プラマイゼロ±

 某美少女戦士の内部戦士を中心に、原作、アニメ、実写、ミュージカル等問わず好き勝手にやってる創作、日記ブログです。

沈む

2016-03-23 23:59:52 | SS







 部活がずいぶん長引いてしまった。

 自己鍛錬としての弓道の練習の時間は好きだが、そのあとの部員たちのほとんど雑談に近いミーティングは嫌いと言っていい。一応試合に関する話題が混ざっているだけに中座するわけにもいかず、レイはだらだらした時間をじれったく過ごした。

 授業の後さらに部活をして過ごすと、校門をくぐる頃には空は赤く染まりはじめている。正直レイはこの時間があまり好きではない。
 黄昏といえば聞こえはいいが、この時刻は逢魔時といって昔から悪いものが跋扈すると知られている。昼と夜の間の曖昧さ。夕日の光が射しこむのに夜が浸み込んでいく。不思議と郷愁を刺激し現実をおぼつかなくさせる。そして、この日これ以上明るくなるということは、ない。

 レイは急いでいた。ほとんど走るような速さで、それでも家に帰る前にどうしても寄らなければならない場所に向かう。以前の自分なら視界にも入らなかった場所で、それを認めるのはとても気恥ずかしいけれど、世界が広がったような気もしていた。

「・・・えーと」

 ふわふわの、乙女の夢を詰め込んだような雑貨屋さん。西洋の絵本を思わせる装いで、まことが気に入っていた店だ。いつだったか連れて行かれて、覚えた。
 初めていっしょに来たとき、きらきらした目で中の商品を見るまことがまぶしかったのを覚えている。そして、商品よりもそんなまことを見つめていて、それにまことが気づいて思わずふたりで赤面してしまったことも昨日のことのように思い出せる。ここはまことの好きな場所だ。

 しかし、レイはひとりでここに来て無駄にうろうろする気はない。目当てのものを掴むと足早にレジに向かった。
 自分から包装をお願いしていても、丁寧に包んでくれるわずかな時間が、部活のあとのミーティングのようにレイをいらいらさせる。どちらにせよ帰るのが遅くなっている現実があるので、突発的にレジの近くにあったドライフラワーの花束も追加した。こういう衝動買いをするようになったのも、また、以前の自分ではなかったはずなのに。

 だが、レイはそんな自分の変化に肯定的だった。かわいくかわいくラッピングされた商品と花束を抱え、店を飛び出すと赤さを増していく陽の光の下急いで走り出した。


 店の入口に、次の月に都合により閉店する旨の張り紙が貼られていた。





 空はさらに赤くなっている。
 とても急いでいたレイは、まことのアパートの前で立ち止まると深呼吸を繰り返した。花束を抱え息を切らしながらまことの部屋に飛び込むなど、レイのプライドが許さない。何度も何度も呼吸を繰り返し、風で乱れた髪を整え、スカートと襟が翻っていないか確認し、さらに大きな一呼吸。必死に走ってきたのに、アパートの階段を上る足はまるで下って行くように軽く動いた。

 廊下を歩く。走ってきたより遥かに高鳴る鼓動を抱え、いつもの部屋の扉に鍵を差し込む。ぱちん、ぱちん、ぱちんといくつもある鍵を、いつもと変わらない順番で回していく。数があっても間違えないのは、もうこの鍵がレイのためだけにあるから。鍵が回る音に鼓動の音を重ね、レイはドアを押し開いた。

 開いた玄関は真っ暗だ。レイは構わず入り込み、中から、外から開けたのと同じ順番で鍵を回した。ぱちん、ぱちん、ぱちんと規則正しく回す。外からはかけられないチェーンもじゃらじゃらとかける。そして、また鍵を差し込んで鍵をかけた。どれだけ急いていても、この順序だけは決して欠かさない。この鍵が回るようにくるくると繰り返す手順が、レイに、学校に通い部活に顔を出すことより、常連になってしまった店の閉店を知るより、繰り返し積み重ねる日々を実感させる。

