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疋田玄亀(げんき)と言うのは、勝海舟の次女の長男です。
勝家は、約2500坪の敷地に、執事や侍女や子供たちや親族の家とクララたちのホィットニー家などがありました。
一時。クリスチャンの徳富蘇峰・徳富蘆花の兄弟たちもその長屋に住んでいたことがありました。
西側の通りをはさんだところには、後に、赤坂病院や赤坂教会が建ちます。
クララたちが、アメリカに行っている間も、敷地内で礼拝が持たれ、勝さんの子供や孫たちは洗礼を受けました。
やがて、クララ達が再来日した後、お母さんが癌で亡くなった時、勝海舟は、「ホイットニー夫人の宗教以外は嫌だ。」と言っています。
孫の疋田玄亀(げんき)は、クララをしたっていて「おクララさん」と呼んでいました。再来日してからは、英語を教えてもらっています。
この、玄亀(げんき)の奥さんは、戸川残花牧師の長女です。
そして、俳句関係で活躍されたみたいです。
勝さんの周りには、たくさんのクリスチャンがいました。
ホイットニー家で、神様を知り、牧師の勉強をしていた方もいます。
この、ホイットニー家が、日本に来て何の成果も出せなかったと書いていらっしゃる方の本を最初に読んで腹が立ちました。
一粒の麦は、地に落ちてから芽が出るのに時間がかかるし、その芽を食べた鳥がどこかで糞を落としてそこから芽が出ることもあるからです。今、いろんな芽を探しているところです。
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