好みについて、「おそらく童謡、日本歌曲、クラシック等をハイブリッドにして生み出された好みなのでは」と書いて下さった分析は当たっていると思います。しかし、「明るい、軽快」に属する歌にも好きなものが沢山あります。
なお、「砂山 中山晋平 山田耕筰 曲 相違 特徴」で検索したところ、「白秋童謡の分析 (3)」という「高松大学紀要」掲載の論文が出てきました(いきなり、PDFファイルのダウンロードになり、URLが分かりません)。英文アブストラクトはいかにも下手な文ですが、内容は面白そうだと思いました。
このトピックスは、なかなか面白いので、次の題材にしてみましょうか?
皆さんは、どちらの「砂山」がお好きですか?という感じに…Tedさんは、重複してしまうところもあるかもしれませんが、またぜひ、お書き込み下さいね
なお、長調の曲と短調の曲、どちらが好みか…というのも、なかなか難しい問題ですが、私の場合は、若い学生の頃は、情熱的で心にぐーっと迫るような短調の曲に魅力を感じていたように思います。ロシアの作曲家、ラフマニノフという人が作ったピアノ協奏曲の第3番の冒頭等は、自分の葬式にはこれを流して欲しいと思ったくらい好きでした(ちなみに、第2番の方は映画音楽や浅田真央さんがオリンピックで使用した楽曲として有名です)が、だんだん年齢を重ねると、穏やかな長調の曲に、奥深さ、安らぎを感じることが多いように思います。例えば、ベートーヴェンの一番最後のソナタである第32番の第2楽章は長調ですが、その一番最後のトリルの部分は、天に昇っていくような…何か現実を超えた美しさがあります。
また、映画音楽についても思いますが、全編を通じて、重苦しい悲しい内容だった時に、最後の出演者、スタッフ等の字幕が流れる時に、静かな長調の曲が流れると、じわっときてしまいます。
等と、気ままに書いてしまいました。では、この続きは、次の項目で~