 特に潜む必要もないのに、足音を立てずに廊下を進むのは巫女だった頃の名残かもしれない。今度マーズみたいに廊下をハイヒールで歩いてきたら、まことはびっくりするだろうか。怒りはしないだろうけど呆れるかもしれない。でも、驚かせてみたいような。
 そんなことを想像したけれど、この鍵を回してからまことに会うまでの時間は、一秒でも短いほうがいい。変身ペンを握って変身をするほんの数コンマが、もうレイには惜しかった。

 花束を隠しもせず、でも胸元に抱えもせず、いかにも興味がないような顔をして、真っ暗な居間を通りそして寝室へ。ノックはしない。そんなもの必要ないから。そのかわり、玄関では言わなかったことを、満を持して、レイは言う。

「ただいま、まこと」

 寝室のベッドには、まことが足を投げ出し座っている。眠っているわけではない。手をかければ容易く落ちそうなだけの黒い下着を纏い、熱心に足の爪に色を落としている。今の今まで声をかけなかったとはいえ、鍵の音が聞こえなかったはずはないが、まことの視線は熱心に爪に注がれている。レイが鍵を回し続けるみたいに、まことは日々、レイが帰ってくるこの時間爪を塗りつぶし続ける。
 下ろしっぱなしの髪が目もとにかかって邪魔だろうに、まことは黙々と爪に刷毛を滑らしていた。灯りなどついていない部屋なのに、ベッドサイドの窓から夕陽が射しこんでいるからか、まことの手はいつも少しも迷わず、爪から色をはみ出させることもしない。レイは黙って作業が終わるのを待っている。いつも、間もなく終わるのを知っているから。

 神経質なマニキュアの異臭が満ちる部屋で、レイはその時を待つ。高鳴る鼓動は収まらない。左足の小指を塗り終わり、ふうっと息を吐いた後、まことは顔を上げた。まっすぐではなく、ベッドサイドに立つレイの方をきちんと向いて。

 窓からは夕陽が射しこんでいる。レイからはまことが逆光に見えて暗い。光はすでに弱く、室内には夜が浸み込み始めている。それでも、レイの目に映るまことの爪は、夕陽よりもずっとずっとずっと赤い。

「おかえり」

 たった四文字の羅列に、レイの内臓が震えた。一日ひたすら待ち焦がれた瞬間はいつもレイに雷のような痺れと甘い陶酔をもたらす。まことの唇は、世界中の愉悦をかき集めたかのようにやわらかく歪んでいた。





「そろそろ無くなるでしょう」

 レイはまことお気に入りの店で買ったマニキュアを、丁寧な包装をしたまま渡す。そのついでという感じで花束を渡したら、まことはふわふわの笑顔をレイに向けて受け取った。

 赤い爪と黒い下着。まことが纏っているのはそれだけ。赤い赤い爪は妙に煽情的で、かわいい花束をその手に包むには妙に毒々しい。レイは実のところもっと甘い色合いの方がまことに似合うと思っているのだが、レイが赤と黒が好きだから、と言われたら反論もできなくなってしまった。

「ありがとう」

 まことは日々、爪に色を塗ることを繰り返す。月の満ち欠けのように欠かさず、レイが鍵を回し続けるのと同様に、毎日ひたすら爪を赤く塗り続ける。
 正直なところ、レイにはそれはまことが時間の経過を感じたくないからではないかと思っている。毎日手入れをしていれば、爪が伸びるという具体的な変化から目をそらすことができるから。レイの前では見せないだけで、二度と結うことが無くなった髪も、毎日少しずつ切っているのかもしれない。

 まことは花束を受け取ってうれしそうだった。だが、それだけ。レイからもらったということに喜んでいても、花に興味はないようにベッドサイドに置いた。レイがそうしたのだ。花が好きでなくてもいいと、レイが言った。
 せっかくあげたマニキュアも、お気に入りの店のかわいいラッピングも、特に興味を示しているようには見えない。今使っているマニキュアが空になって次のが必要になったなら開くのだろう。

 レイは、まことのお気に入りの店が間もなく閉店することに思いを馳せた。まことが二度と行くことがないその店がつぶれてしまうと、レイはもうどこでまことにマニキュアを買えばいいのかわからない。

「レイ」

 まことはベッドから降りず、にこにことレイの腕をつかむ。親の気を引く小さい子のようなその仕草を、レイは拒まない。そうしてほしいとレイが言った。まことがベッドから降りたのを最後に見たのがいつかもう思い出せない。
 部屋にどんどん夜が浸み込んでいく。鍵はたくさんかけてきた。朝は、光は、しばらく入ってこない。ふたりだけの世界。まことの身を覆うものを外すのは、かわいいラッピングをほどくよりはるかに容易い。生まれたての赤ん坊のように無防備なまことを、レイは抱きしめる。

 まことの世界はここで完結する。次の朝が来るまではレイの腕の中だ。レイが学校に行っている間も、まことはどこにも行かない。ベッドで昏々と眠り、レイが帰って来るときに儀式のように爪を手入れするのを、月の満ち欠けのように繰り返す。頑丈な鍵をいくつもかけているから家の中にいればいいとレイは言ったが、まことは部屋からも出なかった。それがレイはうれしかった。くちづけを交わす。

「今日は遅かったね」
「部活が長引いたのよ」
「大変だね」
「練習だけしたいんだけど、ミーティングにも出ないといけなくて」
「試合、近いんだっけ」
「再来週の土日に、公式戦があるのよ」

 まことは少し不服そうな顔をした。こういう話題のときのまことのその態度はレイが休みの日に家を空にする不満だと最初は思っていたが、最近は具体的な時間の経過を示す言葉を出したからではないかとレイは思っている。二週間後。土日。レイが不在なのは二週間後で、土日だという計算がまことの頭に入ってしまうから。かき消すようにくちづけをする。マニキュアを塗ったばかりの爪がレイの制服の背中に食い込む。

「がんばって」
「ええ」

 それでも、まことは不平を言わない。レイがいらないといった。不平も不満も孤独も、前向きな未来もレイの腕の中以外の世界も、レイが奪った。植物を愛する心も、レシピを考える楽しさも、全部全部奪った。必要ないと言った。そんなものを必要とするあなたはいらないと言った。まことは受け入れてくれた。

 出会って日が浅い中ふたりきりで話した、レイの呪縛のような願望。すべてを自分だけのものにして、その人をだめにしてしまいたいとまことに言った。まことは、驚きも、咎めもしなかった。それからたくさんの日を重ねて、ともだちが出来て仲間が増えて命をかけるような戦いに何度も身を投じてレイの世界は劇的に変わった。世界はとても広がった。でも、レイの世界の根本は変わらなかった。そしてまことも。

 レイとまことは、とても大切な人がある日突然いなくなってしまうことを知っている。レイとまことは、運命だと信じた人が、簡単に自分から離れていくことをとてもよく知っている。

「帰って来てね。待ってるからね」

 以前のまことなら、お弁当を持って応援しに行くよと言ってくれたかもしれない。それも全部レイが奪った。だから返事の代わりに強く抱きしめる。
 まことの指先が誘うようにレイの制服をまさぐる。レイは鍵束をベッドから部屋の端に放って服を脱ぎ始める。じゃらじゃらと大量の金属がこすれる音は、既に夜が広がっている室内に乾いた音を響かせる。レイは内側からも玄関に鍵を差してかけたから、鍵を持っていないまことは、永遠にここから出ることができない。

「ずっと待ってるからね。ずっと。ずっと」

 そうやって朽ちるまで。レイがいないとなにもできないまことと、朽ちるまで。どれだけ時間の経過から目をそらそうとも、いくら星の守護を受けていたって、命は永遠ではないから。
 するすると制服がほどけるレイの体に、まことは舌を這わせる。母乳を求め乳首を探す赤ん坊のような仕草だった。子どもを欲しいと思ったことはないレイだが、その姿がただたまらなくなって、まことの頭を乳房に導いた。ベッドを出ないまことは食事をしていなくて、まこと自身もそれを受け入れているはずなのに、しかしやはり本能がそうさせるのかもしれない。母乳など出ないのにそうやってレイにしがみついてくるさまはいとおしくて、控えめに吸われる乳首が痛いほど疼く。

 なにもしなくていいと言った。なにもできなくていいと言った。なにも好きでなくてもいいと言った。ただいるだけでいいと、伝えた。かわいいものが好きで料理が好きで植物が好きで、家族が欲しくて誰かに愛されたいまことでなくていいと言った。ただありのままいるだけでいいと、レイは望んだ。

「ん、ん」

 まことは爪を気にしてか、レイに触れるのに口唇ばかり使うようになった。それがほんとうに乳を吸うしか知らない赤子のようで、レイは乳首を吸われるのが好きになった。なにもしなくていいまことがするのが、レイの帰宅を喜びレイを必要とするだけになった。生きる意思もないまことが日々レイの乳首を吸うのが、とろけるような悦楽だった。

 気がつけばスカートも下着も靴下もすべて脱ぎ、ふたりで一糸まとわぬ姿になっている。シーツに髪の毛が広がって、まことはレイの胸にいつまでも顔を埋めている。もう片方にも、手のひらで誘った。生あたたかく濡れた舌が乳首にまとわりつくのが、快感だった。

「まこと」
「ん」

 まことはやめない。レイはやめさせる気はない。頭をなでながら、足の間に熱が高まるのを感じながら、まことに呼びかけた。

「いっしょに」

 こうやって、ずっといっしょに、命が尽きるまで。ほんとうはそうしたいけど、レイは夜が空けるとまた丁寧に鍵をかけて日常を送りにここから出て行くのだ。
 いま与えられている快感を追いながらも、レイの頭はもう遠い最高の愉悦を待ち望んでいる。なにもかもまことから奪ったレイが、唯一まことに与えたこと。この仕打ちをすべて帳消しにする、まことへの贈り物。そして自分にも。そのためにレイは日常を捨てないでいる。

「ああ」

 絶頂に達する。びくつく足がシーツの波を掻いて、蓋を閉めていないマニキュアがシーツにこぼれて破瓜を思わせる赤を散らせた。夜に沈みきった部屋と快楽の果てにあるのは、レイが好きな色をした暗い世界だけ。
 快楽に開く体の中、肺腑に強烈な異臭が染みわたる。またマニキュアを買いに行かねば、とぼんやり思う。

 そして、昨日もマニキュアを買いに行ったことを思い出した。その前も、その前も、もっとずっとその前も。

 こうやって、日々を繰り返す。毎日毎日、部活が長引いて、まことにマニキュアと花束を買って、体を重ねて、マニキュアがこぼれて、また新しいのを買わなければと思って家を出て行く。毎日校門を出るのは黄昏時、陽が落ちる時間が伸びることも縮まることも、雨が降ることさえない。毎日、まことのお気に入りの店で来月閉店の張り紙を見続けている。試合はいつだって二週間後の土日だ。

 鍵を回すように、そんな日々を繰り返してきた。それ以外の日常など、ありえなかった。

 抱きしめた腕の中、マニキュアの神経質なにおいの中に腐臭が混じっている。変化といえばこのくらいだ。日に日に強くなって、やがてマニキュアのにおいを撒き散らしても気づかないほどになるだろう。どれだけ同じことを繰り返しても、星の命さえ限りある。あと一日、あと一回、それを毎日切望してきたけど。
 あと一晩なんて言わないから、せめてもう一度、まことの声が聞きたい。一日ほとんど目を覚まさないまこととレイが言葉を交わすのは、いつもレイが帰ってくるあのとき。それが体を重ねるよりはるかにレイに陶酔をもたらすのは、レイは最初から狂気の中になんかいないからかもしれない。

 レイは夜に沈みながら、終わりを予感していた。これまでに見たどの予知夢よりも重く深く不吉な予感は、この夢のような時間の終わりか、それともレイ自身の終わりなのか。





「おはよう、レイ」

 目覚めたのはレイが苦手な黄昏でなく、晴れ渡る朝の光の中だった。それを認識したのは、差し込んでくる眩しい光よりも、まことの言葉からだ。おはようと言ってるからには朝なのだろう、そう思ってレイは目を薄く開ける。自分の家ほどではないけど見慣れてしまった天井と、覗き込んでくるまことがぼんやり見える。

「なんかうなされてたけど、だいじょうぶ?悪い夢でも見た?」
「・・・見た」
「どんな?」
「あなたが出てきたわ」
「あはは、ひどいなあ」

 レイの夢には予知の力がある。そんなことを知らないまことではないのに、悪い夢に自分が出てきたという言葉をそのままの意味で受け取って笑うのだ。正直理解しがたい神経であったが、そのやさしい笑顔はレイの心を凪がせた。

「でも起きたのならよかった。朝ご飯もうすぐできるからね」
「ええ」

 ここはまことの家だ。今見ていたのは夢だ。わるい夢だ。まことがぱたぱたと足音を立てて遠ざかってくのを聞いて、ここは日常なのだと思いだす。

 腐臭も刺激臭もしない、穏やかでやわらかい朝。まぶしい光。観葉植物の爽やかな緑と土のにおいの中に朝食のにおいが混じる。ポットがお湯を沸かす音が遠く聞こえる。清潔なシーツの感触がレイを包んでいた。レイはもう一度目を閉じ五感に意識を巡らせる。まことの植物を愛する心も、料理を嗜む技術も失われていないのが実感できた。

 ほんとうにひどい夢だった。思い出すだけで胸が悪くなるようだ。それでもレイのまぶたの裏にその悪夢が鮮明に浮かぶのは何故なのだろう。そちらが現実などあるはずはない。だって、レイはこんなに正気だ。
 いくら世間知らずのお嬢さまだったレイとはいえ、あの夢の現実感のなさは異常だ。そもそも食事をせずに生きていくことなどできないし、あの生活の中で光熱費などはどうしているつもりなのだろう。夢とは正反対の現実的な思考回路が巡る。

 それなのに、胸が悪くなるような夢をレイは覚えている。部活のミーティング内容も花束の色も覚えていないのに、毒々しい赤と陶酔の感情だけはベッドに横たわる今でもありありと思いだせるのだ。

「レイ、ごはんだよ」

 まことの声はやさしい。いつだったか、こうやって人と食事を一緒に取るのがとてもうれしいと言っていた。食事をするのは生きる意思があるということで、それを共有するのは共に生きることだから。そのうれしい感情を共有できるのがレイはうれしいと思っていた。

 レイはまことと生きていくことに決めた。

「ん」
 
 まことのくちづけから流れ込んでくるものはどろりと甘い。なにかはわからなくても、咀嚼などせずとも喉に落ちていくそれは母乳のようにレイの血となり肉となりレイを生かす。レイはまことと生きていくことに決めた。だから生きている。
 もう、寝返りすら打てなくなっても。

「いいお天気だよ。たまには散歩に出ようか?」
「いい」
「いいの?車椅子、出すけど」
「いい」

 もうレイは首さえ動かすことはできない。その手足に首に体に、禍々しいほどの拘束が施されているから。眼球を動かす気も起きないのでわざわざ見返すことはしないが、革と鎖と金属で出来たその拘束具はどこで手に入れたのかまことの好きな甘い色合いで、妙なギャップがまことらしいと苦笑した覚えがある。まこと本人しか見ないものにそういうかわいさを配置するのも、また、彼女らしいといえばらしい。
 そうやってベッドに沈んで、日々まことに世話をされて、レイは生きている。レイはまことと生きていくことに決めた。こうやって自分では首一つ動かせなくなることで、まことを縛り付けておくことにした。天井しか見えない世界で、まことが覗きこんでくるその瞬間を待っている。予知夢を見る力を持って生まれてきたレイには、これ以上の環境は不要だ。夢が見られる眠りと、まことがいれば、そこでレイは完結していたのに。

 それなのに先ほど見た夢でレイの胸は轟いている。

「じゃあ、あたしはちょっと買い物に行こうかな。だいじょうぶ、すぐに帰ってくるからね」
「ここにいて」
「いなくならないよ」
「でも、いて」

 レイとまことは、とても大切な人がある日突然いなくなってしまうことを知っている。レイとまことは、運命だと信じた人が、簡単に自分から離れていくことをとてもよく知っている。

 だが、この感情は失う恐れではなく嫉妬だ。夢の中の自分に嫉妬したのだ。ここが完璧だと思っていたレイの、それでも見ないようにした心の内を夢は映した。自分がここにいることで、まことをここから離れなくして、必ずここに帰ってくるようにした。それでも。

 それでも。

「どうしたの、レイ」
「あなたの夢を見たの」
「どんな」
「あなたが私の帰りだけを待ってる」

 それ以上はおぞましくて、口に出せそうになかった。嫉妬で焼け付きそうな胸を抑えるべき腕は拘束具の中に埋まっている。代わりにまことが察したようにレイの体を抱いて、額にくちづけを落とした。

「あたしはいつでもレイを待ってるよ」
「・・・・・・・・・」
「でも、今度はいい夢だといいね」

 レイは目を閉じる。ここは日常だ。だが、現実とは限らない。
 あんな夢を見る前、眠りについたのがいつだったのか、思い出せないのだ。長く眠りすぎたのか、それともここも現実ではないのか。拘束具の中にいることでまことを縛り付けたのは覚えているのに、あんな夢を見る前もこの状態だったのか、もう思い出せない。

 今度はいい夢だといいね、というまことの言葉はレイの体に呪縛のように浸み込んでいく。ここは、どこ、なのか。意識が薄らいでいく。

「まこと」

 それでも、今は、どこかわからないけど確かにレイはここにいる。それだけは真実だ。そして、夢の中の自分に嫉妬した。今の自分が唯一与えられないものを、夢の中のレイは持っていたから。おはようもただいまも空っぽの空間で言えるのに、こればかりは家族が欲しかったころのまことには言えなかったことだから。

「帰ってくるから」
「いなくならない?」
「ええ、だから」

 ずいぶん待たせてしまって、長いことひとりにさせてしまったけど、ちゃんと帰ってくるから今度はおかえりって言って。そう言い残すのが精いっぱいで、レイはもうどことも知れないところに落ちていく。
 レイはまことにおかえりという言葉を言わせてあげたくて。ひとりぼっちの彼女のところに帰ってあげたくて。夢の中のようにまことの好きなものを奪わず、レイ自身を捕えさせることでまことを自分に縛り付けていたのに、それでもあの夢に嫉妬した。まことのおかえりが、脳が溶けるほどの快感だったのだ。

 でも。それでも。でも。

 次に見るのはどんな夢なのか。それともここも夢で今度こそ醒めるのか。レイはどこに行くのかわからない。戦士として仲間たちとはしゃいでいたあの頃か、母が生きていた頃か、火星のプリンセスであった頃か。楽しかった頃の夢を見るのか、胸が悪くなるような現実に戻るのか。

 まことのおかえりが聞きたい。それでも、ここにいる彼女がさみしい顔をしなければいいなと思う。どんどん欲深くなっていくけれど、でも。

「おやすみ、レイ」

 あいしてるわまこと。その言葉にならないささやきを聞くのは、果たしていつのどこの誰なのか知らないままレイはどこまでも沈む。







 



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 こんな未来もあるかもしれない。

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